命の色

 あの人のお墓参りをしてから数週間。


 どうにか再就職先がきまり、ぼくはまたお墓参りに出かけた。誰よりもはやく、あの人に報告したかったのだ。

 今度の職場は雰囲気が明るく、働いている人たちの顔色もいい。ここでなら、ぼくでもなんとかやっていけそうだと思った。


 それから――


 どうしてそんな気になったのかはわからない。あの人の姪だからか。いろいろ世話になったからか。見た目が好みだったからか。ぜんぶそうかもしれないし、ぜんぶちがうかもしれない。理屈では説明できない。とにかくぼくは、彼女にも再就職がきまったことを伝えて、食事に誘ったのである。


 その日をきっかけに、ぼくたちはときどき会うようになった。食事に行って、飲みに行って、休日に出かけるようになって――いったい、いつからだったんだろう。


 気がついたらぼくは彼女を好きになっていて、彼女もいつのまにか、ぼくを好きになってくれていた。


 そうして二年後。

 ぼくたちは結婚した。



 ◇



 ぼくたちのかわいい息子が、ふんぎゃーっふんぎゃーっ、と、それはもう非常に元気よく、むしろ元気すぎて殺されそうな勢いで泣きだした。


「オムツかなー」


 手早く確認して、キッチンから声をはる彼女に「そうみたい」とこたえる。


 オムツ交換なら、今やぼくもベテランだ。



 この子が産声をあげたとき、ふいにあの人の言葉が脳裏に浮かんだ。


 ――知ってるか。涙にも色がある。


 あのとき、ぼくのそれは『血の色』をしているといわれた。もちろん、涙は血液の一種であるとか、そういう意味ではない。


 当時、壊れかけていた心からあふれだした血が、あの人には見えていたのだと思う。


 この子が生まれたとき、なぜそんなことを思いだしたのか、今ならすこし、わかるような気がする。



 赤ん坊は、命そのものだ。

 全身全霊で生きている。

 腹がへった。オムツを変えろ。

 傍若無人に命令する。

 泣いて知らせるしかないから。

 人のたすけがなければ生きられないから。

 全身全霊をつかって、泣く。


 赤ん坊は、その涙さえ命の色だ。



 新しいオムツにかえたとたん、息子はきゃっきゃっとご機嫌である。


 今はこんなにもわかりやすい色をしているけれど、この子もきっと、成長するにつれて、いろんな色の涙を流すようになるのだろう。


 願わくは、血の色をした涙を流すようなことがないように。もしも、そうなってしまったときは、たよってもらえる親になれるように。



 人は苦労したからやさしくなるんじゃない。たくさんの涙が心を強くするのでもない。ほんとうにつらくて苦しくてどうにもならない、そんな『底』にいるとき、誰かの、なにかの『やさしさ』にふれることができた幸運な人間が、苦労を成長につなげられたというだけなんだ。


 苦労なんて、しなくてすむならしないほうがいい。



 あの人がくれた言葉を胸に、ちいさくて、軽くて、とても重い『命』を、ぼくはしっかりと抱きあげた。



     (了)



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その涙さえ命の色 〜めぐりあい〜 野森ちえこ @nono_chie

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