火崎日向子、異世界で破壊神に出会う。
ピクルズジンジャー
異世界で
みかどへ
お元気ですか、私は元気です。
今年の冬休みは、両親と一緒に賽ノ山トンネルのむこう側に来ています。
異世界に居るはずのみかどからすればトンネルのこちら側になるのでしょうか(まあ、どっちでもいいか。あんたが今どこにいるのか知らないし)?
両親がまた仕事の都合でこちらへ来ることになったそうなので、私も同行した次第です。ちなみに央太とドラさんは留守番です。
異世界とはどんなところかと期待していましたが、基本的に地球とそんなにかわりません。
古いドキュメンタリー番組でみたシルクロードの砂漠みたいな風景が延々続いています。
一応守秘義務があるようなので、この世界についてはこれ以上のことは話せません。
あんたもあんたなりに頑張ってることと思います。
寒いところにいるのか暑いところにいるのかわかりませんが、体には気をつけるように。
それでは。
火崎日向子より
PS.あんた異世界に行ってまで母さんのインスタ荒らすのやめなってば。
異世界間交流がごく当たり前になって約二十年、世界と世界との界狭を挟んだメッセージもやり取りも可能となった通信機器やアプリが普及し始めて約三年。
それなのに火崎日向子がウンウンうなりながら腐れ縁の相手に向けてメッセージをしたためていたのは古式ゆかしいのを通り越してふるめかしい羊皮紙だ。右手にもっているのは羽ペンである。父と母が今の日向子と変わらない年ごろだった時、冒険先で宛先の分からない遠方の知り合いと通信をかわす際に使用していたという魔法の道具であるという。書き心地はノートにシャープペンシルで何かを書きつけるときと変わらないのでありがたい。
五分もあれば書き上げられるだろうと甘くみていたものの、結局小一時間かかってしまったメッセージを読み直しくるくると丸めてから、後ろに控えている芝政鉱業の社員証をぶら下げた黒スーツの人物――少なくとも人の形をしているなにものか――に手渡す。
「はい、そっちの希望通りのものが書けた筈だけど?」
「確認いたします」
シンプルにまとめた黒髪、タイトなスカート、ソプラノの声から判断して女性とみなすべきなのだろうがどことなく気配に違和感を与える彼女は、羊皮紙を開いてさっと中を改める。
一読するなりスーツの胸ポケットに刺しているボールペンで羊皮紙の文面をさっとなぞるようなそぶりをみせてから、彼女は日向子にそれを返した。
「こちらでも構いませんか?」
口調こそ丁寧だが、自分が賽ノ山トンネルのむこう側にいること、異世界の風景がシルクロードの砂漠ににていること、守秘義務があることを伝える趣旨の文面が奇麗になくなり、元々シンプルだった文面が一層シンプルになっていた。
検閲である。
日向子も彼女にさからっても仕方ないことを学習していたので、これ見よがしの仏頂面をみせつけながら、くるくるとまとめて母から渡されていた紐で綴じる。
「いいですよー、もうこれで」
封蝋に似せたシール状のものを紐の結び目に貼り付けると、羊皮紙は日向子の手から消え去った。今頃どこの世界に居るのかわからない(少なくともスマートフォンの通信圏内近くにはいる)みかどの手元に届いているはずである。
その様子をみて、彼女は微笑んだ。
「ユニークな魔法ですね。ご両親からご伝授されたのでしょうか?」
「ユニークというか、便利な魔法だとは思いますね。それから、教わったとかそんなんではないです。私は魔法が使えませんので」
「?」
「スマホの仕組みはわからないけど、スマホで通話は余裕でこなせる。それと一緒だとお考えください」
「つまり、あの羊皮紙に魔法がかけられていた、ということですね」
「そういうことです」
教科書めいたやりとりを日向子は彼女と交わした。
魔法のかかった羊皮紙の文面を勝手に変更できる程度の魔法使いの癖に、よく言うよ……、という思いを視線に込めたのだが、伝わっているかどうかは分からない。
広々とした風景に反して窮屈になった日向子は、腰を下ろしていた岩の上で伸びをする。岩は切り立った断崖のそばにある。断崖といえど、二階建て住宅の屋根から地べたほどまでの高さである。臨めるのはプレハブが並んだ難民キャンプだ。給水車に並ぶ大人たちは井戸端会議という名の情報交換を始め、子供たちが元気に駆けずり回っている。合間合間に日向子の両親のように異世界事情に通じた地球人や別の異世界から来た人々がいてそれぞれの仕事に専念している。
キャンプに命からがら逃れてきた人々と、キャンプを支える人々の外見には大きな違いが一つあった。キャンプの居住者には頭の側頭部に犬や狐のような耳が生えているのだ。垂れていたり尖っていたり、形も色も様々だ。
そして獣の耳を生やした人々は生来的に念力のような魔法を使えるらしい。プレハブの間を走り回っている子供たちがコマのような簡素な玩具で遊んでいるが、童歌のようなものを歌いながら踊りつつコマを宙に浮かせてはくるくると一緒に舞を舞う。熟練者になると宙返りや逆立ちをしながらコマを操るような妙技まで披露する。ブレイクダンスによく似た技を決めながらコマをリズム良く跳ね上げては体の一部に止まらせるという、一際芸達者な子供のみせた鮮やかな技に目をみはった日向子は他の子供たちと一緒になってパチパチと拍手を送った。日向子の賛辞に気づいた子供たちも断崖を見上げて、赤毛の短髪の異世界人にはにかんだ微笑みを向け手を振った。砂埃で汚れてはいるが子供たちの笑顔は眩しく愛おしい。日向子もニンマリと微笑み、手を振る。
「子どもがお好きなんですか?」
「好きとか嫌いとか、そういうんじゃありません。あの子たちが笑いかけてくれたから嬉しくなって笑い返しただけです」
せっかくのホンワカとした気持ちが萎んだ気がして、日向子は振り向きもせず彼女に返答した。
「ていうか、あたしなんかに張り付いても仕方ないですよ? 単にボランティアに来た高校生なんですから」
「しかし先ほど、お友達に連絡しようとなさいました」
「単なる近況報告ですらピリピリして目を光らせなきゃなんないようなマズイことをなさってるって考えてもいいってことになりますが? それでもかまわないんですね、芝政さんは」
日向子は振り向く。皮肉を込めたつもりの物言いに彼女はなんと反応するのか。
期待に反して、社員証をぶら下げた彼女は嘘くさく微笑んでこう寄越しただけだった。
「我々の基準では聖剣召喚紋を宿した方を単なる学生さんとはみなしません。ただ、ご不自由を強いていることに関してはお詫び申し上げますね」
「──」
食えない奴、日向子は心の中でべーっと舌を出した。
すると右手の甲が突然ハレーションを起こしたようなチラチラと輝きだす。
とっさに右手の甲を隠して、乾燥地帯の空気を思い切り吸い込み、吐き出した。そして心の中で唱える。平常心、平常心〜……。
やがて甲の輝きは収まり、深々と安堵のため息をつく。
一人で百面相をやってるような日向子が愉快だったのか、彼女はにこりと微笑んだ。
「お気遣い、ありがとうございます」
「えーえー、どういたしましてっ!」
明らかに嫌味であろう彼女の言葉に日向子は子供っぽい物言いで対応した。右手がまた輝きだしたが、左手で押さえ込む。
眼下のキャンプに集わざるを得なくなった人々は、日向子のいる場所から遥か遠くに微かに見える、大きな街だった場所から焼け出された人々だ。そこはこの世界の片隅である小国の、王都だった場所だという。
王宮を中心に構えた城塞都市だったその都は、こことは別の異世界に属する軍事組織による侵攻を受けてたったの数日で制圧されたのだという。そのことを報った日向子たちの属する世界の国々は「新しいお隣さん」のいち大事に、トンネルを通って自衛隊やら国連のなんとか部隊やらを派遣して人道支援に邁進していた。日向子が両親とともに協力している難民キャンプもその一つである。
──人道支援、本当にそうだったらいいのに。
落ち着いた右手を抑えつつ、日向子は振り向いて彼女のことをちらりと睨み、そのあと彼方に目を馳せた。
焼け落ちた旧王都と難民キャンプを一直線上に並べたその遥か先に、遠目にはなにかの工場群に見える建物の群れがある。旧王都とは異なり、地球にある風景と寸分変わらず異世界情緒を感じさせないそれは希少金属の発掘場だ。
それを管理運営しているのは、日向子の背後にいる彼女が所属する芝政鉱業である。
芝政鉱業は塞ノ山トンネルの事故以降、異世界進出に積極的であるのは夜のニュースでも伝えられている。が、それと亡国の侵略事件との関係は頑なに語られない。それが何を示すかは、どうして社会的には一介の高校生である日向子に芝政の社員証をぶら下げた監視係がつくのかと関連して考えれば、推してしるべし、となるわけだ。
むしゃくしゃすると右手の甲がまた光り出しそうになるので、再び深呼吸を繰り返した。すーはーすーはー……。
日向子の右手の甲にはラメで描かれたような紋章がある。
普段は目立たないが、感情が昂った時などに強く輝き大いに存在感を主張する。それだけならまだしも、あろうことかテレビゲームでしかみないような装飾過剰な長剣を所構わず出現させるのだ。
この一年、日向子の日常はこの紋章と長剣に振り回された一年と言ってもよかった。
まっすぐで強靭な精神と正義感と沸騰しやすい気質の日向子と紋章の相性、それは抜群だった。些細な悪事や社会の理不尽に日向子が憤れば、輝ながら剣が現れたちどころに正義の鉄槌が振り下ろされるのだ。正義を成すための聖なる剣を手にした日向子はある意味救世の宿命を背負った選ばれし少女と呼んでも良い存在と化していた。
しかし、日向子の生活基盤は剣と魔法の世界ではない。新興住宅地と伝統的な農村が入り混じって出来あがり、巨大な箱のようなショッピングモールとロードサイドの量販店が目立つ郊外である。
異世界間交流が珍しくもなくなり、外見が地球人類とはかけ離れた人々も当たり前に目にするようになった現代日本の一地方といえど、街中で鉄の塊の如き長剣を振り回す女子高生の存在が目立たないがはずがなかった。
紋章と剣の力で万引き犯とひったくり犯と痴漢常習者を警察に突き出していたが、その都度「君のソレ、銃刀法違反だよ?」とお巡りさんに苦々しく注意されるに至っては、さしもの日向子も持て余してしまうのである。
この紋章や剣を元勇者だった父親から非常に適当に受け渡されてからほぼ一年になり、そもそものきっかけが手紙の相手である腐れ縁の女を助けるためだった。それにあの憎たらしい一件にも芝政鉱業は絡んでいたのだ。
むしゃくしゃする事実を噛み締める日向子は、気分を晴らす為に立ち上がった。デニムについたホコリを払って断崖に添いながら歩き出す。そのあとを当然彼女は着いて歩く。
「どこへ行かれます?」
「安心してください。ただの散歩です」
日向子が歩くと、パリパリとガラスを踏み割るような音がした。この一帯の地質にはガラス化した鉱石が多い。太陽がさすと眩くきらめき、水晶の結晶のようなかけらも簡単に見つかる。それらには銀色の不純物が混ざっていてちらちらと瞬くのだ。この天然のガラス石は住民の耳と並んで異世界らしさを最も伝えるものだった。
できることならお土産として一つ拾いたいくらいだが、持ち帰ることは固く禁じられている。それに関しては日向子の両親もあとをついて歩く彼女も声を揃えて持ち帰ってはならぬと声を揃えて言ったのだ。触るのもだめ、塞ノ山トンネルを通って持ち帰る生絶対に不可だと。
なんでも、得体の知れない魔法の記憶が封じられているのだと。
それを思い出し、振り返らず日向子は彼女に問うた。
「ねえ芝政さん、このガラスに閉じ込められた得体の知れない魔法ってなんなんですか?」
「ええ。それは──……」
その瞬間、日向子のスニーカーの下でパリンとガラスのかけらが砕けた。うっかり足下にあった大きめの鉱石を踏み割ってしまったらしい。驚いて足下を確認する日向子の視界に影が落ちる。
「そ・れ・は・ね・え〜……」
日向子の右手の甲が強く輝きだした。紋章の知らせる合図にこの一年ですっかり慣れてしまった日向子は面を起こす。
それは逃げも隠れもせずにそこにいた。
蝙蝠のそれを思わせる漆黒の被膜を大きく広げた少女の姿をした何かが、宙で浮遊し日向子を見下ろしていた。
「こういう姿をしてるモノなの、お解り?」
──この少女がかつて黒羽根少女と呼ばれ、世界を一つ破壊したこともある存在だと知る由もない火崎日向子は、無意識に右手で何かを掴む動作をする。それだけで出現した聖剣を構えた。
この一年ですっかり習慣になった所作であった。
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