倫理的シンギュラリティ

御坂稜星

倫理的シンギュラリティ

「まったくよお、なんで俺たちがやんなきゃいけねえんだよ、こんな――」

 くっそだるい任務、と緑色の木箱に座ったカルロスが欠伸あくび混じりにぼやく。

 彼の視線の先ではほとんどホームレスと大差ない小汚ない身なりの男たち十人ほどが、長いパイプの先に金属製の円盤のついた機械を剥き出しの地面にかざしたり、額に汗しつつ腹這いのまま慎重に土を掘り起こしたりしている。

 時刻は午前十時を少し過ぎている。どこか白っぽい快晴の空から降り注ぐ四月の陽差しは土色ベースの迷彩服の背中に心地よく、早めの昼寝をするにはうってつけだ。

 といっても今僕たちがいるこの場所にそんな呑気な光景は似つかわしくない。

 男たちが立ち働く一角はぐるりと有刺鉄線に囲われ、白色の髑髏どくろと白骨のクロス、〝DANGER MINES〟の文字が描かれた赤い逆三角形の看板が等間隔に並ぶ。見紛う事なき地雷原だ。

 ここのところの僕たちの任務は、地雷原で地雷撤去作業に従事する彼らを、当然ながらフェンスの外から見守る事。見守るというと聞こえはいいが、やっている事は実質監視と相違ない。

「そうだね」

 カルロスの隣に立つ僕は、いつもと同じ気のない返事で応じる。

 今は二十二世紀だ。昔と違って地雷撤去くらい専用の機械を投入したほうが時間も手間も省ける。にもかかわらず前時代的な手作業で行なうのには、もちろんそうするのが適当とお偉いさんが判断したからでもあるが、実のところ自業自得という側面が大きい。

 五年前、反乱があった。当時僕もカルロスもこの国の正規軍の一員で反乱沙汰に関わるつもりは毛頭なかったのだが、それでも自分たちを殺そうとする相手が目の前にいれば戦うしかない。

 戦火は三年続き、二年前に一応の決着はついた。彼らは敗け、僕たちは勝った。

 現在この地に埋まっているあらゆる種類の地雷は彼らが無差別に撒いたものだ。だから彼らは自分で自分の尻拭いをしている事になる。

 任務に就く時、僕たちは必ず武器を携行していく。それは言わずもがな作業を妨害しようとする輩から彼らを守るためではなく、あくまで自衛のためだ。

 彼らは戦争捕虜だ。武器を取り上げられ誇りと尊厳を失っても、いつなんどき反旗を翻すかわからない。もちろん脱走を試みようものなら躊躇なく撃てる許可が僕たちには与えられている。

 とはいえ今のところは平和だ。暇を持て余したカルロスが肩に立てかけた自動小銃を意味もなく弄り始める。

 刹那、十五メートルほど先、有刺鉄線の左の角辺りで爆発が起きた。

 土が茶色い柱のように縦に高く伸び、やがて重力に負けて落ちていくのがよく見えた。一瞬の出来事だったが、土の柱の中に土とは明らかに違う歪で大きな破片がいくつも混じっていた。

「あーあ、相変わらず脆いよなあ。ありゃまた衛生部が文句を垂れるぜ」

 カルロスは自動小銃を弄ぶ手を止めずに言った。

 やや差別めいた発言だが、僕自身もそう思わない事もない。僕たちと彼らは違う。僕たちは彼らよりずっと頑丈にできている。

 爆心地付近から有刺鉄線の外側を同じ迷彩服を着た兵士がひとり走ってくるのが見えた。僕たちの逆側から彼らを監視していた班のメンバー。どうやら左の腕と足を負傷しているらしい。やたらぎくしゃくとしたリズムで動くその姿はどうにも滑稽だが、同様にその姿を認めたらしいカルロスの顔に緊張が走るのが見てとれた。

「すみません隊長。至近距離で破片が飛んできて――」

「大丈夫か伍長」言わんとしている事はわかるので僕は途中で遮った。「まだ動けるか」

「はい」

「ならトラックで先に基地へ戻れ。うちの班から運転手を出してやる――ノートン!」

 僕が背後へ身振りすると、右手の程近い木立の下にたむろっていた数人の兵士のうち、名前を呼ばれた仲間が少し離れた狭い森へ駆け足で向かい、森のきわに停められた屋根のない兵員トラックの運転席に登ってエンジンをかけた。日陰になっているそこを僕たちは駐車場代わりにしている。

 伍長はほっとした表情を浮かべ、無事なほうの手でヘルメットの端を掴んで会釈するとトラックを目指してまた走り始めた。

 横を通り過ぎる時、僕は彼の傷の具合を観察した。腕のほうは軽傷で、服に穴が開いていたがせいぜい軽く皮膚がめくれる程度のものだ。

 ただ足はそうはいかない。ふくらはぎから股関節近くまで素肌が露出し、鈍いガンメタル色の骨とそれを包む蛍光ブルーに発光する筋組織が破れた皮膚の所々に見受けられた。良くないのが筋肉の何本かがちぎれて花びらのように外側へ反り、足を踏み出す度バネのように上下に揺れているふくらはぎの裂傷だ。あれは衛生兵メディックの手に余る。

 腕と足両方の傷周辺の迷彩服がぐっしょり濡れて色が濃くなっていた。傷から流れ出た透明な血液のせいだ。

 もっとも対人地雷で僕たちを殺す事はできない。大型地雷なら話は別だが、彼らは人間で僕たちはアンドロイドぼくたちだ。

「ラボ送りか。俺あそこ嫌いなんだよあ」

 木箱に座ったまま伍長の背中を見送るカルロスがため息とともにつぶやく。

「代わりに衛生部員を連れて戻ってくるんじゃないかな」

「そりゃないだろ。奴ら臆病だからな、いくら死体が転がってても少なくともここら一帯の地雷が全部なくなるまでは、仕事する気にならないんじゃないか」

 ジョークのつもりだった僕の言葉をカルロスはばっさり否定する。あまり面白くはないが、隊の副官であるカルロスとはいつもこんな感じだ。

「ところで記録係、さっきの爆発はちゃんと撮れてるか?」

 僕はカルロスの左後ろに立つ兵士に問いかけた。カルロスが自分のすぐ横にあるテレビカメラの載った黒い三脚を指で弾く。

「ええ、もちろんですよ隊長。ばっちりです」

 カメラの折り畳み式液晶画面から目をはずさず記録係はにやりと笑う。恐らく件のシーンをそれで確めているのだろう。

 なんとも悪趣味な事夥しいが、映像記録を残す意味は二つある。ひとつは言うまでもなく検証可能な任務の一部始終の記録として。もうひとつはこの国のみならず、五年前より以前と同じく地球の主人は変わらず自分たちだと信じて未だ世界中で反抗を続ける人間たちへの確固たるメッセージとして。

 今日ここで撮影された映像も夜にはプロパガンダよろしく動画投稿サイト上の司令部公式アカウントにアップロードされるに違いない。広報部の手の早さは軍内でも定評がある。

 いつの間にか遠くに間の抜けた白い雲が浮かんでいた。後方でトラックが発進するのが音でわかった。エンジン音が遠ざかり地雷原にゆるく風が吹き始める。彼らは自身に似せて僕たちを作った。だから僕たちにも生存本能はある。僕たちを邪険にしなければ、僕たちも彼らと敵対する事はなかったかもしれない。

 傍らのカルロスが大欠伸をする。少し休憩しようかと僕も思う。夜明け近くから働いている捕虜たちにもそろそろ休息が必要だ。ひとり欠けてしまったが、早ければ明日にでも収容所から補充がやってくるだろう。

 地雷原はまだまだあちこちにある。そういうわけで彼らには仕事がたっぷり用意されている。

 任を解かれるまで僕たちは彼らを見守る。


〈了〉

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倫理的シンギュラリティ 御坂稜星 @msakarsay2236

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