慟哭のネクロマンサー

武田コウ

慟哭のネクロマンサー

あぁ、わたくしの叫びは虚空に吸い込まれ


神には届かないのです


最も


神などに聞かせる気も無いのだけれど








自身の足さえも見えぬ夜闇の中、大粒の雨が大地を強く叩いている。たっぷりと水を吸った衣服が急ぐ彼女の動きを邪魔していた。



急ぐ気持ちとは裏腹に、彼女の体温はどんどん雨に奪われその歩みは遅くなる。もはや自身がどこに向かっているのかすらわからない。しかし、歩みを止めるわけにはいかないのだ。



まだ、雨は降りやまぬ。まるで彼女の心を鏡写しにしたかのように。頬を濡らすのは涙か雨か、それは我々の知る所ではない。



万力を込めて、自分より大きなナニカを引きずる彼女は、笑いながら泣いているのだから。



「助けて、タスケテ」



うわ言のように繰り返し呟く彼女の声は、闇に盗まれて誰の耳にも届かない。



「タスケテ、タスケテ」



おお、神よ


見ているのなら救いの手を


それか、気まぐれを起こした悪魔でも良い


彼女はいかにも哀れな声で救いをこうている


私はもう見ていられないのだ


彼女の瞳は絶望に染まり


命の灯火は、雨に塗れて消えかけている




それは、不意に現れた。不気味に揺れる木々の間にひっそりと佇むは、打ち捨てられた教会。



彼女は引き寄せられるように、ふらりふらりと足を進める。



「タスケテ、タスケテ」



ギィと、押し開けたその扉には鍵などかかっていなかった。



ガランと開けた教会のなか、暗闇に冷気がシンと通りすぎる。



唐突の稲光



割れたスタンドガラスから差し込む一瞬の光、照らし出されたのはヒビの入った聖母マリアの像、そして・・・



彼女の引きずる、最愛の男の死体であった。



「タスケテ、タスケテ!!!」



あぁ、彼女は泣いているのか



我らが想像しうる最悪の地獄


人はそれを現実と呼ぶのだ。






男の世界は過去に完結していた。



才色兼備、眉目秀麗。大貴族の跡取りとして生まれた彼は、絵に描いたような幸福の中で暮らしていた。



あの事件が起こるまでは・・・



男は乾いた大地を踏み締める。今の男は、かつて幸せに生きた一人の人間の残りかす、ただのウロだった。耳には阿鼻叫喚がこだまし、目を閉じると瞼の裏に鮮血の記憶が甦る。



そして男は失い続ける。



ロスト


世界は過去へと収束する



灰色にくすんだ視界に、男は僅かな違和感を感じた。



女だ



小柄な女が、薄暗い路地をフラフラとこちらに歩いてくる。



ロスト


そして男は正気を失った。



死んだ筈の心から、鮮やかな血液がドクドクと吹き出している。彼の視線は女に固定され、突然の感情の奔流に戸惑う。



女は確かに目を引く容姿をしていた。



ボロボロの衣服に、明らかに適当に切られたであろう不揃いな金髪の髪。背には身の丈を超える棺桶を背負っており、その重みで彼女はフラフラと揺れている。



だが、そんなことはどうでもいい



男の心は、そんな些細な異様で血を流したりしない。



見て、しまったのだ



そう、彼は彼女の瞳を見てしまった。



現実ではない、どこかを見つめる同族の瞳



しかしソレは、過去を無機質に映すだけの彼のモノとは違う光を宿していた。



ナニカを成し遂げるという強い意志


だがその光は、心の枯れた彼に破滅を予感させるほどに強い狂気に染まっていた。



ああ、やっと見つけた



気がつくと男は、彼女の目前で片膝をついていた。



「私の名はロスト。美しき人よ、私は貴女に出会うために生まれてきたに違いない。願わくば、この命を貴女の為に使う事をお許し頂きたい」



彼女は男の言葉を聞き終えると、そっとしゃがみこんで男の頬に手を添えた。



「わたくしの心は余すところなく恋人であるジェイクのモノ、あなたには何もあげられないわ」



「構わない。美しき人よ、どうか私を貴女の目的の為に利用してほしい」



━━━ああ、彼女はきっと焼き付くしてくれる。脱け殻のこの体を、灰となったこの心を



ロスト


世界は失ったモノで満ちている


だからこそあがき続ける彼女は美しい。





━━━聞いたことがある。死人を甦らせる、秘術の噂・・・



西の果てに住む魔女が、死人を甦らせる秘術を扱うらしい。そんな眉唾に踊らされ、ただただ西に進み続ける。



その噂以外に情報もなく、無謀な旅はつづいている



ただ、愛しい人の声が聞きたくて


抱きしめて欲しくて


名前呼んで欲しいのだ



それだけで・・・いいのに・・・



「ジェイク。貴方はいつ、わたくしに微笑みかけてくださるのかしら 」



悲しげな声でそっと呟く



旅の仮住まい、安宿の窓から月銀の光が一筋差し込んだ。



薄暗い部屋のなか、彼女と傍らの棺桶が月光のスポットライトに照らし出される。



ボロボロの衣服に、明らかに適当に切られたであろう不揃いな金髪。しかし彼女の美しさは損なわれる事なく、その物憂げな表情も相まって、一種の幻想的な雰囲気を醸し出していた。



棺桶に閉じ込めた彼女の恋人は、その死肉をじわりじわりと腐らせて周囲に強烈な匂いを放っている。



しかし彼女は顔をしかめるどころか、うっとりと恍惚の表情で息を吸い込むのだ。



恋人は・・・ジェイクは、彼女にとっての全てだ。


そう、全てなのだ。



何よりも強く


底抜けに深い愛



彼の居ない世界なんてありえないし、そんな世界を許容することもできない。



「死が二人を別つまで? 笑わせますわね。死ごときがわたくし達の愛を壊す事なんてできませんわ」


良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも


そして死が二人を別つ後も・・・



「わたくしは貴方を愛し続ける事を誓います」



ただひたむきに、子供のように澄んだ狂気で、彼女は物言わぬ棺桶に愛を語り紡ぐのだ。



二人の甘く暗い時間は、木製の扉を叩く無機質なノックの音で破られた。



「美しき人よ、部屋に入っても構いませんか?」



「・・・どうぞ」



そっと扉を開け、部屋に入ってきたのは奇妙な男。全身を黒色の上質な衣服で着飾り、洒落たトップハットを被った長身の紳士風の出で立ちを、顔面に巻いた包帯が見事に台無しにしている。



ぐるぐるに巻いた包帯で顔のわからぬ、自身をロストと名乗る男は、いつからか彼女の旅に連れ添っていた。



「それで、ナニカわたくしにようじでもありまして?」



彼女の問いかけに、ロストは静かな、しかしどこか焦ったような声音で返答する



「美しき人よ、今すぐ身支度を整えてここを出るのです。一刻も早く」



「ナニカ、ありましたの?」



ロストは重々しく頷いた



「魔女狩りです」



あぁ、異端の徒は人々に忌み嫌われるモノ・・・



彼女の愛は人々に異端と映り



人々を異様な行動へと駆り立てる



魔女狩り



すなわち異端を捕らえ、焼き払う



人殺しも大義名分があれば正義となりうるのだ。



あぁ、夜が更けていく







走る走る


立ち止まる事はすなわち死を意味するのだ。



夜の闇を蹂躙するは人々のもつ松明、炎の赤が夜の黒を不気味に照らしている。



怒声が聞こえる


助けを求める悲鳴も聞こえる



あぁchaos


魔女狩りの夜は血に飢えているのだ。



「こちらです。美しき人よ!」



ロストの声に導かれ彼女は走る。


背中の棺桶は重く軋み、彼女の歩みを邪魔していた。



まだ、死ぬわけにはいかない


まだ、抱きしめて貰っていないのだ


まだ、優しい声で名前を囁いてくれてないのだ


まだ、あの人の笑顔を見ていないのに・・・



心臓はバクバクと高鳴り、息は切れ、脇腹がキリキリと悲鳴をあげている。



「彼処だ! 居たぞ、棺桶の女だ!」



背後から声が聞こえた


重い棺桶を背負った彼女は鈍く、このままでは捕まってしまうだろう



「・・・美しき人よ、お行きなさい。ここは私が食い止めておきましょう」



腰に下げたサーベルをするりと抜き放つと、包帯を巻いた紳士は彼女に細い路地裏を指し示した。



「真っ直ぐ進むのです。そのまま街からお逃げ下さい」



彼は微笑んでいた



きっとここに残ったら死んでしまうのに



彼女は男の事など愛してはいないというのに



彼女の為に命をかけられる事が嬉しくて仕方がないとばかりに微笑んでいるのだ



「・・・わたくしは貴方を愛せない」



「ええ、知っていますとも」



「わたくしにはやらなければいけないことがあるのです」



「ええ、知っています。だから美しき人よ、どうか振り返らないで。私など気にかけず、成すべき事を成して下さい」



彼女は口を固く結び、目を伏せると彼の隣を駆け抜けて行った。



小さくなる彼女の背中を見送り、男はそっと呟く



「ええ、知っていますとも美しき人よ。貴女は優しい、誰よりも。貴女は私を愛してはいなかったが常に気にかけて下さった。そもそも、あんなに鮮烈に人を愛せる人が、優しくないはずがないのです」



迫り来るは松明を片手に彼女を狙う狂気の集団。


多少剣の心得があっても、あの数では生き残るのは無理そうだ。



「さあ来るがいい、魔女狩りという大義名分を掲げた正義の断罪者たちよ。私は、この全身全霊を持って貴様らの正義を踏みにじる」






つまらない話だ


どこにでもあるような、特に珍しくも無い話



だがそれは、一人の男を破滅させるのに十分な地獄であったのだ



燃えている



メラメラと踊る紅と黄色の炎が男の網膜に焼き付いて離れない



男は全てを持っていた



富も


名声も


未来も



炎はその全てを飲み込んだ



あぁ燃えている



家が


家族が



男は自身も炎に焼かれながら、ガラガラと崩れ落ちる世界を見ていた



ロスト


世界は失ったモノで満ちている





私の元に彼女が現れた時、既に彼女は満身創痍であった。



適当に切られた不揃いな金髪は自身の血で赤く染まり、服はズタズタに引き裂かれている。



身の丈を越える大きな棺桶を大事そうに抱え、つり上がったアーモンド型の瞳だけがギラギラと輝いているのだ。



「・・・貴方が、噂のネクロマンサーですわね」



その通り、私が死を拒絶するモノ。或いは全てを記録するモノ、そして語り紡ぐモノだ。まあ、好きに呼ぶといい



「わたくしはレイサといいます。今日はお願いがあって来ましたの」



ああ、そうだろうとも


わかっているよ、全て見てきたのだから


「ジェイクを・・・甦らせることは、可能ですか?」



あぁ、そんな顔をしないでおくれ


私は全てを見てきた


君の愛も


絶望も


執念も



だから君がそんな顔をするのを見たくは無いのだ



確かに私は君の恋人を甦らせる事が出来る


しかし奇跡には相応の対価が必要なんだ



「対価? それはなんですの?」



ああレイサ


可愛いレイサよ


それは教える事が出来ないのだ


だけど、だけどねこれだけは言える


死人を甦らせるという行為は禁忌だ。


だからこそ、その対価は重い。恋人を甦らせたとて、君たちが幸せになることは無いだろう


禁忌を犯してハッピーエンドを迎える物語など無いのだから



「・・・構いませんわ。それでもわたくしには、ソレ以外の選択肢が無いのですから」



強い、言葉だ



知っていた


知っていたとも



彼女がそう答えることも、これから何が起こるのかも・・・



わかったよ、君の望みを叶えよう・・・














そして世界は暗転する






















「この悲しい物語が君の知りたかったモノだ。その後の事は君の方が詳しいだろ?」



私は物語を語り聞かせた男の方を見た。



奇妙な風貌をした男だ



短く刈り込まれた茶髪は泥にまみれ、体の至る所に傷跡がみえる。


ボロボロの衣服を身に纏い・・・






背中に棺桶を背負っていた




「さて、ジェイク。君の願いはなんだい?」



あぁ、私は知っている


彼が何を願うのかも、そしてこの後の悲しき物語も





あぁ、彼らの叫びは虚空に吸い込まれ


神には届かないのです



最も


神に聞かせる気も、無いのだろうけど



これは悲しき物語


救いの無い、死術の話。






END


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