著者コラム 「聖と性」

 今日、世界のLGBTの数は十人に一人とも、八人に一人とも言われている。LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字を取った言葉で、性的マイノリティを指すものであるが、実際の「マイノリティ」は、更に細分化する事が出来ると言う。

 キリスト教と同性愛者の血塗られた歴史は、ここを読んでいる読者諸氏には自明の理であろう。人種差別が当たり前であった頃、『ジーザス・クライスト・スーパースター(一九七三)』は、ユダ役には黒人歌手(カール・アンダーソン)を、イエス役には白人歌手(テッド・ニーリー)を当てている。

 今日勇気ある行動により、あらゆる差別は打破されるべく世界は動いている。それはLGBTも同様である。しかし彼等は、LGBTの者達以外の、つまりは性的マジョリティだとか、ノーマルだとか言われる人々との共通の営み―――つまり、セックスや子作りについて、不自然なまでに非寛容だ。

 「双子の男」執筆直前、我が愛すべき麗しの母教会に、ある性被害を抱えた女性がやってきた。彼女は特殊な「被害者」であり、性的暴行を受けた女性でありながら、公にある被害者支援などからの支援が受けられない女性だった。彼女の周囲は強烈な禁欲主義で、彼女は「性的」というものは十八歳を過ぎるまで全てシャットアウトされていた。その為、彼女は事件のあった十三歳の時には正しい性知識が無く、性被害に遭ってしまい、その受難は一年以上続いたという。彼女はその経験を無駄にしないために、若者が抱える性の問題に精力的に取り組んでいた。

 そんな彼女が、「オナニーをした罪悪感で自殺未遂」という記事を見つけた。それは、あるキリスト教系カルトの信者の青年の記事で、組織の出版物には、「自殺を考えるほど後悔するから、決して邪淫オナニーをしないように」という文言が書かれていたのだ。彼女は怒り狂い、母教会をLGBTやカルト教育を受けた二世信者に開くため、宣教推進部で「生理現象を起こすイエス」を述べ伝えた。つまり、母マリアの子宮に宿り、産道を通って膣から出生し、元気に乳を飲み大便小便をし、年頃になれば朝勃ちもする、「生理活動するイエス」=「完全なる神にして、完全なる人間であるイエス」である。

 当然ながら、これは大問題になり、姿を隠した保守派信者達は徹底的に彼女と、彼女を支えた私を叩いた。特に、「綺麗な神様は綺麗な言葉で語らなければならない」と詰った、初孫に酔う事務員信者の暴言は、彼女にセカンドレイプを見舞ったが、神父でさえ、その事実には気付かなかった。彼女の苦しみ、孤独、模範的すぎる「性的えっちなものは十八歳から」という性教育の弊害を知る者はいなかった。

 キリスト教においては、マリアは処女懐胎によりイエスを身籠ったとされている。しかしキリストの教えにおいては、マリアが本当に処女だったのか、それとも不義密通の結果だったのか、はたまた婦女暴行の被害者だったのか、そんなことは実に実に、全く持って重要ではない。重要なのは、マリアが疑問を持ちながらも、最後には「受諾」したことなのである。

 この事への神学的造詣は諸氏の知識欲に任せる事とするが、セックスをキリスト教が禁じている、或いは禁欲を求めているというのは、大いなる誤解であり、それは危険な思い込みである。少なくとも聖書と歴史の脈絡、社会背景を紐解けば、神は寧ろ子作りという目的以外のセックスを禁じている訳ではない事や、抑々貞淑や邪淫というものが何を指しているものなのか分かる。今ここで言える範囲としては、それは決して、同性愛者のセックスが邪淫とされている訳ではない事は明言できる。

 「性と聖」がどのように両立して行くのか、それは「双子の男」本編で、見届けて下さればと思う。

 最後に、本作の理念を理解していただくために、忌まわしい記憶を「双子の男」の外伝集に入れるようにと背中を押してくれた「彼女」に、絶え間ない神の慰めを祈り、結びの言葉とさせていただく。

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双子の男 PAULA0125 @paula0125

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