(4)
生徒指導室でこってり絞られた三人は、昼休みいっぱいを使ってようやく解放された。そんなぐったりとした表情で声もない三人の前に、ひとりの女子生徒が進み出る。
「ちょっといい?」
「あ、あんたは……!」
うなだれていた宏美が顔を上げれば、そこには先ほどまで黒田玄と話をしていた地味な女子生徒が立っていた。女子生徒は野暮ったい眼鏡の奥から鋭い目で三人を見据える。有無を言わせぬ女子生徒の雰囲気に、宏美と比呂乃は息を飲んだ。夢香は新たな面倒ごとの予感に嫌そうな顔をした。
「私は三組の
「話って――」
「……ここじゃなんだから。ついて来て」
「……わかったわ」
「えっ? あたしも行かなきゃダメなの?」
夢香に三対の目が集まる。夢香は抵抗をあきらめた。
冬林茂子に先導されて着いた場所はひとけのない校舎裏であった。初夏を前にしているため、日陰にはしんとした冷気が漂っている。
三人に背を向けていた茂子が足を止めて振り返った。それに合わせて三人も歩を止める。
「単刀直入に聞くけれど――あなたたちは『さくりん』を知っているのね?」
「じゃあ、あんたも……」
宏美と比呂乃は息を飲み茂子を見た。茂子の目に敵意はない。あるのは――
「これ以上羽目を外すのはやめなさい」
「羽目を外すって……」
「あなたたち、自分がどういう目で見られているかわかっていないの?」
茂子は呆れた様子で宏美と比呂乃を見やる。
「あなたたちの奇行は他学年にまで知れ渡っているし、校内じゃ立派に浮いてるわよ」
「えっ……」
「そうなの?」
「……本当に気づいていなかったのね」
ため息をつく茂子に対し、宏美と比呂乃は目に見えてショックを受けていた。前世で灰色の学校生活を送って来た彼女たちは、青井蒼太へ脳のリソースを取られていることもあり、友人がひとりもいないことや、クラスメイトが話しかけて来ないことについて、微塵も疑問に思ったことはなかったのだ。
つまりふたりとも地味な自分が目立つはずもないと信じ込んでおり、まさか学校中に己の存在が知れ渡っているなどとは、露ほども思わなかったのである。
「『さくりん』の一ファンとして、キャラクターに関わりたいというあなたたちの思いは否定できない。現に私も関わりを持ってしまっているし。――けれども、いくらなんだって遠慮がなさすぎよ。もう少し我が身を省みてはどう?」
「――そうは言っても、蒼太はカッコイイからライバルが多いし!」
茂子の言葉に比呂乃が勢い込んで反論する。それにしばしのあいだショックを受け呆然としていた宏美も、我に返りその尻馬に乗る。
「そ、そうよ、うかうかしてられないの! ガンガン行かなきゃ取られちゃう!」
「せっかく『さくりん』の世界に転生したんだから蒼太の近くにいたいの!」
ふたりの思いは切実だった。
ふたりは前世では立派な喪女であった。顔面凶器とまでは行かないにせよ、普遍的なブスであった。物心ついたころからブスであり、長じてもブスであった。ロリであろうがババアであろうが、ブスであった。性格も非常に内向的であり、自ら異性に話しかけるなどとてもできなかった。――ブスの自分が話しかけても相手にされない。それどころか自分が傷つく結果に終わる。ふたりは鬱屈とそう思っていた。
それがなんの因果か前世で熱を注いだ『さくりん』の世界に転生した。――十人並みの容姿で。
「今のわたしは美人じゃないけどブスでもない。そしてリアル蒼太がいる。――なら、このチャンスは無駄にしたくないの! 勝率が低くたってチャレンジすることをあきらめたくない!」
「この顔面なら……もしかしたら、もしかしたら、蒼太の彼女になれるかもしれないなら、やっぱり挑戦したいの! だれにも譲りたくない!」
「わたしだって譲りたくない! 蒼太の彼女になりたい! ――いや、蒼太の彼女になる!」
「ちょ、ちょっと! わたしが蒼太の彼女になるんだってば!」
「なに言ってるの、わたしのほうが蒼太のことを愛してるわ!」
「なにを根拠に言ってるのよ! わたしのほうが蒼太のことを愛してる!」
「――ああ、もう! ちょっと落ち着きなさい!」
茂子へ切実な思いを吐露していた宏美と比呂乃であったが、その言葉はいつのまにやら「どちらが青井蒼太の彼女にふさわしいか」という言い争いに発展していた。
そこへ茂子の一喝が入り、元来小心者なふたりは動きを止める。
「あなたたちの考えはわかった。けれどもいつもそんな調子で言い争っているの?」
「いつもというわけでは……」
「っていうかまともに話したのって昨日が初めてだし……」
「……まあ、いいわ。――とにかく、これ以上いがみあって問題を起こせば恋どころじゃないってことはわかってる?」
茂子に痛いところを突かれたふたりは苦い顔をして黙り込んだ。
「私としても近くで同じ境遇の人間に騒がれるのは見ていられないし……。あなたたち、一度しっかり話し合ったらどう? 場所なら私が確保しておいてあげるから」
茂子の提案に宏美と比呂乃は顔を合わせる。茂子の言うことには一理あった。
どうにも他人との関わりが不器用なふたりは、感情のコントロールが下手だ。それゆえにヒートアップして視野狭窄に陥り、その結果が周囲から浮いているという――本人たちに実感はないものの――現実だ。その現実を悪化させたくはない、という思いはふたりの中にあった。
「――そうね、これ以上『さくりん』の会話ネタで被りまくるのもなんだし……」
「……お言葉に甘えましょうか」
「わかってくれてよかったわ。じゃあ、明日準備ができたら連絡するから、連絡先を交換しましょう」
こうしてふたりの両親と兄弟しか載っていない連絡先一覧に冬林茂子の名が加えられる。決戦は明日。ふたりは気を引き締めた。――蒼太をあきらめたくない。ふたりを支配するのは、異様な熱を持つその感情のみであった。
夢香は空気であった。
茂子から連絡があったのはその日の朝。登校してすぐのことだった。メッセージの内容は放課後に第二会議室を借りたのでそこに集まって欲しいというものである。
この日ばかりは宏美も比呂乃も青井には積極的に絡みには行かなかった。行動は、話し合いのあと。そう互いに目で牽制していたのである。
ついでに夢香は前日に青井と関わらないことをふたりに約束させられたこともあり、昨日の様子が嘘のようにおとなしくしていた。
クラスメイトたちは嵐の前の静けさか、と三人の様子に戦々恐々とした。
青井はつかの間の平穏を噛み締めていた。
担任はようやく心を入れ替えて反省したのかと喜んでいたが、彼はそれがぬか喜びに終わることを知らない。
放課後が訪れ、四人は第二会議室の前に集まった。夢香だけは面倒くさそうにしていたが、逆ハーレムを築こうとした前科があるため、宏美と比呂乃に連行されてやって来たのであった。
茂子が第二会議室のスライドドアを開く。
「どうやって場所確保したの?」
「普通に。……入学しょっぱなから問題起こしまくりのあなたたちとは違うのよ」
茂子が机の端のいわゆる「お誕生日席」に座り、宏美と比呂乃は互いに対面するように腰を下ろす。巻き込まれたくない夢香はふたりから離れた場所を選んだ。
「――さて、あなたたちの奇行のことだけれど」
「あ、あたしはやめたし……」
「ちょっと黙っていなさい。話ならあとで個別に聞くから」
宏美や比呂乃とは違うと主張とした夢香であったが、茂子に出鼻をくじかれる形となった。
茂子はぐるりと三人の顔を一度見回した。
「あなたたちは――『さくりん』のヒロインの真似をして、結果、奇行に走った……ということでいいのね?」
「はい」
「そうです」
「あたしは違うんだけど!」
夢香の言葉に宏美と比呂乃は彼女を見やる。険しい顔には「嘘つくんじゃねえ」と書いてあった。だが、ここは夢香としては譲れない問題のようである。ふたりの剣幕にひるみつつも夢香は言葉を続ける。
「あたしはヒロインじゃなくて……そのー……夢主(夢小説の主人公)の真似なんだけど」
夢香は前世で『さくりん』にハマった結果、原作にいないキャラクターを主人公として登場させる、いわゆる「夢小説(ドリーム小説)」を書いていたのだ。
一見すれば夢香の行いは『さくりん』のヒロインの言動をトレースしようとしたふたりと差異はないが、彼女には重要な違いであるらしい。
「まさか夢厨(夢小説を好む人間の蔑称)だったとは……」
宏美のつぶやきに反応し、夢香が目を吊り上げる。
「ヒロインに成り代わり(既存のキャラクターに成り代わる夢小説のジャンルのひとつ)しようとしたあんたに言われたくないわよ?!」
「『さくりん』に忠実な行動を取っただけよ!」
「じゃあなんでヒロインみたいになじめてないのよ?!」
「ぐっ」
言葉に詰まった宏美に対し、夢香は昨日受けた仕打ちを返すかのように勝ち誇った笑みを見せた。
「あんたたちはすでに蒼太に引かれまくってるけど、あたしにはまた紅太郎様がいるもんね~」
「――設定資料集では赤城紅太郎は包容力のある穏やかな人間が好き、と書かれていたと思うけれど……他人と些細なことで言い争う人間性の女に果たして彼が振り向くのかしら? そんな態度でいては、早晩振られることは確実ね」
茂子の冷静な指摘に今度は夢香が言葉を詰まらせる。
茂子は深いため息をついた。
「とにかく、あなたたちは騒ぎ過ぎよ」
「そんなに騒いでるつもりはないんだけど……」
「じゃあなぜあなたたちは校内で浮いているのかしら? クラスには馴染めている? クラスメイトは話しかけてくれる? ――青井蒼太に話しかけているようだけれど、一度でも彼から話しかけてくれることはあったの?」
三人は沈黙する。そんな三人を見る茂子の目は呆れの色を見せていた。
「あなたたちがしてきてしまったことについては、もうなにも言わないわ。やってしまったものは仕方がないもの」
「ど、どうにかできないの?」
「過去は変えられないけれど、未来は変えられるわ。一度心を入れ替えて真人間になることよ」
「……どうやって?」
「――まず、『さくりん』のことは忘れなさい」
「そんな! 蒼太をあきらめろっていうの?!」
「そんなことできない!」
騒ぎだす宏美と比呂乃に、茂子の鋭い視線が刺さる。
「ちょっと落ち着きなさい。そうやってすぐに大騒ぎするのをやめなさいと言っているの。青井蒼太のことをあきらめろとは言っていないでしょう。『さくりん』のことを忘れなさい、と言ったの」
「でも――」
「『でも』じゃない。人の話は最後まで聞きなさい。――とにかく、あなたたちが
茂子の言葉に会議室は静まり返った。
宏美と比呂乃はそんなことは考えもしなかった。『さくりん』のヒロインと同じ言動を取れば、青井蒼太に気に入られると信じて疑わなかった。
たしかに現実を省みればその作戦は上手く行っていると言いがたい。いや、ほとんど失敗と言いきって良かった。けれどもそれは宏美からすれば比呂乃が、比呂乃からすれば宏美がいるせいだと、ふたりは短絡的にそう思っていたのである。
だが少し考えればわかることである。乙女ゲームの会話文など、現実の会話に比べて著しく発展性がなく、ごく短いやり取りで終わってしまうパターンも多い。それをそのまま現実の人間との会話にあてはめようとすれば、無理が出て来るのは当然の帰結であった。
「秋山さんもよ」
「え? あたしも?」
「あなたはたしかに『さくりん』のヒロインの言動をトレースしているわけではないけれど、結局『さくりん』の製作者が設定した事柄に囚われて下手を打ったんでしょう。あなたにとっては青井蒼太がババロアを好物とするのは『当たり前』の知識なのかもしれないけれど、いくらなにげない風を装ったって、初対面の相手の好物を当てるなんて不気味がられても仕方がないわよ」
「う……」
「だから、あなたもまともな学校生活を送る気があるのなら、一度『さくりん』のことは忘れなさい」
優しく諭すような茂子の言葉に、三人はうつむいた。己の所業を今冷静に省みて、それがどれほど常識外れで奇異なものだったか、遅まきながらに認識しはじめたのである。
「――でも、もう散々やらかしちゃったんだよ。これじゃあ――」
「あきらめるの?」
比呂乃の弱々しい言葉を、宏美が遮った。
「あなたの蒼太への愛はそんなものだったの?」
ハッとして比呂乃は宏美は見た。宏美はまっすぐに比呂乃を見据えていた。瞳の奥に消し切れない熱情を燃やして。
「わたしは、あきらめない」
「わ、わたしは――」
「蒼太をあきらめるって言うなら、止めないから。――だってわたし、蒼太の彼女になりたい。あきらめきれない。だからライバルであるあなたが蒼太をあきらめるって言うなら、止めない」
「――わたしだって!」
比呂乃はパイプ椅子を後ろに飛ばして立ち上がった。
「わたしだって蒼太が好き! 蒼太の彼女になりたい! この恋を――あきらめたくない!」
比呂乃の言葉に宏美は目を瞠った。しかし次の瞬間には口元を緩ませる。
宏美は立ち上がり、右手を差し出した。比呂乃はためらいなく宏美の手を取る。夕日の差し込む会議室で、ふたりは固く熱い握手を交わした。
「どっちが選ばれても、恨みっこなしだからね」
「蒼太の決めたことに文句は言わない。全力で行くから」
「わたしだって」
さながら夕日を背景にした河川敷で殴り合ったような顔で、ふたりは力強い笑みを見せた。そんなふたりを夢香は呆気に取られた顔で見ている。
「――それじゃあ、秋山さん。あなたも、ね? 夢小説の主人公に成りきるのはいいけれども、せめて逆ハーレムを築くとか、常識はずれな願望を実行しようとするのはやめなさい。ね?」
「え? アッハイ」
――かくして、宏美と比呂乃は『さくりん』のヒロインの真似をしない。夢香は逆ハーレムの構築をあきらめる。そういった内容で協定は成ったのである。
しかし。
青井はすでにおっぱいが大きくて可愛い女子生徒とくっついていた。不気味な三人組の時間差攻撃を受け続け、憔悴した青井を女子生徒が支えた結果、恋人同士になったなどという事情は、今の宏美と比呂乃には知る由もないことである。
「現実はクソゲー」
ふたりがその言葉を心に刻み込むことになるのは、もう少しあとのことである。
乙女ゲーム転生ヒロイン協定 やなぎ怜 @8nagi_0
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