第7章 いのり

 周りが黒に染め上がっていく。どこを見渡しても黒の牙と黒の身体が目に映ってしまう。網膜に悲惨な光景を焼き付けたくない。瞼をもう二度と開けたくなかった。悪夢の始まりだった。眠りについていないはずなのに夢を見てしまっている。いっそ夢だと思い込んで倒れ込めば、瞼を開けるよりも何倍、何十倍、何百倍、何千倍、何万倍と楽だった。安心して楽になりたかったのかもしれない。

 それでも瞼を開け、必死に微かに開けられた道を探し出した。このまま立ち止まっているままでは、いつ僕の身体に牙が刺さるか分からなかった。時間の問題だ。地獄絵図の回廊を走る。狂気の赤い眼差しを向けられながら駆けるしかなかった。

 地獄絵図の回廊を抜け出した時、ある一人に出くわした。こいつはただ立っているだけだった。後ろ姿をこっちに見せているだけだ。手首に赤い機械、両腕に古びた包帯が巻き付けられている。激しく呼吸をしているのか、肩が上下させている。

 なんだか不気味に感じ、同じく立ち止まってしまった。こいつはどこを見つめて立ち止まっているのだろう。四方八方から黒い猛獣が唸り声をあげているのに、なぜか黒い気配が周りに感じなくなっていた。

 僕は呼吸をするのも忘れてこいつを眺めていた。性別などもわからずに立ち竦んでいた。

 赤い機械が古びた包帯の一本の腕と一緒にふわりと上がる。

「私は…」

 声を初めて聴いた途端、頭の中にあった憎悪を思い出す。

 黒の背景が一瞬で炎に包まれていった。炎の渦は僕と包帯の人を取り囲んでいる。我に返った時、息が苦しくなる。憎悪のためか炎の熱さのためか。

「私はもう…」

 腕を上げたまま一つも動じていない。息が上がったままその手を見つめる。古びた包帯が炎の光をはね返し赤く染め上がっている。赤い機械がより深紅となっている。

「私はもうだめ…」

 一瞬悲しみを感じた。

赤い腕が重力に従って肩からぶら下がる。

抗えない運命をあの人は受け入れるようだ。

赤い機械が手首から剥がれ落ちる。ベルト部分が彗星の尾のように消える。古びたベールが脱がされる。包帯は腕を包み隠さずに、はだけていってしまう。

その腕には絶望の黒に染まっていた。

炎はいつの間にか消えている。

その人は僕に顔を見せつけるように振り向く。

赤い瞳と黒い牙があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

DEATH ERASE MINE/デス イレイズ マイン 堺 かずき @sakai_kazuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る