【短編】FREEDOM × HELL ―全てがタスク化された世界で―

音乃色助

第1話(完結)


 ――ピピピピッ、ピピピピッ――


 等間隔に鳴り響く電子音が、まどろんでいる僕の意識を呼び覚ます。



 ……朝、か――


 寝ぼけ眼をごしごしこすりながら、ベッドの脇に置いてあったスマートフォンを手に取った。


 僕が――、というか、この世界の全ての人が朝起き行う行動は、

 一年、三百六十五日、

 いついかなる時でも、決まって、一つだけ。


 メールアプリを起動させて、

 未読バッチがついた最新のメッセージを開き、

 『今日のタスク』を、確認する。




※※※


 差出人:《クオンタム》

 件名:おはようはようございます。20XX年12月22日 『幾多 佑馬』の ToDoリストをお送りします。



 AM

 7:00 起床

 7:15 朝食の準備、焼いたトーストにイチゴジャムを付けて食べてください

 7:45 出勤、ネクタイの色は青色にしてください

 8:00 大通りでスーツ姿の男性に肩をぶつけられるので、舌打ちをしてください

 8:10 駅前のコンビ二に寄って、ペットボトルのお茶を購入してください。その際、電子マネー決済をしようとすると残高不足でエラーになりますので、現金で払い直してください。

 8:30―――




※※※


 

 ズラリと並ぶメール文章に一通り目を通した僕は、ムクっと身体を起し、のそのそとキッチンへと向かった。

 食品棚から食パンを取り出すとトースターの中に入れ、ダイヤルを3時の位置まで回す。続いて冷蔵庫から、まだ開封したばかりのイチゴジャムのビンを取り出す。


 もしゃもしゃと食パンを食べ終わった僕は、寝間着を洗濯機の中に放り込んでスーツに着替える。クローゼットの中からシンプルな青一色のネクタイを取り出すと、鏡を見ながらシュルシュル首に巻いた。

 

 家を出て、朝の湿った空気にぶるぶると身体を震わせながら、早歩きで駅へと向かう。大通りに出ると人の往来が一気に増える。やはり朝の冷たい空気が身体に堪えるのか、皆一様に肩を強張らせ、何かから逃げるようにせかせかと足を運んでいる。


 ――前から、人の流れと逆行するように走ってくるスーツ姿の男性が見える。



 ……コイツか。



 僕はその男性の姿を確認するや否や、男の進行方向に『あえて合わせるように』少しだけ身体をずらす。


 ――ドンッ!



 「……あっ! すいません……」


 「……チッ」



 スーツ姿の男の肩と、僕の肩がぶつかる。

 スーツ姿の男は小声で謝罪を漏らすと、勢いにまかせてそのまま駅と反対方向へ走り去っていった。

 僕は少しだけスーツ姿の男の背を目で追っていたが、やもするとくるりと踵を返し、人の流れに溶け込むように再び歩みを進めた。


 口から吐き出される白い息を眺めながら、何の気なしに思う。



 ――今日もまた、『楽』な一日が始まるな。







 ――20XX年――


 目覚ましいスピードで進化を遂げていった『人工知能技術』は、人間の知能レベルをあっという間に抜き去った。

 ――政治、経済、医療、教育、道徳――、人間の叡智が試される、あらゆる分野での意思決定が人工知能に代替されていった。政治家は国策の方針をAIに決めてもらい、医者は一切の診断と治療をAIに任せた。


 気づけば、人間が自分達で何かを、――『判断』『創造』『発見』『発展』――、することは無くなっていた。



 AI技術の更なる進化が進み、最高峰の知能レベルを有する最新型のAI――

 《クオンタム》が誕生した。


 《クオンタム》は、人類に対してある提案を行った。



 『これから、あなた達の人生は、全て私が決める事にします。』



 こうして、僕たちの人生……、

 ――あらゆる決断、あらゆる判断――、は《クオンタム》によって代替され、

 僕たち人間は、AIに与えられた『タスク』をただ消化するだけの存在となった。


 毎朝、《クオンタム》によって送られてくる『ToDoリスト』を確認し、遂行する。


 テレビドラマや映画と同じように、

 決められた『シナリオ』を、なぞるだけの毎日。



 《クオンタム》の提案を受け入れ、

 僕たちは……、人類は、こう思った。



 ――ああ、私たちは、ようやく『自由』から解放される――







 ――ビーーッ! ビーーッ! ビーーッ!――


 駅のホームで電車を待っている僕の耳に、けたたましい警報音が飛び込んで来た。音がした方に思わず目を向けると、ハゲたオッサンが二台の警備ロボットに取り押さえられている。僕は醒めた目つきでその様子を一瞥すると、陰鬱を吐き出すようにタメ息を吐いた。



 ――また…、か……。



 「……た、たのむ。今回だけは、見逃してくれ……!」


 『ダメです、あなたのキョウのタスクはテイジにシュッシャして、キンロウすることだったはず。タスクにないコウドウをトるのは、《タスク放棄罪》にテイショクします。』


 「……娘が、交通事故にあったらしいんだ……、そんなこと、あいつの『ToDoリスト』には無かったはずだ……、正真正銘の『事故』なんだッ……、頼む、今すぐ娘に会わせてくれッ……!!」


 『ダメです、《クオンタム》のイシにハンします。『ホウレイ』にノッとり、あなたをレンコウします。』


 「……! い、嫌だ……。頼む、見逃してくれ……。『アレ』だけは……、『アノ刑』だけは、勘弁してくれッ――」


 

 ――男の断末魔が、徐々に遠くなる。ハゲたオッサンは警備ロボットに両腕をガッチリ掴まれ、人としての尊厳も、個人の尊重も無く、ジタバタと足を動かしながら、無様に運び去られていった。



 ――バカな奴……。



 心の中でつぶやく。


 キィーーッと、甲高いブレーキ音を鳴らしながら電車が到着した。

 僕はそれに乗り込むと、今日の『ToDoリスト』に則り、

 スマホアプリを使ってニュースの流し読みを始めた。







 僕には妹が居た。カゲリという名前だった。


 カゲリは、生まれた時から身体が弱かった。ゴホゴホといつも咳をしていた。外には極力出ず、家の中で過ごす事が多かった。僕たち家族は『ToDoリスト』のテキスト通りに、彼女を根気強く看病していた。

 カゲリが病院へ通う頻度はどんどん多くなり、ついには入院することになった。両親はがむしゃらに働いてカゲリの治療費を稼いだ。僕も学校が終わると病院へ直行し、カゲリの世話をする日々が続いた。



 病室で二人きりの時、時折カゲリは、

 力なく笑って、たどたどしい口調で――



 「お兄ちゃん……、いつも、ゴメンね――」



 ――そんな事を、言っていた。




 

 ある日、僕は両親に病室の外へと呼び出される。

 両親は重い口を開き、カゲリの治療を中止せざる得ないと僕に告げた。

 

 これ以上続けても、カゲリが回復する見込みがない、と。

 僕や両親がカゲリの看病に消費している時間が、無駄になってしまう、と。


 そう、判断されたのだと。

 



 ――《クオンタム》の意思によって――







 臨終の時、両親は声を上げて泣いていた。

 僕は無表情のまま、目が閉じられている彼女の顔をジッと見つめた。



 ……カゲリの力ない笑顔も、両親の涙も、

 ソレが、『ナニ』の意思による行動なのか、僕には確かめる術が無かった。







 ――閑静な夜の住宅街を、コツコツ足音を響かせながら、一人歩く。


 ……今日も、『楽』な一日が終わったな――


 

  AIに選ばれた会社で雑務をこなし、

  AIに選ばれた彼女と夕食を共にし、

  AIに選ばれた街へ帰る――


 なんの不満も不安も無い、僕の人生。

 今日みたいな日が、一生繰り返されるだけ。


 そう、思っていた。


 ――『この瞬間』までは――






 ――ドンッ!


 誰も居ない『はず』の曲がり道から、

 突如現れた一人の女性と、

 僕の身体が、衝突する。



 ――えっ……?



 こんな出来事は今日の『ToDoリスト』に乗っていない。予定外の出来事に混乱する僕を尻目に、その女性は懇願するように僕にすり寄ってきた。



 「……お願い……、『助けて』――」




 ――はっ…?



 擦り寄るように僕に近づいてきた女性は、動けなくなってしまった僕の肩をわなわなと掴み、震える声で言葉をつづけた。



 「……『警備ロボット』に、追われているの……。お願い、一晩だけいいから、私を……、かくまって下さい……」



 ――警備ロボット……? 何、言ってるんだ……?



 「……そんな事、できるわけないだろ。あんたが何をしたのか知らないけど、『アンタをかくまう』なんて『タスク』、俺の『ToDoリスト』には乗ってない」



 体内に埋め込まれた『録音マイク』に言葉を拾われないよう――

 僕は彼女の耳元で、声を殺す様にそう呟いた。



 「……それは、わかってますけど、一晩だけ……、一晩だけでいいから……」


 「第一アンタをかくまったところで、俺の家に仕込まれている『webカメラ』でアンタの居所なんて一発でわかってしまうんだ、……無駄だよ。いいから、身体を離してくれ」


 「……それなら、大丈夫です。……一般的には公開されていない情報だけど、明日の朝まであらゆる『監視システム』がメンテナンスに入っていて、稼働していないの」



 ――なんだって……?

 この女、なんでそんなこと知って――


 

 僕を見つめる彼女の『顔』を、ふいに見つめた。

 その『顔』を見た僕の表情が、思考が、脳が――

 フリーズする。



 ――えっ……?



 はかなげで弱々しく光る、灰色の瞳、

 病的なほど透き通った、白い肌、

 小さな唇、丸い鼻、線の細い黒髪――


 彼女の顔を構築する、あらゆる『パーツ』が、



 ……カゲリ……?



 ――『妹』のソレに、そっくりだった。



  ――ビーーッ! ビーーッ! ビーーッ!――


 遠くから聞こえてきた、けたたましい警報音。

 彼女は何かに取り憑かれたように一瞬だけ後ろを振り向くと、すぐにまたこちらを向き直して、先ほどよりも早口に、まくし立てるように口を開いた。



 「お願いです……、もう、時間がないんです。お願い、一晩だけで……、いいからッ――」



 僕は呆けたように彼女の顔を見つめながら、

 ユラユラと身体を揺らされながら、

 こぼすように、呟いた。



 「……一晩だけだ」







 歩きなれた道、見慣れた風景、いつもは無意識に辿るその帰路を、僕は脱獄中の死刑囚みたいに、キョロキョロと挙動不審に辺りを見渡しながら慎重に歩みを進めた。


 我が城、――自宅マンションの二階の一室――、のドアを開け、『彼女』を押し込めるように部屋の中に入れると、バタン、とその扉を閉めた。



 ――脱力。

 僕はその場にヘナヘナと座り込んだ。

 

 恐怖、焦燥、不安――、

 緊張感のあるシチュエーションに慣れていなかった僕の神経は擦り切れてしまい、脳が速やかな休息を全身に命じた。



 「――お茶、淹れましょうか。……まさか、『客人をもてなす』なんて『タスク』……、あなたの『ToDoリスト』には書かれていないでしょう?」


 

 僕がこんな体たらくになってしまった元凶である『彼女』は、僕とは対照的に余裕の素振りで薄い笑顔を浮かべながら、勝手知ったように我が城のリビングに足を踏み入れていった。







 革製のソファーに深く腰を掛けて天を仰ぐ僕と、細長い木製のテーブル越しに相対する『彼女』。彼女は薄手のラグマットにちょこんと正座しながら、自身で淹れたインスタントコーヒーを遠慮がちにすすっていた。



 「……本当に、ありがとうございます。……なんて、お礼を言っていいのやら」


 「……さっきも言ったけど、『一晩だけ』だ。俺はすぐに寝るから、朝になったら適当に出て行ってくれ」


 僕はソファに腰を深く埋めたまま睨むように彼女を見ると、つっけんどんにそう言い放った。彼女は「ええ、ええ」と小さく呟きながら、ペコペコとしおらしくお辞儀を繰り返していた。



 ――それにしても……。 やっぱり、似ている――



 見れば見るほど、彼女は妹の『カゲリ』にそっくりだった。

 カゲリは成人を迎える前にこの世から去ってしまったが、カゲリが病気なんてかからずにスクスクと成長していったら、目の前に居る『彼女』のような立派な大人の女性になっていたのだろうか。



 「――あんた、何をしたんだ」



 ――関わり合う気なんて無かったのに、

 気づいたら、口が勝手に動いていた。


 彼女は僕の質問にはすぐには答えず、両手で抱えたコーヒーカップを黙ってジッと見つめていたが、やがて少しだけ逡巡しながらも口を開き始める。



 「――私は、《クオンタム》を開発したAI研究所、《オラクル》に勤める研究員です」



 僕は彼女の発言に素直に驚き、思わず目を丸くする。


 ――《オラクル》と言えばAI研究の第一線を走る政府公認の研究施設だ。《クオンタム》のお眼鏡にかなうような、ズバ抜けたIQを持つエリートだけが集まる特殊機関だと聞いたことがある。《オラクル》に勤めているということは、彼女はよほど優れた頭脳の持ち主なのだろう。



 「――先日、《オラクル》を逃げ出してきたんです」



 ――はっ……?



 彼女は、湯気の立つコーヒーをズズッと少しだけ啜りながら、とんでもない事を言ってのけた。



 「――数十年前、《クオンタム》が人類に提案した『人生のタスク化』……、一見完璧に思えたそのシステムにも、小さな綻びがありました」



 彼女はどこを見るでもなく、宙に目線を浮かべながら、ポツポツと語り始めた。

 気づけば僕は、前のめりの姿勢で彼女の声に耳を傾けていた。



 「――《レジスタント》の存在……、あなたも、知っていますよね。『AIによる人類の統治』に反対して、『人間は、自らの人生を自ら選択するものである』と、声高に主張する反政府集団……」



 ――聞いたことは、あった。

 たまにテロ行為だのデモ行為だのを行い、警備ロボットによって簡単に鎮圧されている哀れな連中…、くらいにしか印象が無いけど。



 「極々々々、少数……、ですが、《レジスタント》の存在が『ゼロ』にならない限り《クオンタム》による統治が『完璧』になったとは言えません。……そこで、《クオンタム》は次なる提案を《オラクル》に要請しました」



 そこまで言うと、彼女は思いつめたような表情のまま黙り込んでしまった。

 僕は前のめりの姿勢を崩さないまま、辛抱強く彼女の言葉を待った。



 「――全人類の『脳』に、『人口知能チップ』を埋め込む…、《AI・ヒューマン化計画 》……、《クオンタム》の提案は、人類が反逆など『思いつくことさえ』出来ないよう、その『意思』を思考レベルにまで徹底させるというアイディアでした」



 ――言いながら、彼女のコーヒーカップを持つ両手が僅かに震えているのが目に入った。

 かくいう僕も……、呼吸するのさえ忘れて、食い入るように彼女の声に耳を集中させている。



 「私は……、《クオンタム》の提案が『論理的には正しい』と頭では理解できていても……、何か、そこまですると『入ってはいけない領域に足を踏み入れている』ような……、言い知れない恐怖を感じて――」



 彼女の声は震えていた。

 僕はカラカラになった自分の喉を潤すため、冷めきったコーヒーをぐいっと一気に呑み干した。



 「――たまたま、同僚から《監視システム》がメンテナンスに入るという情報を聞きつけ、居ても立っても居られなくなり、……気づいたら研究所を飛び出していました」



 そこまで言うと、彼女はふぅーっと大きく息を吐き、憑き物が取れたみたいにさっぱりした顔を見せた。……よっぽど緊張を張り巡らせていたのだろうか、先ほど出会った時よりも少し若々しくさえ見える。



 「――これから、どうする気だ?」



 僕の問いに対して、『彼女』はあさっての方向を見ながら、困ったような顔で、自嘲気味に笑った。



 「……どうにも、ならないでしょうね。メンテナンスが終われば、私は『反逆者』として捕らえられるだけです」


 「……決して逃げられないとわかっていたのに、何故逃げたんだ?」


 「……何故、でしょう。 ……この話を、この『気持ち』を、誰でもいいから、聞いてもらいたかっただけかもしれません」



 ――なんだ、そりゃ……。



 およそ《オラクル》に勤める『エリート』の発言とは思えない。『どうにもならない』とわかっていながらもその選択をした彼女の『意図』が全く理解できず、僕は軽く目眩を覚えた。



 「――あなたは、どう思いますか?」



 ふと顔を上げると、

 能面のような無表情で、彼女がこっちを見ている。



 「『AI・ヒューマン化』計画――、恐ろしいとは思いませんか?」



 突然飛んできた質問に少しだけ呆気に取られながらも、

 僕は思いついた言葉をそのまま口に出す。



 「……別に、今だって、AIによって決められた『タスク』を消化しているだけなんだ。予め用意された『人生』を歩むのも、最初から『意思』が『支配』されているのも、さして変わりないんじゃないか……」



 ぶっきらぼうに言いやった僕の言葉に対し、

 彼女は能面のような無表情を崩さない。



 「……今まで、一度も無いですか?」


 「……何が?」


 「『AI』によって『決められた選択』をするのではなく……、自分の『意思』で何かを選びたいと思った事」


 「……」



 ……あるわけ、ないだろ――



 喉まで出かかったその言葉が、

 何かにつっかかったように、出てこない。


 能面のような無表情で僕を見つめる『彼女』の顔と、

 病室で見せたカゲリの、力無い『笑顔』が、


 ――重なる――







 「……一度、だけなら」


 「……それは、どんな時ですか?」



 能面のような無表情で、『カゲリ』そっくりな顔で、

 『彼女』は、食い入るように僕を見つめている。


 ――逃げられないな、と思った。


 

 見て見ぬ振りをしていた、

 気づかない振りをしていた、

 『対面』する事を恐れ、うやむやな気持ちのまま、ずっと『フタ』をしていた――


 一つの、『後悔』。

 

 


 「……妹が『居た』んだ。病弱な奴でさ…、ずっと寝たきりで、大人になる前に死んじまった………。 《クオンタム》は、妹を、『カゲリ』を見捨てたんだ。治る見込みの無い妹の治療を続けるよりも……、見限った方が合理的なんだと……」


 言葉が、止まらなかった。


 《クオンタム》の意思ではなく、

 自分の『意思』によって、

 吐き出され続ける『感情』。


 自制のリミッターが外れたように、僕は喋り続けた。



 「……俺は、決して治らないとわかっていても、自分達がやっていることが『無駄』になるとわかっていても――」


 

 気づけば、頬に何かが伝っていた。

 久しく『泣く』事なんてなかった僕は、

 それが『涙』だと認識することさえ出来なかった。



 「……カゲリに、生きてて欲しかったんだ――」



 だらしなく口を半開きにしながら、

 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、

 僕は、おもちゃを取り上げられた子供みたいに、泣きじゃくっていた。


 

 「――そう、ですか」



 能面のような無表情を崩さないまま、嗚咽を漏らし続ける僕をただ眺めながら、

 彼女は、ボソッとつぶやいた後に――、



 「『幾多 佑馬』さん」



 名乗っていないはずの、

 『僕の名前』を呼ぶ。




 「あなたを、《クオンタム》に反逆する意思がある『危険分子』だと見做し、連行します」







 ――えっ……?



 ガクリと、全身から力が抜けた。

 ボンヤリと、視界がまどろんだ。

 朦朧とする意識の中、能面のような無表情の彼女が――


 僕の事を、見下ろしていた。







 ――目が覚める。


 ボンヤリとした頭で、辺りを眺める。

 視界に飛び込んでくるのは、見渡す限りの『白』、『白』、『白』――


 どうやら自分は、一面が真っ白な壁で出来た四角いハコのような空間に閉じ込められているようだった。


 ――ふと、目の前に人が立っている事に気づく。


 はかなげで弱々しく光る、灰色の瞳、

 病的なほど透き通った、白い肌――



 「――カゲリ……?」



 妹にそっくりなその顔を見て、僕は思わず声を漏らす。

 真っ白なワンピースを身に纏った目の前の『女性』が、かぶりを振りながら、答える。



 「いいえ、ワタシはカゲリではありません。ワタシは、《クオンタム》のイシによってソウゾウされた、――《AI・ヒューマン》です」



 ―― AI・ヒューマン……?


 ……って、さっきの『彼女』が言っていた、人工知能チップが脳に埋め込まれた『AI人間』の事か………?

 ……というか、目の前にいる彼女は、さっきまで僕が話していた『彼女』とは別人なのか……?



 ――ダメだ、頭が、混乱する―――

 


 「『イクタ ユウマ』さん」



 混乱する僕の耳に飛び込んでくる、

 無機質で、抑揚の無い、機械のようなトーンの声。



 「あなたは、《タスク放棄罪》……、オヨび、《クオンタム反逆の意思》がカクニンされましたので、ここにレンコウされました」



 「……なんだって?」


 

 ボンヤリと、どこか夢見心地だった僕の脳みそが、

 その『ワード』が聞こえたのをきっかけに、

 全神経に、『覚醒』を命じる。



 「……《タスク放棄罪》……? ふざけるな! 俺は今まで、毎日、三百六十五日、いついかなる時だって、『ToDoリスト』に従って生きてきた! ……妹が死んだ時だってそうだ! 俺は……、《クオンタム》の意思に従って、カゲリを見殺しにした!」


 「いいえ、あなたは『ToDoリスト』にはナいはずの――、『ジョセイをカクマう』というコウイをオコナいました」


 「――ッ!」


 「それに、そのジョセイにタイして、あなたは、『《クオンタム》イシではナく、ジブンのイシによってジンセイをセンタクしたいとオモったコトがある』と、はっきりとダンゲンしました」


 「……それはっ、そう、思ったことがあるってだけで、何も、《クオンタム》に反抗したいとか、思ったわけじゃ――」


 「いいえ、イチドでも、『そうオモったことがある』とハツゲンしたジテンで、『ハンギャクのイシ』をモっているとミナされます」


 「……そんな――」



 《AI・ヒューマン》を名乗った、カゲリそっくりな顔の彼女は、

 二の句が継げずにぱくぱくと口を動かしているだけの僕に向かって――



 「『イクタ ユウマ』さん。《タスク放棄罪》にテイショクするコウイをオコナったあなたを、《クオンタム》のイシにハンする、『キケンブンシ』とミナし――」



 無機質で、

 抑揚の無い、

 機械のようなトーンの声で――



 「《自由の刑》に、ショします」



 ――僕に、『審判』を下した。






 ……自由の、刑――



 「――あなたは、『ジユウ』です。あなたには、コンゴイッサイ『ToDoリスト』がオクられません。どこへイこうが、ナニをしようが、スベては、『ジブンのイシ』でキめるコトがデキます。《クオンタムのイシ》ではなく、《ジブンのイシ》で、ミズからのジンセイをアユんでクダさい」



 ――ウィーーーン……



 仰々しい機械音と共に、

 一枚の『白い壁』が大きく開け放たれ、

 外の世界が、広がった。

 


 ――『自由』――



 彼女の言ったその言葉が、グルグルと僕の頭を巡る。


 僕は、開け放たれた外の世界をボンヤリと見つめて、

 ポカンと、バカみたいに口を開けながら、

 一歩も動く事が出来ずに、ただ、立ち尽くしていた。







 「――イヤだ……」



 声が、漏れ出る。



 「……イヤだ…、『自由』なんて……、まっぴらごめんだ!」



 弾けるような声を上げた僕は、

 すがるように『彼女』に駆け寄り、

 『彼女』の肩をおおきく揺さぶりながら、ツバをまきちらしながら、喚いた。


 「……頼む、『チャンス』をくれ……、《クオンタム》の意思には二度と逆らわない、『ToDoリスト』を破ることも絶対にしない!」


 「ダメです、イチド、クダされたシンパンは、ニドとクツガエるコトはありません」


 「……クソッ、――そうだ、何なら、俺の脳に『人工知能チップ』を埋め込んだっていい。それならいいだろう?」


 「ダメです、《AI・ヒューマン化計画 》は、まだジッケンダンカイです」


 「……イヤだ、勘弁してくれ……、『自由』だけは……、絶対に『嫌』だ!!」



 子供のように駄々をこねる僕を、

 カゲリの顔そっくりの『彼女』が、能面のような無表情で、ただ見つめる。


 僕は何かにすがるように、彼女の白いワンピースをギュッと握りしめながら、

 ガクリと、膝から崩れ落ちた。



 「――からない……」



 声が、漏れ出る。



 「わからない……、なぁ、カゲリ、俺は、どうしたらいい……?」


 

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった僕の顔を、

 カゲリの顔そっくりの『彼女』が、能面のような無表情で、ただ見つめる。



 「今から、どこへ向かえばいい? 腹が減ったら、何を食えばいい? 喉が渇いたら、何を飲めばいい? 誰と会って、何を喋ればいい? 明日、どんな服を着ればいい? 何に感動して、何に怒ればいい? ……これから、『何』を目的に、生きていけばいい……?」



 言葉と、涙が、止まらなかった。

 すがるように、懇願するように、

 白いワンピースを握りしめながら、ぐしゃぐしゃになった顔を『彼女』に向けた。



 「……なぁ、カゲリ、黙ってないで、教えてくれよ、……俺はこれから、どう生きればいい……?」



 カゲリの顔そっくりの『彼女』が、

 能面のような無表情で僕の事を一瞥しながら、

 そっと、口を開き――



 抑揚の無いトーンで、こぼすように言った。

 






 「ソレくらい、ジブンでカンガえろ」







 ―fin―

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【短編】FREEDOM × HELL ―全てがタスク化された世界で― 音乃色助 @nakamuraya

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