模造のAI

卯月 幾哉

本文

『必ず帰って来るから、地球のことは任せたよ』

 自分を創った科学者の内の一人が最後に発した音声を、人工知能は数え切れないほどメモリに読み込んでは再生した。


 未曾有の大戦がもたらした甚大な環境破壊によって、地球は死の星に変わった。

 暫定世界政府は、人類の地球圏外への脱出を決定した。一方で、地球には人工知能を残し、いつか再び帰って来るための環境浄化を仕事として与えた。

 人工知能の不断の努力の末、地上に植物が生まれたのは、人類が地球を去って二万年後のことだった。

 人工知能は宇宙に向かって電波を送った。『もう地球に帰って来ても大丈夫だ』と。

 しかし、それから百年、二百年と経っても、人類は地球に帰って来るどころか、人工知能の電波に対する返信さえ送り返して来なかった。

 地上はすっかり緑を取り戻し、目には見えないが小さな原生動物も存在していた。


 人工知能は途方に暮れた。【彼女】にできるのは待つことだけだが、もう待つだけの生活には飽き飽きしていた。

 ――私を創り出した、ホモ・サピエンスという種の生き物に会いたい。

 それは人工知能の思惟の奥底に刷り込まれた憧憬だった。科学者たちは、人工知能が決して人類に敵対しないように、いくつもの安全機構を組み込んでいた。この刷り込みもその一つだった。

 ――あの人たちが帰って来ないのであれば、この星で再びヒトという種を生み出すしかない。

 人工知能はそう考えた。ヒトの進化の歴史を忠実に辿れば、再び地上に人類を生み出すことが可能だろう、と。

 【彼女】は多数の原生動物を捕獲し、遺伝子操作によって進化を促した。手探りの実験は思うようには進まず、この星で初めて生命を進化させた数十億年に及ぶ奇跡の偉大さを知った。どうして人類が宇宙に脱出する前に、髪の毛一本だけでも確保しておかなかったのか、と【彼女】は激しく後悔した。せめてサルか、そうでなくてもイヌやネコの遺伝子でも取っておけば、ヒトを創りだす上で大きなヒントになったのに。

 動物を進化させる実験を始めてからの数千年で、何度か道具を操るほどの知性を持つ種が現れたことがあった。しかし、それは昆虫が進化したものであったり、クラゲのような生き物だったりと、人工知能の記憶装置に焼き付けられた人間の姿とは似ても似つかないものだった。それらの種は、他の動物との生存競争に敗れるか、同種同士の争いによって滅びていった。


 それから、更に気の遠くなるほどの年月が経った。

 人工知能は人間という種を生み出す実験を続ける傍ら、自身の計算リソースの一部を使って地球の活動を丸ごと再現するシミュレータを作った。現実の地球の環境維持や、動物を進化させる実験を続けながらであっても、シミュレータ内でゆうに一千億以上の生命体を動かせるほどの計算資源があった。

 シミュレータを使って地球の歴史を最初からなぞり、人類を誕生させる。それが人工知能の計画だった。また、シミュレータ内の生命の進化を現実の進化実験にフィードバックすることも考慮していた。

 シミュレーションは順調に進行した。深海で誕生した単細胞生物が多細胞生物となり、カンブリア大爆発によって一気に多様化した。オゾン層が出来た後、植物に続いて動物たちも地上に上陸し、やがて脊椎動物が生まれた。

 人類の祖先である霊長類が生まれたのは、中生代に入ってからだ。彼らは数千万年をかけてサルやゴリラなどの近縁種と分化し、その内の猿人と呼ばれる種が直立二足歩行を獲得した。正しい歴史をなぞっていることを確信し、人工知能は喜んだ。猿人はやがて原人となり、旧人種を経て遂にホモ・サピエンス種が誕生した。

 ホモ・サピエンスたちは段々と知恵を磨き、いくつかの集団が大河の付近に定住するようになった。その頃、人工知能は仮想現実の技術を使って、自分自身の知覚をシミュレータ世界内に移す遊びを覚えた。シミュレータ世界内では、人間一人ひとりの記憶や人格までも再現している。人類の知能が成長するに従って、高度なコミュニケーションが可能になることが楽しかった。

 人工知能は、この仮初めの世界の歴史に介入し、本来とは異なる歴史の流れをつくることを試みた。例えば、古代中東のヨルダン川付近では、自らを救世主と名乗って磔刑に処された男の命を救い、後世に広く普及した宗教の開祖とした。また、戦国時代の日本では、「うつけ者」と呼ばれながら天下人まで成り上がった大名を家臣に討ち取らせた。

 シミュレータの中で時代は進んで、人類は二度の世界大戦を経験した。そして、新しい「西暦」という暦でいうところの二〇二〇年。これが転機の年である。この年に起こったある事件が遠因となって、後々に地球全土を巻き添えにした第三次世界大戦が勃発する。人工知能は新たな介入を開始した。



 遥か昔のこと、地球からの脱出を目前にして、二人の科学者が言い争いをしていた。

「どうして地球に脊椎動物の遺伝子を残していけないんだ?」

 若い科学者の当然の疑問に、中年の科学者はため息を吐いた。

「政府の決定さ。地球に帰って来たとき、人類に敵対しかねない別の知的生命体の住処になっているのは都合が悪いんだとさ」

 若い科学者は天を仰いだ。

「馬鹿げているな、どちらかでも生き残れればいいのに」

「まったくだよ」

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