第28話 to be continued?
知らない人物に肩を叩かれる。その男が通り過ぎて行ったあと、また別の誰かにはやし立てられる。「nice fight」だけをなんとか聞き取った亮司は、渋っ面でグラスの水をすすった。
クローニンがステーキを切り分けながら笑顔で何かまくし立てる。やたらと上機嫌であることだけは伝わってくる。
「だから、何言ってるかわからないって言ってんだろ」
ゲームが終わったいま、プレイヤーの誰もヘッドセットを着用していない。言葉が通じないことなど分かっているはずなのに、クローニンはさっきからひっきりなしに喋り続けている。
「ゲール語は私も分かんないな」隣の席に座ったニコルが野菜のテリーヌをナイフで真っ二つにする。
「ゲール語?」
「アイルランドの言葉」
「ひとつ勉強になった」
生き残ったプレイヤーたちは亮司を含めて1か所に集められ、そのまま夜闇に浮かび上がるように停泊していた馬鹿でかいクルーズ船に乗せられた。乗船の際に行われた説明によると、この後は近くの滑走路を備えた島を経由して元いた国へと送り返してくれるとのことだった。
到着するまで各プレイヤーには自由が与えられている──快適な船旅。テーブルを挟んで向かいに座ったアイルランド人のように、船上レストランで供される高級料理を食いながら馬鹿笑いしている人間もいれば、個室の中ですすり泣いている──廊下を通っている途中に聞こえてきた──人間もいる。それぞれが思い思いの過ごし方をしていた。
「食べないの?」
ニコルが屈託のない笑顔で言った。何か言ってやりたかったが、結局は言葉にならない。亮司は目の前の皿の上にある海老と蟹とドライフルーツのモザイク仕立てという見たことも聞いたこともない代物にフォークを突き立てた。
「リョージくん、帰ったら何する? 私はねー、いくつか積んでたゲームやろうかなって。てっきり留置場に逆戻りか刑務所行きかなと思ってたんだけど、住居を用意するからそこで次の開催まで待機なんだって。監視付きだけどね。リョージくんSteamのID持ってる? 一緒にやらない?」
帰ったらどうするか? 当然、元の生活に戻るだけだ。父親の入院費を支払い、弁護士と話し合って家の借金を返し、大学に通って真面目に勉強をする。一生遊んで暮らせる金を手に入れたわけでもないし、その後はまっとうに働いて──そのあとは、それから考える。地に足のついた生活だ。朽ちかけた吊り橋を一気に走り抜けたようなこの3日間の体験は、そのうち記憶の彼方に消え去るだろう。
船が揺れる。夜が更ける。ワインの入ったクローニンが更に舌を回転させる。手に入ったコレクションをテーブルの上に並べようとするニコルの手を押しとどめる。料理は美味いはずだったが食べなれない味のせいかどうもしっくりこなかった。
「散歩してくる」
レストランに流れる音楽が途切れたところで亮司は席を立った。クローニンがまだ客のいる席からひったくったワインボトルを振って見送る。
背中に音もなくついてくるニコルの気配を感じながら何の気なしに船内を回る。レストランを出るとすぐそこのデッキにはプールがある。泳いでいる誰か。跳ねる水を避けてプールサイドを通り過ぎ、エレベーターを使って下の階へ。
エレベーターを下りてすぐの部屋はバーになっていた。丸椅子の並ぶ赤みの強いライトに照らされたカウンターには客が一人だけ座っている。
酒に興味のない亮司は反対側のドアから店を抜けるべくずかずかと歩く。
客の女が、ちょうど亮司が背後を通り過ぎようとしたところで声を上げた。
「今からそっちに行こうと思ってたんですよ」
思わず足を止めて振り返る。カーディガンを着た、細身というよりは薄い体をした若い女。皮肉を感じさせる薄い笑み。少しウェーブのかかったブラウンの髪を左でまとめている。
初めてみる顔──この三日間で腐るほど聞いた声。どうすべきかを迷った挙句、亮司は少し距離をあけて座った。
「隣でいいでしょうが」
腕を引っ張られ、しぶしぶナビゲーターの右隣に移動する。その右にニコルが座って亮司は両側を挟まれる格好になった。
「何か頼んだらどうです?」ナビゲーターが言った。
「酒は飲めない」亮司はさっきまで彼女が口をつけていたライムとミントの入ったグラスに目を落とした。「病人が飲んでいいものでもないだろ」
「ノンアルコールのモヒートです。おいしいですよ。飲んでみます?」
亮司は仏頂面で頷いた。ニコルもカウンターをこつこつと爪で叩く。痩身で頬のこけたバーテンダーは余計な言葉を発さず、慣れた手つきで同じものを2つ作ってそれぞれの目の前に置く。
亮司は一気にグラスを傾ける。爽やかな味──柑橘系の酸味とミントの清涼感の組み合わせが今日のような熱帯夜にぴったり合う。
「うまい」
素直な感想を言うとナビゲーターはやや得意げに笑った。ライトの色と角度のせいで病人の顔かどうかは分からない。
「あんまりじろじろ見ないでくれます?」
「思ったより元気そうだ」
「そりゃそうでしょ。ベッドの上から動けないような有様じゃナビすらおぼつきませんから」
それはなによりだとでも言うべきか。それとも、手術がうまくいくように祈っている、だろうか。後者はどうにも無責任なもののように思えて口にするのは憚られた。
「あー、なんだ。この船は、こういう趣向のためのものなのか?」
亮司が店内を見回した。カウンターの席の背後には木目のくっきりした重々しい焦げ茶色のテーブルが並んでいるが、自分たち以外に客の姿は見えない。
ナビゲーターは首を振った。「いえ、実のところスタッフと参加者の接触はあまり推奨されていない──というよりは、厳禁ですね。セキュリティの問題と言いますか、人が顔を突き合わせると大体は悪だくみが始まるものですから」
「なんか、あんまり大丈夫じゃないように聞こえたのは気のせいか?」
「心配しないでください、特例ってことで偉い人に連れてきてもらったんです」
「まあ、それならいいんだが……ちなみに、何でここに?」
「えー、ちょっと、野暮用といいますか」
「そうか」亮司は自分の額に手をやってしばらく考える。「つまり、俺に用が?」
相手は曖昧に頷く。「そういうことになるんですかね?」
ナビゲーターが飲み終わったグラスを揺らして中の氷をくるくる回す。亮司はカクテルをちびちび飲む。店に音楽は流れていない。バーテンダーが黙々と振るうアイスピックが氷を削る音だけが機械のように規則的に繰り返される。
先にしびれを切らしたのは亮司の方だった。「……用件はどうしたんだよ?」
「いや、あるにはあるんですよ。ただ、よくよく思い返さなくても貴方のアホみたいなこだわりとか自棄みたいな思い付きにさんざん心労をかけられたわけですし、むしろ私は被害者のような? だから別にいいかなって段々思えてきて」
「なんで俺はゲームが終わってもコケにされてるんだ?」
ニコルがカウンターに両肘をついて亮司越しに言った。
「その人が〝小うるさい〟ナビゲーターさん?」ニコルが両手で抱くように持ったグラスの中の液体をすする。
「ルシール・ジャンメールです。ニコル・〝ネクロフィリア〟・ユアンさん」
「よろしくぅ」
ナビゲーター──ルシールが微笑む。ニコルも笑う。急な居心地の悪さを覚えて首をすくめた亮司の頭上で握手が行われる。
よく分からない状況になってきた。とりあえず間を持たせるためにカクテルのおかわりを頼もうと手を上げようとしたところで、店のドアベルが鳴った。
新しい客。つい視線が向く。入ってきたのはチェスターコートを羽織ってパンツスーツで身を固めた銀髪の女だった。
直視した亮司の眉間に思わず皺が寄るほどの怜悧な美貌。視線が合う。にんまりと笑う女。ぎくりとなって亮司は顔を背けた。
テンポが速く一歩一歩の長い足音がやってくる。冷や汗が出る。足音は、自分の真後ろで止まった。
「やあ! こんばんは前島亮司くん!」
銀髪の女にいきなり背後から抱きしめられた。亮司は体を強張らせて狼狽える。
「ああすまないね感激してつい」銀髪の女は離れる素振りを見せるどころか亮司の後頭部に顎を押し付ける。「自己紹介をしなければな。ゼーラ・ユルマズ──そうだな、きみの足長お姉さんといったところかな。多少の感謝を向けてくれてもバチは当たらないはずだよ」
亮司はやんわりと女の腕を振りほどく。
「つまり……俺に、ドネートを? 1000万の?」
「ふーん、察しがいいな。まあそうでなくては生き残れなかっただろうが」銀髪の女がカウンターに手をついて亮司の肩を叩く。「君は、頭は悪くない。むしろ良い方だとすら言える。ところがどうだ、根っこのところはどうしようもない愚か者だ。おっと、分かっているとは思うが今のは褒めたのさ。いや、本当に楽しませてもらった、まったく素晴らしい。君は一流のエンターテイナーだ。さあ、この出会いに祝杯といこうじゃないか! マスター、私にも彼と同じものをくれ!」
機械のように同じ動きで用意されるカクテル。それに口をつけたゼーラが唸る。
「なんだい、ノンアルコールじゃないか」
未成年なのでと亮司が言うと、ゼーラが甲高い声で笑いながら亮司の髪をぐしゃぐしゃにする。
「君は本当に可愛いな! おっと──」ゼーラが後ずさって両手を上げた。グラスの中身が少しこぼれる「そう睨まないでくれよお二人さん」
「ドクター、私はもともとこういう顔ですよ」
ルシールが言った。ニコルは柔和に笑って値踏みするようにゼーラの顔を眺めている。
「そうかい? まあそういうことにしておこう」ゼーラは自分の手についた雫を舌で舐めとる。「それはそうと、彼に感謝の言葉はもう伝えたのかい?」
ルシールは小さくうなずいた。「ええ、まあ。そんな感じのことは言いました」
思わず亮司の口が開く。「どこがだよ、ありがとうの〝あ〟の字すら──」
抗議にそっぽを向いてルシールが言った。「それより、ドクターの方こそミスターに伝言があったのでは?」
「おっと、そうだった」
空にしたグラスをバーテンダーの方に滑らせたあと、ゼーラはカウンターに名刺を置いた。わざわざ体を密着させ、亮司の肩に顎を乗せて囁くように言った。
「私の番号だ。何かあったら連絡を入れてくれ」
亮司は名刺を一瞥するだけで手は伸ばさなかった。
「俺は、もうすぐ自由の身なんでしょう? もうこれっきりで、二度と会う必要なんてないんじゃないんですか?」
ゼーラが唐突に切り出した。「君が殺した連中のなかに、それはそれはとんでもない資産家の息子たちがいたんだ。誰のことを思い浮かべたか分かるよ。そう、そいつらさ。金に物をいわせて遊び気分でマンハントをしにきた三馬鹿──驚くなかれ、偶然にも彼らのうちの一人、その父親がこのゲームを観戦していたんだ。どうなったと思う?」
そう言ってゼーラが嗤う──いきなり表面に現れたこの女の本性に亮司の体が強張った。
「人体っていうのはああいうふうに自力で色々と変色できるものなんだと勉強になったね。カメレオンだって中々ああは行かないぞ。さて、自分の子供が誰に、どんなふうに殺されて、どういう断末魔の声を上げたのか、その一部始終を目の当たりにした男の心境はいかばかりだろうか。私に子供はいないので正直なところ分かりかねるが……どのような行動にでるのかは予想がつく。このゲームの出資者たちは良くも悪くも〝大人〟だ。例え期待していたものと異なる結末だったとしても、自分が直接恥をかかされたわけでもないし、長々と恨みを引きずるなんてことは滅多に無い。ところがだ、今回の件はかなり根が深い。なにしろ肉親を殺されたわけだからな、暴発しないと断言することはできない。さっきも言った通りその男は資産家だ、手段を択ばなければ富も権力も持たない一般人の人生に介入することなど容易い。例えば──そうだな、亮司くん、入院しているきみの父君の生命維持装置の電源ケーブルがいつのまにかコンセントから抜けていた、なんてことが起こりえるかもしれない。君自身が仕事やプライベートで不利益を被ったり、あるいはもっと直接的に、なにか不幸な事故に遭う可能性だってある」
亮司の腕が震えた。掴まれたカウンターの縁が軋みを上げる。
「公平だったはずの勝負の末路がそれではあまりに理不尽だし、さすがに忍びないと考えた私は、君にいい話を持ってきた」
「つまり?」
亮司の声のトーンが一段下がったのを聞いて、ゼーラが舌なめずりした。
「私はこう見えて顔が広くてね、件の人物、またはその彼に影響力を持つ人間をいくらか知っている。それらの伝手を使って、うまくとりなすことができると思う。こう説得するんだ。雪辱を果たす、あるいは踏ん切りをつける機会を与えよう、その代わりに、今後一切禍根を残さないこと。第三者の立会いの下に正式な契約を結べばいかに彼といえどもないがしろにはできないはずだ。どうだい? いい案だと思わないか?」
亮司は黙ってカウンターの奥の棚に並ぶボトル越しにゼーラを睨みつけた。相手がそれに気づいて笑う。
「まあ、今のはもしかするとの話だ。そうならない可能性だって十分にある。保険のようなものだと思ってくれればいい」ゼーラはカウンターに置いた自分の名刺を爪で叩いた。鋼鉄のようなシルバーのマニキュア。「それでは失礼するよ。話せてよかった。短い船旅だが、ぜひ楽しんでいってくれ」
密着していたゼーラの体が離れる。来た時と同じように迷いのない足取りで店の外へと出ていった。ドアベルの音が止む。
頭がぐらぐらする。体が泥の中に沈められたようにうまく動かない。いま確かに起きているはずなのに、悪夢にうなされているような気分だった。
「えーと、まあ、あれです」ルシールが手を伸ばした。亮司の強張った腕に人の熱が触れる。「次がどんなゲームになるかは知りませんが、もしサポートが必要になるようなものであれば、あー……その、協力するのにやぶさかではないって感じです」
ルシールがバーテンダーに書くものを要求する。伝票のペン立てに刺さっていたボールペンを受け取り、ゼーラの残した名刺にメールアドレスを書き加えた。
最後に亮司の頬に触れるようなキスをしてルシールが立ち去る。じっと押し黙っている亮司の顔を、カウンターにうつ伏せになったニコルが楽しそうな顔で覗き込んでいた。
しばらくそれを無視していると、ニコルもボールペンを引っ掴んで名刺の余白に自分のアドレスを走り書きした。亮司の耳元で囁く。
「また一緒に遊ぼうね」
誰もいなくなったバーのカウンターで歯を食いしばる亮司の目の前に透明な液体の入った背の低いグラスが滑り込んでくる。亮司が顔を上げる。バーテンダーは素知らぬ顔でショットグラスの水気を拭いている。
亮司はグラスの中身を一気に飲み干した。喉から胃までがやけどをしたように痛んで思わずむせかえる。名刺を手に取り、引き裂いてやるつもりで両端をつまんだ。
あと少しのところで手が震えて動かない。苦悶のような唸り声を絞り出しながら亮司は名刺を握りつぶし、カリン材のカウンターに拳を叩きつけた。
「やってやるよ、くそが」
お金が欲しければ人を殺そう @unkman
★で称える
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