第33話 勝負は大事。バスケも大事。佑人も好き。
緋色が投じた最後のボールは。
落ちて…………こない。
「えっ?」
「うわ!」
「……」
ボードと接したリングの上でぴたりと静止している。こんなの久しぶりに見た。
もし試合中だったらジャンプボール・シチュエーション。スローインから再開だ。
でも今は一対一の勝負の場面。ルールはいくらでも変わる。
「碧さん、どうする?」
尻餅ついた緋色を助け起こしつつ碧さんを見るとなんとも言えない表情で腕を組んでいる。ゴールしていない以上、結果は9:6で碧さんの勝利なわけだけど。
「そうだな――。後味の悪さは否めないが、ゴールに入らなかった以上わたしが勝……」
「みて!」
緋色が示したのはリング上のボール。まるで見えない手に押されるようにコロコロと転がり、そのままリングの中にすとん。紛れもないゴールだ。
静まり返る中、どこか気恥ずかしそうに転がってくる。
「あ、ねぇいまの、入ったことになる、んだよね……?」
隣の緋色がためらいがちに腕を引いてくる。
「ということは……引き分けだよね?」
「そう、だな。うん。そうなるな」
「じゃあ……」
喜色満面だった緋色はハッとしたように碧さんを見る。
どこか悄然としている碧さんは足元に転がってきたボールを両手で拾い上げた。
たぶん勝つ気でいたのだろう。
おれのことはともかくとしてバスケへの想いは人一倍強い。ラスト一本さえ外さなければ勝っていたと思っているかもしれない。
「あのっ」
よろよろと歩き出したのは緋色だ。
碧さんの前に回り込み、ぺこりと頭を下げる。
「青嵐高校女子バスケットボール部キャプテン、姫氏原碧さん。練習に付き合っていただき、あ、ありがとうございましたっ!」
それはまるで、試合後に両チームが揃ったときにするような力強い礼だった。
「私、バスケだけじゃなく運動は苦手だけど、それでも、みんなと一緒に戦っているときは自分もチームの一員として戦っているみたいで楽しいんです。だから姫氏原さんもこれからもずっとバスケを楽しんでください。私たちも今年全国大会に行けるよう頑張ります」
体育館に響き渡った声が、しずかな沈黙を呼んでくる。
緋色がしていることは、もしかしたら場違いで、頓珍漢なことかもしれないけど、なんでかな、どうしようもなく愛しいと思うのは。いますぐ抱きしめたいと思ってしまうのは。
「……ふっ」
碧さんの肩が揺れた。
「なるほど、そういうことか、ふふ……」
まるでネジが外れたように笑い出した。
緋色はきょとんとしていが、おれも一緒に笑ってしまった。
「取り乱してすまない。なんだか急に可笑しくなって」
ようやく落ち着いたらしく、ぐいっと目元を拭って髪を振り払う。
「これ良かったら」
進み出た緋色がポケットからティッシュを差し出された碧さんは「ありがたく」と礼を言ってから目元を拭った。おれを振り返った瞳はうるんでいる。
「佑人。どうしておまえが彼女に惹かれたのか分かった気がする」
「だろ?」
自分を褒められたみたいでなんだか嬉しくなった。
おれの彼女、いいだろ。
「間宮マネージャー、悪いが少しだけ離れてもらえるか?」
緋色が離れたのを確認した碧さんはおれを手招きしてこう言った。
「なぁ佑人。幼いころわたしに教えてくれた”バスケにとって一番大事なこと”を覚えているか?」
「一番大事なこと??」
突然尋ねられても分からない。
出会ったときのことすら思い出せていないのに。
「えーっと……ルールを守って」
「はずれ。正解は『楽しむこと』だ。ほら」
唐突にボールをパスしてきた。
と同時に床を蹴って走り出し、手で合図を送ってくる。頷いてからゴール近くにパスしてやると流れるようにレイアップを決めた。
一日フルの練習、居残り練習、そして九本のスリー。
それだけの量をこなしてもなお動けるなんて、どれだけ体力があるんだ。
足元に転がってきたボールを手に、碧さんは先ほど緋色のボールが停止したゴール上を見つめている。
「わたしは神様というものはあまり信じないが、さっきゴールが入った瞬間、聞こえた気がしたんだ。『つまらない色恋沙汰はコートの外でやれ。ここに立つ以上はもっと楽しくて熱い勝負をしろ』と告げる声を」
緋色とともにゴール上を見ても当然、神様の姿なんて見えないんだけど、碧さんは真剣だった。
「わたしはバスケが好きだ。『ボールをゴールに入れるだけ』という単純なルールながら、熱く、激しく、こんなにもわたしの心を躍らせる。宝物だ。それなのにわたしはつまらない意地で賭け事に利用してしまった。だから神様に叱責されたように思ったんだ」
振り返り、緋色に向けてボールをワンバウンドでパスする。
緋色はびっくりしながらもなんとか受け止めた。
「仲間と協力しながらただひたすらにボールを追い求め、ゴールを目指し、わずかな点差で喜びと悲しみ分かち合う。それがわたしにとってのバスケだ。だからこの勝負はわたしの負け。そもそもバスケで懸けるのは勝利に対する情熱だけであるべきだ。ケンカの道具ではないのだから」
――あっ。
『バスケやってるときはケンカするんじゃねぇ。バスケにしつれーだ』
思い出した。
同じようなことを昔おれも口にしたことがある。
だれかとケンカしていたときだったかな。
バスケをするのは人間なんだからチーム内でも仲のいいやつ・そうじゃないやつ・苦手なやつがいる。
ただ、試合中は唯一無二のチームメイトだ。どんなにキライでもそいつにボールをパスする。託す。ゴールへの思いは一緒だと信じて。
そして見事ゴールを決めれば喜び勇んでハイタッチするんだ。スキとかキライとかじゃなくて、バスケが好きだから。楽しいから。
「バスケに対して真摯であること。そんな大事なことを忘れていたなんてキャプテンとして情けない。すまなかった、間宮マネージャー、佑人。わたしのワガママに付き合わせてしまって」
誠実に頭を下げようとするのを慌てて止めさせた。
「いや碧さんが悪いわけじゃないだろ。おれたちだって納得して乗っかったわけだし。な、緋色」
「はい、私も、青嵐のキャプテンと対決できて良い経験になりました」
「ふたりとも、ありがとう」
碧さんは緋色の元に進み出た。
気圧されたように後退する緋色にさらに一歩詰め寄る。
「正直に言うとドローとは思わなかった。絶対に負けない自信があったし、佑人とデーティングしたかった。だがそればかりに目をとられて大事なことを忘れていたようだ」
「大事なこと、ですか」
「柔軟性。言いかえれば『好きになってもらう』ための努力が足りなかった。自分の気持ちばかりを優先して相手の気持ちを考えていなかったんだ」
碧さんはどこまでも真面目で、まっすぐだ。
「頭に血が上っていたとはいえ、佑人を賭け材料にするべきじゃなかった。もっと堂々と……」
流し目を向けられ、どきっと心臓が跳ねる。
「あ、だ、だめです、ひと君には私の彼氏さんになってもらう、ので」
慌てて割り込んでくる緋色が必死すぎてぎゅーっと抱きしめたくなった。けれど先に手を伸ばしたのは他ならぬ碧さんだ。
「ところで間宮マネージャー……いや緋色。ずいぶんと汗をかいたんじゃないか?」
「は、え、まぁ。もしかして臭いますか?」
「気にするほどではない」
不安そうな緋色の両手を掴んで自分の胸元に引き寄せる。
「合宿所の風呂は0時まで入れる。一緒に汗を流そう」
「「……え?」」
なにを言い出すのかとおれも緋色もびっくりしてしまった。
しかし碧さんの目は
「日本ではハダカの付き合いをすると心の距離が縮まると聞いた。わたしはバスケに関してはだれにも負けない努力をしてきたが、こと恋愛やオシャレに関してはまだ初心者だ。だからあなたに教えてほしい。具体的になにが佑人を惹きつけたのか、なにが佑人の心をくすぐるのか。じっくりと。詳しく」
――そんなわけで、体育館の後片づけを終えるなりふたりは連れ立って合宿所内の浴室に行ってしまった。
取り残されたおれはひとり生ぬるいシャワーを浴びて部屋に戻る。
薄暗い部屋で、寝相の悪い一年たちがしっちゃかめっちゃかに散らかした中から手探りで布団を引っ張り出す虚しさと言ったら。
まぁ部屋を抜け出していたおれが悪いんだけど。
布団に入ってからもなかなか寝つけずにスマホを眺めていたが、もうそろそろ出ただろう、という頃合いを見計らって緋色にラインを送ってみた。「なにを話していたんだ」と。
すぐに既読がついた。
返信はひとこと。
『ナイショ♪』
だそうだ。
ぐぁー。
気になりすぎてその夜は一睡もできなかった。
※
翌朝、またしても朝日を見るくらいの時間に部屋を出た。
緋色と碧さんがなにを話していたのか悶々として仕方ないので走ってスッキリしたい。
「よし、いくか」
軽く柔軟体操をしてからコンビニに向かうための校門を出た瞬間、目の前に人影が立ちふさがった。
「おはよう、ひと君」
「遅いぞ佑人」
ともにジャージ姿のふたりが「待ってました」とばかりに微笑んでいるのだった。
おれ人生史上最高にイヤな予感がする。
【スピンオフもどうぞ】
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896213100/episodes/1177354054897654833
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