本能寺、燃ゆ。

星樹 涼

第1話


 あなたは、幽霊を信じるだろうか。


私は信じない。信じられる、わけがない。人間の怨念、未練が形を持つなんてこと、あるはずもない。死んだらそれで終わり。無になるだけ。

 


私はごく普通の高校生。父親が住職を務めている本能寺の近くに住んでいる。本能寺はあの有名な戦国武将、織田信長が死んだ地だ。

 

正確には、違う。



織田信長が死んだ時、本能寺は燃え尽きた。それを別の場所に立て替えたのが今の本能寺だ。お寺の裏手には、織田信長の墓がある。骨もなにもない、ただの飾り。それなのに、六月二日にはたくさんの人が金平糖を持って墓参りに来る。



中には泣き始める人もいて、そんな時は掃除もできないから泣くんだったら本能寺跡地へどうぞ、って言いたくなる。まぁあそこは分かりにくいっちゃ分かりにくいけど。

 六月二日は、本能寺の変があった日なんだって。だから、たくさんの人が織田信長の好物の金平糖を持ってくる。



 金平糖は、持ち帰ってほしい。それなのに、その日もまた金平糖の入った瓶がいくつも供えられたり、砕かれた金平糖がそこらへんに撒かれたりしていた。ため息をつきながら、金平糖のかけらを箒で集める。溶けかけた金平糖はまだありに侵略されず、夕日を受けてキラキラと輝いていた。その写真を撮ろうと思って、スマホをスカートのポケットから取り出す。


その時、ブブブ、とバイブレーション音がなって、友達からメールが届いた。スマホの画面にはお蘭、と名前が映っている。

「来て!今すぐ!大急ぎ!」

中学の入学式の次の日にメールアドレスを交換して以来「細川環です。これからよろしくね」「森田蘭。歴ヲタ。よろしく」っていう最初の挨拶以外の文字が表示されないトークルームに、四年ぶりくらいに文字が姿を現したことに軽い動揺を覚える。

 


何か、あったんだろうか。



軽いパニックに陥ったまま、ポケットに財布が入っていることだけを確認し、全てを放り出してお蘭の家に駆けて行った。

 

「え、なに、そんなこと⁈」

お蘭の家に着いた私は、そのまま玄関で脱力していた。

「そんなことって何よ!これだから、歴史を馬鹿にする人は!」

 頰を膨らませ、拗ねたような顔をして仁王立ちになっているのは私の友達、森田蘭。和風な顔立ちと、艶やかな黒髪ストレートを綺麗にポニーテールに結っている美人。スポーツ万能、容姿端麗、そして勉強は大変良くできる。私だって勉強はできないわけじゃない。この辺りでは一番偏差値の高い公立高校に入ることができるほどには、できる。



……はずなんだけど。



……まぁでも、そこで最下層に位置する私とは違ってお蘭はいつだって成績が良い。体格だって百五十センチのちんちくりんの私と違ってお蘭は百六十五越えでナイスバディ。

 


そんな完璧少女で、みんなが振り返る美貌の持ち主にもかかわらず、彼氏がいない理由はひとつだけ。お蘭は、気持ち悪いくらいの歴女なのだ。告白されても、「戦国武将ほどカッコよくないから嫌」っていうほどの戦国ヲタク。

 そう。六月二日に金平糖を備えに来て泣く人たちのうちの、一人。

「もう、急に引っ越すことになったとか、事故にあったとか、そういうのだったらどうしようって、本当に焦ったんだからね!」

「そんなことより!見て!」


 私の焦りなんか完全に無視して、お蘭(彼女の希望でそう呼ぶようになった)は目を輝かせた。そのまま取り出したのは、一振りの打刀だった。七十センチくらいの、黒い鞘におさめられている。

「これ……何?」

「宗三左文字!別名義元左文字ともいわれてて……!」  

曰く、もともと今川義元とかいう人が持っていた刀で、桶狭間の戦いの時に織田信長が奪い、その後も豊臣秀吉・その息秀頼・徳川家康の手に渡ったという天下人が愛でた刀、その模擬刀らしい。


その刀の魅力や逸話をカンペでも見ているかのように淀みなく話すお蘭を見ながら、私は安堵のため息をついた。

 

 一刻後。現代で言うところの二時間後。


……ずっと歴史の話を聞かされてたら、考え方とかも戦国時代に影響されてくるから困るんだよね。

 

二時間、私はお蘭の話を聞き続け、もとい、聞き流し続けた。夕日はとうに沈み、あたりは暗くなっている。

「あー、楽しかった」

頰を軽く紅潮させながら、お蘭は満足そうに微笑んだ。

「全く。蘭、環ちゃんも忙しいんだからね!」

 奥から、お蘭のお母さんがエプロンで手を拭きながら出てきた。

「ごめんね、いつも。暗くなって来たし、ご飯でも食べて行って?」

「やった!おばさんのご飯、すごく美味しいから!」


 食べて行く気満々で、親に連絡しようとポケットにあるはずのスマホを探す。


が、しかし。


「おばさん、すっごく食べていきたいんだけど、スマホ忘れて来ちゃって。また今度!」

 私が親御さんに連絡しようか、と申し出てくれたお蘭のお母さんに感謝を伝えながら辞退し、私はお蘭の家を飛び出そうとした。

「あ、待って!」

慌てたようにお蘭は廊下の奥に見える階段を駆け上がり、直後、ダダダ、という擬態音とともに駆け下りてきた。

「これ!あげる!」

そう言って差し出されたその手の上には、小さな刀のキーホルダーがのっていた。お蘭が先ほど目を輝かせながら魅力を語っていた刀だ。

「ありがとう!じゃあね!」

そのキーホルダーを握り締め、私は背中にまた今度泊まりに来てねー、というおばさんの声を受けながら、今度こそ走り出した。

 

 あたりは、真っ暗になっている。走りながら、煌々とした光を発するコンビニという便利なもので時間を確認する。時計は八時三分を指していた。


季節と時間の割に暗すぎる道を駆ける。人が一人くらいいてもいいのに、誰もいない。妙な静けさの中、私の足音だけが辺りにこだました。



 本能寺の古めかしい門をくぐって、本堂の裏に回った。ゴーーール!なんて両手を上げて見えないゴールテープを切って。

 そのまま、固まった。

暗闇の中でもわかるほどのオーラを身体中から発する、光るメガネをかけた、鬼が……いや、鬼よりももっと恐ろしい母親という生命体がゆっくりとこちらに振り返った。


「あらぁ?箒を放り出して、どこへ言っていたのかしら?」


 その鬼はにっこりと笑う。その笑みが何よりも恐ろしいことを、私は知っている……。

「あ、の……ごめんなさい……」


「明日から一ヶ月、この辺りに完全にゴミが落ちていないようにしなさい!」


ごろごろ、どかーん。


「はい……」

帰るよ!と言いながら、鬼は私の手首を掴んだ。

「あの、スマホを……」

「何か言った?」

再びこの世でもっとも恐ろしい笑みを向けられ、スマホをここに落としただろうから探したい、なんて言うことはできなくなった。

 

 


草木も眠る丑三つ刻。私はふっと目を覚まして、耳をそば立てた。

普段は眠りが浅くて困るけれど、今日ばっかりは浅くて良かったとおもった。

お母さんが寝たらスマホを探しに行こうと、服を着たまま寝ていた。


今、リビングの方から物音はしない。そっと階段を降りる。一番下の段は踏むとギシっと軋むので最後の一段はジャンプして華麗に着地。はできないから、手すりを持って慎重に跨いだ。



 真夜中、そっと家を出る。今日は月も眠り、街も眠っている。点々と明るく輝く街灯には虫が集り、少し路地に入れば酔っ払って寝ている人がいる。



 本能寺の本堂の裏に回って、暗闇になれた目で一層濃い闇を探した。お墓の前に四角い闇を見つけ、ほっとしつつ屈み込んだ時、チャリ、と音がしてポケットに入れていたキーホルダーが落ちた。右手でスマホを、左手でキーホルダーを同時に拾う。



 その時、急に赤い光が充満し、ゴォォォーーーッッという轟音がしてすぐ脇の本堂が激しく燃え始めた。


 突然のことで、一瞬反応が遅れる。


ゆっくりと立ち上がり、赤やオレンジ、黄色が爆ぜる本堂をぼんやりと見つめた。


「……信じられん……」


生まれた時から縛り付けられていた、私にとっては牢屋のような本能寺がこうもあっけなく燃えている。なのに、誰も来ない。誰も、慌てて水を持って来たりしない。すぐそこは、商店街なのに。火は近くにある本能寺ホテルにあたっては跳ね返っている。


 本堂だけを包むように。



「人間五十年下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を受けて滅せぬもののあるべきか」



 燃え盛る本能寺、その中からテノールの歌声が聞こえてくる。見えたのは細身で長身の影。豪快で繊細な舞。

 

お蘭の声が聞こえてきそうだ。人間五十年、から始まる幸若舞の敦盛は信長様の十八番で、その舞は素晴らしいものだったと言われています!とか言っちゃって。左手の中のキーホルダーをぎゅっと握る。冷たい金属の感触。チャリ、と小さな音が鳴る。



 ……と、いうか。本能寺、燃えてるよね?その中で舞踊ってる……?

「あかんやん!死んでまうわ!」

 できるだけ標準語で喋ろうとしている私も、さすがにこの状況ではそんなことも言っては居られず、全てを置いて駆け出した。


数段の階段を駆け上がり、炎の中に飛び込む。一瞬目の前がオレンジや黄色に染まる。熱さで視界がぼやけ、ゆらゆらと揺れている。

「そこの人!踊っとらんとはよ逃げな!」

 やっととらえたその腕を強く引く。その人の瞳が私を捉えた時、別の場所でバキッと木を踏み抜く音がした。炎の揺らめく中でも、男の持つそれは異様な程に白く煌めいている。



「信長、覚悟」



「光秀か。愚かなやつよ」

 信長様と呼ばれた最初の男は、光秀と呼んだその人の方を見ずにそう言った。光秀が刀を握り直す。信長様は持っていた扇をはた、と閉じた。外から喧嘩のような騒ぐ声が聞こえる。やっと、誰かが火事に気付いて慌ててくれてるんだ



 私が今何を見せられているのかは分からないけど!多分夢なんだけど!もうね、すごい熱いの!こんなことに付き合ってらんないの、分かる?!

「もうええから出よ!早く!」

 信長様の腕を掴んで来た方に向かって戻る。



「信長を生きて返すわけにはいきません。……君はさっさと行きなさい。殺されますよ」

 

ぱっと振り向く。光秀は刀に炎を映しながら構えた。

 (銃刀法違反……っ)


 そんなの今なんの意味もないけれど。叫びたくなった。だって、逃げられない。真剣白刃取りなんてできるわけもないしきっと、背を向ければ斬られる。


信長様を庇うなら、お前も殺す。


炎の揺らめきのせいではっきりと顔を見ることは出来ないが、纏う雰囲気にそんな色を見つけて、鳥肌がたった。

 


なんで、悪いこともしてないのに……ウソですそりゃ掃除サボって出かけたりしちゃったけどそんなこと、たったそれだけでどうしてこんな目に合わなきゃ行けないの?そもそもスマホを忘れてなかったら!そもそもこの本能寺がなければ!



 すっと横を一陣の風が駆け抜ける。よく知っている後ろ姿。その人が私と信長様を背に庇い、光秀に向かって刀を構える。


「信長様、お逃げ下さい。ここは私が」


「お蘭……っ森蘭丸か!」

 光秀の瞳が驚きに見開かれる。ふっとクリアに見えた光秀の顔は。これもよく知っている顔で。


「――っ、お前か!お前がこいつの!」


 お蘭が振り向く。……お蘭じゃ、ない。お蘭は私にこんな冷たい顔、しない。こんなに憎しみをぶつけてくることなんて、ない。

「殺す」

 お蘭の刀がこちらに向けられ、容赦なく振り下ろされる……

 

 ―――キイイィィィンン……

 

 刀と刀のぶつかる、高い金属音。私の目の前にあるのは私とよく似た体格の光秀の背中。

「その刀は……っ、お前、よくも……っ」

 お蘭が悲鳴に似た声でそう叫ぶ。

「蘭丸!この子は友達ですよね?」

「信長様より優先すべきことなど、私にはない。信長様を害そうとする奴は友ではない」

「逃げて、環!早く!」

 光秀に言われたまま信長様の腕を引いて逃げる。

「よくも……っ」

 お蘭のヒステリックな声が後ろから追いかけてくるのを無視し、信長様と二人本堂を飛び出した。

 と同時にそれまでうるさかった燃える音も、喧騒も、全てが初めからなかったように消えた。ところどころ焼け落ちていたはずの屋根も、本堂を侵食していた炎さえも、消え去っている。


「もう大丈夫ですよ、信長さ、ま……っ!」



 悲鳴が声にならずにヒュッという息の音に

なって消えた。


私の手の中にあるのは、掴んでいたはずの信長様の腕じゃなくて、


ところどころ焼けた一本の白骨。


恐らく腕の骨であろうそれを取り落とす。足元を見れば同じような骨が辺りに散らばっていて。



「み……っ……ひ……で」

 

カタカタ、カタカタ、と音を鳴らしながら頭蓋骨が顎を動かす。


「くくくっっっ、のろ、って、やる……」



「い、や……いや……」


 朝日が差し込む。草露に日が映って燦然と輝く。その光が骨にあたると、そこから焦げて煙になって行く。五分もしないうちに全てが消え……その煙が放り出された宗三左文字のキーホルダーを取り巻いた。七十センチ程の大きさになったそれに、手を触れる。心の奥底の方で、声が聞こえる。




 殺せ。殺せ。憎いやつを。裏切ったやつを。屠れ、己の炎で。



 そう。殺せばいいのね。巻き込まれただけの私を呪うと言った憎い織田信長を。友達だったはずなのに、明智光秀と似てるからというだけで私を殺そうとした森田蘭……森蘭丸を。この手で。


宗三左文字を片手に、本能寺に足を踏み入れる。本堂のさらに奥の部屋に足を踏み入れ、火を付けた。あっという間に燃え広がるそれを見てから、信長を探すために、落ちた木を踏み抜いた。





「逃げて、環!早く!」


その声を聞いた「私」は信長様の手を引いて炎の向こう側に消えた。


「よくも……っ」


「明智光秀……いや……ねぇ、環。そこ、退いて?」


森蘭丸は口元に笑みを浮かべた。


 「退いたら私を殺しに行くつもりでしょう、お蘭」


「よく分かってるじゃない。さすが明智光秀ね」


「……お蘭。貴方は森蘭丸なの?それとも森蘭丸の記憶を持った森田蘭?」


「おかしなことを言うのね。どちらも私だよ?。初めて細川環に会った時、歓喜で震えたわ」


交わった刀に小さなヒビが入る。

蘭丸はにっこり笑って……本当に綺麗に笑って、さらに力を込めた。


「やっと仇討ちができる……っ、明智光秀の生まれ変わりを、この手で殺せる……っ、400年も待った、やっと、やっとよ」


刀のヒビが大きくなる。


初めて握った刀。奮えただけで十分だった。

こんな素人のめちゃくちゃな動きに対応してくれた。


「記憶を持たないとはいえ、お前は明智光秀だ。今ここで、信長様の仇討ちをする」



刀が折れる。



紅い花びらが舞う。


血を浴びて微笑むお蘭は、本当に綺麗だった。












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本能寺、燃ゆ。 星樹 涼 @Re3s_Hoshinoki

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