森本荘は、もういらない

@Yamaki_Tsukumo

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 私は学生時代、京都に住んでいた。

 1回生から3回生までの間は、西京区にしきょうく五条通ごじょうとおり沿いにあるマンションで暮らしていたが、4回生に上がる前、思うところがあって休学した。そして、休学中の4回生となってからは、住居を上京区かみぎょうく出町でまち界隈に移し、そこで暮らしていた。そのとき住んでいたアパートこそが『森本荘もりもとそう』だ。

 京都で学生をしていたのは約3年前なので、京都を訪れたのは実に3年ぶりだと言いたいが、実は2年ほど前に一度、京都を訪れている。ただそのときは、『森本荘』のあった出町界隈へ足を踏み入れてはいない。京都を発ってからあまり時間が立っておらず、なんとなく思い出に浸ることは出来ないだろうと思い、また、そんな年齢でもないという考えがあった。ただ今思えば、そのとき無理にでも出町界隈を訪れるべきであったのだろう。なぜなら、私の学生時代の象徴だとも言える、あの『森本荘』はなくなっていたからだ。


 私は、年末年始の休暇を利用し京都を訪れていた。

 大学の後輩の家に泊まり、学生時代の頃と大して変わらない、無意味な会話を繰り返していると、「そう言えば、先輩の住んでいた『森本荘』なくなってましたよ」と、その後輩が思い出したように呟いた。

「本当に?」と私が聞いてみれば、彼は「はい。ランニングするとき見たら無くなってました。あの、コンビニの前にあったやつですよね。あ、でも間違っているかもしれません」と答えた。私はおどけて「そうか」と呟いてみたが、少しだけ寂しい気持ちになっていた。


 翌日、私は出町界隈へと向かった。

 四条大宮しじょうおおみやから201系統のバスに乗り、河原町かわらまち祇園ぎおん百万遍ひゃくまんべんを経由して出町柳でまちやなぎ駅を目指す。私は窓際の席に座り、流れてゆく京の街並みを眺めていた。

 年末年始のためだろうか、四条河原町を歩く人々はどこかせわしない。

 万年観光客でごった返す祇園界隈は、国際色豊かな人種で溢れかえっている。

 京大生が闊歩する百万遍には、相も変わらず看板が立てかけられ、そこには主義思想が描かれている。

 3年前とさして変わりない風景。だが、その風景や街並みを作り出す、そこにあったはずの商店や、学生御用達の飲食店は、潰れてしまったのか、移転してしまったのか、なんにせよ、無くなってしまったものもある。そう考えると、私たちが日ごろ口にする風景や街並みという言葉は、なんと曖昧なものなのだろう。


 出町柳駅でバスを降り、しばらく歩くと鴨川デルタが見えてくる。

 私は河合橋東詰かわいばしひがしづめから橋を渡り、そのままデルタを形成する中洲へと脚を踏み入れた。辺りをぐるりと見渡してみれば、山々の稜線が遠くに見え、ここは本当に京都なのだと思わされる。デルタでは子連れの親子が飛び石を渡り、ビニールシートを広げピクニックを楽しむ学生がいて、空には人間が頬張る食べ物を狙って旋回するトンビがいる。

 私はデルタの先端に立つと、西に向かって飛び石を渡る。

 観光で訪れた者はおっかなびっくりに、地元民はリズムよくトントンと。そして、学生時代に出町に住んでいた私は、少しだけ昔のことを思い出し、飛んだ。でもやはり、上手に飛び石は渡れない。


 鴨川デルタを後にした私は、近くにあるコンビニで用を済ませ、それから煙草に火をつけた。このまま目の前の出町商店街を抜ければ『森本荘』があるが、すぐに向かいたくはなかった。だから、煙草が吸いたくなったというより、そこで時間を潰すために煙草に火をつけたのだろう。煙草はアメリカンスピリットのメンソール。学生の頃から吸っている煙草だ。   

 幸い、燃焼時間の長い煙草だったことがいまの私には嬉しかった。


 煙草を灰皿でもみ消し、出町商店街へと脚を踏み入れる。

 入口には冠婚葬祭を取り扱う商店があり、そのはす向かいには総菜を取り扱う店がある。

 スーパーマーケットがあり、文房具屋があり、弁当屋があり、古本屋があり、八百屋があって、肉屋があって、魚屋がある。

 温かみがある。という表現が私は好きではないが、少なくとも、「今までの人生で温かみのある場所を言え」と言われたなら、恐らく出町商店街をあげるだろう。家族で経営している商店が多いせいか、ここには人間的な営みが色濃く表れ、同時に生活の匂いが強い。学生時代の私は、そんな匂いを嗅ぎながら、毎日のようにこの商店街を抜け大学に通っていた。代り映えの無い日常で、見慣れた風景。だから、買い物のためにトロトロ歩く主婦や、観光で訪れた人間や、よぼよぼと歩く老人を早足で追い抜いていた。だけど今日の私は、そんな彼らよりも、ずっと歩みが遅い。できるだけ、ゆっくりと商店街の出口へと向かっていた。


 出町商店街を抜け、右に曲がる。京都では北に向かって歩くことを上ると言うので、寺町通りを上ってゆく。すると、『森本荘』の手前までやってきた。ちょうど、はす向かいにある家の軒先の影に隠れてしまっている場所に『森本荘』はあるはずだ。そのはずなのに、『森本荘』がそこにあるという空気が、全く感じられなかった。

 そのとき私は初めて、そこにはもう『森本荘』がないのだろうと実感した。それは決して、後輩から『森本荘がなくなった』ことを聞いたからではない。人に気配があるように、建物にも気配がある。ちょうど『森本荘』の前を通る道からは、その気配がない。

 私の歩みが、さらに遅くなった。そのまま帰ってしまおうかと思った。

 このまま進めば、『森本荘』がなくなってしまったことを決定付けてしまう。このまま帰ってしまえば、少なくとも私の中では『森本荘』はまだある、と思える。そんな葛藤のようなものがあったのだ。

 だがそれでも私は、歩みを進めた。センチな気持ちになって、宝箱から美しい宝石を取り出し、それを慈しむように眺め、遠い昔に想いを馳せながらグラスを傾けるような、そんな老人じみたことは、まだできない。それはもっと、先のはずだ。


『森本荘』の前までやってきた。向い側の道路から、『森本荘』あった場所に眼を向ける。するとそこには、工事現場でよく目にする「安全第一」の看板。そしてその向こうには、枯れた草の生えた更地。両脇に立つ建物の間はぽっかりと空いていて、そこにあったはずの建物はもうなかった。築、約60年。東京でオリンピックが開催された年に建てられた木造アパートは、二度目の東京オリンピックを見ることなく消えた。


 私は、『森本荘』の向いにあったコンビニでコーヒーを買い、煙草に火をつけた。吐き出した紫煙は、空虚に吸い込まれるようにして消えてゆく。

 かつて『森本荘』があった前を人々が歩いてゆく。まるで、そこにはもともとなにもなかったかのように、ぽっかりと空いた空間に眼を向けることなく、私の視界から消えてゆく。

 コーヒーを買ったついで、コンビニの店員に「あの向いの建物はいつなくなったのか?」と聞いたところ、なんでも去年の年の瀬、つまり一年前に取り壊されたのだと教えてくれた。

 しばらく私は、その更地になった『森本荘』を眺めていた。だと言うのに、ずっと同じ場所を眺め続ける私に対し、道行く人々は一瞥をくれはしない。都会、もと言い、街中という場所において、個人が何者かとして認識されるのは難しい。これは私が、田舎の産まれだからこそ気にすることかもしれないが、田舎ではすぐに何者かになれる。どこどこの、誰々の息子、といったように。だが、街中ではそのような方法で人を認識しない。もしかすると、私が人々から何者であるかを認識されないように、あの『森本荘』もまた、この地域に住む人間にとっては、なんら気にすることのない、何者でもない建物だったのかもしれない。

 きっと、そんなことを考えていたからだろう。私は灰皿で煙草をもみ消すと、更地になったあの場所に眼を向けることなく歩き出した。


 そのあと、私は遅めの昼食を済ませ、喫茶店に寄った。コーヒーを注文し、煙草を吸い、今日のことを記した。ふと顔を上げると、向いの席では初老の3人組が、動画投稿サイトの話をしている。どうにも、商品レビュー動画の話をしているらしい。ああやって、若者文化と呼ばれるものを利用する老人を見ると、驚きを感じてしまう。

 そういえば、あの『森本荘』の管理人も、彼らと同じくらいの年齢だったはずだ。

 時代に取り残され、消えてしまうもの。時代の波に乗り、上手く渡り歩くもの。その違いはどこにあるのだろうか。ただ少なくとも、あの木造アパートは時代に取り残され、消えてしまったものなのだ。


 喫茶店を出た私は、河原町今出川かわらまちいまでがわ通りの交差点までやってきて、再び鴨川デルタへと脚を向けた。東の空に眼を移せば、五山の送り火で有名な如意ヶ嶽が見える。

 私は鴨川のほとりまで行き、飛び石を渡る。

 おぼつかない足取りではないが、かと言ってリズムよくも飛べない。未だ、上手に飛び石を渡れない。だから私は、せめて少し昔のことを思い出さないようにして飛んだ。


                                    了

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