ただいま、穂乃果。

 7月23日土曜日になって1時間と少し経った頃、一本の電話があった。私は今、タクシーの運転手を急かしていた。べろべろに酔っ払っていた頭は今、真っ白だった。同僚といつものように呑んでいる最中に電話に出たらとても久しぶりに聞く声で、懐かしいと思うと同時に時間を見て少し心配に思ったのを覚えている。タクシーが目的地に着いた頃、料金は5桁になっていたが、クレジットカードを出してサインをしている暇はなく、7枚の諭吉を出し早く開けて!と怒鳴りお釣りは受け取らず走って建物に入る。受付に行く事はなかった、さっきの電話で部屋番号は聞いていたからだ。ここは大学病院。目的の部屋の扉をバンッと音を立てて開けるとそこには幼いころからの付き合いの友達がまるでミイラのように包帯を巻かれ、沢山の管を付けられていた。何も言葉が出ずに茫然と立っていると椅子に座っていた女性が声を出した。


「穂乃果ちゃんしか、思いつくこの子の友達がいなくてね…今になって思うのよ、友達付き合いも断り勉強に向き合い続けて、就職しても仕事の事でいっぱいだったからかしら…私のせいね…」


 綺羅ママだけのせいじゃない…唯一の親友なのに気づいてあげられなかった私も悪いんだよ…。そう言って静かに綺羅ママの隣の椅子に座り、ドラマでしか見たことのない、なんという機械かもわからない、生命の終わりを告げるものとしか思えないピッ…ピッ…と鳴る機械を見た。ベッドで眠っているのは鳴瀬綺羅だった。電話で綺羅が新宿駅で飛び降りたと聞いた時、ありえない、あんなに必死に勉強して成績はいつもトップクラスであの誰もが知っている商社に入社して、エリートとして周りからも慕われていたと聞いていたが、いつも笑顔でたまに呑みに行くとすぐに酔っ払って上司の愚痴をこぼす、そんな普通の女の子がなんで自分から人生を終わらせようとしたのかわからない、きっと足を踏み外してホームに転落して腕一本骨折してるのだろう、痛いのが嫌いでピアスを開けてあげた時も泣きわめいていたから、きっと病室で泣いているだろうから、早く撫でて落ち着かせてあげないと、そう思って来たのに綺羅は泣くどころか息も浅く、手を握っても反応が無かった。


「きらぁ…早く起きてよ、最近呑みにいってないじゃん…愚痴、聞くからさ…」


 返事はない。それでも私はずっと話しかけていた。今日同僚に教えてもらった店は日本酒が美味かったよ、ゴールデンウィークも休みなくて疲れためこんでたの?逃げ出したって良いんだよとは言ったけど人生から逃げろなんか言ってねぇよ、綺羅、今どこにいるの?聞こえてたら返事してよ。その時握りしめていた手がピクリと動いた。何度も名前を呼ぶが、それからまた動くことはなく、眠ってしまっていた。綺羅ママは起きてずっと見守っていた。突如綺羅ママの叫び声で目が覚めた。7月23日4時32分、目が覚めて頭が真っ白になった。ゲホゲホと咳をしているが、どんどん血が混じり、吐血すると同時に布団の腹のあたりが真っ赤に染まっていく。ナースコール押して!と綺羅ママに叫び、1分もしないうちに医者と看護師が数名走ってきた。そのまま訳も分からず手術室に運ばれていった綺羅。4時間近く経った8時21分、手術室から出てきた医者はこう言った。


「手術は成功しましたが、危ない状況に変わりはありません。親族の方を呼べるだけ呼んでいてください、今日を超えれないと、もう…」

 その後ガラガラと運ばれてきた綺羅は静かに眠っているようにしか見えなかった。病室に戻ると綺羅ママはずっと起きていたから仮眠をとらせてちょうだい、と言いソファーで横になった。その日は綺羅の親戚や祖父母も来ていて、しかし全く動かない綺羅を見ているのが辛かったのか病室の外で葬儀、住職、会社には何て、と聞こえてきて正直もう綺羅は起きることはないのかもしれないと思っていた。日付が変わり7月24日日曜日の2時25分、ふと目が覚めた。いつから眠っていたのかわからなかったが、綺羅はまだ息をしていたので安心した。綺羅、綺羅…早く起きて。そう言い続けたが返事はない。しかし、突然綺羅が腕を振り回し、苦しそうにするでもなくただ暴れていた。おもっきり胸を引っ掛かれて蚯蚓腫れになっているような痛みがあったが、叫び続けた。


「帰ってこい!綺羅、また一緒に呑みに行きたいんだよ、早く戻って来いよ!」


 その時綺羅が酸素マスクをゆっくりと外し、こう言った。


「穂乃果、8月2日の土曜日、久しぶりに吞みに行こうよ…」


 涙があふれてきて、ああ、行こうな。だから早く帰ってきなよ。そういうと綺羅が目を開けた。








 8月23日土曜日、高架下の古びたお店にはいった。


「お前さー、内臓破裂してんのに一週間後に呑みに行こうなんて言って起きるとかマジ私より酒飲みかよwww」


 だって、夢の中で穂乃果がまた一緒に呑みに行きたかったって言うから来週の土曜日ならって思って…と不思議そうに綺羅は話していた。綺羅が目を覚ました時、穂乃果が死んじゃうって叫んだから医者も悪い夢を見ていたのだろうと言っていたが、綺羅の容態も安定し、綺羅ママが仕事に戻った時、面会時間に何度も夢の中で私と通話していたと話していて、きっと綺羅に私の声が届いていたから綺羅は今こうしてビールが来るのを楽しみにして揺れているのだろう。綺羅は仕事に戻ることはなく、現在は私の職場で一緒に働いている。綺羅からしてみれば、大手企業で働いていた時の半分もない月収なのに、先輩や穂乃果と毎週吞むことができるから楽しいと言って仕事も捗っているようだった。綺羅は詳しく話すことはなかったが、多分頑張りすぎて自分でもわからないうちに生きる意味を見失っていたんだと思う。早く気づいてあげれていたら、綺羅は…と思ったが、大丈夫と言って余計に逃げ道を奪う事になっていたかもしれないと思うと、身体に大きな傷は残ったが、今こうして綺羅が目の前で笑っているだけで十分に幸せだと思えた。


「はい、おまちどーさん!」


 綺羅が笑ってビールを持った。


「「かんぱーい!!」」





END



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ねぇ、これってまさか…きさらぎ駅!? 7792 @__7792__

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