第7話 真実

今日も、いつもと同じくビルの屋上で、西島は相も変わらずスマホ画面を両親指だけで器用に操作している。


太陽はひとつという事実。今日は晴れているという事実。

それを喜ぶ子ども達には彼らの美しく見えるそれが真実であって、めんどくさいと感じていた自分もそんな真実の中に居た。

雨をウザイと言う人も居れば、雨音が落ち着く人もいる。

月が綺麗と言う人も居れば、逆もまた然り。


心が躍る時に見る空はとても美しく、悲しい時のそれは寂しげに映る。

同じ人ですら、その時々で見えるものが違ってくる。

これが真実と事実の違いなのかもしれない。


俺の頭の中は、あの一件からガラリと。それまでとは違う世界に飛び込んだようだった。



今朝、出勤前に立ち寄ったスーパーでは、いつものレジに”見習い”という名札を付けた女の子が立っていた。

当然の如く操作はぎこちなく、通勤前の気怠けだるい苛立ちを増長させる。


「早くしろよ!」と怒号するサラリーマン。

平謝りする新人レジの店員。

それを見て哀れむ男性客、気を落とさないでねと声を掛ける老婆。

何もなかったかのように微笑みかける子ども達、サポートしながらも見守る先輩店員。


(それでもここの列に並んでいるのは、単にいびりたいだけなのだろう)


会計レーンは他にもある。スムーズに流れていないのはこの列だけだった。

嫌気がさしながらも、ふとこんな考えもよぎる。


一件迷惑な客だが、怒鳴りながら腕時計を何度も確認する男にとっては、遅刻しては困る状況がそこにある。大事な会議の前なのかもしれない。

見て見ぬふりをする人も、過去にこういう状況で痛い目にあった経験者かもしれない。

それらは全て俺の想像に過ぎないが、それぞれの5%がそれぞれの世界を創っている。

「もっとこうすればいいのに」と心の中で呟きながらも、どれも個々にとってその時の最善なのかもしれない。


しかし、それを理解していなかった過去の俺と同様に、新人店員が平常心でいられなくなるのではないかとも懸念する。

幸い、俺には時間的拘束は無い。列を抜けて一番最後尾に並び直すと、同じ列に並ぶ客らにはいぶかし気にジロジロと見られたが、そんなことはどうでも良かった。


余計なお世話かもと思いながらも、暫し待った会計の後、「ありがとう」と言いながら少しだけ口角を上げてみる。

これが今の俺に出来る精一杯だったが、新人店員は「ありがとうございます!またお越しくださいませ!」と満面の笑みで元気よく返してくれた。

それを見た瞬間、並び直した時間は自分にとって一秒も無駄ではなかったと確信した。


その時に買ったサンドイッチを頬張りながら見上げた空は、不思議と沢山の光たちが躍っているようだった。



「サンさん!悩んでることがあるんですけど―…」


今夜もゲームの中では、そんな相談が投げかけられていた。

あの一件以来、サンはいろんな人から話を聴いて欲しいとお願いされる対象となっている。

単なるゲームだと思って始めたはずの俺も、彼の答えが面白く感じて、その問答を見るのがこの時間の楽しみになっていた。


今回の相談はこうである。


「友達がやたらと嫌味を言ってくる。何かと話が合わなくて苦痛だ」


どうやったら、そんな風に言われなくなるだろう?

自分の好きな芸能人のことをディスったりされることにもメンタルが削がれる。非常に腹立たしいという。


彼女もまた、サンの『5%の話』を知っている一人なので、相手が自分とは違う”そういう世界”に生きているのだと理解はしようとしているらしい。

しかし、嫌なものは嫌、傷付くものは傷付く。辞めてほしいものは辞めてほしい。

どうにかしてそれを相手に伝えて改善して欲しいと考えているようだ。


「もう、ほんっとに大っ嫌い!!ホントどうにかして欲しい!!」


相手のことをそう言い放ち、なおも憤慨を抑えられないらしい。

俺にとっては上司の橋本のようなものだろうか。

ふとそう思い出し、サンが何と言うか、似つかわしくないアバターを動かしながらも端の方で気になっていた。


「うーん。確かに好きな人のことを悪く言われるのは嫌だよね」


サンは彼女の気持ちを肯定した後、こういう質問から話しを始めた。


「その相手は、貴女のことを好きなのかな?」



「??…えっと、嫌われてると思う。陰で私の悪口言ってるって別の子からも聞いたし…」

「じゃあ、その人の事は忘れた方がいいかもね」


なんとも、まさかの回答だった。

サンなら解決策を持っているんじゃないかと期待していた俺は、足元をすくわれたような気分に陥った。


「え?」

意外だと思ったのは彼女もらしい。

「どうしようも無いって事ですか?」

そう続けると、サンは落ち着いた様子のままこう訊き返していった。


「貴女は、好きな人の言うことは聞く?」

「そりゃあ。好きな人なら多少の無理難題でも頑張りますよ!」

「だよね。じゃあ、嫌いな人の言うことは?」

「お願いされても聞きたくないです。」


「ふむふむ。じゃあ、嫌いな人が貴女から見ても”正しい”と思うことを言ってたら?」

「なんか、ムカつきます!良いこと書いててもイイネは絶対押したくないし!———」


ザワザワと、あの時と同じような違和感が胸中に起こり始める。

目の前の壁だと思っていた扉が、絡みつくいばらを剥ぎ落としながらゆっくりと開き始める。そんな感覚だ。


「気付いたかな?そう。”好き”と”嫌い”には法則があるんだよ」


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