霊魂綺譚
阿賀沢 隼尾
第1話 旅人と迷い人
一人の紬を着た小柄な少女が荒れ果てた世界を彷徨っていた。
背中まで垂れ流れる墨色の髪に、陶器の様な純白で透明感のある美しい肌。
彼女は桃色と白色の模様と、桜と梅の花が彩られた紬を着ている。
右手には灯篭をぶら下げている。
朱色の灯が灯篭の中に閉じ込められていた。
彼女はどこへ向かうのだろうか。
何かを探しているように見える。
黒曜石のような瞳は、純粋で何らかの意志があるように感じられた。
「さて、迷えし魂はいないのでしょうか」
辺りを見渡しながら進む。
木々が生えた林の所に青白い光が見えた。
迷い魂だ。
彼女はその魂に近づくと、人差し指で触れる。
「貴方は『現世(うつしよ)』から来たのですね。私は怪しい者ではありません。私は『案内人』です。今から貴方を『幽世(かくりよ)』へとご案内致します。どうぞ、私に付いて来て下さい。あ、私の名前は巫恵(みえ)と言います。短い間ですが、宜しくお願いしますね」
(こちらこそよろしくお願いいたします。巫恵さん。私は美奈子といいます。『幽世』って本当に存在するんですか?)
「美奈子さん。『幽世』は実在します。貴方が『幽世』に行けないのは何か心残りが『現世』にあるからです。心残りの無い魂は『幽世』に直に行けます。でも、貴方は違った。この世界で迷っていた。だから、この世界に来てしまったのです」
(この世界って何ですか? ここが『生者の世界』でも無ければ、『幽世』でもないとしたら、ここはどこなんですか?)
「ここは『狭間の世界』。『現世』と『幽世』の間にある『狭間の世界』なんです。迷えし魂が行き着く場所。それがこの『狭間の世界』なんです」
(ということは、私は死ぬことが出来ないのでしょうか)
不安そうに尋ねる美奈子さんの質問に巫恵は冷静に答える。
「いいえ。貴方は未練が残っているのです。未練があるから貴方はこの『狭間の世界』に残った」
(確かに、巫恵さんの言う通りです。私には未練があります。夫を現世に残してしまいました。色んなことを言いたかったのですが……。でも、それも今は叶わぬ夢です)
二人は『狭間の世界』を歩く。
この世界は絶望と希望に満ち溢れている。
何が悪いでもない。
何が善いのでもない。
ただ、そうあるべき世界なのだ。そうあるべくして存在する世界なのだ。
地面からは黒い『影』が生まれては消え、生まれては消えを繰り返した。
「その願い、もしかしたら叶うかもしれません」
(ほ、本当ですか!?)
美奈子の顔がぱっと輝いた。
『案内人』、『運び人』、『送り人』――――。
様々な呼ばれ方が存在する彼らは、この世界で行き場を無くした魂達には無くてはならない存在だ。
彼らには魂に触れると、その魂が所有する記録(記憶)や前世の姿が見える。そのほかにも、『案内人』には
巫恵が会話している美奈子の魂も同様なのだ。
「言葉には『言霊』という魂が込められるのです。その魂に込められた想いは、良くも悪くも人に影響を与えるものです。それが『善い』言葉であれば人に良い影響を与えるでしょうし、『悪い』言葉ならば、人に悪い影響を与えるはずです。それは本人も例外ではありません。『善い』言葉を吐いている人の魂は透明で綺麗で輝いているものです。美奈子さんの魂は綺麗です。きっと、良いお方だったのでしょうね」
(美しいだなんてそんな…‥。私は彼に何もしてやれなかったんです。後悔ってどうしてこう、物事が起こった後に襲ってくるのでしょう。どうすることもできないじゃないですか。私はね、人並みには幸せな人生を送ってきたんです。子供は私の体質で出来なかったけれど……。けれど、子供が出来なくても、仕事をして、デートをして、夫婦としてそれなりの幸せを育んでくることが出来たんです。でも、私が死ぬ前の日に夫と喧嘩をしたんです。それだけが心残りで……)
「どんなことで喧嘩をしたのですか? 良ければ聞かせて下さい」
(ええ。構いません。ほんの些細なことなんです。私、もうすぐ死ぬのかなって。夫にそう言ったんです。でも、夫にそれを否定されて。『お前はそんなに軟な女じゃない』って。でも、病態が急変してしまって。最後に夫の声を聴いたのは『ごめんなごめんな――――』って謝る彼の姿でした。その言葉に反応することは出来ませんでした。だから、私は夫にもう一度会えるのなら、こう言いたいんです。『私は大丈夫だよ。子供が産めなくても、どんな辛い目に遭っても貴方がいてくれたから私は生きる事が出来た。ありがとう』って)
「大丈夫です。その想い。その言葉はきっと旦那さんに届いています」
淡い、白い光が美奈子の魂から離れていく。美奈子の魂よりも小さな魂。これが巫恵の言う言霊だ。
彼女の放った言葉は『狭間の世界』の空に浮遊する。
その言霊はどこへ行くのであろう。
言霊は誰の元へ行くのだろう。
誰も知らない世界へ行くのだろうか。
それは誰にも分からない。
「さて、『幽世』を探しましょうか。『常世」へ行くためには魂影蝶(こんえいちょう)を探すのが最善です
(魂影蝶?)
「ええ。魂影蝶です。この世界―――『狭間の世界』には、『影』と呼ばれるものが存在します。なぜ、その影が発生するのかは分かりません。ですが、『影』の習性として『常世』に向かう傾向があるのです。なぜ、魂影蝶などの『影』が『常世』へ向かう傾向があるのか分かりませんけれど……」
(取り敢えず、その魂影蝶を見つければ良いのですね?)
「はい。そういうことです」
二人は『狭間の世界』を歩く。枯れ果てた世界を。黒い『影』が地上を蠢いている。
「あいつ等を避けながら進みましょう」
(はい)
曲がりくねった道や小山を越え巫恵と美奈子は魂影蝶を探す。
行けども行けどもモノクロな光景ばかり。
色彩溢れる現世とは異なる異世界。
しかし、微かな『生』の灯を感じる。
ひたすら二人は歩く。
突如、目の前に人型の『影』が現れた。
巫恵の表情が険しくなっていく。
「美奈子。逃げましょう。このままでは『影』に呑み込まれたら」
(呑み込まれたらどうなるの?)
「分からない。でも、呑み込まれたら終わりよ。そう教わったの」
二人は人型の『影』から背を向けてひたすら走る。
足を懸命に動かす。
美奈子は後ろを振り向くと、自分たちを追う人型の『影』が自分たちを追って来ていた。
どれも走り方がバラバラで目茶苦茶な走り方をしているのに、きちんとバランスを取って追って来ている。
背筋が凍るほどの恐怖が美奈子の体を襲う。『あれ』に決して触れてはならないと直感で分かる。
「きゃっ!」
巫恵が石に躓いて転んでしまう。
人型の『影』が美奈子の魂に群がる。
「美奈子っ!」
巫恵は必死に『影』達を両手で必死に追い払う。
「しっし。ほら、美奈子さん行きますよ」
巫恵は立ち上がり、再び走り始める。
平坦な道のりを歩む。
蠢く『影』達。
その中に、蝶の形をした『影』が宙を飛んでいた。
「あの蝶の群れに付いて行けば『常世』があります」
巫恵は指を指して蝶の群れについて行く。
(どこにあるのですか? 蝶なんて一匹も……)
「え……?」
どうやら美奈子には魂影蝶の姿が見えていないことに巫恵は気づく。
「あなた、まだ何か心残りが残りがありますね」
心残りがある者は『常世』の導きとの縁に結ばれることは出来ない。
それが『狭間の世界』の摂理なのだ。
(そんな。私には――――)
美奈子はふぅ、と溜息をし、
(できれば、子供が欲しかったです。それが私の唯一の心残りです)
「そう……ですね」
巫恵は顔を下に向けて考え込む。
彼女のどうしようもない後悔がそこにあった。
子供を産めば何か自分の人生は違ったのだろうか。
自分の体の性で。
夫はそれを気にしていたのではないか。
それが彼女の心の中にずっと残っていた。
「貴方はそんなにも旦那さんの事が心残りなのですね」
巫恵は美奈子の『縁の糸』から『記録』を辿っていく。
この技術は『案内人』しか用いることのできない能力の一つ。
イタコの口映しの術の逆バージョンの様なものだ。
彼女の『縁の糸』から、『現世』にいる旦那さんの魂を一時的に呼び出す。
「ぐう。こ、ここはどこ?」
(貴方。ここはあの世とこの世の間の世界よ。貴方、私が子供を産めないせいでごめんね。貴方、結婚する前から子供を産むのを楽しみにしていたはずなのに。なのに私の性で。それだけが心残りで…)
(美奈子、良いんだ。子供が産めないのは君のせいじゃない。それは美奈子のせいじゃないよ。僕はね、君のお陰でここまで生きる事が出来てたんだ。これだけ一人の人を好きになる人生ってとても素敵なことだと思う。君のお陰で僕は希望を持つことが出来たんだ。だから、僕はこれからも一生懸命、この命が尽き果てるまで時計を作り続けようと思う。僕らの生活は決して裕福とは言えなかったけれど、幸せな生活を送ることだったと思う。だから、安心してくれ。僕にとって、君はとても大切な人だったよ)
(うん。ありがとう。良かった。これで私良かったのかな。良かったって自分に言って良いのかな
)。
(ああ。もちろんだよ。誰も君を責めたりはしない。君が君自身を罰する必要なんて何一つとして無いんだよ)。
そう言って、『彼』は『巫恵』に戻って行った。
(私はもう行っても良いのよね)
「はい。貴方にはもう魂影蝶が見えるはずです」
(はい。蝶が。黒い蝶が見えます)
二人は魂影蝶を追う。
魂影蝶を追う先に海岸が見えた。
(船が見えないけれど、どうするの?)
「この先に『幽世』があります。ここでお別れです。『幽世』は誰でも行ける訳ではありません。『現世』に未練が無い魂のみ行くことが出来るのです。それでは、行きなさい。貴方が行くべき場所へ」
(はい。とてもお世話になりました。ありがとうございます)
美奈子の魂は海の方へ地平線の彼方まで消えて行った。
巫恵はその姿をいつまでもいつまでも見つめていた。
その瞳はどこか儚げで遠くを見つめているようでもあった。
「さて。次の魂を送らなくては」
彼女は再び果てしなき『狭間の世界』の旅へ向かう。
新たな迷えし魂を求めて。
霊魂綺譚 阿賀沢 隼尾 @okhamu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。霊魂綺譚の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます