夜型のあしながおじさん

作楽シン

第1話 夜型のあしながおじさん

「あんたがそんなロリコンだと思わなかったわ」

 昔付き合っていた女――要するに元カノが、僕を軽蔑しきった顔で言い放った。肩をすくめると、豊満な胸がブラウスのボタンを弾きとばしそうになった。

「ロリコンて言うな」

「そんな年下の子! ロリコンじゃないの!」



 確かに僕は、あの子が生まれた時から知っている。

 ボロアパートの隣の一室には、若い夫婦が住んでいた。大きなお腹を抱えていた奥さんのお腹がぺしゃんこになって、赤ちゃんを連れて帰ってきた日のことを覚えている。

 日夜なくギャンギャンとよく泣く子だったので、僕は睡眠を妨害されたものだ。

 そうはいっても僕は昔から夜型で、昼は外に出ない。隣の子供は日中は保育園で不在。存在を知ってはいても、顔をあわせることはほとんどなかった。


 だけどある日、暗くなっててから買い物に行こうとした僕は、隣の奥さんと手を繋いだあの子と鉢合わせた。奥さんの仕事が長引いたのだろう。

 子供に慣れていない僕は、どう対処したものか、固まってしまった。あの子もぽかんと目を見開いて止まっていた。


「まあまあまあ!」

 大きな声をあげたのは、隣の奥さんだった。

「あなた顔色悪いわよ! 具合悪いの!? 病院には行ったの!?」 

 ものすごい剣幕だった。僕はますますポカンとして奥さんを見た。

「いえ、元々です」

「そうなの? 本当に平気?」

 大丈夫です……と僕はタジタジしながら後ずさる。

「学生さん? それにしても若いわよねえ。ちゃんと食べてるのかいつも気になってたのよ」

 僕がなんとなく隣の住人の気配を感じていたように、隣の住人たちもなんとなく僕を気にしていたようだった。


「良かったらうちで食べていかない?」

 唐突な申し出に、僕はびっくりした。家に招いてもらえるのはありがたいのだが、近隣の住民とお近づきになりすぎるのは避けていたし、後々のトラブルになるからだ。

「あ、大丈夫です。僕ちょっと食事に制限があって……」

「まあ……そうなの」

 奥さんは、表情を曇らせた。

 重篤な病気だと思ったのだろう。実際には偏食という方が正しいのだが。

 大抵の人間はここで、しまったとか、まずいこと聞いたという顔をするのだが、奥さんはちょっと違った。気遣うような表情で、僕に言った。


「食べられるものを教えて。今度ごちそうするわ」

 なんて、お人好しでおせっかい!

 昔から迂闊で優しい人間はいたものだが、それにしても不用心だ。警戒心の塊で僕のようなものを迫害する奴らよりは助かるけど。同時にめんどくさい。

「ありがとうございます。そのうち、牛乳なら……」

 隣の奥さんは、きょとんとした顔をして、それから大笑いした。

「牛乳! 分かったわ、牛乳ね!」

 にゅうにゅう! とあの子も嬉しそうな声をあげたものだった。




 それからたまに、お隣さんにお邪魔した。ごくごくまれにベビーシッターを頼まれることもあった。

 あの子は何故か僕になついていたし、僕も徐々に子供になれていった。僕にできることは少ないので、本を読んであげて、読み書きを教えてあげた。


 しかし僕は諸事情であまり長い間同じ場所に住むことができない。

 あの子が小学校に上がる頃には限界を感じて、引っ越すことにした。お隣さんも下の子が生まれて手狭になったので、引っ越しをするようだった。


「お兄ちゃん、私のこと忘れないでね」

 赤いランドセルを背負って僕に自慢した後、あの子は目に涙をためて言った。

「もちろんだよ、会えなくなるけど、お手紙書くからね。電話でお話もできるよ」

「うん」

 小さな子は頬を膨らませ、唇をとがらせ、ワガママも涙も我慢していた。ただただひとこと、もらした。

「さみしい」

 小さな、たった六歳の女の子の言葉に、僕の胸は打たれてショックを受けた。



 それから僕は「あしながおじさん」よろしく、あの子と文通を続けていた。

 あの子は学校で楽しかったこと、身近な友達や家族だからこそ言えないようなつらいことを僕に書いて送ってきた。

 いずれ飽きるだろうと思っていたし、途絶えたこともあったけれど、何年も開くことはなく、また手紙は届いた。

 インターネットやスマートフォンが普及してからは、メールで、アプリで。季節の折々にはハガキで。

 それからあの子は大学の東京に行って、そのまま就職したのだが。



 ――仕事をやめて、そちらに戻ります。

 ある冬の日、雪だるまのちぎり絵が添えられた手紙には、そう書かれていた。

 秋には、つきあっている彼と結婚の話が出ている、というようなメールをもらったばかりだったのだが。


「なんで戻ってくるのよ」

「男が結婚に怖じ気づいて、とんずらこいたんだって」

 とんずらこくって、おっさんか、と元カノは僕を罵った。そんなことはどうでもいい。

「今度、二十五年ぶりにあの子に会うんだよ! どうしよう、不審がられないかな!? おかしくないかな!?」

「いやだわほんとに気持ち悪い」

 容赦ない。

「ロリコンとかそういうことじゃないんだよ! 大事な子なんだから!」

 憤慨する僕に、元カノは大きくため息をつく。それから、僕を虫けらで見るような目で見て言った。


「おかしいと言えばおかしいわね。だって、知らないんでしょ?」

 彼女は巨大な胸を腕の上に乗せて腕組みをした。腕が見えない。

「あんたどう見ても、良くて高校生よ。あんたと連れ合ってた時、あたしだって人間たちに若い子を飼ってるって言われたんだから」



 ――僕は年を取らない。

 僕の外見は、十五才の時に止まってしまった。夜にしか外に出ない。まあ要するに吸血鬼だ。


 血の入手の方法は色々あって、近頃は人間を襲う面倒をかけなくても生きていけるんだけど、年を取らないせいで同じ場所には住めない。同じ人間と関わり続けることはできない。

 あの子は今、三十一歳。立派な大人の女性だ。

 僕がこういう生き物だと言うことを知らない。きっと五十歳くらいの、青白いけど素敵なインテリおじさんになっていると思っているはずだ。


 ドン引きされたらどうしよう! 何より、大事なあの子が、未成年に手を出しているなんて、非難されても困るし!

「だいたいあんた、今年で何歳だっけ? どこかの御武家のご出身でしょ? 三〇〇歳? 二七〇年下の子に夢中とか! ほんとロリコンね!」


 キッモ! と元カノは言った。





終わり

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