うさぎの背中
北川エイジ
1
あたしはひとしきりエゴサーチをやり終えるとスマホをテーブルに置いた。マグカップのコーヒーを飲み、胸のなかでつぶやく。
『やれやれ、みんな言いたいこと言ってくれるわ。……でもけっこう擁護してる人いるじゃない』
大麻所持で逮捕されてからひと月、昨日保釈されるまであたしは外界から遮断されていたのだ。
所属事務所はあたしの処分を自宅謹慎とし、ありがたいことに契約解消にはいたっていない。
あたしはてっきりネットでは罵詈雑言だらけだと思い込んでいたのだがそうではなかった。
午前中に見てきた情報番組の録画Vではかなりの言われようだったのでなおさら意外だった。
「元々夜遊びのイメージが強く、ファンを裏切ってはいない」
「被害者がいない罪だからそこまで悪質とは言えない」
この辺はまあわかる擁護だ。
首をかしげるものもある。
「神崎霧子は存在自体が作品。女優業以外でも私生活でもワル、不良のイメージを演じてきたので今回の逮捕すら彼女の作品なのだ」
ついていけない感覚だ。
困る擁護もある。
「天才には大きな欠陥があるもの」
「天才に常識がある方がめずらしい」などだ。
違う。あたしは天才じゃあない。与えられた役を演じられただけでそれだけのことだ。
人はよくあたしに対してそう言ったことを言ってくれるがあたし自身は迷惑な言葉としか受けとれない。
ほんとうの才能を持つ人、実力ある人を見てきたし、自分の出演した映画やドラマを見てあたしが感じるのはいつも〈何かが足りない感じ〉だ。業界内で確かにあたしの演技力についての評価は常に高い。水準以上の高さをキープしてきたと自分でも思う。
でもそもそも現状で演技力なんてものは必ずしも求められてはいない。
べつの何かが求められている。
端的には数字なのか?
視聴率や観客動員数?
そう思うがはっきりとはわからない。
この面で気になる女優がひとりいて、彼女は長いこと業界内で演技力がないと言われつづけているのにずっと第一線で活躍している。桜井美咲。歳は三二のあたしより五歳下のはず。丸顔と黒髪のショートヘアーの容姿には洗練されたかわいさがあり、モデル出身ながら微妙にアイドル性がある子だ。
求められているのはアイドル性なのか?
いや、それはちょっと違う感じ。ドラマに映画にとオファーが途切れない彼女があたしは不思議で仕方なかった。嫌いというわけではない。嫉妬もない。
ただ、あたしとはまるで逆の、対極にいるような気がするのだ。いや、じつのところは嫉妬があるのかもしれない。桜井美咲が備えた清廉なイメージはあたしは最初からなく、むしろ若いあたしはそれを拒絶してきたのだ。
なぜなら事務所のスタッフのなかにやかましいのがいたから。
あたしには水着グラビアモデルの時期が一年あるのだが、つとめてすきあらばヤンキー口調を使うようにしていたあたしをいつもとがめるやつがいた。
社長には許可をとって自分の戦略としてそうしていたのにである。まあ何から何まで生意気に見えていたのだろう。
あたしには女優転身しか目標がなく、それには“その他大勢”のなかで際立つ必要があった。適度なヤンキー口調であればあたしの外見からすれば問題ない。飛び抜けた美人の個性として成立する。あたしにはその辺のコントロールができる。
実際、十代のあたしはそれをやってのけたのだ。
でも一方で女優業をなめていたのも事実だ。脇役から主役に転じたとき、正直なところあたしは苦労した。業界や世間的には認められてもできあがった映像を見るとあたしにはわかった。
ようするに若さゆえの成功である。旬の時期の素材がその良さを発揮しただけ。いまではもっとよくわかる。
あたしは時代に恵まれていた。
女優の長所、良さを引き出すことに重点を置いた映像作り、製作体制がすでにできあがっていたのだ。
そして芸能界の過去。
あたしの前の世代の若い女芸能人たちによるスキャンダルの連続がある。
一歩引いて自分のキャリアを眺めたとき、それは輝いて見える。女優を光らせる体制と、ちょっと前の芸能史の闇。
すべてがあたしに有利に働いている。輝きはあたし自身の輝きではないのだ。
……う~~、イライラする……ペナルティで酒もたばこも禁じられているので地獄のようだ……この世界は宇宙ごと狂ってる。狂った宇宙。めまいがするわ。何もかもが狂ってる。
……ああもう、腹立つ!
頭にくるのはテレビのコメンテイターのやつら!
なんなのあいつら!
むかむかする……!
むかむかしてゲロ吐きそうよ!
「ようは快楽を求めた」
ああそうよ、それの何がわるいの。
「ストレス解消に非日常を大麻で得ようとした」
あのね、ものごとは正確に言いなさい。正確には正常な日常よ。
非日常? そんな浅はかなもんじゃない。てめぇらがありがたがってる日常があたしには苦痛なんだよ。
苦痛を何とかしろっての!
ああもう! なんでこうなるのよ!
……なんでか。逮捕されたからだ。逮捕されたからあたしは決まっていた役を失った。もしかしたら、もしかしなくても未来を失った?
まあ……そこは考えても仕方ない。あたしにどうにかできるものじゃない。
なるようにしかならんわ。
まったく、どうなってるのこの世の中は!
あ~~イライラする。誰か政府に突撃しろ!
───
気がつくと夕方だった。あまりのばかばかしい日常に、あたしは気を失っていたようだ。派手な放屁のあとソファーから立ち上がって冷蔵庫へ向かい、あたしは中からオレンジジュースを取り出した。
マネージャーが用意したものである。緑茶、紅茶、コーヒー、いろんなペットボトルがある。彼はスナック菓子を段ボールにいっぱい詰めて持ってきた。
スコーンとかチートスとか色んなメーカーのポテチとかチョコとかハッピーターンとかの類い。苦しくなったらどうぞ、だって。ばかにしてんの? あたしは腰が砕けそうで怒る気力もわかなかった。
まあいまのマネ波多野は前の前田に比べればずっといい。無駄なことは口にせずやるべきことを過不足なくこなすタイプだ。
前田のやつは社長とひと悶着があったあと事務所を辞めた。退所の挨拶にこのマンションを訪れたやつは別れ際にこう言った。
「お前は趣味嗜好で大麻を使ってるつもりだろうが単に逃避してるだけだ。女優として足りないものを大麻で埋めてるだけ。いますぐやめろ。何にもならない」
あたしは怒鳴りあげた。
「ああ!? なにをえらそうに! とっととうせな!」
そう怒鳴りあげてやつを追っ払ったのだ。
あたしはカールのチーズ味の袋をあけ、久しぶりにその味を確かめる。
ずいぶん美味しくなったものだ。濃いいし。
でもこんなのばっかり食べてたらぶくぶく太るだろう。なに考えてんの、波多野のやつは。太りにくいお菓子を用意しろっての。いちいち言わないとだめなのか。
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