怪獣弐号

くわばらやすなり

怪獣弐号

 糸魚川静岡構造線に沿って本州を縦断する幅2.5kmの獣道を「怪獣道」という。これまで日本に上陸した怪獣は特定進路上の建造物や地形を踏み均すだけで積極的な攻撃は加えなかった為、自衛隊による防衛出動は一度も発生することなく、行政主導の避難活動により国民の生命は守られた。

 現在では怪獣道の両側10km以内は一般人の立ち入り及び建築物を建てることが禁止され、もはや怪獣は面と向かって対峙するものではなくなった。そのため世間の怪獣に対する関心は地震や台風より遥かに落ち、今の日本で怪獣のことを気にかけるのは子供達と防衛省怪獣局の役人だけであった——



    *    *    *



2020年1月27日17時35分

 東京上空にて流星のような飛翔体が観測された。大気圏突入による鮮やかな火球の発光で淡い冬の夕焼け空を裂きながら秒速20kmで落下していた飛翔体は、高度70km辺りで本体より更に大きな硬質の膜を落下傘のように展開させ徐々に降下速度を落としていった。

 帰宅ラッシュの電車内からも異類異形の巨大物がゆっくりと着陸しつつあるのがはっきりと目撃できた。流れてゆくビルや河川の景色は見慣れているのに、隙間から覗くシュールレアリスムによって空間自体が歪んだ質感を帯びているようだった。


「番組の途中ですが、いま入りましたニュースをお伝えいたします。先ほど新宿駅西口広場に巨大不明物体が墜落しました。現在、都内の警察官、警備員による避難誘導作業が行われています」


 報道ヘリのカメラも上空から巨大な飛来物の映像を捉えた。焦げのある黄土色の体表からは溶岩石の質感が想起され、昆虫の皮膚骨格のようにメカニカルな亀裂がどこか生物的な印象を与えていた。


「信じられません、まったく信じられません、しかしこれはCGによる映像ではありません、現実の東京なのであります——あっ!動き出しました!墜落した巨大な物体は大きく形状を変えて起き上がっています!未だかつてこのような事態があったでしょうか、前代未聞です!!」




 新宿行き快速電車に乗っていた赤堀亨あかほりとおるは、満員の先頭車両の中で日本史上類を見ない“状況シチュエーション”が作り出したある種の熱狂ムードの渦中にいた。「報道やインターネットの情報よりもいち早く飛来した物体の動向を確認できる」という好奇心に駆られ、前の車両へと移動する人の流れに揉まれていた。

 人々の目に、遂に現実の巨大物の一端が映ったのであるが——




 それは高層ビルと肩を並べる巨大生物へと変化していた。節足動物の外骨格と爬虫類の内骨格をない交ぜにしたような表皮の異常な突起を持ち、3対の肢を持っていたが直立二足歩行をする幻妖なフォルム、哺乳類の眼球と昆虫の側単眼を兼ね備えた頭部などあらゆる生物の作用部分をコラージュしたようなグロテスクな風貌は、まさに“怪獣”とでもいうべきものだった。

 巨大な前肢のひとつがこちらに振るわれたかと思うと、走行中の電車が突然揺れた。統制を崩した車両内の人間は足元から崩れ落ち、同時多発的に共鳴する絶叫と共に熱狂とは別の混沌がもたらされた。

 架線とパンタグラフが上から破壊され、激しく白い火花が散るのと同時に停電した車両は最後尾から上に持ち上げられた。

 車体が大きく傾き、人間一人一人が玩具のように軽く車両前方へと流されていった。もちろん亨も例外ではなく、横転の危険を感じた彼は咄嗟にスタンションポールの一端を掴んだ。

 巨大な2対の前肢は、先端に猛禽類に似た鍵爪をもつ4本の指が壁をひしゃげ側面に孔を開けるように後部車両を捕捉していた。走行する10両編成のうち末端から3車両が破壊的な力で列車から捻り切られるように分断され、この衝撃で走行していた列車は脱線、横転し乗客は慣性力と重力に従い車両右側の壁へと投げ出されていった。

 ポールを掴んだのは亨の他にも10人ほどで、彼等の胴体や足元を掴んでぶら下がっている人もいた。非常ドアコックが作動せず、車内に閉じ込められた人々は、あの怪獣が持ち上げた車両から人々が地面に転落していくのを、車両に残っている人間が針のような舌に貫通され次々と補食されるのを、天井に向いた車窓からありありと覗き見ていた。

 恐怖心から筋肉をいっそう硬直させていたが、さすがに握力の持久が限界のようで、亨は蜘蛛の糸のようにしがみついていたポールから手を離し、つられて他の人間達も、項垂れる負傷者と死体の上に落ちていった。


 遠目に死にゆく人間達は蟻か葉虫のように小さく見え、社会がこれは尊いものだと力説してきた人間の生命は、絶対者に相対してこれまで薄いものなのだろうか、と想像した。自分の下に横たわり埋もれている人々が時折「ぐぅふ」と呻き声ともつかない呼吸をするのを間近に聞いていて、原初的生存本能が亨の意識を厭でも覚醒させ続けていた。


「──怪獣の全長は推定70m、現在時速15kmで渋谷方面に移動中──」


「——防衛省によりますと、怪獣はこれまで観測されていない新種であり、詳しいことはまだ何も分かっておりません───」


「──なお怪獣の進行に伴い東京湾沿岸の港区、中央区、品川区、並びに渋谷区、目黒区、杉並区、世田谷区の住民に緊急避難指示が出されています──」


「──JR私鉄各線は共に運行停止しており、未だ復旧のめどは立っておりません──」


 動けない焦燥感から、スマートフォンの充電が36%ある中で怪獣に関する情報を集めていた。高層ビルや車から一般人によって撮影された映像の数々が、惨たらしい蹂躙の記録を残していた。

 何十mもの体躯によって寸断され、コンクリートの基礎が剥き出しになる首都高。曲げられて道に横たわる道路標識や信号機。振り下ろされた腕によって壁や鉄骨が破砕される集合住宅。

 進行方向上には自分の職場もあり、白煙を上げて倒壊するオフィスビル群のうちにあるのではないか。自分の社会生活にとってまだしがらみのある場所までが。

 このまま東京が壊滅したら日本はどうなるのだろうか。

 悪化する状況に対して何も出来ずにただ憶測だけが機能している、弱く愚かな自分を思って亨はその目に涙を溜めていた。


 作業灯が車内に照らされ、オレンジ色の作業着を着たレスキュー隊員による引き上げ救助が行われたのは、翌28日午前6時のことだった。



    *    *    *



「27日に東京を襲った新たな怪獣は、現在川崎・横浜方面へ進行中です。また衆議院では怪獣に対する自衛隊の攻撃を承認する決議案が提出されました。この決議案は現在提出されている全ての法案より優先して審議され、決議され次第、日本で初めての自衛隊による防衛出動が展開されると思われます」


「怪獣から逃れ東京を離れる人達で各交通機関は年末以上の混雑を見せています。道路の方は東名高速下り線沼津インターを先頭に100キロ、東北縦貫道も下り線、同じように100キロ程度の渋滞となっております」


 富士市にある避難所へ向かう大型バスに取り付けられたテレビは亨達のような避難者に状況を冷静に伝えていた。


「先ほど、政府首脳は東京を襲撃した新種の怪獣を公式に『怪獣弐号』、怪獣弐号と呼称するとの談話を発表しました」


 日本国内に於いて怪獣は、同一個体・同一種ごと、確認順に号数で公式に呼称、記録されている。怪獣道に初めて怪獣が出現したのは1954年11月3日、それから2020年1月26日に至るまで36回通過しているが、学術的観測の結果、日本に上陸した怪獣は全て同一個体と判明。政府はこれを公式に「怪獣壱号」と呼称している。


「弐号なんて、壱号と戦ったら、こてんぱんにやられちゃうんだあ」


「そうだそうだ、壱号は怪獣でいちばん強いんだ」


 バスの後部座席で子供達が話す声が聞こえた。

 怪獣の強さは兎も角、正体不明の巨大生物に名前が付けられたことで亨もだんだん落ち着いてくるように感じた。特に弐号という名前なら、自衛隊がなんとか退治してくれるだろうという何処か安心感があるようだった。





「戦後日本で初めての自衛隊による防衛出動が迫っています!標的は勿論、平和を脅かす敵であると衆参両院で決議された、あの怪獣弐号であります!」


「新たに入ったニュースをお伝えします。政府は本日正午をもって怪獣弐号との総力戦に望むことを決定しました。この作戦は同時かつ多重的な攻撃によって怪獣弐号を圧倒することが骨子とされています。これに伴って川崎市周辺は戦場と化すことが予想されるため、付近住民の避難の徹底と主要幹線道路の封鎖が行われます。まだ避難されていない方は、テレビ、ラジオの報道に従って速やかに避難をしてください」


 多摩川河川敷にずらりと並ぶ10式戦車と16式機動戦闘車、89式装甲戦闘車をテレビカメラが映し出した。バスの車内は自衛隊を応援するムードで、スポーツ観戦のような活力のある雰囲気が取り巻いていた。


〈全該当区域の避難完了、確認しました〉


〈移動巡察異常なし〉


 通信部隊からの報告を受けた戦闘司令本部が作戦を開始した。


「第一次攻撃開始!」

「各部隊、射撃開始」


 陸上自衛隊による集中砲火が炸裂し、怪獣弐号は大きな爆発の炎と黒煙に包まれた。これを受けて弐号の進行速度が僅かに低下したように見えた。これを好機と考えた自衛隊は後方に配備された96式多目的誘導弾システムや99式自走榴弾砲による攻撃を加えた。

 一方で、航空自衛隊はF-2戦闘機を三沢基地から出撃させ航空攻撃を開始しようとしていた。攻撃の余波に備えるため河川敷の戦闘車両はフォーメーションを変えながらも依然として集中砲火を続けていた。ついに戦闘機からは精密誘導爆弾JDAMが投下され、怪獣弐号に命中した。

 爆発の煙が晴れるのを、自衛隊員が、亨をはじめテレビを見ている避難者達が、みな固唾をのんで見守っていた。

 煙が晴れて、そこにいたのは進行を停止した怪獣弐号で、胸部の外骨格が左右に大きく開かれ、青白く発行する内部器官が露出していた。チェレンコフ放射を想起させる妖しい輝きに一瞬恍惚となって、ハッと正気を取り戻したときには───


 巨大なプラズマの一閃と共に戦闘車両は次々と爆破され、キャタピラーや装甲の残骸が鮮烈に火花を散らして爆散していった。作戦開始からものの20分で多摩川河川敷は荒野と化した。怪獣弐号の開かれた骨格が再び元のように閉じていくと、同時に背部骨格の隙間から薄い膜がおりてきた。東京に飛来した際に落下傘のように広がっていた飛膜はゆっくりと形状を変化させ2対の翅を完全に形成すると、怪獣弐号は巨大なそれをはためかせて徐々に空中へと飛翔し、その風圧で戦車部隊の残骸すらも上空へ撥ね飛ばし、作戦を中継している報道ヘリをはたき落としていった。

 人智を越えたその映像に、避難民は言葉を失ってただ呆然と見ているだけだった。



    *    *    *



 亨達を載せたバスは、富士市に入る手前で自衛隊の仮設拠点に停められた。


「怪獣弐号は現在富士山方面から西日本に向けて飛行中です。もうすぐこの地域も危険です。避難者の皆さんはあちらに停まっている輸送ヘリコプターに搭乗してもらいます」


「そんな、あとどれくらい逃げ続けなくちゃいけないんですか」


「現時点では全くわかりません。我々は国民の生命を守るために活動します、どうかご協力ください」


 亨達が載ってきたバスの他に東京からの避難者を運んできたバスが並んでいた。彼等は富士市、富士宮市の住民と共に待機列をつくり、自衛隊員の指示に従って大型輸送ヘリCH-47 Jに搭乗していった。


 新宿に怪獣が出現してからずっと移動生活を余儀なくされていた亨は、人間の前に恐竜が住んでいたころの時代を想像していた。

 三畳紀から白亜紀にかけて、ネズミのように小さな哺乳類は地球の支配者であった巨大な恐竜達の陰に隠れてひっそりと生活し、細々と種を永らえさせていた。恐竜が絶滅してから、哺乳類達は急速に種類を増やし、そのなかで類人猿などが発達し我々人間が誕生するまでの長い進化の道筋を作った。

 いま日本は侵略者としての怪獣という破局カタストロフを受容し、社会機構や日本人、人間という種そのものが総体として問われている。食物連鎖の頂点に胡座をかいていたこれまでの常識が全く通用しない新時代に突入しつつある。

 もし世界の支配者が人間ではなくなったら────







 ────それでも人間は生きることが出来る、そう信じている。自分より遥かに強大な存在に対して、ひたすら逃避行を続けるという生存戦略がまだ残されている筈だ。そうやって一人一人の命を、次の時代へ繋いでいくことが出来る。



「生きたい」



 亨の眼は力強く前を向いていた。

 

 彼等を収容したヘリがいよいよ上空へ飛び立っていく。自衛隊の輸送機に乗るのは大人も初めてだが、子供達は今まで体感したことのない振動と浮遊感に興奮しているようだった。

 住宅街を上空から見下ろし、目の前にだんだん富士山が見えてきたその時、長大な荒野をものすごい速度で駆ける強大な影をチラリと見た。

 次の瞬間、強大な影は亨の載っていたヘリを飛び越し、すぐ側まで迫っていた怪獣弐号に向かって突撃した。揉み合う強大な生物はそのまま地面に落下し、激震を走らせ建造物の数々を飛び上がらせた。

 急旋回するヘリの窓から見えたのは、廃墟の中から起き上がる怪獣弐号と、子供の頃に亨も見たことのある巨大な獣であった。




「─────怪獣壱号だ」




 亨が初めて壱号の姿をテレビ中継で見たとき、神社にある狛犬や獅子のようだという印象を受けたが、実際に見ると想像以上に胴や首は細長く、龍のようにしなやかな顔付きであった。それは中国の伝説に現れる麒麟を思わせる造形だった。

 怪獣弐号が胸の骨格を開き、プラズマ波で焼き払った火の海の中を、怪獣壱号は果敢に向かって行く。再び飛びかかって頭部に噛みついてくる壱号を4本の腕で掴もうとする弐号であったが、はらりと身を翻した壱号は強靭な後脚で蹴りを入れて弐号をビル群に吹っ飛ばした。


 小さな人間の手に余る壮大な怪獣同士の戦いを目撃しながら、大型輸送ヘリは離れるように上空へと飛び立っていった。

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