第6話 最終話


 天満駅から少し天六の方へ行った小さな飲み屋が集まる密集地帯の一軒の暖簾を僕達はくぐった。

 中はうなぎの寝床の様に細長くなっているが、壁の左側がほぼ厨房になっていてそれに沿ってカウンター席があり、その一つに僕達は座った。まだ昼間だが繁盛しているのか客は大入りだった。

 ビールを頼むと出されたおしぼりで顔の汗を拭き、そして僕は彼の方を見た。

「じゃ・・前のソファで雑誌を読んでいた柔道の雑誌を見ていた男が・・刑事だったわけだ」

 彼はコクリと頷いた。

「そうなのですよ。しかし張り込む刑事があんまりにも古い雑誌を読むなんて・・もし少しでもあの禿げ頭の男が用心深くて知恵のある男だったら・・僕の側にいる男が古い雑誌絵を読んでいると思ったら、もしかしたら張り込まれていて、そいつが刑事だなんて分かりそうになるものではないですかね?・・だから田中さん、僕は不機嫌になったのです」

(そうか)と僕は心の中で頷く。

 確かに、まぁ囮といえば、彼はその囮だった。図書館と言う海に蒔かれた餌だろうし、当然それを食しに来るのは獰猛な巨大魚だったわけで、そうなれば彼自身の心を思えばまぁ余命と言えば大げさかもしれないがいくばくもない状態だっただろう。

そうこうしているうちにビールが運ばれて来た。それを僕達は手に取ると無言でグラスを合わせた。

 喉を過ぎてゆくビールの味がとても心地よかった。

「もう一つ聞くけど、どうしてあの傘が仕込みだなんていつ分かった?」

「ああ、それですか・・」

 彼は口元についたビールの泡を舌でぺろりと舐めるとグラスをテーブルに置いた。

「大正駅に着いた降りた時、小雨が降ったと言ったでしょう?」

「うん」

 相槌を打つ。

「僕は雨が降り出したものだから傘を開こうとしたのです。そしたら先程の図書館の様に傘が一向に開かないじゃないですか。それでおかしいなと思うのと降り出した雨と、それに友人との待ち合わせに遅れたのもあって苛立ちが募ってしまって、この野郎って気持ちで思わず傘の先で力任せに地面を叩いたのです。その時ですよ、傘の握りが急に浮かび上がった感じがして・・」

 僕は無言で彼の表情を見ていた。彼は喉が渇いたのかそこで一気にビールを飲んだ。

「何かが落ちて来たのです。小さな錠剤の様なカプセルがね・・」

 僕もそこでビールに口をつけた。何とも言えない苦みが口中に広がると直ぐに喉を過ぎて消えて行った。

「僕は急いでそいつを拾ったのです。それで完全にこの傘が何かとても犯罪の道具の様な匂いを感じたのです。だから僕は急いで大正駅の駅長室に向かい、何か京橋駅で傘の忘れ物の連絡がないか聞いてみたら、案の定、その連絡があった。駅長が預かりましょうか?と言ったのだけど、僕はその傘を渡しはしなかった・・」

 「どうして・・?とても危険な話じゃないか・・一歩間違えたら・・」

 彼は首を振った。

「そう、確かに・・田中さんの言う通りです、だけど実はですね。僕がその日の日曜日に会うと言っていた友人は・・実は警察に努めている友人なのですよ」

「ええ?そうなの?そんな偶然があるのかい?」

 彼も不思議そうな目で僕を見ていた。

「あるのでしょうね。そうとしか言いようがないですよ。だって今日も図書館で田中さんに会ったのも偶然じゃないですか。偶然と言う何か必然ともいうべきルーレットの上を僕達はまるで生きているみたいなものでしょうね。そう・・あの禿げ頭の男もね。あの男、きっと今頃刑事にとっ掴まっているでしょうね。図書館にはあの体躯の良い蟹股の刑事以外にも数人いましたから・・」

「しかし・・それでも危険だよ」

 僕は彼に言った。

 そう言った時、彼の携帯が鳴った。鳴り出した携帯を手に取ると、席を外した。

 その電話が恐らく警察からだと僕は思い、彼が戻って来るまで静かにビールを飲んだ。

 彼が戻ってくると、果たして警察だったようで、何も言わずに座ると僕に目で答えた。

「終わったようです」

 僕はそれを聞いてビールを一気に飲み干した。そして彼の方を見て言った。

「どう、四十川君、ビールをもう一杯飲まないか?この物語、とても面白かった。完全に僕の負けだ。今日はおごるよ」

 それを聞くと彼は満面の笑顔を見せたが、しかし手を大きく振った。

「いやいや、やはりここは僕がおごります。だってこうした謝礼も入ったのだし」

そこで一つ彼は咳をした。

「やはり・・僕はダークホースでしたね?」

 僕も彼に釣られるように笑顔で聞いた。

「どうしてそう思うのかい?」

 彼はそこで手を上げて店の子を呼んだ。

 彼の上げた手を見て、店の子がこちらにやって来るまでの数秒、彼は僕に言った。

「だってあの禿げ頭、まさか警察じゃなく、一般市民の僕の罠に掴まったわけでしょう。それこそあの男から見れば、僕はダークホースだったわけでしょうから」

 

 これは後で聞いたのだが、あの男を捕まえる為に自分が囮になると警察の友人に話を持ち掛けたのは、彼、四十川の方だった。

 全ては彼のアイデアによるもので、そして、その一年後の夏、彼はとても良い内容の推理小説を書き、その年の暮れに、大きな賞を獲った。 

 不思議なことだが、その時の彼の賞の獲り方は、誰にも期待されていな新人で、まさにそれこそ文学界のダークホースともいうべき存在の扱いだった。


(終わり) 

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ダークホース 日南田 ウヲ @hinatauwo

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