第23話 水精

 金を受け取った後、とっくに日が沈んでいたため零斗はすぐに宿探しに向かった。

 と言っても、既に目星は付けていたので、記憶にある道を辿るだけで、“探し”とは言えなかったが。

 着いた宿の扉を開け、中に入ると見知った顔が出迎えてくれた。


「あ、レイさん!」


 赤い長髪の少女が零斗を見て笑顔を見せる。

 それに対してよっと手を軽く上げ、カウンターの元まで歩いていく。

 

「空いてるか?」

「一室空いてますよ。一泊銀貨三枚……ですが、レイさんは恩人なので特別に二枚におまけしますっ」

「おいおい、そんな勝手に決めて良いのか?」


 見た所、給仕姿をしていることから彼女もここの従業員であることが伺えるが、値段設定を家族とはいえ勝手に決めてしまって良いのだろうかと零斗が疑問に思う。

 

「大丈夫です! 一応、母の補佐って形で私も会計してますから。それにレイさんのことを父と母に話したら、二人とも是非うちで泊まってもらいなさいって言っていたので」

「まぁ、なら平気か。とりあえず三日分頼む」


 零斗がそう言うと、サリアが少し驚いたような表情になり答えた。


「大丈夫ですけど、そんなに泊まって大丈夫ですか? 流石にレイさんとはいえこれ以上割り引くのは少し難しいかもしれないのですが……」

「心配すんな。ほら」


 そう言って零斗がコートの内ポケットから金貨を取り出しカウンターに置いた。

 

「えっ、もうそんなに稼いできたんですか?! 確か、最初に会った時は泊まるお金がないって言っていましたよね?」

「……まぁ冒険者だしな」

「へぇぇ……やっぱりすごいんですねレイさん……」


 納得した声を上げながら、しっかりとお釣りの銀貨四枚と部屋の番号が刻まれたカギをサリアが手渡す。


「食事は朝食と夕食を用意してます。時間はお部屋の注意事項に書いてあるので、利用するときはその時間内に食堂に来てくださいね。あと、入浴は、大浴場が食堂とは逆方向の廊下を進んだ先にあります。こっちは掃除の時間以外は基本的に空いてますのでいつでもどうぞ」


 そうして一通りの説明を受けたあと、零斗は刻まれた部屋に向かった。



 部屋に入ると、中は六畳ぐらいの広さだった。

 ベッドが一台と、小さな机と椅子にランタン。あとはクローゼット。必要最低限の物はあるといった感じだが十分だった。

 すっかり夜になっているため窓からは何も見えない。が、特に景色にこだわっているわけでもないので気にならない。カーテンを閉めて、夜の冷気を防ぐ。

 零斗は早速コートを脱ぎ、クローゼット内にあるハンガーにかけ、椅子に腰かける。


「漸く、“普通”の部屋に入れたな……」


 日本から急に異世界に飛ばされて、最初は城の豪華な部屋。次は牢獄に『迷宮』、その後はまた豪華な屋敷の寝室と、極端な寝床しかなかった零斗にとって二年ぶりになる標準的な部屋に安心する。

 故郷の部屋に比べればやや貧相だが、それでも前に述べた物よりは圧倒的にマシだ。


「――――さて、やること整理しねえとな」


 部屋に置いてある羽ペンを手に取り、同じく置いてある羊皮紙につらつらと頭の中である程度まとまっている内容を書き込んでいく。


 真っ先に書き込んだのは『ここがどこか』。


 『迷宮』から放り出され、現状ここの街の名前すらも分からないような状態だ。

 ここがどこなのか、また、ラベンド王都からどれだけ離れているのか。

 『灰瀬零斗』という名がどれだけ伝わっているのかで、今後の行き先は大きく変わる。 


 次、『装備の調達』

 

 現状、武器に関してはイドリスで十分事足りているが、火力が高すぎる。まさか人目のある場所でイドリスを抜くわけにもいかないし、隠れて使うにしてもどこに武器を隠し持っていたのかと怪しまれるのも面倒だ。手ごろな短剣を持っておくのが無難だろう。

 それに、収納がポケットしかないのも問題だ。小型のカバンくらいは持っておいた方が良いだろう。


 最後、『魔王と会う』。

 

 『迷宮』の奥に存在した屋敷にある書物は殆どが『魔人語』で書かれた物だった。つまり、大本の情報は魔王に伝わっている可能性が高い。

 大昔の勇者と魔王について、詳しいことはあまり分からなかった。それに、もっと“加護”についても知る必要がある。

 また、万が一、勇者達が魔王と相対したら、零斗にとっては非常に。諸々を考慮し、一度会って話すべきだと判断した。

 書き込んだのは最後だが、最優先事項となるのはこれだ。しばらくの間はこのこと意識した行動をすることにすることになるだろう。


 書き込んでみて、思考の整理がついたことで当分の方針は定まった。

 

「こんなもんか」


 今の持ち物は、イドリスに銀貨六枚。が、魔王と出会うまでは問題ないだろう。

 ふと、部屋に設置された壁掛け時計を見ると夕食ギリギリの時間だった。


「うおっ、やべ、間に合うかっ!?」


 急いで食堂に向かうべく立ち上がると、一つ、思いついたかのように羊皮紙の一番下に追加で書きしたためた後、部屋を出た。



 翌日、目を覚ますと時計は正午になろうとしていた。


「……寝すぎた」


 久しぶりにまともなベッドで、しかも最も慣れた雰囲気だったこと、たまりに溜まっていた疲労も手伝い、ぐっすり寝てしまっていたようだ。

 大きく伸びをして、布団から出ると軽く屈伸する。


「よし、十分だな」


 零斗が宿を出ようと出入口に向かうと、ちょうどサリアも宿を出発しようとしているところだった。


「あ、レイさん。これから出発ですか?」

「そうだけど、お前は何しに行くんだ?」

「私はこれから森にある泉の水を汲みに行くつもりです」


 そう言って、サリアは腰にぶら下げたひょうたん状の木筒に目を向ける。

 しかし、わざわざ水を汲みにいかなくともこの街は水路が整備されていて、蛇口をひねれば水が出るはずなのだが、いったいどういうわけだろうか。


「わざわざ森まで?」

「……はい、そっちの水の方が美味しいですし!」


 妙に間があったのが気になるが、何か彼女にしかわからない違いがあるのだろう。

 そして、その直後に名案を思い付いたと言わんばかりに手を合わせてサリアは言った。


「そうだ! 良ければレイさんもご一緒してくれませんか?」

「……は? 俺が?」


 特に今日の予定を決めていたわけではなかったが、この近辺について調べようと思っていたのでつい零斗は荒っぽい口調で答えてしまう。

 しかし、それを気にした様子はなくサリアは続けた。


「予定が空いているならぜひお願いしたいです! ちょっとここ最近の森は怖いので……」

「……ほう?」


 件の森の異変を思い出し、感心した声を漏らす零斗。

 あのことは秘密裏に調査しているはずなので、特に森に関することは何も公表されていない筈。つまり、サリアは彼女の持つ肌感覚で森の異変を何となく察知しているのだろう。


 ……それを考えれば、彼女の持つ固有能力と良い、ついていけば何か得られるものがあるかもしれないと、零斗が思考を巡らした末、縦に頷く。


「良いだろう。その水とやらも気になるからな」

「やったっ! レイさんが来てくれるなら安心ですね」


 なぜそんなに信用されているのか分からないが、何やらサリアがかなり喜んだ様子を見せた。


「ではっ、善は急げです! 早速行きましょうか!」

「あ、ああ。そうだな」



■■■


「つーか、お前森に来るの怖くねえの? 最初会った時も倒れてたけど、あれ、下手したら死んでてもおかしくなかったんだぞ」


 サリアに案内され森を歩いている時に、不意に疑問に思ったことを口にする零斗。

 

 彼の言う通り、一般的に郊外の人の手がほとんど入っていない場所は、野生動物はもちろん、魔物と遭遇する恐れがあるため、普通の人間は立ち入らない。

 入るとしても、通り抜けるだけで終わるのがほとんどだ。


 それに、変にサリアは肝が据わっている。街へ連れて行った時もかなり人間離れした動きをした零斗に怯えるどころか、友好的に接してくる。

 自分が同じ立場だったらあまり近づくようなことはしないだろう。

 

 そんな、零斗の問いに対しサリアは少し考えた様子を見せ、答えた。


「うーん……。言われたら少し怖いですけど、危ないところとか、近づいたらいけない場所は何となくわかるんですよね。だから、そこさえ避ければ大丈夫かなぁって……」


 虫の知らせとか、そういった類のものだろうかと零斗は解釈した。

 

「あとは――――今は頼もしい用心棒さんがいますからね」


 ふわりと花が咲くように微笑んだサリアに、零斗が複雑な感情が入り混じった目を向ける。

 多分だが、サリアはそれなりにモテるのだろうなと、零斗が思う。

 宿で夕食を取っていた時も、給仕をする彼女に熱い目線を送る者が何人かいた。

 大体が冒険者らしきおっさんだったので、一歩離れたところで零斗は彼らにドン引きした目を向けていたが。

 

 そんな彼女に零斗は冷めた口調で答える。


「そりゃどうも。給金があればもっとやる気出るけどな」


 欠伸も交え、いかにも無気力といった様子を隠さない彼にサリアはクスクスと笑い声を漏らす。


「それでもいいですよ。“悪意”がないのはわかりますから」


 またそれかと、零斗は呟いて会話は途切れた。



 しばらく森の中を進んでいくと、サリアの言う泉に到着した。

 

 そこに広がる景色は、零斗も写真でしか見たことの無いような美しさだった。水底まで見通せるほどに澄んだ水。そこへ光が反射し、きらきらと揺れている。

 アクアマリンを思わせる宝石のような泉にサリアが近づいていき、木筒の蓋を外して水を汲み始めた。


「どうですか? 私以外には弟しか知らない秘密の泉ですよ」

「……確かに、これはすごいな」


 神秘的と形容するのが相応しい泉は、穢れなど一切寄せ付けないような神聖さを放っていた。

 

「ここは、私が小さい頃森で迷ったときに見つけた場所なんです。あんまり覚えていないんですけど、それまですごく怖かったのに、ここに着いたら不思議と安心してそのまま寝ちゃったんですよね。そして、気づいたらうちの中で寝ていました」

「……そうか」


 サリアが水を汲んでいるのを見ながら、零斗は木に寄りかかって立膝をついて座った。


「……あの、笑わないんですか?」

「何が?」


 急に意図しない質問を投げかけられて、零斗が聞き返す。


「この話すると、今まで弟以外の人には夢でも見たのだと笑われたので……」


 気にしているのか顔を俯かせながらサリアが言う。

 だが、それを鼻で笑い、零斗は答えた。


「――――俺にも“見える”からな」

「……ッ!? えっ?!」


 心底驚いたような声を上げるサリアに零斗は続けた。


「お前の力の正体がようやくわかった。『水精の加護』なんだろ? それ」

「……」


 零斗の言葉に、サリアが押し黙る。


 この世界での加護とは何も神だけが与える物ではない。

 同じく、世の理から外れている『精霊』からも加護を授かることがある。ただこちらの場合は、神の与えるものより効力が非常に弱く、また、彼ら自身がかなり気まぐれなため、精霊の加護を持つ者は滅多にいないのだが。


 ここの泉に着いてから、零斗はすぐに精霊がいることを感知していた。

 そして、サリアが水を汲みに行った途端、彼らが彼女の元に集まったことから相当気に入られていることが分かり、カマかけしてみたら、見事当たったと言ったところだ。

 

「そうですか、これが加護、なんですね……。この子たちが……」


 どこか嬉しそうにサリアが笑った。


「弟には見えないらしくて、信じてはくれているんですけど……。私以外に見える人は初めて会いました」

「だろうな。精霊と波長が合う奴か、俺みたいなのじゃなきゃ見えねえからな」


 サリアが零斗と同じタイプだとは考えづらいので、必然的に彼女は前者だろう。

 しかも、かなり波長が合っているらしく、水精は彼女の身に合わせた無理のない加護を与えている。

 

 水精が主に司るのは『清廉』。

 つまり、彼女が悪人を見分けることができるのは、加護によって『穢れ』を目視できるようになっていたからだろう。

 なぜか、とサリアが説明するときに言葉を濁していたのは、水精の加護と説明するのが難しかったからと推測できる。加護は自覚できる場合もあるが、その逆も然りだ。

 サリアの場合、あまりに体に馴染んでいたせいで気づくことがなかったのだろう。


「にしても、外見とイメージ違いすぎるな」


 嫌味のない、小さな笑みと共に零斗が呟く。

 赤い髪色に対し、波長が合ったのは『水』。ゲームの世界だったらまず見ない組み合わせだ。

 そんな文化など知る由もないだろうサリアにはなんのことか分からないが、からかわれたということは理解したようで、珍しく目を細め、若干拗ねたような態度を取る。


「良いじゃないですか、別に」


 頬を小さく膨らませたサリアは、確かに水精が好む『清廉』なのだろうと、零斗は笑った。

 と、サリアが急に表情を変え、零斗の方を再び見てきた。


「……なんだよ」


 何事かと零斗が問うと、サリアが困ったような表情で答えた。


「――――『悲しい』って言ってます。レイさんのことを、『悲しい人』だって」


 その言葉に零斗が一瞬、目を見開く。

 続けてサリアは言った。


「『閉じてる』『寂しい』って……こんなこと初めて……。レイさん……あなたは一体……」


 水精と会話できる時点で相当驚くべきことなのだが、何よりも精霊の言っていることに零斗は戦慄していた。

 神と同様、常識が一切通用しない精霊には、零斗の正体が見抜かれているらしい。

 

(……落ち着け。精霊の自我は薄い。断片的に俺の気配から情報を拾っているだけで、記憶が覗かれているわけじゃない。だから、俺が元勇者だと気づかれることはないはず……)


 気づかれないよう、小さく深呼吸して平静を繕い、零斗は答えた。


「……ただの冒険者だよ」

「そうですか……」


 それ以上を言うつもりがないことが分かったのか、サリアはそれ以上聞いてこなかった。

 

 その後もしばらく気まずい空気が流れ、日が傾き始めた頃に撤収の準備を始めた。

 と言っても、特に荷物などを持ってきていたわけではないので帰路に着いただけだったが。


「あの、変なこと聞いてすいませんでした」


 申し訳なさそうにサリアが言う。

 

「気にすんな。精霊にああいわれたなら俺だって気になる」


 そんな彼女を特に責めることもなく言葉を返す零斗。

 その時、零斗の魔力感知網に何体か魔物の気配が引っ掛かった。


「……サリア、今から喋るな。近くはないが、魔物がいる」

「……っ!」


 こくりと小さくサリアが頷いたのを見て、零斗が十分に警戒しつつ歩いていく。

 サリアがいる以上、イドリスを抜くわけにもいかず、まさか素手でジェノサイドしようものなら彼女にとってはトラウマ物だろうと零斗なりの配慮である。

 

 日が暮れはじめ、視界が悪くなりサリアの歩くペースが落ちてくる。

 彼女に合わせて歩いていた零斗も、このままでは遅すぎると判断し、歩みを止めてかがみ、サリアに声をかけた。


「サリア、乗れ。ペース上げる」


 それを見て何をしようとしているのか理解したサリアが、少し恥ずかしそうにしつつも零斗の指示通りおんぶされる。

 首元に手が回されたのを確認すると、零斗は立ち上がり、走り出した。


(やっぱ、ここら辺はなんかあるな。昨日より表層に近いのに魔物の気配が薄れない)


 それどころか、心なしか魔素の気配も強まっている気がする。

 この異変に心当たりがあることといえば、零斗がここへ『迷宮』から飛ばされてきたことぐらいだが、まさかそれが関係しているのだろうか。

 ……いや、もう一つ、重要な心当たりがあった。


 最初にサリアを街に送り届けた際に見かけた、怪しげな男。

 川に何かを流していたが、まさかあの流していた液体がこの森に影響を与えているのだろうかと、推察するが、それをする意図も目的も一切分からない。

 考えれば考える程、雁字搦めになっていく。

 

(……くそ、こいつはしっかり調べねえと出てこねえな)


 早速面倒なことに巻き込まれたなと、零斗は内心でため息を吐いた。

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