第8話 好きと嫌いの法則
「好きと嫌いの法則かぁ。ああ、なるほど」
サクは、今の流れでなんとなくピンと来たらしい。
柔軟な解釈能力を持つのは若さゆえだろうか?
年をとればとるほど、見てきた現実の分だけそれが間違いない世界だと信じ込んでいる脳は、使い古したスポンジの様にどんどん固くなっているようだった。
「まず、人にはこういう性質がある。好きな人の好きなものは大好きになり、好きな人の嫌いなものは大嫌いになる。」
確かに、好きな芸能人の好きなものを集めたくなるしリスペクトする。好きな人が「これは嫌い」と発すれば、それを買おうとは思わなくなるし批判対象に発展することも少なくない。
そう例を挙げたのはアイドルが好きな女の子だった。
「とすると逆のパターンもあるよね。嫌いな人の好きなものは嫌いになりやすいし、嫌いな人の嫌いなものを応援したくなることって無いかい?」
「……あ!」
「分かったようだね。そう。さっき貴女が『嫌ってる人が例え良いことを言ってたとしても認めたくない』と言ってた、それ。嫌われてる場合、何を言っても無駄ってことだよ」
当たり前の事なのに、なんで理解していなかったんだろう。
俺もそうだ。親父から正論を言われても苛立つだけだったし、上司の言うことも聞きたくない。ヒカルのことも好きでは無いからその程度だし、逆に尊敬しているサンの話は聞きたくてしょうがない。
SNSなんかは特にそういう場面に出くわすことが多い。
誰かが発する『正しい注意喚起』も、上から目線だったり威圧的なものは積極的に賛同したい気にはならないものだ。
むしろ、文章は正論なのに不愉快な気分にさえなってしまう。
好きか嫌いか。
そんな当たり前の事なのに、それを意識して行動している人は一体どれだけ居るのだろう?
「だから、誰かに言うことを聞いて欲しいなら、まずその人から信頼されていたり好かれてる事が前提になるよね。どうしてもその人と仲良くなりたいのであれば、まずはその人に好かれる必要があるってことだね」
サンはそう述べた後、「でもそれは相当時間と根気と強いメンタルが必要だから、絶対仲良くならないといけないと思う人でなければ忘れた方がいいんじゃないかな?」と付け足した。
「批判したり嫌うってことは、5%の外を知ろうとしない行為ってことですかね?」
「ふふ。君は積極的に5%を広げようとしてるみたいだね」
サクの言葉でまたハッとする。
(ああ、そうか!)は、俺の5%の外。95%のどこかにあったものを理解した瞬間だったんだ。
「嫌われている、除外されることは素直に怖いよね。でも嫌ってる人は5%を広げようとしていないから君が居なくなったとしても今後もそれを繰り返す。だからその人に囚われなくていいと思うけどね」
「でも……」
何か全てを納得しきれていない様子の質問主は、「気になって簡単に忘れられそうにない」と話を続ける。
確かにそうだ。気になる人は不愉快な方であればあるほど、そう簡単に脳から離れてくれない。
何度もその打開策が無いものかと考えたことはあったが、結局「どうしようもないことだ」と、これといった名答に辿り着いてはいなかった。
「うーむ…ああ、そうだな。じゃあ、一年前にどんなことで悩んでた?」
サンはふとそんな質問を主婦に投げかける。
「一年前…?えっと…ん―――」
「多分、一年前も似たようなことで悩んでたと思うんだけど、思い出せない?」
「ああ!今思い出しました!近所のママ友と上手くいかなくて…」
「今訊かれるまで、忘れてた?」
「はい」
「じゃあさ、今の悩みって、一年後どうなってると思う?」
「えっと…忘れて…る?———え?ちょっと待って??」
「ふふ。そうなんじゃない?多分一年前も凄く悩んだと思うんだよね」
「はい!滅茶苦茶悩みました!」
「でもさ、こんな風にどうせ忘れるんだから、もう今から忘れていいんじゃない?」
張っていた糸が緩み、はらはらと静かに床に落ちていくように。
チャット画面には、「俺も忘れよっと!」「私も(笑)なんか悩むのがバカバカしくなっちゃった(笑)」と会話を見守っていた数人がそう続けていた。
「自分から離れていく人が居るのは寂しいよね。多分、その時は悩むし苦しい。でも、別れは悪いものではないよ。物語の登場人物が役目を終えて居なくなるのと同じ。また必要な時には現れる。主要ルートで出てくるかもしれないし、番外編かもしれないね。だから、その人が今回目の前に現れてくれた意味を理解して、『今までありがとう』で一旦終わりにしてもいい」
「あー、でも、出会った意味は今すぐ分かるものでない事の方が多いか。それは数年後とかにいきなり繋がる日が来るから楽しみにしてるといいかもね」
何の変わり映えも無いワンルームの見慣れた部屋といつもの画面。
同じ景色なのに、同じ人達と一緒にいるのに、まるでこのゲームを始める前とは違う。
ほんの数日前までは苛立ちしかなかったはずなのに。
真っ白でどこまでも歩いて行けそうな、そんな別世界に飛び込んだみたいだった。
誰も、読み終えることができない物語。 杏 @annex2019
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