スナオ・♥・アタック

やなぎ怜

スナオ・♥・アタック

 スナオとグレンはいわゆる幼馴染である。同じ年に同じ病院で生まれて、たまたま家が向かい合わせだった。そういう偶然に支えられて、ふたりは物ごころついたときから友人だった。


 どちらかと言えばグレンのほうが利発で要領よく、他方スナオはどんくさいくせにひねくれもの(“スナオ”という名前なのに)。そういうわけでグレンはよくスナオの世話を焼いていた。生来から心優しい気性のグレンのことであるから、そうなることは半ば必然と言えた。


 そしてスナオはそういうグレンをありがた半分、うっとおしさ半分といったところで受け入れている。先述の通りにスナオはひねくれものなくせにどこかどんくさくて、ひとりで置いておかれると困ったことになることがたびたびあった。


 だからスナオはグレンをありがたく思う一方で、自分よりも遥かに優れた精神性の持ち主である彼をうっとうしく、うらやましく思ってしまう。


 それでもスナオは思春期にありがちなつっけんどんさを持ってグレンに接しながらも、彼を畏敬の目で見つめ、感謝の念を抱いていた。


 そんなグレンが病気にかかった。


「じゃあ言ってしまうけど、僕はスナオのことが好きだよ」


 ぽこん。ヒューッ。


 夕日に負けないくらい顔を真っ赤にしたグレンの頭の辺りから、なにかが飛び出した。それは猛スピードでスナオの腹に向かって突っ込んでくる。


「ぐえっ」


 スナオは思わず淑女らしからぬ言葉を発した。なんてことはない。腕に抱えられるほどの巨大なハートマークがみぞおちに向かって突っ込んだのだ。潰れたカエルのような声が出るのも致し方のないことである。


 アスファルトの上に落ちそうになったハートマークを、スナオはあわてて抱き込んだ。なんだこれは? 頭上にクエスチョンマークがまばゆいばかりに点灯する。まぬけ面で一歩前に立つグレンを見上げた。


 なにがどうなってグレンから「じゃあ言ってしまうけど」なんて言葉が出てきたのか、スナオはすでに忘却していた。話の流れがどこかへすっ飛んで行ってしまうほど、ハートマークは衝撃的だった。


 淡いピンク色の、つるりとした曲線を描くやわらかそうなハートマーク。しかし実際には分厚いプラスチックのように固く、鉛のように重い。軽やかさや優しさとは対極の位置にあるハートマークだ。


「なにこれ?」

「病気なんだ」

「病気?」

「そう。僕が『愛おしさ』みたいなものを感じると勝手に排出されてしまうんだ」


 深刻そうに話すグレンに対して、スナオは彼から排出されたというハートマークを抱えたまま、うろたえた。


「じゃ、なに? わたしが愛おしくってハートマークが出てしまったってわけ?」


 冗談めかして笑ってみたけれど、腕の中にはピンク色のハートマーク。しかも重い。地味に重い。すごく重いわけじゃないけれど、ずっと抱えているにはちょっと疲れる重さだった。


「もちろん、そうだよ」


 グレンはますます顔を真っ赤にして答える。


 今度はスナオの顔が紅潮した。


 すると「ぽこん」という、まぬけでどこかコミカルな音が聞こえて、またハートマークがグレンの頭上の辺りから飛び出る。


 ハートマークは「ヒューッ」と風を切る音を立てて、またしてもスナオの胸元へと飛び込んできた。


「ぐえっ」


 今度は軌道がずれて、スナオの喉元に当たる。自然と彼女の喉元からはカエルが潰れたときのような音が漏れ出た。


 そしてハートマークはスナオの喉にぶつかったあと、彼女の腕の中にある、先に排出されたハートマークの上に落ちる。


「なに? これはなに? シューティングゲームなの?」


 もしそうならばスナオは飛んでくるハートマークを避けなければならない。もしそうならばギリギリで回避してスコアを稼いで……そこまで考えてスナオは「違う!」と心の中で叫んだ。


 グレンは申し訳なさそうな顔をしてグレンが抱えているハートマークを回収した。グレンがピンク色のハートマークを抱えている。なんともファンシーでメルヘンチックな光景だった。


「ゲームじゃなくて現実だよ。病気なんだ」

「治るの?」

「それはもちろん。薬を飲んでるよ。あ、あと感染することはほとんどないって言われたから、たぶん大丈夫」

「たぶん……」

「それで、だから、僕はスナオのことが好きなんだけれども……」

「話が飛躍してない?」

「そんなことはない」


 きっぱりとグレンに言い放たれてしまうと、ひねくれもののくせに単純なところのあるスナオは「そういうものかな……」と納得しかけてしまう。


「……つまり隠しておけないと思ったんだ」

「わたしを好きなことが?」

「そう。ハートが出てしまうから」


 ちらりとグレンの腕の中にあるハートマークを見やる。


「ちなみに、『愛おしい』という思いが強ければ強いほどハートは大きくなるんだって」

「言ってて恥ずかしくならないの?」

「恥ずかしいけど……あとでバレるのも恥ずかしいし」


 恥ずかしいのはスナオも同じだった。いきなり「好き」と告白されて、おまけにどでかいハートマークなんかを出されて……。こんなにもストレートに好意を示されたことなんて、親にだってない。


 顔は真っ赤っかで、極限まで熱い。きっと耳も赤くなって、首元にまで及んでいるだろう。そういう自分を想像して、スナオはまた恥ずかしくなった。


 だから、素直じゃないスナオはつい思春期にありがちなつっけんどんな態度を取ってしまったのだった。


「いきなり言われても困る」

「まあ、それはそうだと思うけどさ……」

「考える時間が欲しい」

「……いいよ。わかった。……待ってるから」


 絞り出した声が緊張に震えていないかどうか、スナオは気になった。


 顔もうつむいたままでグレンを見ることができない。


 グレンはハートマークを抱えたまま「じゃあね」と言って自宅の門扉をくぐる。スナオはかろうじて「うん」と吐息のような音を出すにとどまった。


 自室に走り込んだスナオは、ベッドの上で悶絶し、明日からどうしようと頭を悩ませる。


 グレンのことは、はっきり言って好きだ。いつだって優しくてスマートなグレンは、スナオからすれば絵本の中の王子様といったところである。単純だが、やはり自分を優しく甘やかしてくれる相手なんて、どうしても好きになってしまう。スナオは恋愛経験が希薄だったので、なおのこと。


 けれどもスナオは“スナオ”なんて名前のくせにひねくれものだったので、どうしても色よい返事ができなかった。


 グレンもグレンで「待っている」と言ったくせに次の日からことさらアプローチを仕掛ける始末だ。いつもの登下校の時間にとつとつとスナオの好きなところを告げてくる。それを聞いているとスナオは恥ずかしくって爆発しそうになった。


「あ」

「うっ」


 困ったことは素直になれないのもそうなのだが、グレンから毎度毎度ハートマークが飛んでくるところである。このハートマークがグレンの心情だと思うと避けるのもなんなので、スナオは毎回毎回アタックを受けてしまっていた。シューティングゲームならとっくの昔にコンティニューを使い切っているところだ。


「ごめんね」

「ううん……病気なら仕方ないよ」

「早く治るといいんだけどね。スナオが好きすぎてなかなか治らないんだ」

「え? そういう病気だったの?」

「うん」


 ――それ、治るのかな? 治って欲しいような欲しくないような……。スナオは複雑な気分に陥った。


 そしてグレンに対しても告白の返事をずるずると先延ばしにしたまま、早くも一週間が経とうとしていた。


 そうしているあいだも、グレンはずっとスナオが好きと言い続けた。絶え間なく言い続けた。お陰でひねくれもののスナオは、ますますこじれてひねくれて、素直な返事ができずにいた。


 ここまでくると、グレンはわざとそうやっているような気さえしてきた。スナオのひねくれっぷりを彼が知らないはずはない。だというのにスナオがひねくれてしまうようなことばかりする。


 グレンは、スナオからの返事を先延ばしにしている。そのような気がしたが、もちろんスナオは素直でないのでそんなことはまったく指摘できないでいた。


「スナオさんはグレンさんのことがお好きなの?」


 校舎裏のじめっとした空間で、わりとガチな縦ロールヘアをしたクラスメイトのお金持ち令嬢ミヤビの言葉に、スナオは固まった。スナオの悪いくせだ。アドリブに弱く想定外の質問を投げかけられると古いパソコンのように固まってしまう。


「えっと」


 ひとまず伝家の宝刀「えっと」を抜き、時間を稼ぐことにしたスナオだったが、スナオよりもわかりやすいくらい素直で猪突猛進型のミヤビには、そんなものは効かなかった。


「わたくし、グレンさんが好きですの」

「そ、そうですか……」

「スナオさんはどうですの?」


「わたしがどうという前に、グレンはわたしのことが好きなんですよ」――などと言えたらスナオはひねくれものなどと形容されはしない。


 かといって目の前にいる縦ロール令嬢に誤魔化しが通用するとも思えなかった。


 しかしこちらも筋金入りのひねくれもの。素直に「グレンが好き」などと言えたならば、ふたりはとっくの昔に彼氏彼女の関係になれていただろう。


「あっ、スナオ……とミヤビさん?」

「グレンさん!」


 そしてそして、間の悪いことにスナオを捜しにきたらしいグレンが、校舎裏で対峙しているふたりに合流する。


 スナオよりもずっと華やかな容姿のミヤビは、さらに顔を華やがせてグレンの腕に絡みついた。その動きはタコのように素早くヌルッとしていた。


 グレンはそんなミヤビに戸惑う様子も見せず、しかしスマートな所作で彼女の腕をほどいて距離を取る。


 そんなグレンを見てスナオはホッとする自分に気づいた。まだ恋人同士になっていないのに、なんとなくグレンをミヤビに盗られたような気になった自分に対して、気恥ずかしさを覚える。スナオは筋金入りのひねくれものだった。


 けれどもそんな自分とは常々決別したいとも思っていた。ひねくれているよりも素直な人間になりたい。それこそ、自分の名前のように。


「取り込み中だった?」

「いえ。グレンさんのお話をしていたんですの」

「僕の?」

「ええ。わたくし、グレンさんのことをお慕いしていますから」

「え? それって――」


 ――ちょっと待って、ここで告白しちゃうの?


 スナオは動揺した。そしてひねくれものなので、最悪の結末を想像してしまう。ひねくれものの自分より、スナオなんて名前の自分よりよほど素直なミヤビをグレンが選んでしまうという結末を。


 冷静に考えれば誠実なグレンが、スナオからの告白の返事を待つ前に鞍替えなどしないということは明白だった。けれども素直じゃないスナオの思考回路はぐにゃぐにゃになってあり得ない想像上の結末を弾きだした。


「待って!」

「え?」

「スナオさん?」

「ごめんミヤビさん! わ、わたし、グレンのことが――!」


 ――好き。


 そう言おうとした途端、スナオの顔面に特大の赤いハートマークが現れた。軽々とスナオの背を越える大きさのまるっこい、赤いハートマーク。


「ぎええっ」


 それが、ミヤビの頭上から降り注いで彼女を押し潰した。自然、ミヤビの口からは豪奢な見た目に似合わない、潰されたヤギのような鳴き声が飛び出す。


「な、なんですのこれは……?!」

「うわわ、ミヤビさんごめんなさい! そ、それはたぶんわたしの『気持ち』です! グレンへの気持ちです! すいません!」


 どうやら、グレンから病気が感染うつったらしい。スナオの長いあいだ蓄積され、醸造されたグレンへの思いは赤く巨大なハートマークとなって飛び出し、ミヤビにのしかかることになった。


 あわててスナオはグレンといっしょにハートマークの下敷きになったミヤビを助け出す。


「これが……スナオさんのグレンさんへの想い……。フッ、どうやらわたくしの負けのようですわね」

「勝負だったの……?」

「え、なに?」

「わたくしは大人しく身を引きますわ。おふたりとも、お幸せに……」


 なにやらひとりで納得してしまったミヤビは、木枯らしを背にまといつつ校舎裏のじめっとした空間から去って行った。


 残されたのは、超巨大なハートマークと、恋人同士になることが確定したふたり。


「このハートマーク、どうしよう……」

「粗大ゴミに出すしかないね」

「え? 回収してくれるんだ?」

「そうだよ。僕もハートマークの置きどころがないからゴミとして出してる」

「そんなに頻繁に出るものなの? これ」

「……まあね。スナオのことで四六時中頭がいっぱいなんだよ……」


 また顔を真っ赤にして告げるグレンに、気がつけばスナオは名前通りの素直な言葉を口にしていた。


「好き」

「うん?」

「さっき言い損ねたから」

「そうだっけ? なんか、すでにもう言われたような気になってた」

「気が早い」

「だってこんなに大きなハートを出されたら、それはもう告白しているのと同じだよ」


 そう言って、グレンは校舎裏の湿気の多い地面に転がる赤いハートマークに手をやる。


「なんかセクハラみたい」

「ひどい。……でもたしかに、スナオから出てきたものだと思うと……」

「言い方!」

「ごめんて」


 いちゃいちゃといちゃつくふたりであったが、このあとあまりに巨大なハートマークを輩出してしまったことによって、ちょっとだけお説教をいただいてしまうのであった。


 が、速攻でいちゃいちゃカップルに仕上がったふたりには屁でもないということは、言うまでもないことだろう……。

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