邂逅、のち再会

「ふふ、あの忌々しい封印を解いてくれて感謝するわ」


 蝙蝠羽根を持つ少女は、日向子に向けて蠱惑的に微笑む。白い肌に唇だけがいやに赤く、悪魔を連想させる蝙蝠の羽根に調和した、装飾過剰な黒いドレスを纏っている。


 異世界人だ、だけどこの世界の難民ではない。日向子の中の常識が瞬時に閃く。となれば──。


「……誰、あんた?」

「えーっとお」


 目尻がやや釣り上がった大きな目をくるりと動かして、蝙蝠羽根の少女はペロリと唇を舐めた。


「かつてあったこの世界を滅ぼしちゃったモノ、って言ったら分かるぅ?」

「──」


 日向子の頭には二年前に起きた塞ノ山トンネル事故のニュース映像が蘇った。そして今我が家にいるはずのカサンドラが語った、事故を境にトンネルの向こうがそっくり入れ替わったという言葉が蘇る。

 しかしその頃にはもう、日向子の背後にいたはずの彼女が前に出ていた。


「お下がりください、火崎さん」


 言ってるそばから、彼女の体が二つに分裂する。二つから四つ。四つから八つ。アメーバが分裂するような有様。前に、やっぱり人間じゃなかったんだこの人、と心の中でつい呟いてる隙に分裂した彼女の体二つ分がパンと音を立てて弾けた。薄桃色の肉片になって四方八方は飛び散る。


 幸い、召喚した剣の効果で日向子の体にそれがぶつかることはなかったが、人体状の形をした生き物が弾け飛ぶ様子は郊外育ちの高校生にとってはそれなりにショッキングである。言葉を失っている間に、蝙蝠羽根を持つ少女は指鉄砲のポーズを取ったまま、銃口に見立てた人差し指に唇を当て、そして不適に笑う。


「──はーい、そうやってわざわざ人間じゃないって教えてくれてありがとね。安心して、あたしちょっとそこの子と話がしたいだけ〜。だ・か・ら」


 指鉄砲の先を残り六体になった彼女のうち、先頭にいる一体へ指鉄砲を向けた。


「ちょーっと後ろで待っててくれないかなあ? あんただって残りの体全部挽肉にされたくないでしょー? 復活に時間かかって面倒だもん。──それにしてもぉ」


 返事を待たずに蝙蝠羽根に黒ドレスの少女は、ふわりと宙を舞い、六体になった彼女に囲まれた日向子の周囲をふわふわと飛んだ。人工物めいた美貌に正に小悪魔な笑みを浮かべ、面白げに日向子を観察する。


「へーぇ、へーぇ、そっかあ。キミがあれかあ……。なーるほど、ってぇ⁉︎」


 ぶん、とついに黙っていられなくなった日向子の剣がうなり切っ先が少女の前髪をかすめた。それには蝙蝠羽根の少女も泡を喰らったらしい。


「ちょ、ちょっ、やだもう! 危ないじゃない!」

「どっちが! 警告なしに芝政さん吹っ飛ばした人に言われたくないんだけどっ!」


 ブンブン剣を振り回す日向子と、そこから逃げ惑う蝙蝠羽根の少女。その様子はどうみてもコミカルでしかなく、残り六体になった彼女もなんとも表現し難い表情で眺めていた。その足下に飛び散った肉片がピクピク震えながら集まりつつある。


 エクスカリバー的な何かだと、日向子に剣を託す際に元勇者だった父は聖剣について説明した。要は非常に様になる伝説や縁起を有する剣である(ただし父はその伝説・縁起については把握していない。もしくは忘れている)。

 装飾過剰なその剣は敵を斬り結びなぎ払うための武器としてではなく、ある種の奇跡を起こすための触媒、つまり一種の祭具であるようなのだが、元勇者の娘でしかない日向子には奇跡を起こすための手順も何も知る由がない。剣の心得もないため、長大な剣はただの鉄の塊である。

 即ち鈍器である。

 鈍器でしかない剣を振りまわしながら、日向子は声を張り上げた。


「大体あんた、キャンプのスタッフでしょっ? ブラブラしてるあたしに言われたくないだろうけど持ち場にもどればっ?」

「はあ、ワケのわかんないこと言わないでよもうっ!」

「ワケわかんないこと言ってるのはそっちでしょうが! ったく、何が破壊よ、封印よっ、言ってて恥ずかしくならないの? ねえっ?」


 日向子が、目の前の異世界人少女をキャンプのスタッフだと決め付けたのには訳がある。彼女の服装だ。黒を基調にヘッドドレスやレースにフリルで過剰に飾られたそれはファッションに疎い日向子にだってそれと分かるゴシックロリータな文脈を明らかに引き継いだものだったのだ。ゴスロリは二十世紀日本の産んだストリートファッション。なんだか知らないが世界を滅ぼすような神話的所業を遣らかす輩がまとって良いファッションではないだろう。よって目の前のこの少女は単なる魔法が使える程度の異世界人である。豪胆で真っ直ぐな日向子の中の常識がそう結論を出したのだ。 


 大体、この異世界の砂漠にはガラス状の鉱石がそこいらに転がっているのだ。たまたま踏み割ったそれにのみ破壊神が封印されていただなんて信じがたい。きっと自分は担がれている。それが日向子の判断だ。


 だが剣に追い立てられる蝙蝠羽根に黒尽くめの少女は、日向子が自分の言葉を信じてくれないのが大いに不本意だったらしく大きな目を一層丸くして声を張り上げた。


「は、恥ずかしいって何よ⁉︎ ちょっとそこのあんた! あんたなはあたしが何者かくらいうっすらでも分かるでしょっ? ここの勇者くんに教えてあげてっ、あたしが何者かって! でないと──」

「承りました」


 蝙蝠羽根の少女が両手で指鉄砲のを象ったのをみた六体の彼女は、感情は見せず声だけを揃えた。そして、やや早口で日向子に指示する。


「火崎さん、剣をお納めください。そのような人間はキャンプのスタッフの存在は登録名簿に記載がありません」

「じゃあ未登録の野良ボランティアってこと? どっから入ってきたんだか」

「ですから、火崎さん……」

「だぁーっ! もうっ!」


 ガツン! と、剣を振り下ろす日向子の両手に岩を殴るような衝撃と振動が走った。

 みれば、蝙蝠羽根の少女は透明の障壁をだして自身の身を守っている。日向子の剣は障壁の表面をつるりと滑ってしまう。

 眦を釣り上げた蝙蝠羽根の少女は、日向子に向けて怒鳴ってみせた。


「ねえっ、キミの目は節穴なのっ⁉︎ あたしが焼け出された難民の力になってあげようと労働力を提供するような関心な女の子に見えるっ? 見えないでしょっ? どうみたってパンがなけりゃお菓子を食べればとか言い出したり、靴を汚したくないからってぬかるみにパンを投げ入れてその上を踏んで歩こうとするタイプにしかみえないでしょっ? ──ああーっ、なんで自分からこんなこと言わなきゃなんないワケっ? もう!」


 障壁の中で蝙蝠羽根少女は地団駄を踏んだが、日向子は剣を振り下ろすのをやめて正面から突くことにした。圧が変わったせいか、ベキベキと魔力でできた透明の障壁に細かなヒビが入る。それをみて青ざめる蝙蝠羽根少女を無視して、再度真上から振り下ろす。


「人を、見かけで、判断しない!」

「え、ええーっ……」


 ──ちょっと待って、キミさっき見た目を根拠にあたしの言い分をまるっと無視したよね? あたしがかつて世界を破壊したって言ったの、ちっとも信じようとしなかったよね⁉︎


 蝙蝠羽根少女の目にはそんな戸惑いと焦りが浮かんでいたが、日向子の剣は少女の障壁を粉々に打ち砕く。

 間髪を入れず、無防備になった少女目掛けて一筋の稲妻が天から落とされた。ピシャッと耳をつんざく落雷の衝撃が去ってから。日向子は瞬きをした。


「……ん?」


 父から譲り受けたエクスカリバー的な剣は、悪を打ち砕く正義の剣。悪しき心を持つものには奇跡という形で鉄槌を下す。

 この一年で剣の機能を思い知った日向子は演繹を開始した。


 聖剣が正義の鉄槌を下す相手は悪しき心を持つものに限られている。

 今、落雷という形で剣にダメージを与えられプスプスと全身から黒煙を上げながらぶっ倒れている少女は即ち悪しき心を持つものということになる。

 即ち、ゴスロリ風衣装の異世界人スタッフという日向子の見立てが間違いで、自己申告した通りの悪い娘であるというのが真である、ということになる(世界を破壊した云々と言うのは流石に信じ難いが)。


「ごめん、あたしが間違ってたわ」

「わ、わかればいいのよ……っ」


 落雷に打たれても所々に焼け焦げを作る程度で助かっている少女は、地面から起き上がりスカートのホコリをパンパン払った。が、少女の身支度が整うより先に日向子は剣を地面に突き立て振り向いた。


「芝政さーん、うちの両親呼んできてもらえますー? 正体不明の邪悪な存在がキャンプを襲撃にきましたんでって」

「承りま──」

「はああっ⁉︎ ちょっと待ってってば! そんなことしにきたんじゃ無いったら! あたしはただ可愛い弟子のオトモダチの顔を見に──っ」


 ──なぬ?


 剣を突き立てたまま、日向子は蝙蝠羽根少女の方を見る。治癒に関する魔法でも使ったのか、ゴスロリドレスの焼け焦げまで元どおりにした上でぶつくさと文句を垂れている少女を見る。


「弟子?」

「そうよ、弟子よっ!」

「弟子って、ひょっとして暗くて陰気で僻みっぽくて日がな一日恵まれた人の悪口ばっかり言ってて、髪の毛が黒くてぞろっと長い女のこと?」

「──……あらぁ」


 何故か蝙蝠羽根少女はニンマリと楽しそうに笑った。日向子にとっては不愉快な笑みであった。


「確かにうちの弟子はそんな子だけどぉ、やだー、そんな風に即特徴を言えるだなんて愛されてるんだー、あの子ぉ」


 剣の柄を握りしめ、数センチ持ち上げては力強く突き刺す。ザク! と、地表に再度剣を突き刺しながら日向子は蝙蝠羽根少女を睨みつけた。


「誰が、誰を、愛してるって?」

「? またまたすっとぼけちゃってえー。照れてんじゃ無いっつのー。こんな手紙まで出しといて」


 日向子が背中に背負ってる不動明王めいたオーラが見えないのか、ニヤニヤにやける蝙蝠羽根少女はぴらりと日向子の目の前に開いた羊皮紙を突きつけた。

 それはどうみても、数分前に日向子が今どこにいるのかわからない腐れ縁の女に向けて差し出したメッセージだった。


 ──それを何故こいつが持っている?


 日向子の背後で揺れる炎がプロミネンスのように眩く激しく熱くなる。

 これは尋問の必要がありそうだと判断した日向子は剣の柄を再度握りしめたその時だ。


 アオウ、と日向子には耳慣れた音が天から降ってきた。見上げれば案の定、蒼穹に円を描く黒い烏の姿が見える。下からでは確認できないが脚が三本あるはずだ。


「おっとヤツが来たか、追跡も速くなったな」


 蝙蝠羽根少女は赤い唇をぺろりと舐めて羽根を広げた。そして浮き上がり、円を描く烏から逃れるように旧王都方面へ去ってゆく。


「じゃあねー、勇者くん。不肖の弟子と仲良くねー」

「! まてこら、勇者くんってなんだ! くんって!」


 日向子は赤毛のベリーショートだし、今着てるのもジャージの上着にデニムのボトムだ。体型も細身なので私服だと男子に間違われることは偶にある。だからそこに、腹を立てているのでは無い。


 蝙蝠羽根少女の言い分から、あの自称破壊神はあらぬ誤解をしているらしい。日向子はその点に関して訂正したかったのだ。

 しかし、蝙蝠羽根少女は今やすっかり空の点だし、かわりに空から烏が舞い降りる。猛禽類嫌いの日向子が目の前で大きく翼を広げた三本脚の烏に驚いて声をあげたとたん、あひゃひゃひゃ、と久しぶりに耳にするムカつく笑い声が烏の嘴から放たれた。


「うっわ、びびってやんのー! だっせー!」


 烏の体は紙のように小さく折り畳まれ、もう一度広がると今度は見慣れた腐れ縁の女の姿を象った。


 ぞろぞろと長い髪、レースの半襟やフリルの襦袢を用いた和洋折衷的な着こなしの和服、暗くじっとりした目つきに今にも毒や呪いを吐き出しそうな口元。

 何より、日向子を一目見るなりニッと笑い、一年ぶりに言葉を交わすにもかかわらず、久しぶり、や、元気だった? といったワンクッションをおかずにこう言ったのが何よりも、門土みかどという女を表していた。


「っだよ、日向子の癖にパパとママじゃなく父さん母さん呼びしてんじゃねえっつの。手紙読んだ噴いたじゃん」

「っさいなー、あたしだって高一だよ? そりゃそろそろ呼び方だって変更するよ。外で恥かきたくないし」


 一年前、放課後にはどちらかの家でそうしていたようにざっかけな口を叩き合ってから、日向子は話の軌道を修正した。


「つうかさ、あの手紙読んで感想がそこだけ?」

「あんな検閲済みメッセージから他に何を組みとれっつーんだよ?」


 腐れ縁の呪術師・門土みかどの移し身である式神は、、じろりと芝政鉱業の社員証をぶら下げた女をひと睨みした。分身を元どおり一体にもどした彼女はみかどの式神に一礼する。


「初めまして、門土さま」

「あ、いらないいらない。あたしあんたらん所で仕事する気ないから。じゃ」


 みかどの分身は日向子の前を歩き出す。日向子は剣を右手の紋章にしまい。その後ろをついて歩く。


 今、どこかの異世界にいる腐れ縁の女が(どこかで知り合ったらしい破壊神というおまけつきで)メッセージをわざわざ寄越したのだから、付き合ってやるのはやぶさかではないのだ。


「ちょっとみかどさあ、さっきあんたの師匠とか名乗った変なゴスロリの女の子が来たんだけど?」

「はー、誰が師匠だよ? 鏡から出られなくなった零落神を拾ってやってあたしの式神にしてやったのに、そんなこと言ってたの?」


 よっし、帰ってきたらしばく。と、宣言するみかどの分身と日向子はガラス状の鉱石をパリパリふみわりながら歩いた。


「そういえばさー、あいつ曰くこの世界の王族には破滅する呪いがかかってるから注意せよってさ」

「はあっ? なにそれ重要じゃん! うちの親に直接言えよっ。母さんのインスタ荒らす暇があるならさあっ」

「やだよ。なんでマリママの手柄になるようなことしてやんなきゃなんないんだよ。あんたにだから言ってんじゃん」

「……! みかどが! みかどのくせに世界の行く末を心配してるのひょっとして⁉︎」

「っさいなー、高一まで親のことをパパママ呼びしてたしょんべんタレがしゃしゃんなよなあ」


 かつてこの世界に栄えた文明のカケラを踏みわりながら、二人の少女は話に花を咲かせた。


 二人の頭から、少女の姿をした破壊神にであったことはしばし消えていた2022年の年の瀬である。

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火崎日向子、異世界で破壊神に出会う。 ピクルズジンジャー @amenotou

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