エピローグ
レイヴィンは皆が眠っている間にセラフィーナを攫った。
黒い特殊な布でできた蝙蝠の翼のような形のグライダーを操り灯台から飛び降りるとそのままセラフィーナを抱いて夜空を低空飛行する。
セラフィーナは初めての飛行に怯えることもなく、嬉しそうにレイヴィンに掴まっていた。
やがて大きな船の甲板に着地する。夜風が冷たいせいか船の上は人気がまったくなかったが、この船は貨物船ではなく旅客船らしい。
二人はすぐに客室に戻ることはせず、夜風に当たりながら暗い海をただ眺めていた。
「本当に怪盗さんに攫われちゃったのね、私」
「ああ、一時はどうなることかと思ったけどな」
「本当よね。でもレイヴィンの使い魔としての生活も新鮮で楽しかったな」
「……人の気も知らないで」
「いひゃいいひゃいっ!? ごめんなひゃい!」
呆れ顔のレイヴィンに両頬を引っ張られセラフィーナが両手をバタつかせる。
「あの状況で焦らされてたこっちの身にもなれよ」
「???」
セラフィーナは首を傾げながらも、レイヴィンにしてみれば身体乗っ取られ事件当初はセラフィーナと亡霊のセラフィーナという二人の存在に困惑したことだろうと思った。
「そうよね。偽物だと思われてエクソシストに突きだされなくてよかった」
「俺が間違えるわけないだろ。すぐに分かったよ、どっちが本物かぐらい」
「そうなの? じゃあ、なんですぐ記憶を無くした私に全部教えてくれなかったの?」
「…………」
レイヴィンは暫し黙っていたが、セラフィーナに見つめられ観念したように溜息を一つ吐き白状した。
「あんな不安定な状態のお前が記憶を取り戻したら……全てを捨ててしまうんじゃないかと思った」
そうかもしれない、とセラフィーナも思う。
何もかも捨ててこの国を出たかったセラフィーナだが、あの夜の、憎しみの籠ったローズの言葉を思い出したなら、自分だけ逃げ出すなど許されなかったのだと思い直したかもしれない。
そうしたら、このまま消えてしまおうという選択肢を選んだかもしれない。
その方が楽だから。苦しみを抱えて生きるより、ローズが消えろと言ったからと言い訳して消えてしまったほうが……。
「なにごとにもタイミングってものがあるだろ」
「そうね……」
「俺は、どうしてもお前を失いたくなかったんだよ……無事でよかった、セラフィーナ」
「レイヴィン~!」
嬉しくって涙目になりながら飛びつこうとしたセラフィーナをレイヴィンは受け止めることなく避ける。
「意地悪……」
恨めしそうに見上げてくるセラフィーナにレイヴィンは「待て」と言った。
「まだ大事な話が残ってるだろ」
「大事な話?」
「この船の最終目的地はラトシェブルだ」
「ラトシェブル……大きな国ね」
「ああ。俺が所属してる協会の本部もそこにある」
行ったことはないけれどウェアシスより大きな国であることと、たしか魔術が盛んで帝都からも一目置かれているとセラフィーナも聞いたことがあった。
「……来るだろ、お前も」
「え?」
「頷いたら、もう二度と離さない。だから最後にもう一度だけ、お前に選択権をやる」
「選択権?」
セラフィーナの問いにレイヴィンは胸元からチケットを二枚取り出した。
一枚はラトシェブル行きの券。もう一枚は途中この船が立ち寄る予定の国までの乗船券。
これはおそらくラトシェブルを選べばこれからもレイヴィンと共に。そして途中で降りるならもうレイヴィンとは二度と会えない。そういう意味での選択肢なのだろう。
「ちなみに途中で降りても、お前の生活が安定するまでの保証は準備してある。安心して選べ」
彼はセラフィーナの新しい身分証明書など手配してくれているという。至れり尽くせりだ。これからは歌姫としてじゃない、新しい人生が始まるのだと実感が湧いてきた。
セラフィーナは迷うことなくラトシェブル行きの券を手にする。
「私の答えはとっくに決まってるわ」
それを聞いてレイヴィンは先ほどの続きだと言うように「おいで」と両手を広げた。セラフィーナが嬉しそうに顔を綻ばせその胸に飛び込むと、今度こそ抱きしめられる。いつかの夜みたいに。
あの時は応えることが出来なかった想いを今なら受け入れることが出来る。そのことに喜びを感じ、セラフィーナもぎゅっと強く彼の背に手を回した。けれど。
「……本当にいいんだな」
「レイヴィンこそ、なにか迷ってる?」
欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れると、彼ならそう言って強引に攫う事もできるはずなのに。何度もセラフィーナの気持ちを確認してくるなんて……
「……そうだな。らしくなく躊躇ってる」
レイヴィンはぎこちなくセラフィーナの髪に手を伸ばしてきた。
「なぜ?」
そのまま頭を撫でてもらえる予感にセラフィーナの胸は少しだけ高鳴ったが、レイヴィンはセラフィーナの髪を軽く梳くと、困ったような切なそうな顔で笑った。
「……お前に俺のいる世界は似合わないから」
なんとなくレイヴィンがなにを不安に思い躊躇っているのかが分かった。
自分はレイヴィンから見ればなにも知らない世間知らずのお嬢様なのかもしれない。
けれど住む世界が違うなんてやはり今さらだ。それでもこうして出会って恋に落ちた気持ちは、簡単に消えてしまう程度の想いではない。そんな弱い気持ちだと思われるのは不服だった。
だから内心の不安やドキドキしている気持ちを隠して、セラフィーナはさらにぎゅっとレイヴィンを抱きしめる。
「レイヴィン、大好き」
「っ……」
「絶対離さない。なにがあっても離れてあげない。だから……今の私じゃ頼りないかもしれないけど。私に貴方の見ている世界をいっぱい教えて?」
逃げないと真っ直ぐに見つめられ一瞬言葉を詰まらせたレイヴィンは……なぜか意地悪な笑みを浮かべた。
「言ったな……いつだか言われた通り俺はちゃんと確認したからな」
「え?」
そう言えば以前レイヴィンに女心を説いた記憶が過ったが、考える間もなく顎を掴まれて腰に手を添えられてうろたえそうになる。
「この程度で怯えるな。怪盗の女なんて、生半可な気持ちじゃ勤まらないぞ」
「こ、このぐらい全然怖くないです」
レイヴィンの端整な顔が、朝焼けに似た菫色の瞳が、そっとセラフィーナへ近付いてくる。
試されている気がしてセラフィーナは瞳を逸らさなかった。
「逃げないのか?」
互いの吐息が唇に触れるような距離で囁かれる。
「……いいわ、レイヴィンになら奪われても」
「そうか、ならもう遠慮しない……こちらこそ離さない、セラフィーナ」
セラフィーナはその言葉ごと彼を受け入れるように背伸びをしながら瞳を閉じた。
END
【書籍化】歌姫は怪盗に溺愛されている 桜月ことは @s_motiko21
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