今日も、町に、夜が来た。


 暗闇に包まれた空には、嘘のように美しい満月が浮かんでいる。風に黒い色をした雲が流されて、目を凝らさなければ見えないくらいに小さな星々を隠す。

 それと対比するように、眼下の町の灯りは眩く、人々の生活の音が微かに遠く聞こえている。


 鳥居の上で、いつもは曲がっている腰を心持ち伸ばして、僕はそんな光景を眺めていた。

 窪んだ地形にすっぽり納まった、この「町」の上にいる者たちの思考を、僕は全て読み取ることができる。何の変哲のない光景でも、住民たちの悲喜こもごもは筒抜けだ。


 例えば、町に住む女性の蒼子は、恋人の香介と別れるかどうかを悩んでいた。

 そのきっかけは、香介が自身のパルクールの練習に付き合わされているからだった。しかもそれは、忍者の格好をして人の家の屋根を走る香介を、映像に取らせて拡散させるというものだった。


 だが、蒼子の友人である野々は、蒼子がその行為をすることを心底止めてほしいと思っている。

 さらに野々の飼い犬であるトオルは、屋根を走る香介の姿に気付いていて、いつも怯えている。


 さて、一通り屋根の上を走り回って、ご満悦の香介の前に、僕は珍しく、一瞬で消えるという現象を見せてあげた。

 あんまりこういう目立つことは好まないけれど、今夜は気が向いた。一度は注目を浴びたものの、今では殆ど忘れられて、まだ彼の行為を見ている者たちにも嫌がられていることを知らない彼の純粋さに、ちょっと報いてやろうと思ったからかもしれない。


 彼の反応は想像通りで、僕のことを「本物の忍者」だと思っているようだった。

 今、香介は家に帰り、自室で蒼子に、「忍者を見た」というメッセージを送ろうとしている。僕に未来を予知する力はないけれど、これを受け取った蒼子が心底呆れた表情になるのを予想できる。


 香介への恋心ゆえに、別れを思いとどまった蒼子だが、このメッセージを受け取った後はどうするのだろう。明日の朝には答えが出ているだろうか。

 そんなことを考えながら、僕は鳥居の上で踵を返す。視線の先に佇む、ボロボロだけど一応自分を祀ってくれている神社に向かって、大きくジャンプした。






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今日も町に夜が来た 夢月七海 @yumetuki-773

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