第6話

 

 鬼気迫る顔の阿久沢が片手で天使の首を締め上げている。阿久沢の背には二対のコウモリ羽、頭頂部には闘牛のような一対の大きな角が現れていた。


「アク…ザワ…どう、して?」


 天使はなんとか声を絞り出す。


「どうしたもこうしたもないわよ!貴女おかしいんじゃないの?なんでにそんな感情を抱くわけ?私は貴女の敵よ。たとえ私が悪魔らしくなくても、貴女とは殺す殺されないの関係なのよ?!」


 捲したてた阿久沢は天使の首をさらに締め付ける。だがその手は次第に灼け爛れ始める。


「クソッ!なんか持ちやがって!ただでさえ面倒なのに……。もうさっさと大粛清の情報を寄越しなさい。そうすれば痛みもなくすぐに殺してあげる。」


 常に余裕な言動をしていた阿久沢が、焦った様子で天使に詰め寄る。黒い瞳を赤く燃やし、天使の少女だけを見つめている。


 少女は阿久沢の変化に戸惑う。なぜこうも責め立てられるのかわからない上に、首を締め上げられて返答が出来ない。だが、彼女の赤い瞳に見つめられるだけで下腹に熱が灯る。


 もっと私を見て。私を痛めつけて。貴女の瞳に私だけを映して。


 少女は苦しそうにしながらも恍惚とした表情で阿久沢を見つめる。

 少女の気持ちに呼応するように、二人が触れているところから炎が燃え上がる。阿久沢は熱さで思わず手を離す。咳き込みしゃがみこむ天使を阿久沢は苦虫を噛み潰したような顔で見下ろす。同時に憐憫が瞳に浮かぶ。


「なるほどね、貴女タイプか。分かった。貴女のしてほしいこと、してあげる。だからそれが終わったら情報を寄越して、私の前から姿を消しな。」


 そう言うや否や、阿久沢は地面にしゃがんでいた天使の腹を蹴り上げる。天使は苦悶の声をあげるが、表情は熱情を孕んだままである。


「ああッ!アクザワ……いえアクザワ様!話しますわ!だからもっと、もっと!!」

「貴女も難儀なもんね。さぁ、私の欲しい情報ものを頂戴。そうしたら更なる快感を約束するわ。」

「ありがとうございます!次の大粛清は……ッ!」


 そこで天使ははたと気付く。ここで話してしまえば自分は用済み。話せば強烈な快感を刻んではくれるだろうが、もうそこでおしまい。二度と味わえない。彼女は天使のことなど忘れてまた平穏な日々を過ごし続けてしまうだろう。

 それは嫌だ、と感じた。初めての感情を教えてくれた彼女に忘れられないためにはどうすれば……。

 天使は意を決して、口を開く。


「大粛清を話したら……私のことを食べてくださいませんか?」

「……は?」

「だって貴女は、話したら私を殺してポイするおつもりでしょう?あ、貴女に殺されるのはもちろん歓迎ですわよ?でもただ殺されるんじゃつまらないですわ。……天使を殺せるのは悪魔だけ。でも殺そうとしない限り天使は姿。たとえ、肉片になり、胃の中で溶かされ続けようと。」

「!!貴女、生粋の変態に成り下がったのね。」

「お褒め頂き光栄ですわ!!……でもアクザワ様に出会わなければ私はただの平凡な天使として、自分の本当の欲求に気付けなかったと思いますわ。けれど天使としてのプライドも捨てたくありません。だから、天使であり続けながらも、貴女のお側にいさせてください。」

「……貴女も大概真面目なもんね。サクッと堕天しちゃえばいいものを。悪魔生も楽しいもんよ?堕天するなら殺さないであげるわよ?」

「天界を裏切るのは一度だけで充分ですわ。」

「ふーん。ま、そういうことにしておいてあげる。わかった。話してくれたら、貴女を食べてあげる。悪魔は相手の欲求を叶える存在ものだからね。」

「ふふ。ありがとうございます。では、大粛清の日程でしたわね。次は––––––。」




 天使が話し終えると、悪魔は笑顔を見せながら天使の手を取る。


「ありがとう。助かったわ。じゃあ約束通り……。」


 そう呟くと、悪魔は天使の喉元に口を寄せる。天使は興奮と緊張で顔を赤らめ、股間を湿らせる。悪魔はその様子に苦笑いをしながらも、赤い唇を花開かせる。




 犬歯が天使の柔肌につぷりと突き刺さる。首に歯型の茨が深く刻まれる。悪魔は赤い蜜を啜り舌舐めずりをする。

 悪魔は瞠目する。恐怖信仰信仰恐怖の味は、今までのどれよりも、甘露であった。




 悪魔は我を忘れて貪り食う。首から始まり肩、胸、腹、足、天使の羽も爪の一枚に至るまで、余すことなく歯を突き立てる。

 天使は痛みと興奮と歓喜で涙を浮かべながらも、恍惚とした表情でそれを見守る。



 悪魔に喰われ続けた天使も残すところ頭だけとなる。首からしとどに血を垂れ流しているのに、天使は熱を帯びた瞳で悪魔を見つめ続ける。


「これで貴女と一体になれるのですね……。私、今とても幸せですわ。ほら、もうすでに貴女の血肉となった私の体達が喜びで駆け回っているでしょう?」

「おかげで火照ってきて、こっちまでたまらないくらいよ。」

「あぁ!貴女に影響を及ぼせるなんて、光栄ですわ!」

「…………貴女、ほんと天使に生まれなきゃ苦労しなかったのにねぇ……。そろそろ最後食べさせてもらうわね。」

「ええ、どうぞ。……お粗末様でした。」


 二人が最後の言葉を交わす。二度と言葉を交わすことはなくなるが、天使の顔は穏やかなものだった。

 これから二人は、病める時も健やかな時も永遠に共にあり続けることになるのだから。


 悪魔が天使の頭を噛み砕く。髪の毛に至るまで全て呑み込んだ悪魔は、空になった血だらけの手を見つめる。天使に触れ続けた手は焼け爛れて、見るも無残な有様となっていた。

 その手をぐっと握りこみ、開くと、わずかな火傷の痕を残すばかりとなった。



「……ごちそうさまでした。」



 悪魔は少し寂しげに呟く。

 殺すだけだったら容易かったろう。変な奴がいたと忘れてしまえばいいだけなのだから。

 でも今、自分の腹の中から爪先に至るまで天使の存在をはっきりと感じるのに、目の前に彼女がいることはない。

 二千年以上生きてきた中で初めて感じる得も言われぬ気持ちだった。戸惑う悪魔が立ち尽くしていると、突然背中に熱が灯る。

 悪魔が驚き前かがみになると、背中から白い一対の翼が増える。

 二対のコウモリ羽に一対の白い翼という異様な様相となった羽達を見やっていた悪魔は、口をぽかんと開けていた。一転、声高らかに笑い声をあげる。


「ハハハハハ!貴女も案外図太いねぇ!まさか私に天使の羽を寄越すなんて、皮肉が効いてるじゃない!」


 天使からの気持ちに気づいた彼女は、笑いながら涙を零す。



 かつての一体の下級天使は、天界のシステムに疑問を抱き、悪魔に騙されて堕天した。だが無辜の人々を傷つけられない彼女こそ、天使悪魔にさえ生まれてなければ苦労しなかったろう。

 人々からの感謝の気持ち信仰心を受け付けられない体になっても、彼女は人々の為に生きたかった。反面、悪魔に成った彼女は恐怖心を得なければ死ぬことになる。そんな彼女が編み出した苦肉の策が、天使から恐怖心を得ることだった。



 いつのまにか薄れていた記憶が悪魔の脳裏に駆け巡る。同時に少女の気配で全身を包まれる。


「勝手に人の記憶を覗くんじゃないよ、まったく……。けど、ありがとうね。」




 感謝の声が夜の闇に溶けていく。だが阿久沢の声に寂しげな様子はなくなっていた。


 きっと阿久沢は明日も病院での変わらない日常を送るだろう。ただ一つだけの変化を携えて。

 これからは恐怖心も、信仰心も気にせず、ただの一人として、生きられるだろう。


「悪魔でも天使でもあるなら、大粛清は関係なくなるのかしら……。ま、面倒事はごめんだし、せっかく教えてもらったんだから大人しくしていようかしらね。」



 阿久沢は六枚の翼を羽ばたかせ、夜の闇に飛び立っていった。


























 真っ暗な住宅街を月明かりと街灯が照らしている。白くぼんやりと照らされた道に人影は一つもなく、静けさで耳鳴りがする。

 いつも通りだな、と思いながらスーツ姿の男が歩いている。帰路を急いで歩く彼だったが、ふと違和感を覚える。周りを見渡すと違和感の正体を見つける。

 街灯の入りづらい暗い細道に小さく光って見える物が落ちている。気になり近付くと、それは一枚の白い鳥の羽根だった。拾うとそれは、手のひらよりも大きくて、僅かな月明かりを反射してキラキラとしているように見えた。だがよく見ると血痕が付いていて、羽根の持ち主の惨状が容易く想像できた。


「うわ、気持ち悪っ。鳥でも轢かれたのかな……。」


 男は心底嫌そうな顔で羽根を手放す。鳥の死骸が辺りにないことを確認すると、安堵のため息をつきながら元いた道に戻っていく。





 打ち捨てられた羽根は地面で風に揺られている。

 ゆらゆらと動いていたが一際強い風が吹き、くうを舞う。赤く色づいた羽根が夜の闇に飲み込まれていく。だが清らかな輝きは失われることなく漂い続けるのであった。

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Gluttony 白藤 桜空 @sakura_nekomusume

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