謎の色

『どうかされました?』


 駐車場の入り口で、ぼう然と立ちつくしていたぼくに、彼女はそう声をかけてきた。ぼくとおなじ年ごろの、美人というよりは愛嬌のある、かわいらしい顔立ちの女性だった。


 すがるような気持ちで、ここにあったはずの家のこと、『あの人』のことを話すと、彼女はものすごく驚いて、それは伯父かもしれない――と、かすれた声でつぶやいた。



 彼女の『伯父』は、どうやらぼくが会った『あの人』らしいのだけど、彼女の伯父は十年もまえに亡くなっているという。そんなバカな話があるか――と思った。


 チェーンのコーヒーショップに移動して、よくよく話を聞いてみた。しかし最後まで聞いても、やはり狐につままれたような気分だった。



 彼女の『伯父』が亡くなる数年まえ、部下がひとり事故にあったのだという。深夜、赤信号に気づかずに、ふらふらと交差点を渡っていて車にはねられてしまったらしい。さいわい命はとりとめたものの、会社は退職することになった。本人は、特に死のうとしていたわけではなかったということだが、当時は意識が朦朧としていたため、記憶自体あいまいなのだとか。


『すごく、忙しい会社だったらしいんです。休みもろくにとれなかったっていうから、今でいうブラック企業ってことになるのかな。伯父さん、その人のことかわいがってたみたいで、相談にもいろいろ乗ってたらしいんです』


 やめたいというその部下を、彼女の伯父さんは『せめて三年、がんばってみろ』と励ましていたのだという。結果的にそれが部下を追いつめてしまったのではないかと、今度は伯父さんがふさぎこむようになってしまったらしい。


 そして、今から十年まえ。


 彼女の伯父さんは朝、駅で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのだという。いわゆる『過労死』といわれるものだった。


 残された家は五年ほどまえまで彼の妻子が住んでいたらしい。しかし老朽化がひどく、管理するのも大変で、ひとり娘が結婚したのを機に思いきってとり壊すことにしたのだとか。そして、その土地は駐車場につくりかえられた。


 声をかけてくれた彼女は近くのアパートで暮らしていて、身内割引ですこし安く駐車場を借りているのだとほほ笑んだ。



 すぐには納得できなかった。だってあの人のいれてくれたお茶はたしかにあたたかかったし、あの人の手の感触も、そのぬくもりも、はっきりおぼえている。とても信じられるわけがない。けれど現実に、あの人の家があったはずの土地は五年もまえに駐車場となっていた。これを、どう受けとめればいいのか。


 がく然とするぼくを気の毒に思ったのか、彼女は『あとで伯父さんの写真を送る』といってくれて、ひとまず連絡先を交換して別れた。


 そして、その日の夜。


 スマホに送られてきた写真は、たしかに『あの人』だった。



 後日、ぼくはあの人のお墓参りに出かけた。彼女が案内役を引き受けてくれて、あの人の奥さんと娘さんにも会うことができた。


 お礼をいうならこちらのほうなのに、奥さんには『もしあの人に心残りがあったのだとしたら、それもきっとあなたのおかげで晴らすことができたでしょう。ありがとう』と、頭をさげられ、娘さんにも涙ぐまれてしまった。


 ――ぼくには、わからない。


 奥さんと娘さんに会ってからも、ぼくにとってのあの人は、名前を思いだせない『あの人』のままだ。奥さんから聞いた名前と、ぼくのなかの『あの人』がうまく結びつかない。いったい、あの日のできごとはなんだったのだろう。


 いや、きっとこれは、わからなくていいことなのだと思う。


 たしかなのは、あの日、あの人と出会って、ぼくが救われたという事実。


 それだけで、十分だと思った。



     (つづく)



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