第22話 モブ、スタンバイ
青嵐高校との練習試合の朝。
いつもより少しだけ早く起きて月波高校の制服を着た。男バスの部活動はないので私服でもいいんだけど他校相手なので見た目はちゃんとしておこうと思って。
「じゃあ行ってきまーす」
玄関先で靴を履いてからいつものように声をかける。
「行ってらっしゃーい」
「いてらっしゃい」
するといつものよう可愛い妹たちが見送りに来てくれる。
が、今日はいつもと違った。
「あれサクラは?」
今生の別れのように悲しげな目で見送りにやってくるサクラの姿がない。モモとハナが無言のまま唇を尖らせて「痛そう」な
今日は半年に一度の予防接種の日だ。あいつ、体つきは大きいくせに病院嫌いで困る。動物病院の名前を出すだけで文字通りしっぽを巻いて逃げ出すのだ。人の言葉を理解しているとしか思えない。
帰ってきたら思いっきり遊んでやるからな、がんばれサクラ。
「じゃあ行ってき――」
奥で母さんの悲鳴がした。
「サクラが脱走したわ! だれか捕まえて―!!」
リビングを飛び出したサクラがものすごい勢いで突進してきた。
玄関の扉は半開き。
あ。これヤバイやつだ。
※
「先生戻ってこないですねー」
青嵐高校バスケ部の名を冠したバスの最前列でスマホをいじりながらのぶ子がぼやいた。
朝五時に青嵐高校を出発してバスに揺られること四時間。ようやく月波高校に到着したというのに顧問の佐伯女史は一向に戻ってこない。
「迷子になっているんですかねー。なんなら見に行ってきましょうか?――キャプテン?」
隣に座るキャプテンこと碧はいつになく緊張した面持ちで窓の外を見ている。インターハイの決勝戦ですらここまで緊張していなかった。
さては、とのぶ子がなにかに感づく。
「もうすぐ『ゆうと』に会えると思ってドキドキしちゃってます?」
すさまじい勢いで反発がきた。
「バカもの! そんなはずないだろう! わたしはいつも通り」
「顔、赤いですよ」
「~~~~!!」
のぶ子に指摘されて露骨に顔を覆う碧。
冷静沈着なキャプテンの反応が面白くてのぶ子はつい饒舌になる。
「分かりますよ、分かりますとも。十年? 十一年でしたっけ? まぁなんにせよ久しぶりに会う初恋の相手ですものね。どんな顔で、一体なにを話せばいいんだろう、相手は自分を覚えているだろうか……不安と期待と恥じらいと胸の高鳴り。あぁ一体どうしてくれよう――ってキャプテン?」
話の途中にも関わらず碧が立ち上がった。
「時間がもったいない。先生が戻られないのならこちらが行動しなくては」
黒髪をなびかせて颯爽とバスを降りていく。
「そりゃあ待ちきれないよね」と含み笑いをしてのぶ子たちも後をついていった。
初めて訪れる学校は右も左も分からない。かろうじて体育館がふたつあることは分かったのでそちらに向かって歩いていく。白地に青いラインの入った青嵐高校の上下はひどく目立ち、行き交う生徒たちの注目を浴びている。
「なぁんか、春休みのはずなのに生徒が多いですねー」
のぶ子の言葉も碧には届かない。
ただまっすぐ前だけを見て突き進む。
ふと、前方から走ってくる女子生徒の姿が目に入った。二重の大きな瞳と華奢な体つきが目を惹く美少女だ。
碧は手を挙げて呼び止める。
「すみません。青嵐高校の者ですが練習試合を行う体育館はどちらでしょうか」
「あ、はいっ」
相手はびっくりしたように立ち止まって碧の顔を食い入るように見つめる。
「なにかついていますか?」
気になったのは髪だ。ゴミでもついていては大変と撫でてみる。すると首を振られた。
「いえ違うんです、すごくキレイな方だなぁと思って。あ、体育館ですよね、ご案内します。私、男バスのマネージャーなので」
「助かります」
男バスのマネージャーだという女子生徒は「間宮」と名札をつけていた。奇遇にも同じオレンジ色のリストバンドをしている。
「こちらです、どうぞ」
先を歩きはじめる彼女の背中に、碧は思いきって尋ねてみることにした。
「失礼ですが『おけがわゆうと』という人を知りませんか? 男子バスケ部にいると思うのですが」
振り返った彼女は目を白黒させている。困惑したようにも、悲しそうにも見える。
「おけがわゆうと――はい、男バスの部長です、一応。今日は生徒会の仕事で登校しているみたいですが」
生徒会。意外ではあったが彼ならばなんでも得意そうだ。
「古い知り合いなんです。会うことはできませんか?」
碧は知らない。
まさか同じ高校に『おけがわゆうと』が二人いようとは。
「えぇと……」
戸惑う彼女の後ろからひとりの男子生徒が現れた。すらりと背が高くモデルのように眉目が整っている。碧と目が合ってにっこりと微笑む。
「俺にご用ですか? 青嵐のお姫さま」
※
「ったくサクラのやつ苦労させやがって」
脱走したサクラを家の外で追いかけ回していたらかなり時間をくってしまった。
親父とふたりがかりでケージに押し込んだときには10時を回っていた。慌てて電車に乗り込み、いまさっき最寄り駅を降りたばかりだ。
学校に向けてダッシュしながら緋色の番号をコールする。『もしもし』の声の向こうから大歓声が聞こえてきた。ものすごい盛り上がりだ。
『ひと君? ごめんなさい、よく聞こえないんだけどすぐに来て! お願い!』
それだけ言って電話が切れた。
一体何事かと驚きながら学校へ続く最後のカーブを曲がる。
柵を乗り越えて到着した体育館の入口には人だかり。頭と頭の間から覗き込んで目にしたものは……。
「なんだよ……、これ。一体どうなってんだ」
第二体育館で試合をしていたのは青嵐高校とウチの女子バスケ部ではなく、青嵐高校女子バスケ部とウチの男子バスケ部だった。
「へばってんじゃねぇぞ、追いかけろ!」
ガラガラ声で叫ぶのはイキリ桶川だ。今日は珍しく来ていたらしい。
ただ小石崎たち一年に比べると全くといっていいほど足が動いていない。ふだん練習をサボっているツケがきているのだ。
相手の4番が凛とした声で叫んだ。
「相手はもう限界のようだ。だが手を抜くのは失礼というもの。攻めて攻めて攻め続けるぞ」
女バスのキャプテンはひとつに結んだ黒髪を揺らしながら見事なハンドリングとパス回しでウチのゴールを脅かす。
「ひと君、来てくれたんだ」
おれの姿を見つけた緋色が人垣をかき分けて近づいてくる。
「緋色、一体どうなってるんだこれ。男女混合バスケってわけじゃなさそうだし……しかも向こうのメンバーってもしかして一軍レギュラーじゃないか?」
小さく頷く緋色だが表情が暗い。
「そうみたい。私も状況が呑み込めてないんだけど、ゆーくんがあの4番の人となにか話をしてて……ちょっと揉めたみたいなの。それで向こうから女バスの試合のハーフタイム中に交流試合をしようと提案してきて」
「1クォーターのみの試合……で、9-21か。ずいぶんな点差だな」
男女の体格差があるのでウチが強引に攻めれば相手は太刀打ちできない。というより怪我のリスクを考慮してなのか必要以上に対応しようとしていない。
一方でリバウンドやパスミスなど確実にものにしてウチが戻りきらないうちにあっさりゴールを決めている。ミスは極めて少ない。本当に強いところは基本を完璧に抑えているものだ。
強いな。特に4番。
緩急の差をつけるのがうまい。流れるような動作から確実にパスを回している。
「あの人、姫氏原さんっていうの。『”おけがわゆうと”を知っていますか』って私に話しかけてきた。きれいな人だよね」
姫氏原。バスケ雑誌で見たことがある。
昨年の青嵐高校の優勝に貢献したとされる絶対的なエースだ。華奢な体つきからは想像もつかない攻撃的でパワフルなプレイを得意とする。
モデル顔負けの美貌から『美しすぎるキャプテン』とか『姫騎士』だとか持て囃されていたけど目にするのは初めてだ。
「――ったく、やってらんねぇよ」
イキリ桶川が今まで見たことないような顔で悪態をついた。
まだ小石崎たちが気張っているっていうのに勝手にコートから出てくる。
「え、ちょ、ゆーくん!?」
驚く緋色をよそに体育館を飛び出していく。あまりに見事な撤収だったのでおれも開いた口が塞がらない。
「ってオイ逃げんのか!? まだ小石崎たち一年が頑張ってんのに」
さすがに見過ごせない。
慌てて追いかけたが凄まじい剣幕で睨まれた。
「うっせぇ! 髪の毛を触っただけで騒ぎ立てた挙げ句、一方的にふっかけてきた試合だ。付き合う義理なんかねぇよ!」
それだけ吐き捨てて去ってしまう。
は? 髪の毛? 一体なんなんだよ。
残り時間はわずか。ここから巻き返すのは不可能だ。
ヤツの気持ちがまったく理解できないわけじゃない。
ブザーが鳴って負けを思い知らされる瞬間はそりゃあ惨めだ。
「負けたくない」「負けたくない」とギリギリまで張り詰めた気持ちが跡形もなく燃え尽きる。それはもう無様で、かっこ悪くて、情けない。
きっとイキリ桶川はその屈辱感に耐えられないんだろう。
だけど勝ち続けられるだけの人生なんてないんだぞ。分かんないのかよ。
「ひと君、どうしよう」
戸惑う緋色。
残り二分半。
制服からユニフォームに着替えてる時間はない。
「……緋色、悪いけどちょっとこれ預かっててくれ」
脱いだ上着を手早くまとめて渡す。持ってきたカバンからバッシュを取り出して素早く紐を結んだ。
「え、ど、どうするの」
「このまま負けっぱなしじゃ小石崎たちが気の毒だろ」
「じゃあ……」
「うん」
戸惑う緋色に赤いリストバンドを掲げて見せる。
「アイツのかわりにおれが出るよ」
久しぶりに本気を出さなくちゃいけないかもしれない。
【スピンオフもどうぞ】
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896213100/episodes/1177354054896774499
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