第24話 怠惰な男

 朝食を取るべく食堂へ足を運ぶと、見慣れた髪色の“少年”が目に入った。

 

(……あれがサリアの弟か)


 背丈は零斗の胸元程で、愛嬌のある顔は確かに彼女に似ていた。

 しかし、姉とは異なり手際が中々に良い。歳は大体十二前後と言ったところか。男ということもあり、小さい頃から手伝わされているのだろう。

 そんな彼に零斗は声をかけた。


「すまん、俺にも飯を頼む」

「はい……って、あなたが姉の言っていたレイさんですか?」


 彼がこちらに目を向けた時、確認するように聞かれたので、零斗がそうだと答えると、急に彼は零斗に向かってお辞儀をした。

 何事かと零斗が困惑していると、そのまま少年は顔をあげて続けた。


「姉がお世話になっているようで、ありがとうございます」

「お、おう。気にすんなよ」


 ――――おいサリア。お前、弟に精神年齢負けてないか。

 そんな突っ込みを零斗が心の中で決めつつ、動揺を隠せずに応じると、彼は笑った。


「ははは、聞いていた通りの印象で安心しました」

「聞いていた通り?」

「はい、姉が珍しく“絶対大丈夫な人”って言っていたものですから。あ、申し遅れました。僕は『スルゥ』です」


 スルゥとは、これまたなんというか――聞き流されそうな名前だなと、かなり失礼なことを考えながら零斗も応じる。


「聞いてると思うが、俺はレイだ。よろしく」

「よろしくお願いしますレイさん。あ、朝食ですね。今準備してきます」


 そう言ってスルゥは厨房の方へと言ってしまった。

 その後ろ姿を見送りながら、自分は十二歳の時あれほどしっかりしていただろうかと、サリアのことを言っている場合ではないと気づいた。

 ――――いや、思い返すのはやめておこう。

 どうせ高校に上がるまでは碌な記憶がないのだ。考えない方が吉である上、思い出したくもない。


 気持ちを切り替え、周囲をさりげなく見渡すと、まだ朝が早いからかカチャカチャと食器の音がするくらいで話し声等は特にない。

 しかし、本当に旅人や、冒険者らしき姿の者しかいない。流石は異世界。


 そんなことを考えている所へ、不意に背中を軽くたたかれた。

 振り返ると、新聞を持った中年の男性が、折りたたまれた細長い紙を零斗に差し出していた。

 それが何かすぐに得心いった彼は、男性に小さく会釈して紙を受けとる。


 まさかこの世界に新聞があると思ってなかった零斗は、思わぬ情報源に内心で喜びつつ、折りたたまれたそれを開いて読み始めた。


 書かれている内容は半分以上がどうでも良いような記事だったが、一部、重要な情報もしっかりのっていることを確認する。


(なるほど、ここは『タルデ』か……となると、ラベンドのかなり端の方に飛ばされたんだな)


 今更ながら自身がいる街の名前を知り、地理は把握できた。

 タルデは王都からかなり遠く、それほど警戒せずとも自分の存在がバレる可能性は低いだろう。それに外見も大きく変わった上、ましてや向こうは自分が死んだ存在として認知している。

 それほど目立たずに行動していれば勘づかれる心配はない。一先ずは安心と言ったところか。


 だが、一安心もつかの間、ふと零斗はあることに疑問が行った。


(……待てよ。あの屋敷にある書物は『魔精語』で書かれていたのに、何で飛ばされた先が『人間領』なんだ?)


 あの量の書物が『魔精語』で書かれていたなら、普通『転移』させるなら魔人領の方が自然だろう。しかし、実際に飛ばされたのは人間領かつ、ラベンド国内。

 あの場所が位置しているのが魔人領だとして、はるばる『迷宮』脱出時に人間領まで飛ばされたと仮定してみよう。そうなると、『迷宮』に落ちる前に零斗が磔にされていた『遺跡』のような場所も必然的に魔人領ということになるが、それは“あり得ない”。


 なぜなら他の国へ『転移』する際は、不法入国できないように張られている『転移妨害』の結界を通り抜けられるよう、事前に国同士でやり取りをしなければならない。

 零斗が飛ばされた先が、他の人間領ならまだしも、魔人がそんなことを許可するとは到底思えない。


 もし仮に、それを何らかの方法で突破できたとしても、飛ばされる前に零斗が感じた消費された魔力量では、あの人数と魔人領までの距離を転移するには全く足りないのだ。


 つまり、あの迷宮が位置している座標も、零斗が飛ばされたのと同じ位置。つまり、ラベンド国内にあると考えられる。


 ――――だが、なぜあの屋敷を人間領に配置した? 利点は? そもそも魔精語を好んでいたというだけで、あの屋敷に人間が住んでいた可能性も否定できない。それ以前に、地下に屋敷の構造をした建築物を設置した理由は? 『迷宮』の奥においてまで秘匿する意味は?


(……ダメだ。一切わかんね)


 お手上げと言わんばかりに額に手を当て、ため息を吐く零斗。

 

(――――いや、考えて分かるわけがねえ。現状じゃ判断材料が少なすぎる)


 少なくとも、自分の頭脳では導き出すことができないだろうと、零斗は見切りをつけた。


(……ったく、何つう押し付けてくれてんだよお前の元主人とやらは)


 姿の見えないイドリスに向かって、内心で小さく愚痴る。

 あの屋敷で、唯一主だった者の心情が綴られていた手記に書かれた内容を思い浮かべ、気づかぬうちに零斗が苦笑を浮かべる。

 



(――――必ず起こる、の『聖戦』を止めろって、俺一人じゃ無理がありすぎるだろ)

 

 持ち出すことはせず、記憶するだけにとどめたそれには、最後のページにこう書かれていた。


『私では寄り添うことしかできなかった。……だが、これを読む者がいるならこの意思を継いでくれ。もう二度と、この惨事を起こしてはならない。いつかそんな者が現れると信じて、これを遺そう』


 手記の主が誰なのかは一切書かれていなかった。終始「私」と書かれていただけで、男なのか女なのかすらも分からず、種族すらもはっきりしない。

 分かっているのは書いた主が、『聖戦』を生き抜いた一人だということだけだ。

 

(人間と魔人の間で起こった何百年にもわたる戦争、ね。……なんで魔法っていう便利なもんがあるのに、元の世界と似たようなことやってんだよ)

 

 新聞記事一面に乗っている――――『勇者一行、遂に魔王討伐へ旅立つ』という見出しを眺めながら、そんなことを思っていると、スルゥが朝食を運んできてくれた。


「お待たせしました。……確か、レイさんって味の濃い物が苦手なんですよね? なので基本薄味の物を配膳してきましたよ」

「お、助かる」


 そう。先日、夕食を食べていた時のことだが、何気なしにコンソメスープを口に含んだ途端、思わず吹き出しそうになったのだ。

 日本で口にしたものに比べて味が荒く、また何十倍にも濃縮したような濃い塩味を辛うじて飲み込み、その後は何杯も水を飲んだ。


 最初は調理人の味覚がおかしいのかと思ったのだが、落ち着いて周りを見れば特に変わった様子もなく、皆普通に食していた。

 いったいこれはどういうことかと考えた結果、『激痛』の剣による感覚強化を思い出した。

 思えば、あれほど聴覚、視力、嗅覚、触覚が強化されていたのだ。当然、残る味覚も同じように強化されており、今までは食べ物を口にしなかったので気づかなかっただけらしい。


 そのことを、剣の下りは伏せながらサリアに伝え、配慮すると彼女は言っていたのだが、それがスルゥにも伝わっていたようだ。


 プレートの上に乗せられた料理に目を向けると、彼がチョイスしてきたものは、トーストとサラダというかなりシンプルな組み合わせだった。後はよく冷えた水。

 普通、冒険者をしている者であればもっと食べるべきなのだが、足りない分はイドリスからの『回復』で十分補えるため、どちらかと言うと嗜好品という意味合いが強いので、これだけの量でも零斗には十分だった。


「それにしても、うちのコンソメスープで濃いって相当繊細な味覚なんですね……。もしかしたら料理人の資質があるのかもしれませんよ?」

「……流石にそれはないな。自分で料理はしたことがない」


 専ら元の世界にいた時も、基本コンビニ弁当かインスタント食品を食べていたので、料理経験は全くと良いほどない。豚肉と牛肉を目の前で並べられても疑問符が浮かぶレベルだ。

 もし、自分が調理人なんてしようものなら、食べ物かも怪しい代物が出来上がるに違いないと、零斗は確信できる。

 

 そんな零斗の言葉にスルゥは笑って答える。


「はは、案外やってみたら上手いかもしれませんよ? では、僕は仕事があるのでこれで失礼しますね」

「ああ、頑張れよ」


 本当にしっかりしている。この世界の十二歳というのは、あれが普通なのだろうかと新聞に目を向けなおし、トーストを口に含んだ。



 その後、零斗は商店街へと足を運んでいた。

 そこにはレンガ造りの建物が立ち並び、上の階層は居住区で、一階に店が入っているという構造が多く見られた。

 場所によっては屋台も出ており、美味しそうな匂いがちらほらとしてきたり、アクセサリーを取り扱う屋台で客引きをしていたりと実に活気にあふれている。

 

 そんな中、零斗が向かったのは雑貨屋。

 扉を開けると、ドアベルが鳴り、客の入店を知らせる。内装は極シンプルなもので、棚がいくつか並び、そこに皿やコップといった生活雑貨が置かれている。

 それ以外にもランタンや、革製のカバン等が壁にかけられている。ちらりと零斗が視線を奥へ向けると、カウンターに突っ伏して居眠りしている、長い金髪を束ねた髪型の店員が見えた。


 いびきをかいていないとはいえ、聴覚が人より優れる零斗には寝息がしっかりと聞こえているため、単に息抜きしているわけではなく、本当に眠っているのは明らかだった。


「……マジかよ」

 

 業務中に居眠りするなど、日本だったら速攻クレーム、あるいはクビになっているところだ。

 スルゥに勧められたから来たものの、これを見ると本当に大丈夫かと不安になる。とはいえ、あのしっかりした少年が勧めるからには、きっとこんなんでもこの世界では問題ないのだろう。

 最悪、会計する際に起きてくれれば良いので、それ以上考えることなく、零斗は商品を選び始めた。


 買う物はあらかじめ決めてある。

 鞄、ランタン、火打石、保存食、戦闘用の短剣、ナイフ。一先ず、この辺は確保しておきたいところだ。

 幸いなことに、前二つはこの店に入ってすぐ目に入ったので問題ないとして、それ以外にここに置いていそうな物は短剣以外か。

 買うべきものを列挙しながら、それほど広くはない店内を回る。


 しかし、この世界の雑貨屋には訪れたことがなかったので何を置いているのか全く知らなかったが、意外に色々なものが置いてある。


 こじゃれた意匠の写真立て、変わった形の眼鏡に丸底フラスコのようなガラス容器。

 フラスコと言うと、まだ城に居た頃に魔導士達が魔法薬――ポーションの合成やら実験に精を出していたのが思い浮かぶ。


 こうして店に並んでいるということからわかる通り、ポーションは庶民でも作ることができる。

 ――――尤も、大本の原料となる“霊水”と、固有の効能を持たせるための素材は非常に高価かつ希少な上、高度な専門知識と技術まで必要なため、完全に趣味として嗜む者しか作らないのだが。


 流石にポーションの製法までは知らない零斗にとって、これは無用の長物である。値段も一瞬目に入ったが、完全に予算オーバーだ。スルーが安定だろう。



 そんなことを考えながら店内を回っていると、無事購入しようと思っていたものが一通りそろったのでカウンターに向かうが、相変わらず店員と思しき男は未だに眠ったままだった。

 

「――――おい、起きろ」

「……くぅ」


 返事変わりに寝息を漏らす男に、最初は何も思わなかった零斗だが、段々とイライラが募り始めた。

 その後、何度か突っついたり、肩を叩いたり、声をかけたりと試してみたが、余程熟睡しているようで一向に目を覚ます気配がない。

 いよいよ我慢の限界に達した零斗が、小さく殺気を漏らしながら、一つ、それはそれは大きな舌打ちをする。


「――――チッ」

「……ッ!?」


 敢えて擬音を付けるなら『ビクゥッ!!』と言ったところか。

 大きく飛び跳ねながら目を覚ました店員は、顔を青ざめさせ、何が起きたのかと視線をキョロキョロと迷わせていた。

 

 下手すれば邪神龍ですら竦ませる程の殺意だ。一応、『迷宮』で彼が纏っていたものに比べれば遥かに微弱なものだが、それでも一般人からしたら刃物を突き付けられたのと同じくらいの緊張が走っただろう。


 何はともあれ店員が目を覚ましたことでがら空きになったカウンターに、零斗が手に持つ商品をドサッと置く。


「これ、全部でいくらだ?」

「……え? あ、あぁお客さんかい? 悪いね、また居眠りしちゃってたみたいだ」


 口元の涎を手拭いでふき取り、照れ笑いを浮かべながら店員が応じる。


「しかし、一瞬物凄い悪寒がしたんだが悪い夢でも見たのかな……」


 腑に落ちない表情のまま計算を進める店員に、零斗が半目で冷たい視線を送った。が、それに気づくことなく、流石に仕事はまともにこなすようで、店員は手早く計算処理を進めていく。

 暗算だけで計算を終わらした店員が零斗に額を伝え、不足するようなこともなく零斗が支払いに応じる。

 

「余計な世話だろうが、お前業務中に寝るなよ。それだと、もし商品盗まれたとしても気づかねえだろ」

「ん? あー、その心配はいらないよ。僕が処理していない値札の付いた商品を持って店に出ると、このベルが鳴るようになってるから」


 そう言って、彼がカウンターの上に乗った銀色の卓上ベルに目を向ける。

 まさかこの世界で『万引き防止タグ』が実装されていたとは思わなかった零斗は、少々の驚きに目を丸くする。


「まぁ……それなら確かに油断もするか」

「どうだい? これは僕が開発した魔道具でね。無理に解除しようとしてもベルが鳴るようにできているのがポイントだよ」


 どや顔で『万引き防止タグ』を完全再現した魔道具について語る店員だが、残念なことに零斗は現代でそれを見慣れているため、どう反応したものかと複雑な目でそれを見るしかない。

 ……いや、何の前知識もなくこのシステムを開発したのは素直に称賛すべきだろう。

 内心で思うだけに留め、口に出すことはなかったが。


「あ、包装は必要かな?」

「いや、カバンに入れるから必要ない」

「そうか……あれ? よく見たら君、『弓』を持ってないのかい? 『矢』も買っているけど」


 この矢は店内をめぐっていた時、たまたま目に入ったので、零斗がついでに選んだものだ。

 店員がそのまま零斗が買った物を手渡そうとして、零斗が『矢』しか買っていないことに気が付き、怪訝な表情を見せる。矢筒も持ち合わせていないことから、普段から弓を使っているようにも見えないため、彼の疑問はもっともなものである。

 

 しかし、零斗は矢を見た時に閃いた、とあることを実験するために買ったのであり、真っ当な使い方をしないので問題ない。


「ああ、それでいいんだ」

「へぇ……。参考程度に何に使うのか教えてくれないかい?」


 何やら興味深げにして尋ねる店員に零斗は、薄く笑って返す。


「悪いが、企業秘密ってやつだ」

「ちぇ……。新しい魔道具の開発のアイデアに繋がるかと思ったんだが……」


 そう言ってつまらなそうに零斗から店員が視線を切る。


「新しい魔道具?」


 気になる言葉が出たので思わず零斗が聞き返した。


「うん、僕は魔道具作りが趣味でね。暇を見つけて試作品を作ったりしてるんだよ」

「ほー。例えばどんなだ?」

「はは、それには僕も“企業秘密”で返させてもらおうかな? 何、害をもたらす物は作ってないから安心してよ」


 ウインクしながら返す店員に再びイラつきを覚えつつも、先ほど自分も言ったことなので何も言い返せない。

 

「……まぁ、良いか」


 それ以上は何も追求せず、黙って腰巻カバンのベルトを締めて装備し、購入したものをしまっていく。ただ、ランタンは流石に入らないため一旦手に持ち、宿に置いてくることにする。

 そうとなれば、この店員との雑談もこれ以上は必要ないと、零斗が背を向ける。


「お、帰るのかい?」

「用は済んだからな」


 不愛想に返す零斗にクスと柔らかい笑みを浮かべ、店員が言った。


「僕はグレン。良ければまた来てよ。今度はお茶くらい出すからさ」


 今の会話で何をどう思ったのかは知らないが、グレンと名乗るこの店員は零斗のことを気に入ったらしい。

 頬杖を突きながら笑う彼に、零斗は小さくため息を吐いて返した。


「俺はレイ。気が向いたら来る」

「ああ、いつでも待ってるよ」


 そして、ドアベルの音が鳴り、再び店の中に静寂が戻る。


「……ふぁ。さて、もうひと眠りといこうかな」


 小さくあくびをした後、グレンは再び自分の腕枕に顔を埋め、寝息を立て始めたのであった。

 

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異世界転移を無加護にて 青ひつじ @Blue_Sheep

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