むげんのやいば
やまもと蜜香
むげんのやいば
刀と刀が強くぶつかったが、その鉄の音は周囲の怒声にかき消されて響かなかった。
幽作はとにかく前に踏み出して二撃目を振るうが、目の前の男はこれも退きながら受けた。
幽作の村で、これまで幽作の剣を四度まで受けとめることができた者はいなかった。しかし三撃目、これまで必ず相手を押し込んできた幽作に対し、退いて受けるばかりだった男が突然押し返した。
意外な剣圧に一瞬驚いた幽作だったが、気合いの乗った幽作は意地でも次で仕留めるべく、渾身の力を前方へ向けた。男もスッと前に出てくる。
二人は剣を振るいながら、ぶつかるかのようにすれ違った。
斬った感覚と斬られたら感覚が十分にあった。
二人の男の身体から血が噴き出す。
幽作の夢は、ほんの駆け出しで儚く散った。
「無念だ・・ ・ ・ ・」
──── ── ── ─
俺に勝つ奴なんていないはずだったんだ。
幼い頃から木の枝を剣にして、仲間と遊んでいたんだ。
俺が押しまくれば、誰にも負けたりはしなかった。
歳が十四を超えてからは、村の大人にだって負けなくなった。
物足りなくなった俺は、十六なって隣村の連中と喧嘩をした。そこでも俺は誰にも負けなかったんだ。
剣で生きていきたいと思った。いや、剣一つで生きていけると思った。この力を世に示せば、偉い侍にだって昇っていけるんだと俺は確信していた。
だから、附近の平原で戦があると聞いたとき、俺は兵として加わろうと決めたんだ。
最初は雑兵からでいい、ここから俺の出世物語が始まるのだと胸を躍らせて。
俺は俺なりに考えて、勝ちそうだと思えた方の陣営に駆け込んだ。
戦が始まると、敵兵を見つけて突っ込んだ。
一人を斬ったとき、何かを口走りながら向かってきたのがアイツだった。今思えば、俺が最初に斬った兵の身内であったのかもしれない。
しかし、よりにもよって敵の雑兵の中にこれほど強い奴がいるなんて───
──── ── ── ─
四百年が過ぎていた。
時代は移り代わり、かつて戦のあった平原の周囲も随分と整備されていた。
とうに日も暮れて夜であるにも関わらず、草原の傍には大勢の人がいる。どうやら皆、何かの見物客であるらしい。
じつはこの草原、とある怪奇現象に沸いていた。
夜な夜な決まった時刻の決まった場所に、二人の幽霊が現れる。すると二人は刀を振るって打ち合い、ついには相打ちとなって消えるのだ。
見世物となっていた。
毎夜発生するこの現象は人々の人気を呼び、いつしかこの地は、そんな幽霊を見ることができる名所となっていた。
奇跡が起こったのは、そんなある時期のことだった。
猫も百年生きれば、猫又に化けるという。
二体の幽霊の片方、幽作の霊に意識が宿ったのである。
ただし、幽作が意識を持つその時間は、あまりにも短かった。
それは幽作が、相打ちとなる最後のひと太刀を入れるために踏み込む時から始まり、相打って消え去る時までのほんの一瞬だけ。
意識を持ったところで、次の瞬間には体と共に消滅するのだ。
<1日目>
意識といっても初めはまだ、ぼんやりとしたものだった。
より正確に表現するならば、「意識のようなもの」が芽生えた程度のもので、思考したり、ましてや体を制御できるようなものではなかった。
この意識が何かを感じたり、または思考し、状況を理解するに至るには、さらに千日を超える相打ちの繰り返しを経る必要があった。
<1038日目>
幽作はハッとする。気がつくと、男が斬りかかってくる。
体は勝手に反応する。斬った手応えと斬られた感覚を同時に覚えて、意識を失ってゆくのだ。
<2356日目>
幽作はハッとする。気がつくと、男が斬りかかってくる。
どう考えても異常な状況である。
異常な状況ではあるのだが……幽作にはこれが初めての体験ではない気がした。
<3245日目 ~ 3246日目>
昨日の記憶と今日の意識がつながるようになってきた。
『俺は……同じことを繰り返している?』
そう思った頃には消滅の時なのだが、また相手が斬りかかってきた次の瞬間、そう思ったことを憶えていたのだ。
<3914日目>
体は勝手に動く。毎回、同じ相手を見ながら同じ動作を繰り返す。
だが幽作はこの日、もっと視野を広くして周囲の様子を見てみたいと考えた。
すると、視界の端に人の姿が見えた。
『いま……少し横を向いたか?』
これまでは見えていなかったものが見えたのだ。
これは、自分の意思で体を動かせるようになるかもしれない。
<4431日目>
同じ事が何度も何度も続く。しかし何度も続くにつれて、幽作の意識ははっきりとしてゆく。
さらに斬り合う相手越しの背景ではあるが、景色に変化があることに気がついた。それは月明かりの日もあれば、雨の日もあった。雪が積もると、そのまま数十度は雪景色が続いた。雪のない日には人の姿が見えることが多かった。
<5000日目>
なんと生前の記憶が甦ってきた。
ただ、それが幸せなことなのかは解らない。
その記憶には自分の死も含まれているのだから。
ともあれ幽作の意識は、これまでの全てを他人事のように俯瞰していたものから進化し、自己というものを確立した。
『そうだ。俺は幽作だ。 あのとき、剣ひとつで戦場へと飛び出して……死んだ……のではないのか?』
<5150日目>
視界に入っている景色、山の形は死ぬ前の記憶と同じなんだ。ここはあの戦場なのか? でも……何かが違う。
人の声か……たしかに死ぬ前の戦場でも、人の怒号や叫び声は周囲を飛び交っていた。でも、ここで聞こえるのは喝采やどよめきのような、とにかく戦とは質の違う声なんだ。
『確かめたい。今の俺ならきっと動かせるはずだ』
体を動かすという当たり前にできていたことなのに、緊張と不安がとてつもない。
そして幽作の緊張などは関係なく、敵はいつもと同じように、刀を振るいながら踏み込んできた。
すれ違うように斬り合った。
──今だ
消滅するまでのほんの一瞬を狙って、俺は声のする右側に体と首をひねった。
初めて見る右側の景色。
柵がある。その柵の向こうには大勢の人がいた。
人々は皆、こちらを見て笑っていた。
『何だあいつら。ここは戦場じゃないのか。誰も具足なんか着けちゃいない。それどころか、女子供までたくさんいる』
<6328日目>
景色を見たあの日から、かれこれ千ほどの相打ちを繰り返しながら、俺は考え続けた。
分かっていることを頭でまとめてみる
・俺は死んだはずだ。
・俺は死ぬときに無念を呪った。
・周りが戦場でなくなった上に整備されている。
・見世物になっている。
・昼にならない。
・斬り合いだけが際限なく繰り返される。
・目まぐるしく四季が移りかわる。
やはり俺は死んだものの、往生できなかった……ということか。
もののけの類いなど信じてはいなかったのに……俺自身が化けてしまったというのか。
<7392日目>
今日も同じ動作に同じ手応え。俺はこのままは未来永劫、こうして殺し殺され続けるのか。
『どうすれば止められる? 相打ちじゃなくて決着をつければ終わるのか? 決着がつけばよいのなら、もしも俺が手を抜いて斬られることで、決着をつけるとどうなるのだろう? 決着がついて両者とも往生できるのか。それとも勝った者だけが満たされて往生するのだろうか。……すると負けた方はどうなるのか』
怖ろしい想像だった。
なんとしても勝つしかない。
<8437日目>
意を決するまでにまた千は斬り合った。
俺は今日こそ決行すると決めると、いつも相手の斬撃が飛んでくる箇所に刀を構え、敵の刀を受けた。
すると、まるで流れるように次の太刀が襲ってくる。これも辛うじて受けた。
『コイツ、強い!?』
さらに次の太刀がくる。俺は慌てて敵の懐に飛び込み、なんとか相打ちで刺し違えた。
『危なかった……』
疲れた。霊となった体に疲れなどおかしな話だが、精神的な疲弊といった方が正確かもしれない。
そんな幽作の苦労も知らず、いつもとは異なる展開を目撃した見物客たちの湧き上がる声を聞きながら、幽作の意識は途絶えた。
<8438日目>
何もなかったかのように意識が戻る。
目の前の敵からも、何もなかったかのように斬撃が降ってくる。
俺はすれ違うように剣を振り、相打ちとなる。
過去に何度も繰り返してきたお決まりの幕切れ。
右から落胆の声が聞こえた。
<8439日目 ~ >
斬り合う相手を見据えながら思案する。
『コイツ、どうやれば倒せんだよ』
なかなかの手練だった。
あの剣技をさばいた上で確実に勝つという絵が想像できない。
『とにかく、あの斬撃を受けちゃいけない。紙一重でかわして、コイツの体勢が崩れているところを狙うしかない』
<8797日目>
覚悟を決めた。
いつも俺を仕留めるあの斬撃だけに意識を集中する。
そして、いつものように斬りながらすれ違うのではなく、駆け抜けることに全力をあげるのだ。
勇気がいる。失敗すれば、一方的に斬られるのだから。
──斬撃が降ってきた。
俺も突っ込んだ。いつもより速く駆けることで、刀が振り下ろされる前に通過してしまうのだ………が、敵も流石だ、迫り来る剣が速い。
咄嗟に身をかがめた。刃が頭の先をかすめる。
俺は狙い通り紙一重で斬撃をかわし、その勢いのまま体を半回転させて振り向いた。
いつもは背中合わせとなるところを今日に限っては、敵の背後をとる形に持ち込んだ。
この間合いこの体勢からなら、切腹の介錯のように斬るのは容易い。
『とったー!』
俺は相手の首筋に向けて、袈裟斬りに斬りつけにいった。
『!?』
敵が上げた手から首筋に沿って這うように、スッと剣が下りてきた。
振りおろした俺の刀は正確にコイツの首を捉えようとしていたのに、そんな首の後ろで剣と剣は無残にもぶつかった。
『コイツ、後ろが見えているんじゃないのか!?』
霊でなければ大きな金属音が轟いただろう。
俺は圧倒的な剣の技量を見せつけられたのだ。
そこからはもう必死だった。
もはやコイツを相手に、自分が斬られず相手だけを斬るなど到底不可能であると悟った。
自分の体が貫かれる前提で刺し違える。どうにかして相打ちに持ち込むしかなかった。
優雅さなど微塵も無い、俺はまるでコイツに抱き付くかのように飛びかかっていた。
<8798日目 ~ >
俺を斬るこの男。俺は今まで、コイツのことなど深く考えたことがなかった。
コイツを見てイラつくことはあったが、それはコイツのことを、俺を殺した憎むべき敵であると認識していたからだ。
しかし本当は、コイツに対して勘付いたことを認めたくなかっただけなのかもしれない。コイツが俺より強いということに。
しかし、そんな勘も先日の斬り合いで確信になってしまった。
これで無念だなんて笑わせる、むしろ格下の俺と相打ちになってしまったコイツの方が、よほど無念であったろう。
<8563日目 ~ >
ふと思った。
コイツには俺と同じように意識はないのだろうか?
声をかけて確かめるのが手っとり早い。
意を決して語ろうとする。
………………
声は出なかった。
所詮は霊か。声や音は出ないようだ。
これまでも期待など持ってはいなかったが、できないと解ると淋しいものがあった。
<8814日目 ~ >
殺され慣れるなどということがあるのもなのだろうか。もはや敵意が薄くなっている。あの強さを知ったあとだからかもしれない。毒気を抜かれ、自分を殺す相手としてこの男を認めている気さえする。
ふとあの戦を思い出す。
あの戦で……もしも俺が敵方の陣営に参加していたら……コイツとは同じ陣営で腕を競う仲になっていたのではないか。
<9538日目>
今日も何も変わらないはずだった。
今日の俺には、何もおかしな行動をとる気がなかったから。
ところが、相打ちとなる相手の懐に踏み込む直前、コイツの口もとがゆるんで、少し笑ったように見えた。
<9539日目>
コイツの表情に変わりはなかった。昨日の笑みは何だったのか。
単に俺の見間違いだったのか。それとも……やはりコイツにも、意識が、生前の記憶と共に戻っているんじゃないのか?
だが、もしそうだとすれば、何故コイツは実力で片を付けずに同じ事を繰り返すのだろうか。
<10826日目 ~ >
ここのところ、コイツのことを考える日が多くなった。
よし、いっそコイツに名前を付けてやろう。いつも「コイツ」じゃあ味気ない。
あらためて相手の姿をよく見る。
十日ほど観察した。
雑兵にしては端整な顔立ちで、日焼けの目立たない青白い肌。胴丸こそ黒いがその中に覗いている衣服はこれまた白い。
『シロだな』
俺が勝手に呼ぶための名なのだから、これで充分だ。そもそも俺を殺す男だし。
そんな適当な名でも、自分で名付けると愛着が湧くから不思議なものだ。
<11745日目>
記憶や自我を取り戻して以来、幽作に備わったものがある。
それは淋しさや虚しさ、そんな人間くさい心だった。
『ずいぶんと長い年月が過ぎたのだろう』
そんなふうに感じる。
自分を知る者も、自分が生きた世すらも、もはや存在しないのであろう。
肉体が亡び、そして自分を知る者も居なくなった時こそ、人の本当の死であり消滅であるはずなのに……
『俺はこうして人知れず、まだこの世に残っている』
終わらない絶望を過ごしている。
それなのにまだ、俺は心の底から腐りきってはいない。
その理由が目の前にあった。
シロだった。
シロという同じ境遇の者がいつも目の前にいて、それはこの世で唯一の理解者であるかもしれない者。
『シロがいるから俺は狂わずに済んでいる。いや、違うか……何千回何万回も俺を殺している相手に親しみを感じるってんだから、俺はもう狂ってるのかもしれないな』
<12562日目>
『勝つ算段を練るべきなのか』
何度も考えたことである。すると決まって次の疑問がついてくる。
『勝てば本当に往生できるのか? 敗れた方は、それこそ孤独に永遠に漂い続ける悲しいものになってしまうのではないか?』
そんなものになるのは御免だし、今となってはシロをそんな目に遭わせたくもない。往生するなら共に行きたい。
<13345日目>
「往生」など求める気持ちはもはや薄かった。考えれば考えるほど、往生という事柄自体が胡散臭く思えてきた。
生前の俺は、人は死ねばそれで終わり、「無」となると思って生きていたのだ。それが霊になったとたんに往生を願うなど、そもそも調子の良い話だ。
何も変わらぬ日。気が付けば目の前にシロがいる。
すでに左足を踏み込み始めている俺は、シロの左をかすめるようにしながら、水平に振った刀でシロの首下を斬る。
そして同時に俺の首にも衝撃が走る。
すれ違い、互いに背を向けたところで地に膝をつき、消えてゆく。
これがこの世にたった一人、俺が関わりを持てる男、シロとの接し方だ。
死して無となるはずであったところをこうしてシロと相対し、言葉を交わしたことすらないのに、もはや他人とは思えぬほど誰よりも長く関わり続けているこの男との日々。
生前目指した天下とて、過ぎてみれば儚きもの。そんなものを超えて、俺はシロと在り続けている。
ここに幽作は考え至った。
『この日々こそ、我にとっての至福である』と。
そう思ったとき、自然と幽作の口元に笑みが浮かんだ。
<13346日目>
笑っている自分を自覚した時、幽作は悟った。
『いつの日だったか、シロも同じように笑っていた。……そうか、シロはあの時、もうこの気持ちへとたどり着いてたんだ』
これまでと同じ事、それも何万回も繰り返してきたものと同じ事を行っただけなのに、今日はとても心が満たされていた。
二人の男が達した境地。
地獄の中に見いだした幸福。
二人の想いが重なり成就した瞬間だった。
すると、二人の体は淡い輝きを放ちながら消滅した。
いつもとは異なる美しさすら感じられる消滅に、観衆は沸いた。
そして、この地に二人の武者の霊が現れることは、もう二度と無かった。
むげんのやいば やまもと蜜香 @hekichi
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