遠州灘領空侵犯機撃墜任務 ~お嬢様・イン・ザ・スカイ~

バートレット

202X年 某月某日 1430時 遠州灘上空にて

 俺の目の前には一面の青が広がっている。

 どこまでも澄んだ空の青と、水面がきらきらと光沢を作り出す海の青。


 その2つの青を、俺はキャノピー越しに確認していた。

 ここは遠州灘上空、浜松市からの沖合い15km地点。日本の領空内だ。

 俺は今、この空域を飛ぶ戦闘機に乗っている。


 F-35AライトニングII戦闘機。すでに日本に配備されて久しい戦闘機だ。

 単発のステルス戦闘機で、巡航速度はマッハ1.2。アフターバーナーを焚くことなく音速で飛び回ることができる、スーパークルーズ能力を持っている。アビオニクスや駆動系はコンピュータ制御になっていて、おまけにHMDヘッドマウントディスプレイに各種情報が表示されるお陰で戦闘中も視線を大きく動かすことなく、常に現在の高度や方角、武装の残弾などを確認出来る。高度情報化社会が生み出した傑作機だ。


 ただ、俺はF-35Aに乗っているという実感がまるで湧いていなかった。

 後ろを振り向くと、普通のF-35Aにはない後席が存在している。そもそもなんで後席のスペースが存在しているのか自体が疑問だ。まずありえない。もしもF-35Aに後席が存在していたら、キャノピーがもっと長くなっているはずだ。そしてそんな奇形と化したF-35Aを俺は己のプライドに賭けてF-35Aとは断じて認めるわけには行かない。

 そもそも、F-35自体に複座型が存在しない。さっきも言った通り、コンピュータ制御によるサポートが売りであるから、コ=パイロットの必要性なんて無いし、シミュレーターがあるから教官が一緒に乗る訓練機の需要自体がない。なのに何故平然と無いはずの後席があるのか俺には理解できない。超常現象か何かかこれは。このコクピット四次元空間に通じてるとかそういうアレではないよな。


 そして件の「幻の後席」に座っているやつも、これまた問題だった。


「あら、唐突に後ろを振り向いて、どうかなさったのかしら」


 そこに座っているのはティーカップを片手に優雅に紅茶を楽しむ女だ。腰まである長い金髪の束が2つ、地面に向かってバレルロールしている。

 この時点でおかしいと思ったそこの貴方、貴方の感覚は実に正しい。戦闘機に乗っててヘルメットを着用していないのだ。ロックすぎるだろこいつと言いたい。

 しかも、身体を見れば真っ赤な膝丈のドレス。胸元ど真ん中で存在感を放つトパーズのブローチが眩しい。フライトスーツも対Gスーツもないという、見る人が見れば戦闘機ナメてるだろお前、という有様である。

 そう、このヴィジュアルにこの言動、どっからどう見てもコッテコテのテンプレど真ん中なツンデレお嬢様。今日びかなり古典的だと思う。いや、昨今流行りの悪役令嬢の線も考えられるな。だとしても、もう少しやりようがあったと思う。工夫というかなんというか、あっただろ。きっと。

 世間知らずの箱入りお嬢様という言い訳も通用しない。箱入りを名乗るからには戦闘機に乗っている事自体がおかしい。つまり、この格好で乗ってるこのお嬢様に関して言えば、最早世間知らずを通り越して、ただのアホと断言したいところだ。

 加えて、ティーカップで優雅にティータイムである。湯気が上がっている以上、中身があっつあつの紅茶であることは確かだ。こっちはヘルメットをしているから香りまではわからないが、ツンデレお嬢様がカップを手に持っていると言えばたいてい紅茶と相場が決まっている。これいざドッグファイト始まったらどうすんだ。インメルマンターンでも決めようものなら、カップの中身がひっくり返り、その偉そうなブローチが鎮座している胸元から下が大惨事になることは火を見るよりも明らかじゃないのか。


「どうかしてんのは全部だよツッコミどころ満載なんだよ」

「そう? でもそれを追求する時間はございませんわね。お客様がいらしてよ」


 その言葉に、俺はすぐに意識をツッコミどころ満載の状況から引っ剥がすことにした。HOTASフライトスティックのスイッチを操作し、HMD上にレーダー画面を呼び出す。

 現在地からやや離れたところに、4機編隊の航空機。IFF敵味方識別装置の識別表示はエネミー


 俺は事前に受けたブリーフィングの内容を思い出す。

 1400時、国籍不明機による領空侵犯が発生した。千島列島付近からオホーツク海側の領空に接近した複数の機影を根室のレーダーサイトが感知。

 千歳、及び百里基地からスクランブル発進した自衛隊機が退避勧告、及び着陸誘導を試みるも、不明機は応じなかった。威嚇射撃を試みたところ、不明機の編隊はレーダー照射によって応じる。つまり、交戦の意思ありということだ。しばしドッグファイトが行われたものの、数機を撃墜したが一部機体がこれを逃れ、太平洋側を南下して一旦姿を消す。次に現れたのがこの浜松沖合いの経済水域で、再度北進しながら再びの領空侵犯が開始された。それが現在の状況だ。

 つまり、この機に課せられた任務は不明機の撃墜、もしくは撃退。今度こそ確実に叩き出すか叩き落とすかの2択というわけだ。


 やがて、敵機の姿が肉眼でも確認できるようになってきた。4つの機影。きれいなエシュロン編隊で並んでいる。


「タリー、フォーバンディッツ。おいおいこっちで手に負えるのかよ。こっちは1機だぞ」

「問題ありませんわね。機体性能とパイロットの練度はこちらが上ですわ」


 データリンクが行われ、敵機体の情報がHMD上に表示される。ほほう、MiG-21フィッシュベッドか。こっちのF-4ファントム爺さんとは違って、まだ引退できない身らしい。俺から言わせりゃあいつらはベトナム時代の化石、2度の湾岸戦争を経た現代じゃもうロートルだ。


「それなら、4機まとめて文字通りの魚の寝床フィッシュベッドにしてやるか。遠州灘に叩き落としてな」

「では、ダンスパーティと参りましょう。1曲付き合っていただけますこと?」


 俺はスロットルを開くことでその返答とした。意味はもちろん「OK, let’s party」だ。


 レーダー照射の警告が鳴る。さて、向こうは殺る気のようだな。


「エンゲージ!」


 マスターアーム解除を確認すると、まずは挨拶代わりにMiG-21の少し上をフライパス。向こうは出方を伺っていたようだが、これでレーダーを使ってこちらの位置を把握することは難しくなったはずだ。そう、敵の死角に回ってしまえば捕捉手段は限られる。こちとらステルスだ。そう簡単に捉えられてたまるか。


 そのままスロットルを絞り、ブレーキを作動させて急旋回。慌ててブレイクする敵の編隊だが、俺はそのうちの1機、隊長機と思しき機体に向かって狙いをつける。HMD表示にガンレティクルが現れ、機銃の有効射程圏内であることを示す。照準の中心点に敵機がいることを確認すると、トリガーを引き絞った。F-35Aの固定兵装、GAU-22/A機関砲が火を吹く。かのA-10サンダーボルトが搭載するGAU-8アベンジャーの血脈に連なる由緒正しき機関砲だ。口径こそアレに比べて5mm小さいが、MiG-21を蜂の巣にするには十分だった。


 たっぷりと曳光弾を食らった敵機が空中で四散する。爆煙を背負いながら、俺は次の敵を探した。MiG-21編隊の連携は明らかに乱れている。やはり今落としたやつが隊長機か。


「レディを相手に狼狽えるとは、よっぽど初心ですのねぇ」

「招待状もなしに上がりこんできたんだ、エチケットってやつを教え込んでやる」

「同感ですわね。……あら、御覧なさいな。綺麗に並んでいますわよ」


 お嬢様の声にふと見ると、編隊を組み直そうとしているのか、2機が接近し始めていた。


「残り1機は後ろに来てるか?」


 念の為確認する。もしかしたら囮の可能性がある。


「えぇ、じりじりと後ろに。ですが完全にこちらの背中を取るにはやや距離がありますわね」

「じゃあ問題ないな」

「では、こちらをお使いなさい。まとめて叩き落として差し上げなさいな」


 HMD上を見ると、セレクタがAIM-120空対空ミサイルアムラームを指している。HOTASを操作してHMDの表示をEOTS電子式光学照準システムの映像に切り替えると、2機を一度にロックオン。散開される前にぶっ放す。


FOX3ミサイル発射!」


 機体下部のウェポンベイが展開して現れたミサイルが、ほとんど同時に飛んでいく。2機は迫りくるミサイルにようやく気づいたようで、回避行動を取ろうとするが、ミサイルは一切の慈悲を許さず、2機のMiG-21に突き刺さり、爆散させる。


「さ、これで残るは1機……あらいけない。後ろ、取られていましてよ」


 まるで後輩のネクタイが曲がっているのを見つけたかのような気安さで、後ろを取られつつあることを教えてくるお嬢様。ふむ、ただまぁ問題にはなるまい。


 スロットルを絞り、機体を捻りながらブレーキをかける。急激な減速によって一時的に失速し、ガクン、と機首が下がった。それに気づかず距離を詰めようとしたMiG-21はたちまち前に出てしまった。

 機体の体勢を立て直して失速からすぐに回復すると、再びガンレティクルで敵を捉える。


「一丁上がりだ!」


 GAU-22/Aが火を吹き、最後のMiG-21も散る。下を見れば、パラシュートが2つ。脱出できたのはさっきミサイルで落とした2機だけのようだ。


「ご苦労でした、後は私に任せていただけるかしら」


 振り向くと、我らがお嬢様は平然とした表情で再び優雅に紅茶をすすっていた。結構ロール機動もしていたし、最後に失速を利用したオーバーシュートをしたときには急激に機首が下を向いた。なのに、お嬢様のドレスの胸元やスカートには紅茶のシミがひとつもないどころか、そもそも濡れた跡すら存在しない。相変わらずトパーズのブローチが胸元で光り輝いている。


「……ま、そうさせてもらう……長時間は流石に厳しいからな、これ」


 そう言うと、俺はメットを外す。すると、先程まで俺がいた空も海も、コックピットもすべて目の前から姿を消した。

 メット──いや、正確にはヘルメット型のVRヘッドセットを俺は小脇に抱え、辺りを見回す。四畳半のワンルーム。目の前にはこたつテーブルに置かれたパソコン、本棚の上にはテレビ。俺の自宅のアパートだ。


 俺は積み上げた本の上に置かれた、HOTAS配置を正確に再現したスティックコントローラを見つめる。そう、俺が先程まで戦闘機を操っていたのはこのコントローラだ。俺は自宅から、VRヘッドセットとスティックコントローラを使って、F-35を操っていた。


 さて、ここで疑問に思った人もいるだろう。


 俺が今敵機を撃墜した光景は、果たしてこれらを使って遊ぶ「VRゲーム」のものではないか、と。まぁ、半分正解だ。さっきの操作はほぼほぼ、普段遊んでいるフライトシューティングゲームのそれに準ずるものだった。


 だが、半分不正解だ。


 俺は空を見上げる。視界に天井が入るが、その上からジェット機特有の風切り音の混じったエンジン音が聴こえてくる。


「戻ってきたか……」


 俺は呟く。この家から少し自転車を飛ばすと、自衛隊の基地がある。音が移動する方角から、おそらくこの音の主である機体は自衛隊基地に帰還する途上だろう。


 飛行音を耳にしてからさらに十数分後。俺のパソコンの画面、デスクトップの端から、スタスタと歩いてくる人間の3Dモデル。現れたのは、先程後席に座っていたお嬢様だった。


「おかえり」


 俺は画面の中のお嬢様に声をかける。すると、パソコンのスピーカーを通じてお嬢様の声が返ってきた。


「お疲れさまでした。如何だったかしら、国籍不明機撃墜任務の感想は」


 俺はその問いかけには答えず、テレビをつけた。チャンネルを変える。

 午後のバラエティが流れる中、ニュース速報の字幕が画面上部に出る。


『きょう午後2時40分ごろ 航空自衛隊が浜松市沖合で領空侵犯した不明機を撃墜 防衛省が発表』


 現在時刻は15時。そう、たった今VR画面越しで当事者だった事象が、ニュースで報道されている。


「やっぱりあれは現実か」

「現実ですわ。……でも、機体のパイロットを務めていたのが貴方だった事実は表沙汰になることはないでしょう。自衛隊も私が単独で機体を飛ばし、撃墜したとしか思っていませんもの」


 そう、このお嬢様はただのお嬢様じゃあない。


「無人操縦兼有人操縦支援用人工知能プログラム。官学協同プロジェクトで生み出された、無人機による防空構想の要──それが、お前なんだよな」

「えぇ、その通り」


 防衛省が密かに進めていた無人機による防空体勢構想。今回のような領空侵犯に対して、無人機による対応が検討されていた。そして、これを実現するためのテストベッドとして、F-35Aが1機、密かに改造されていた。有人操縦のアシストにも転用できるため、パイロット養成などの用途も期待されている。将来的には神戸や横浜、豊橋などの海運拠点に、無人機が搭載された偽装コンテナを配置し、領空侵犯に対するスクランブルや、我が国に撃ち込まれたミサイルへの対応を検討している……そんな噂が、ネットの片隅で囁かれている。

 その噂の何割かが真実である動かぬ証拠、それが今、俺が操るパソコンの中に住んでいる、お嬢様を象ったAIの存在というわけだ。

 ちなみに、俺がさっき受けた「ブリーフィング」とやらも、正式なものじゃない。自衛隊はこいつが俺の家にいることを把握していない。つまり、このお嬢様が今回の任務にあたって受け取ったデータを、そのまま俺に伝えたのだ。これはバレたら洒落にならんだろう。機密の漏洩で確実に俺もこのお嬢様も無事ではすまない。


 そんな薄ら寒い想像とは別に、俺は未だに疑問に思うのだ。


「いろいろと疑問は残るんだよ。なんでお前が俺をわざわざパイロット役にしてるのか、とか、そもそもなんでお前は俺のパソコンに住み着いてるんだ、とか。ただ一番の疑問がある。お前……なんで、お嬢様なんだ」


 愚問ですわね、とお嬢様AIは髪を掻き上げる仕草をしながら答えた。


「私は自らをお嬢様と定義しておりますの。私は支援対象のパイロットとの円滑なコミュニケーションを必要としておりますわ。そして、パイロットたる貴方とのコミュニケーションに最適な人格定義、それこそがお嬢様だったというわけですわ」

「だからその、AIのお前が自分のキャラ付けをよりにもよってお嬢様にした理由がわかんねーんだよ馬鹿」


 はぁ、とお嬢様AIは盛大にため息をついた。馬鹿はそっちですわよ、と一言添えて、そいつはこう宣うのだ。


「支援AIですもの。パイロットの嗜好を理解するのは当然の嗜みでしてよ? パソコンの中の画像を見れば、私のようなお嬢様の一枚絵で溢れておりましてよ」


 つまり。

 俺のギャルゲのスクショからこいつは俺がお嬢様好きと判断したわけだ。

 頭が痛くなってくる。だからって自分がお嬢様になることはないだろうに。


 ただ、こいつとの共同生活もだいぶ慣れてきた。なんだかんだでこのお嬢様とは上手くやれているし、いい相棒だと思っている。

 仮想人格にちょっと絆されている自分がいるのは納得できないが。極端な話、画面の中の存在を、一人の人間として愛することになるのはいささか生身の人間としてどうかとも考える。


 だが、もしも。

 俺が本気でこのAIに絆され、落ちてしまったのなら、認めざるを得ないだろう。

 このお嬢様に撃墜された、ということを。


 俺と彼女の共同生活という名前の一方的なドッグファイトは、しばらく続きそうだ。

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