第43話 そして消えた歌姫
ガタンと音がして見晴台のドアが開かれる。
「さあ、式典のお時間です」
国王と共に戻ってきたアレッシュの一声で、二人の会話がピタリと止んだ。
ジョザイア王はローズに見向きもせず、セラフィーナに声を掛ける。
「セラフィーナ、この日までに声を取り戻したことは褒めてやろう。観客に見せ付けるがいい。貴様が歌妖の一族の生き残りであり、わが国の所有物であるということをな」
厳格な眼差しに射抜かれてもセラフィーナはそれに臆することなく無言だった。
ジョザイア王はそんなセラフィーナの態度に気付くこともなく、拡声石の杖を立て石の部分に手を置こうとしていた。
魔術師が術を施したそれに触れてしゃべることで、発言者の声を広範囲に届けることができる仕組みだ。
発言者の姿を直接目にして耳を傾けている人物にならば、豆粒ほどにしか見えない距離にいても言葉が届く。
「皆、今宵はよくぞこの場に集まってくれた」
国王からの言葉に国民たちが湧き出す。
それを尻目にセラフィーナもローズも愛想笑いを浮かべながら、先程の話を続けた。
「……ねえローズ。女の子として生きていきたいと思わないの?」
「思わないわけ……ないでしょう。けれど、そんなの願ったところで」
叶わない――とローズが告げる前にセラフィーナがそれを遮った。
「諦めないで。大丈夫、私たちはもうなにも出来ない子供じゃないわ」
「そんなこと……」
一瞬揺らぐように瞳を泳がせたローズは、すぐにバツの悪そうな表情を見せて視線を地面に落とした。まるで期待して裏切られることを恐れるように。
「私にローズの気持ちを聞かせて?」
「……本当に、変わることができると思う?」
「もちろん。貴女が望むなら私がきかっけを作るわ。それが私の置き土産よ」
「……お前が、ここを出て行くのはもう決定事項なんだな」
「そう。私は自分勝手に生きると決めたの」
セラフィーナは吹っ切れたように笑って見せた。すると、ローズは一言。
「私も……もっと自分勝手に生きたい。自分を偽った生き方はやめて、女として」
そうはっきりとセラフィーナを見て答えをくれた。
「分かった」
ジョザイア王が国民に向けて言葉を続ける少し後ろで、セラフィーナはバレないようにそっとローズへ手紙を握らせる。
「な、なに?」
「後で読んでみて。貴女が女王になるための切り札になるから」
それはアーロンの手紙に添えられていた現国王の不正を記した証拠の数々と、パトリシアが戦場の歌姫としてさせられてきた非道な行いの告発文だった。
「さあ、セラフィーナ」
挨拶を終えなにも気付いていないジョザイア王が、セラフィーナを歌わせるために場所を開ける。
セラフィーナは静かに頷くと、拡声石に手を乗せトンッと杖の先で地面を鳴らした。
国民たちは歌姫が歌い始めるのかと口を慎み、辺りが静けさに包まれる。
寄せては返す波の音が耳に届くぐらいに。だが。
「皆様に、重大な報告がございます」
ローズは息を呑みセラフィーナを見守っていた。
「アーロン殿下は……お亡くなりになりました。もうずっと昔に」
「な、なにを言っておる!」
ジョザイア王は顔色を変えセラフィーナを押さえ込もうとしたが。
「なにをする! 放せ、わしにこんなことをして、タダですむとっ!」
(アレッシュ!)
アレッシュは国王を羽交い絞めにして、黙ってこちらを見ている。アイビーグリーンの瞳が、続けろと言った気がした。
「今、私の隣にいるこの方は、アーロン殿下の双子の妹ローズ姫です」
灯台の下では人々のざわめきが波の音も国王の怒鳴り声も掻き消していた。
「私は、歌妖一族の生き残りです。王は一族の歌を利用し数々の非人道的な行いをしてきました。私も……それに加担していました。けれど、もうそんな生き方耐えられない」
セラフィーナは一呼吸置いてから告げた。
「だから……もう二度とこの力を争いに利用されないよう、私は、今日で皆様の前から消えようと思います」
「セラフィーナっ、勝手な行動は許さぬぞ!」
「ジョザイア王、貴方の許しなど必要ありません。私はもう、自由の翼を手に入れましたから」
声を荒げる国王とは対照的にセラフィーナの声は静かでリンとしていた。
「許さぬ、許さぬぞ! 誰か、セラフィーナを止めろ!」
アレッシュに羽交い絞めにされ暴れる国王を下から見上げていた兵士たちが階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。
しかしドアが開かれる前にローズが動く。ドアノブを掴み、ドアを開けられないように押さえつけた。
「ありがとう、ローズ」
「これからどうする気?」
ドアを激しく叩く音、人々のどよめき、国王の怒鳴り声、騒がしい海辺の雑音を遠くの出来事ことのように聞きながら、セラフィーナは静かに瞳を閉じて深呼吸した。
そして拡声石に乗せた手に力を籠め奏ではじめる。
オルゴールと同じ旋律。アーロンが残してくれた、希望の音色を。
「なんだ、その歌はっ……」
歌詞は知らない。ただその旋律を歌うだけで、自分の中の力が覚醒してゆくのがセラフィーナには分かる。
もがいていたジョザイア王はすぐに重くなった瞼を瞬かせ、それでもまだ怒声を上げようと息を吸い込み、だがそのままその場に崩れ落ちた。
うとうとと柵に寄り掛かりながらローズは僅かに心配そうな面差しでこちらを見ていたが、セラフィーナが大丈夫と伝えるように頷くと、そのまま瞼を閉じる。
セラフィーナもそれを横目で確認しながら歌い続けた。
やがて下にいる人々もパタパタと倒れ出し、けれど気持ち良さそうな寝顔をしている。
アレッシュもセラフィーナの歌声に耳を傾け、ずるずると壁に寄り掛かり座り込んだ。
うとうとしながらもセラフィーナを熱く見つめるアレッシュの眼差しに振り返る。
もうあたりにいる人々は全て眠り、最後に残ったのは彼だけだった。
眠気と戦いながらアレッシュは今なにを思っているのか、ただセラフィーナの姿を焼き付けるように、名残惜しそうに目を細める。
アレッシュは悟っているのだろう。次に目が覚めた時、もうセラフィーナはこの国にいないことを。
ごめんねや、今までありがとうや、伝えたい言葉は山ほどあったけれどセラフィーナは歌うのをやめなかった。
ただアレッシュが眠ったのを見て瞳から涙が零れ落ちた。
彼が微笑んでくれたから。目を閉じ眠りに落ちる前に「さよなら」と呟き優しい眼差しで。
「……はぁ」
息を乱してセラフィーナはその場に膝を付く。
かなりの大人数に術を使ったのだ、身体中の力を使い果たした気分だ。
けれど何とか柵に寄り掛かりながら見下ろすとそこには、自分以外全ての人が眠っている静かな世界。
自分のしでかしたことは罪かもしれない。けれど、それでも――後悔はなかった。
気持ち良さそうに眠るアレッシュとローズを眺めそう思えた。
これから自分たちがどうなるのかは分からない。けれど三人を縛り付けていた重たい鎖からは解放されたのだと思えるから。
「おつかれ」
「っ――」
ハッとして振り向くと、男が一人見晴台の柵へ器用に着地し大きな月を背に立っていた。
漆黒の外套をはためかせ、どうして一人だけ眠らずに済んだのかと不思議そうな顔をしているセラフィーナに耳栓を抜いてみせた。そして不敵な笑みを口元に浮かべる。
「約束通り決着をつけたよ」
「ああ」
『今夜そのオルゴールごと攫いに行くから、それまでに決着つけろよ』
それが地下室にて立ち去る前にレイヴィンが耳元で囁いた言葉だった。
こちらへ差し伸べてくれるレイヴィンの手を取り、セラフィーナは眩しそうに目を細め微笑んだ。
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