第9話

 読み終わったあと、僕はすぐに由芽に電話をかけた。けれど何度かけ直そうと出なかった。メールをしても返って来ない。僕はタクシーを拾って急いで由芽のアパートへ向かった。由芽のアパートへ着きインターホンを鳴らした。何度も鳴らした。だが反応がない。中から響いてくるインターホンの間抜けな音で、もしかして由芽はもういないのではないかと思われた。ドアを叩いて呼び掛けた。勢いでドアノブを捻ったら、バネが切れているかのように軽い調子で開いた。僕は部屋に飛び込んだ。部屋はもぬけの空だった。なに一つ置いておらずがらんとした部屋になっていた。三ヶ月ほど前の由芽の部屋がまるで幻だったかのようになにも置かれていなかった。そして、それと同時に、由芽の姿もなかった。僕は再び由芽に電話した。しかし、今度は出ないばかりか、『おかけになった電話は……』とあの機械的な女性の声が繰り返し放たれるだけだった。メールも、送信できなかったという自動メッセージだけが返ってくるようになった。

 僕はその場にへたりこんだ。

 由芽はどこに行ったんだろう。

 今まだどこかにいるのか。それとも。

 由芽は、本当に消えてなくなってしまったのか。

 僕はスマートフォンを取り出した。由芽の最後のメールを読んだ。

『昨日のバイト帰りね、帰り道で風見鶏を庭先に置いている家を見たの。珍しいなあってずっとくるくる回っているの眺めてたら、夜風邪引いちゃって。そう言えばと思って思い出してみたら、風見鶏、ずっと南の方を向いてたんだよね。道理でと思った。それで、今日も風邪が治らないので、グループ学習室に先週から用意してあった本、文学雑誌のコピー。今日読むつもりで用意してたそれ、私の代わりに読んでくれると嬉しいかな。それと、ごめんなさい。体勞ってもう寝るから返信はできなくなります。

 おやすみなさい。後はよろしく。』

 ぽつぽつと紡がれたような覚束無い文面。このメールが来た時点で、彼女はもう決心して遠くへ行ってしまっていたんだろうか。僕が早くに気づいていれば彼女を助けられたんだろうか。今はもう僕の知らない場所で消えたんだろうか。両親へは。友人へは……。

 僕はまた、しばらくその場でへたりこんでいるしかできなかった。

 しばらくして僕は、ほとんど泣きじゃくりながら警察に電話をかけた。

 警察は行方不明者として由芽のことを捜索した。しかし、彼女に関する痕跡や足跡があの日のメールを最後に一切残っておらず、生死すら判然としないままついに見つかることもなく、捜索は打ち切りとなった。由芽の両親にも友人にも彼女からの最後の言葉は来ていなかったらしく『遺書の一部』と僕へのメールが彼女の最後の言葉となった。それらを彼女の両親に見せ三ヶ月間に及ぶ由芽と僕のことを告げると、涙を流しながら「ありがとう」とだけ囁いた。彼女が生きていようがいまいが彼女はもう二度と僕たちの前に現れることはないだろう。由芽の両親の姿を見て、そんな漠然とした直感が過ぎった。

 それからしばらくは傷心し研究も手を付けられなかったが、ふと機械的に研究を完成させなければとの激しい情動が湧き上がり、寝る間も惜しんで全ての執筆を完了させた。その頃にはもう、僕は僕のなかで新たな地平に立っているような気がしていた。

 そして僕はある場所へ向かった。県立図書館だ。

 グループ学習室へ向かうとそこでは読み聞かせが開かれていて、のん君を含めたいつもの子どもたちが熱心に耳を傾けていた。たったひとつ違うのは、椅子に座っているのが由芽ではなく、常勤の図書館職員さんだということ。

 読み聞かせが終わって子どもたちが帰ってから、僕は読み聞かせをしていた職員さんに話し掛けた。

「あの」

「あら、由芽ちゃんのお友達の」

「宮内透です。お久しぶりです。あの、ちょっといいでしょうか」

「なんでしょう」

 傷心中、頭が由芽を中心に動いているだけの時期、僕は幾度か躊躇ったが、そうであることが万事最も良きことなのではないかと思われた。それは、どこかに消えてしまった由芽のためにも、今ここにいる僕のためにも、由芽を慕う子どもたちのこれからのためにも。

 だから息をしっかり吸い、はっきりと告げた。

「僕にも、由芽のように読み聞かせをさせてください」

 それを聞いた職員さんは目を見開き黙って涙を浮かべた。そしてわずかに表情を綻ばせ、ただゆっくりと、頷いてくれた。


 了

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夢山河 籠り虚院蝉 @Cicada_Keats

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