姫氏原碧登場。恋愛×合宿サバイバル
第21話 おだやかな日常
三月上旬。
卒業式が無事におわり、もうすぐ三年生になるおれたちは短い春休みに突入していた。
「前みろ前、常にゴールや仲間の動きを確認するんだ。手元ばっかり見てたらボールを回せないだろ!」
「うぃっす!」
定番中の定番、目の前に人を立たせてのドリブル練習である。どんなに大きな相手につかれても闘志と冷静さと巧みなハンドリング、そして思考を忘れちゃいけない。
「そっちはなんで簡単に抜かせるんだ! もっと威圧しろ、死ぬ気で進路をふさげ!」
「はいっす!」
一年部員たちを厳しく指導する。
ん? なんで
「はい10分休憩でーす!」
緋色が大声で叫ぶ。
一年たちはホッと息をついてばらばらと歩きはじめる。おれも緊張感から解放されて肩の力が抜けた。小走りで近づいてきた緋色が紙コップに入ったスポーツドリンクとタオルを差し出してくれる。
「はい、お疲れさま」
「あぁサンキュー」
紙コップの中身を一気飲みした。うー、冷たくて美味い。
壁に寄りかかってふかふかのタオルに顔をうずめると緋色が使っている柔軟剤のにおいがした。それもそのはず、学校内にある宿泊施設の洗濯機で緋色自ら洗ってくれているのだ。まるで新婚さんみたいだな。
「みんなお疲れさま。ちゃんと休んでね」
マネージャーである緋色は一年たち全員に飲み物を配り終えてからおれの隣にやってきた。同じように壁に寄りかかると顔が近くてドキドキする。
「疲れた?」
「ぜーんぜん」
ウソです。めちゃくちゃ疲れてます。でも緋色の笑顔が見られるからへっちゃら。
「春休み中なのにほんとごめんね、顧問の先生はバスケ初心者で、教えられる人が全然いないから助かるよ」
そう。バスケの経験と小石崎への指導力に目をつけられたおれは、緋色の推薦のもと顧問に頼まれて少し前から外部指導員的な立場で部活に顔を出しているのだ。
正式な部員じゃないので時々だけどな。
頑張りたい、上手くなりたい、強くなりたい、そんな熱意にあふれていて見てるこっちも気持ちいい。
「みんなね、ひと君に教えてもらってから上達するのが嬉しいみたい。小石崎くんを中心に一年生はやる気満々で、この前のミーティングで春の大会で三回戦までは勝ち抜きたいって目標を掲げたんだ。すごいよね、去年の春大会は一回戦でダメだったのにウソみたい」
この春休みも本来は週三日程度の練習だったところを週五日、毎日のように部活で汗を流している。
努力は裏切らない。頑張っただけ良い結果がついてくるに違いない。
「これで
休憩中でもシュート練習している小石崎が会話に割り込んできた。
前におれが言ったドリブルやスリーポイントの練習を毎日きっちりこなしているらしく、心なしか体つきが大きくなった気がする。顔つきは別人みたいだ。
緋色がこそっと耳打ちしてくる。
「知ってる? 最近の小石崎くん一年生の女子から結構モテてるんだよ。練習しているとたまに覗きに来る子がいるんだ」
「へぇー」
小石崎は背が高いし顔も悪くない。元からモテる素質はあっただろうがバスケに本腰を入れたことで雰囲気がガラリと変わったせいもあるんだろう。羨ましいやつめ。
「なに内緒話してるんすかー?」
「なんでもねぇよ。おれが出たらおまえら絶対にサボるだろ。なんでもかんでもパス寄こしてさ。バスケはチームプレイなんだよ、おれひとりが汗だくで走り回るんなんて御免だね」
「そっすか。まぁ自力で頑張りますよ。休憩中までイチャイチャするなんて……あぁ暑い暑い。外いこーっと」
ボールを抱え、手団扇であおぎながら氷点下の屋外へと出ていく。
ちっ。空気だけは読めるんだから。
ほかの一年たちも和気あいあいとして話している。
だれもこっちのことなんて気にしてない。
最初こそマネージャーので彼氏(仮)のおれなんかが部活に顔だしていいのかと遠慮していたけど、もう慣れた。
楽しそうにバスケやってるあいつらを見ていると心がうずいてどうしようもない。
「そういえば春休み中に練習試合は組んでないのか? 一年もそろそろ外部とやりたいころだろう?」
自分の実力を知るには他校との練習試合がいちばんだ。
しかし緋色は難しそうな顔で考え込む。
「だよね……私もそう思うけど、いまのところ予定組んでないの。顧問の先生とも相談しているけど、ゆーくんがあまり乗り気じゃなくて」
「――なんでそこでアイツの名前が出るわけ?」
他意はないと分かっていてもちょっと声が低くなる。
「一応、部長だから。彼。練習試合となると部長同士が挨拶しなくちゃいけないでしょう? でもゆーくんは早乙女さんたちと遊びたいから休日に拘束されるの嫌うんだ……」
次第に声が小さくなるのは一年への気遣いか、幼なじみを説得できない自分の不甲斐なさからか。
おれが部活に顔を出すようになって一週間ちょっと経つけど、アイツはただの一度も出てきてない。幽霊ばかりの二年もそうだ。
いい加減な気持ちなら「部長」を返上すればいいのに大学進学にあたってのステータスとして重要らしく、いくら説得しても手放そうとしないらしい。
緋色にこんな悲しそうな顔させて。ほんとクズだな。
「わーるかった、ごめん。もう言わないからそんな顔するな。いまの小石崎たちなら頑張れば三回戦も夢じゃないって。な? そう思うだろう?」
おれなりに精いっぱい励ますと沈んでいた緋色がパッと笑顔を咲かせた。
「ん、そだね。ひと君がついてるもん、きっと大丈夫ね!」
そっと肩にもたれかかってくる。
お世辞でもそんなこと言われたらおれ、頑張っちゃうぞ!
休憩時間も残りわずか。
緋色が用意してくれたウォーターサーバーをひねり、紙コップにスポーツ飲料を注ぎ込んだ。
隣でスマホをチェックしていた緋色が「あっ」と声を上げる。
「
「女バスのマネージャーだっけ?」
「うん。友だちなの」
太田真優。もじゃもじゃの癖っ毛を二つに結んで眼鏡をかけている地味な雰囲気の子だ。クラスでは緋色と一緒に行動していることが多い。
緋色は目を皿のようにしてスマホの文面を追う。
「今週末に他校との練習試合があるんだって。女バスは去年は県大会までいったから結構強いんだよね。一回戦負けだったけど」
「へぇー。じゃあ練習は休みかな。相手は?」
緋色はわずかに口ごもる。
「えっと……青嵐高校だって」
ごぶっ!
飲みかけのスポーツ飲料を吐きそうになって慌ててタオルでおさえた。
やばい、変なところ入った。
「だいじょうぶ?」
咽せながらもなんとか息を吸う。
「ん、な、なんとか。ところで青嵐ってあの青嵐か!?」
全国大会常連の私立高校だ。男女とも去年のインターハイで優勝している。
バスケに携わる者として名前くらいは知っているらしく、緋色も困惑顔だ。
「うん。そうみたい。真優ちゃんもびっくりしてる」
「言っちゃ悪いけどなんでそんな強豪がウチと練習試合するんだ? さすがに県外からレギュラーメンバーが来ることはないだろうけどレベルが違いすぎないか?」
緋色も同じことを思ったらしく、不思議そうに首を傾げている。
「向こうから連絡が来て急遽決まったんだって。ほら、この近くに県大会で三位だった高校があるでしょう。顧問同士が知り合いで練習試合をする予定があったから午前中こっちに寄るんだって」
顧問同士が知り合いでレベルが近い高校同士が練習試合をするのは分かる。
だけどついでにウチに来るとは、なんとも不思議なことがあるもんだ。
「でもそっか、女バスが体育館使うならこっちは外練習か休みだね。どうしよう」
「いや、せっかく強豪校が来るなら小石崎たちにも見せておいた方がいい。男女の差があっても戦術面で参考になることはあるはずだから。顧問の先生と相談してみたらどうだ」
「うん、そうするね♪」
ピピピ! とアラームが鳴り響いた。
緋色がぱんぱんと手を叩く。
「はい休憩時間おわりです。二十本ダッシュはじめてー」
腑に落ちないことはあるが頭を切り替えることにした。
タオルで顔の汗と油をいっきに拭い去り、首筋も軽く拭いておく。
緋色が縫ってくれた赤いリストバンドをはめなおせば気持ちはすっかりバスケに集中する。
「よし、いくか」
「うん。いっちゃって」
緋色もオレンジのリストバンドを掲げた。
お互いのバンドの内側には” Enjoy! "の文字。そう、楽しまないとな。
【スピンオフもどうぞ】
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896213100/episodes/1177354054896479305
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