第13話「すごいんだよ」

「おばあちゃん!?」

 

 サヤさんが驚きの声を上げ、嬉しそうに老婆に抱きついた。

 

「言ってくれれば迎えに行ったのに!急にどうしたの?」

 

 普段からは想像もできない、子供のような笑顔を浮かべるサヤさん。

 

「ほっほっほ、少し驚かせてみたくてね」

 

 慈愛に満ちた微笑みで、老婆はサヤさんの髪を梳くように撫でた。

 老婆の手に目を細めるサヤさんはいつもの美しいから、可愛いに変わっている。何年も時を戻したかのような、少女の顔だ。

 

「あ、あの、サヤさん……?」

 

 もう少しサヤさんの普段見れない顔を見ていたかったが、さすがに状況についていけなかったため、そう声をかけた。

 サヤさんはその声にハッと我に返ると、俺の方を向いた。

 

「す、すみません、えっと、おばあちゃんです」

 

 慌てたサヤさんが、俺に老婆を紹介するが、ほとんど情報が更新されていない。

 

「あ、正確には私と香菜とレイちゃんの祖母です」

 

 どうしよう、情報は更新されたが、余計状況についていけなくなった。

 そもそも、サヤさん、カナ、レイの三人は姉妹ではあるが血縁関係はなかったはずだ。

 しかし、三人の共通の祖母がいるということは、家族関係としてはいとこにあたる。つまり、三人は親戚同士。

 

「――――ということですか?」

「いえ、全然違います」

 

 考えついたことをサヤさんに確認すると、ためらいなく首を振られた。

 

「なにわちゃわちゃやっとるん?」

 

 俺たちがなかなか戻らなかったことを気にしたのか、食堂からカナが顔を出した。その後ろには、レイもいる。

 二人は、怪訝そうに俺、老婆、サヤさんの順で見てから、もう一度老婆を見た。

 

「ばぁちゃん!?」「おばあちゃん!」

 

 見事なハモリでサヤさんと同じ反応をしないで欲しい。何一つ話が進まないじゃないか。

 

「なぁ、この人何者なんだ?」

 

 サヤさんのように駆け寄られて、また状況に置いてけぼりをくらうのは避けたいので、俺はカナを引き止めるようにそう聞いた。

 するとカナは、「あ、そっか」となにやら納得したように言ってから、

 

「ばぁちゃんはな、身寄りないうちらを拾ってくれて、この宿を開くためのを助けてくれた、『月光』真のオーナーってとこやな」

「この宿を開く前の二年間、つまり今から三年前におばあちゃんに拾われて、いろいろ面倒見てくれたの」

 

 カナとレイの言葉に、俺はようやく納得する。

 確かに、それならサヤさん、カナ、レイの三人の祖母だ。

 三人がどういう経緯で拾われることになったのかはわからないが、そこは深く詮索しなくてもいいだろう。俺もレイ以外には過去を隠してる身なのだから。

 拾われた、ということは無一文であることは確かだ。こんな立派な建物で宿を開く余裕があれば、身寄りがなくてもやっていける。

 

「ジンを雇うのを決めたのは紗綾姉だけど、実質雇ってるのはおばあちゃん。つまり、失礼なことしたらクビ飛ぶと思うよ?」

「!?」

「いや、さすがにそれはないと思うで」

 

 レイの冗談を真に受けて驚いた俺に、カナは「大丈夫、大丈夫」と苦笑いを浮かべる。

 

「ほっほっほ、賑やかになったねぇ」

 

 そんな俺たちのやり取りを見て、老婆はおかしそうにクスクスと笑った。元々の皺がさらに深くなるような笑い皺が浮かぶ笑顔は、歳に関係なく愛らしい印象を受ける。

 

「とりあえず、ここじゃ落ち着かないから食堂に行こ。何か作るよ」

 

 老婆から離れたサヤさんにそう提案され、俺たちは場所を食堂へと移した。

 席は先程のカウンター席から四人がけのテーブル席へと変わり、サヤさんはなにやら厨房の方で料理を、俺たちはカナが新しく入れてくれたアッサムミルクティーを飲みながら、椅子に腰を落ち着けていた。

 

「お前さんが新しい店員のジン君だね。元気になってよかったよ」

 

 遥か年上から君付けで呼ばれるというのは不思議な感じがしたが、「ありがとうございます」と会釈を返しておく。

 

「そういえば、ジンさんの傷治してくれたんばぁちゃんやで?」

 

 新たな一口を飲もうとしていた俺は、カナの一言にカップを取り落としそうになるほど動揺した。

 

「あんなに死にかけの人がいたら見過ごせないよ。ここに来ているときで本当によかった」

 

 そこから、厨房で料理をするサヤさんと俺を除いた三人が、まるで思い出話のように俺がこの宿に来た時の話を始めた。

 あの日、ボロボロの俺が這ってたどり着いた路地裏で、たまたま通りかかったサヤさんに見つけてもらい、ほとんど引きづられるようにして、俺はこの建物に連れてこられた。その時のことは、レイに俺の殺しの道具を見つけ隠したという話をされた時に、ある程度聞いて知っていた。

 その後の話は俺の初めて聞く内容だった。

 連れてこられた俺は、幸い宿泊客が全員部屋に戻り、食堂での夜の営業が終わった後だったため、大きな騒ぎにはならず、奥の部屋――――現在の俺の部屋――――に連れていかれた。

 そこで手当を受けたそうなのだが、ずっと疑問に思っていた。なぜ、あそこまでの傷を負いながら生きていたのか。体内の臓器でさえイカれて機能しなくなるような傷だった。たとえ、世界に名を轟かせるような偉大な医者であっても、死の宣告をしただろう。とてもじゃないが、ただの宿の店員が手当をしたところで、行き着く結果は変わらないはずなのだ。

 しかしそこには、この宿で働いている三人の他に、もう一人いたのだ。

 それが、この老婆。

 

「おばあちゃんすごいんだよ。ジンの傷を見るなり、ぱぱぱーっと命に関わる傷は治しちゃったんだもん」

 

 まるで自分の功績とでも言いたげなほど自慢げなレイにそう言われたが、肝心なぱぱぱーの部分がわからなかった。

 けれど、話を聞く限り俺を死の淵から救ってくれたのは目の前の老婆で、それなら当然俺の傷のことを知っているのは当然だ。

 だから、俺は立ち上がって老婆に頭を下げた。

 自分の命は、あの時一度諦めた。痛みなくこの世を去れるだけいいとさえ思った。だが、結果として俺は救われ、感謝を述べるべき相手が今目の前にいる。

 それならば、迷いなく感謝する。それが当たり前のことだ。

 ありがとうございました。短い言葉ではあるが、俺は心の中の全ての重みをかけて、その言葉を深く下げた頭と共に老婆に述べた。

 

「いいんじゃよ、助けることのできる人がそこにいるなら、それを救わない道理はない。それに、こうして孫たちの店で働いてくれる、なによりの恩返しをもうもらってるからね」

 

 柔らかな笑みでそう投げかけられた言葉は、老婆が善意の塊であることを示す言葉であった。しかし、それと同時に俺の心の中の何かが、チクリと刺されたような気がした。

 それがなんであるかを考える暇もなく、サヤさんが厨房から盆を手に現れた。

 

「さ、まだお昼前だけど」

 

 そう言ってサヤさんは、盆に乗っていた小さなカップ型の陶器をそれぞれの前に置いていく。

 立っていた俺が座る頃には、花柄の陶器と小さな木匙が全員に配られていた。陶器はさほど大きくない、両手で覆えてしまう程だ。同じく花柄の蓋がされており中身は見えないが、持ってみるとじんわりと暖かく、ずっと持っていると熱いと感じてしまう。

 

「茶碗蒸しかい?紗綾の茶碗蒸しは、優しい味わいで好きだよ」

 

 老婆の言葉に、サヤさんは照れたような笑みを浮かべる。

 俺は、陶器に被せられた蓋を摘むと、ゆっくりと取り払った。

 小さな湯気が、薄く引き伸ばされるように上がる。ふわりと味がしそうなほどしっかりとした香りが立ち上り、陶器の中から顔を覗かせたのは、乳白色の柔らかな艶のある食べ物だった。

 俺は他の四人が動くのを待ってから、まるで惹き付けられるように匙を取り、ゆっくりと中身を掬ってみた。

 液体と固体の中間にあるかのような雲のような感触。それでいて、しっかりとした存在感は感じる硬さ。一口大に切り出された乳白色の塊を口に近づけてみると、さらに強く、それでいて主張しすぎない香りが鼻をくすぐる。

 口の中に入れてみると香りはさらに確かなものとなり、出汁と優しい口当たりが生み出す、故郷へと帰ったかのような懐かしさのある旨みが脳へと駆け上がる。

 上から下へと流れ落ちる滝のように。でも、滝のように激しくなく、ゆっくりと落ちていくように胃へと下っていったのを感じてから、俺はたまらずもう一掬い。

 しかし、今度匙に乗っていたのは、乳白色の塊だけではなかった。

 小さな肉。口の中に入れてみて、それが鶏の肉であることを知る。

 筋の繊維が柔らかくなった肉は、乳白色の塊が生み出す香りに背を押される形で、まるで一等級の高級肉であるかのような輝いた旨みを振りまいた。

 次の一掬いについてきたのは白い練り物、かまぼこだ。

 醤油を武器にして戦っていたイメージの強いかまぼこであったが、あたたかな乳白色の海に抱かれ、独特な食感を武器に自分の存在を示している。

 その後も、海老、シイタケ、三つ葉にほうれん草、さまざまな具材が現れ、いつも以上の存在感で喉の向こうへと消えていく。

 そうして、最後に乳白色の塊だけとなった陶器の中を見て、俺は具材たちが身を預けていた乳白色の海の正体を知る。

 舞台だ。これは舞台なんだ。

 具材たちが自分の実力を示せる、いや、自分の実力以上を示すことのできる、完璧に設計された舞台だ。

 名脇役として賞を得れるほどの味わい。初めはそう思った。

 しかし、名脇役は主役を際立たせるものであり、差し伸べる手は全て主役に向けてのものだ。

 舞台は違う。全てのものに、平等にスポットライトを当て、平等に注目の機会を与える。

 だからこそ舞台なのだ。どの具材にも、平等に旨味を示す機会を与えている。

 最後の一口を飲み込んだ俺は、若干の物足りなさと物足りなさがあるからこそ生まれる余韻を楽しんでいた。

 すると、まだ匙を手に持ったままのサヤさんが思い出したように口を開いた。

 

「そういえばおばあちゃん、今日はどうしたの?」

 

 サヤさんの問いに、カナとレイも匙を口に運ぶのをやめ、老婆を見た。

 当の老婆は、口の中で転がすように味を楽しんでからそれを飲み込み、ゆっくりと、

 

「今日はね、お祝いに来たんじゃよ」

「お祝い?」

「そう、明後日でこの宿が初めてちょうど一年じゃろ?少し早いが、お祝いをしておこうと思ったんじゃよ」

 

 そういえば、以前もうすぐ一周年だとカナが言っていたのを思い出す。それを迎える日が迫っているのだろう。

 

「ばぁちゃんはどっちかっていうと、祝われる側やと思うけどなぁ」

「いや、この宿の経営にわしは一切手を出してないよ。ここまで繁盛させて、一年もこの街で商売を出来ているのは、他の誰でもなくここにいる紗綾、香菜、レイ、可愛い三人の孫と、ジン君のおかげじゃよ」

 

 微笑みながら歌うような老婆の言葉に、照れた笑いが広がる。

 

「少ないけど、この宿の設備を新しくしようと思ってね。ジン君、後で手伝ってくれるかい?」

「はい、もちろん」

 

 老婆にまっすぐと見つめられ、俺は小さく笑いながら頷いた。

 何をするのかはわからないが、俺もこの宿を祝う側な気がした。だから、断る理由なんてなかった。

 しかし、俺の視線と老婆の視線が直線に交わった時、俺は心の中に抱えている何かを、老婆に見透かされているような気がした。

 居心地の悪さを覚え、多少不自然だったかもしれないが視線を逸した。

 その何かの正体は、本人である俺はわかっていない。

 

 でも、それが良いものであるとは思えなかったから。

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月夜にいらっしゃい 〜血まみれの人生から、宿屋のバイトになってみました〜 三木 @mitsuki_ryuuga

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