第12話「おばあちゃん」

 最近、気になることがある。

 重要と言えば重要だが、重要でないといえば重要じゃない。

 だが、気になるものは気になってしまう。

 それは、『月光』の不思議な道具たちだ。

 『月光』は四階建てのように見えるが、実は地下にもう一階存在する。そして、不思議な道具たちのほとんどが、その地下に置かれている。

 まずは、火。

 普通であれば、料理をするのも湯を沸かすのも、薪を並べて火を起こす必要があるが、『月光』では料理に使う火はガスコンロから、湯を沸かすのにはボイラーという道具を使って、すぐに手に入れることができる。

 次に、水。

 本来、井戸まで水を汲みに行かなければならないのだが、『月光』の建物の中では、蛇口を捻るだけで済むし、トイレを流すことでさえ脇にある金具を捻れば完了する。

 最後に最も不思議な、デンキというもの。

 これは、よくわからないが見えない力のようなものらしい。

 食堂や客室の照明はランタンを使用しているが、厨房や裏の部屋、地下などはデンキの力を借りた照明を使っている。レイゾウコという、常に仲が冷たく保たれ、食材を保管している箱も、デンキを使っているのだそうだ。

 その他にも、見たことのない調理器具や食材など、不思議なものが『月光』にはたくさんある。

 しかし、気になってはいても、理解できないことは仕方ない。

 俺は疑問を、いつものように頭の隅に押し込むと、任された仕事に取り掛かった。

 朝食の営業を終え、仕事に向かう客たちを見送ってから、掃除を始める。

 カナとレイは客室へ、サヤさんは朝食の片付けを、そして俺は玄関の掃除だ。

 一通り床を箒で掃いたあと、カウンターを布巾で拭いていく。働き始めた頃は、一分おきにレイにダメ出しされていたが、今は掃除をしてからダメ出しされる。結局ダメ出しされているが、ダメ出しの数は日々減っていっている。

 カウンターを拭いた布巾を、バケツに入れた水で洗ってから、掃除道具を片付けて掃除完了だ。

 俺が掃除道具を持って立ち上がると、上の階からカナとレイが降りてきた。相変わらず、仕事が早い。

 

「お、ジンさんおつかれー」

「終わった?」

「あぁ、ちょうど終わったところだ」

 

 俺の掃除の出来のチェックは、毎回カナかレイのどちらかがやってくれる。

 今日はカナのようで、腕を組みながら入念に玄関を見始めた。

 カナもレイも、年下ではあるが仕事に関しては先輩のため、チェックされる時はどうしても緊張してしまう。


「んー、よく掃除できとるなー」

「香菜姉、よく探して。あれできないじゃん」

「せやな。何がなんでもケチつけんとな」

「いや、なぜそうなる」

 

 聞き捨てならない言葉が聞こえ、俺は半目で二人を見る。

 軽やかに笑って誤魔化すカナは、玄関に一つだけある窓の前に近づいた。

 窓の桟の下部分を指でなぞり、指先を確認する。

 だが、そこは昨日レイに注意されたため、しっかりと拭いているのだ。

 そのため、汚れのついていない指を見て、カナは「ほー」と感心した声を上げた。

 しかし、今度は桟の横の部分をなぞった。

 

「おやおやおや」

 

 残念ながら、そこまで拭いてはいなかったため、カナの指先には薄く埃が付いていた。

 

「ジンさん、まだまだツメが甘いのではなくって?」

「そんなんでうちに嫁ごうなんて、百年早いですわよ」

 

 しめしめと意地悪な笑みを浮かべて言うカナとレイに、俺は言葉を詰まらせる。てか、嫁ぐ気なんてないわ。

 

「コラっ」

 

 俺が布巾で窓の桟の横を拭き直していると、そんな声と共にサヤさんが現れた。

 

「姑みたいなこと言って、ジンさんをいじめちゃダメじゃない」

「あはは、ごめんて。レイがやろう言い始めてなー」

「一番最初に、姑みたいなことしてみたいって言ったのは香菜姉」

「どっちでもいいから。早く片付けてきて」

「「はーい」」

 

 サヤさんに言われ、二人は掃除道具をまとめて裏へと歩いていった。「ついでだから」と言って、カナが俺の掃除道具も片付けてくれる。

 

「すみません。あの子たちの変な遊びに付き合わせちゃって」

「いえ、なんだかんだでおもしろいので」

 

 そんなやり取りをしながら、俺とサヤさんは食堂へと場所を移した。

 

「少し休憩にしましょっか」

 

 サヤさんにそう言われ、俺は「そうですね」と返してからカウンターの席についた。

 厨房に回ったサヤさんは、沸かしていた湯をポットに注ぐ。

 

「では、問題です」

 

 突然飛んできた言葉に、俺は顔を上げてカップを用意するサヤさんを見た。

 

「寒いなー、と思った時に飲む紅茶はなんでしょう」

 

 寒いと思った時に飲む紅茶?

 ホットの紅茶と答えかけた俺は、「紅茶の種類で答えてくださいね」というサヤさんの条件に口を閉じた。

 そもそも俺は、紅茶の種類をほとんど知らない。

 いつも出てくる紅茶がダージリンということは知ってるが、それが寒いと関係があるかと聞かれると、そうは思えなかった。

 

「アッサムティーやろ?」

 

 俺が答えに窮していると、食堂に入ってきたカナがそう答えた。

 

「なんでだ?」

「寒いと『あ、寒』って言っちゃうからだよ」

 

 続いて入ってきたレイの言葉に、俺は「なるほど」と納得する。

 

「正解!というわけで、アッサムミルクティーをどうぞ」

 

 楽しそうに笑いながら、サヤさんはカウンター越しに三つのカップを置いた。

 赤みがかったミルクが入っている。紅茶とミルクを混ぜているのか。

 カナとレイが俺を挟むように席に座り、俺たちはカップをそれぞれ手に取る。カウンターの向こう側でも、サヤさんが同じようにカップを持っている。

 特に何かめでたいことがあったわけではないため、乾杯などはせずに各々出された紅茶を口に運ぶ。

 紅茶独特の強い香りはほんのりと柔らかくなっており、安心する香りが鼻を抜けて脳を癒してくれる。舌を転がるように広がる甘い味わいは、ミルクによってまろやかに変わって包み込むような優しさのように感じられた。


「飲みやすいですね」

 

 深い後味を感じながら、俺は深く頷いた。

 

「今まではアッサムティーはストレートで出てたんですけど、お客さんに少し子供っぽいと言われたので、ミルクティーでまろやかにしてみようと思いまして」

「最近紗綾、料理の改良に力入れとるな」

「うん。最近常連さんたちの好みに味が寄ってるなって思ったから」

「それって、いけないことなんですか?」

「いえ、そんなことはないですよ。ただ、常連さんにお出しする味と、初めていらっしゃった方にお出しする味が一緒だと、その料理本来の素晴らしさは伝わらないと思うんです」

「お客さんそれぞれで好みの味があるからね。ジンも好きな味と苦手な味あるでしょ?」

 

 確かに、俺はどちらかというと甘い料理が好きだ。

 もちろん、『月光 』で出てくる料理はどれも美味しいが、例えばカレーの辛口やブラックのコーヒーはあまり進んで食べたいとは思わない。それが、甘口であったり砂糖を入れたものやミルクを入れたカフェオレであれば話が変わってくるが。

 これが、好みの味というものなのか。

 

「うちでは同じ料理でも、お客さんの好みで味付けを変えてますし」

「お客さんが頼んだものは、うちが全部覚えとるからな。そこから濃い味が好きなのか、薄い味が好きなのか、色々わかるんよ」

「お客さんの健康状態にも気をつけてるし。仕事から帰ってきた人には塩分を少し多めに、そうじゃない人には普通に、高齢の人には少なめにしたり。昨日お酒いっぱい飲んでた人には弱めのを出したり」

 

 どこまで客のことを考えているのだろうか、この三人は。

 少なくとも、三食の飯時には百人とはいかないが、それに近い人数は来店する。

 彼女たちは、その全ての人々を気にかけているのを、俺は知っている。

 人を想う。口で言うのは簡単だが、実際に行うのは難しい。そのことを、俺はここで働き始めて深く理解した。


「今までの料理でもいいんですが、やっぱりお客さんには一番の味を届けたいですから。改良は続きます」

 

 小さくガッツポーズをするサヤさん。そして笑い合うカナとレイを見て、俺はどこか心の中で僅かだが、確かな虚無感を感じた。

 その時、玄関の扉が開く音が聞こえた。

 

「俺、行ってきます」

 

 そう言ってから、俺は返事も待たずに席を立った。

 理由もわからず、本当にそう思っていたのかも確かじゃない。

 でも、いつも宿帳を見てから部屋が空いているか判断するのに、今日は空いている部屋があったかなどと慣れない思考を巡らせる程度には、俺はさっきの虚無感を考えるのを避けていたのかもしれない。

 玄関に行くと、そこには一人の老婆が立っていた。

 木材を申し訳程度に削ったような、ゴツゴツとした先の細い杖を突き、少し曲がった体を支えている。

 ワインレッドのカーディガンを羽織り、何枚も重ね着している衣服に目がいってしまう。そろそろ春になろうというこの時期に、暑くないのかと心配になるが、人の良さそうな笑顔を浮かべる白髪の老婆に、その心配がいらないことをすぐに理解した。

 

「いらっしゃいませ」

「おや珍しい、青年が出迎えてくれるなんて。怪我はもういいのかい?」

「はい、もうだいぶ良くなっ……て……」

 

 老婆の問に、俺は言葉を途切れさせた。

 なぜ、怪我のことを知っているのだろうか。

 現在俺は、だいぶ傷口も塞がり、全身を覆っていた包帯をとって、普通に生活している。

 以前包帯をつけて食堂にいたことはあったが、外に出ることは無かった。

 つまり、俺の怪我を知っているのは『月光』に訪れたことがある人であり、俺と会話したことのある人に限られる。

 しかし、俺はこの目の前にいる老婆に出会ったのは、今日が初めてだ。

 見たところ、年齢は八十代から九十代といったところか。六十代後半で障害を終える人が多い中で、だいぶ長生きしている。

 『月光』を訪れる人々は、二十代から四十代がおおく、老人の来客は珍しい。

 だから、俺は老人の来客の顔はしっかりと記憶している。

 けれど、この老婆が来客したことはなかったはずだ。


「紗綾はいるかい?香菜でもレイでもいいんじゃが」

 

 突然出てきた三人の名前に、俺は驚きながらも「少々お待ちください」と返して、食堂の入口からサヤさんを呼んだ。

 アッサムミルクティーのカップを持っていたサヤさんは、それを机に置いて小走りで玄関まで来た。

 

「どうしました?」

「こちらの方が、用あるみたいで」

 

 首を傾げるサヤさんに、俺がそう答えると、老婆が口を開いた。

 

「一週間ぶりじゃの、紗綾」

「お、おばあちゃん!?」

 

 サヤさんは嬉しそうに老婆に抱きついて………………え、おばあちゃん?

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