(3)

 宏美と比呂乃が喧嘩ではなかったと口裏を合わせて担任を誤魔化した翌日、ふたりのクラスに季節外れの転校生がやって来た。


秋山あきやま夢香ゆめかです! よろしくおねがいしま~す!」


 パーマをかけてふわふわと浮かせた茶髪を揺らめかせ、転校生――夢香は元気良く挨拶する。桜坂高校では染髪もパーマも校則で禁止されているのだが、彼女は堂々とこの恰好で登校して来た。クラスメイトたちはこの時点で若干きな臭いものを感じていたが――果たして、その直感は正しかった。


「ねえねえ~。青井くんて~ババロア好きそうな顔してるよねっ。あたしもババロア好きなんだよね~」


 休み時間に入るや否や、青井の席へ直行した夢香が放った言葉に、クラスメイトたちは戦慄した。そのセリフはすでに何度も聞いている。宏美と比呂乃が青井との会話をなんとか広げようと苦心した挙句、本来であれば彼女たちが知るはずのない青井の好物を話に絡めようと悪あがきした結果の言葉とほとんど同じであったのだ。


「甘いものが好きそう」ならまだしも「ババロアが好きそう」とピンポイントで青井の好物を名指ししてしまうところが、彼女らのコミュニケーション能力の低さを物語っていた。――たとえ前者のセリフを選んだとしても、親しくもない人間が突然言うには不自然ではあるが。


 夢香が宏美や比呂乃と違ったのは、多少周囲の様子を察知できる程度の冷静さを持っていたことである。だから彼女は青井と周りのクラスメイトたちの反応に違和を覚えた。それでもなお話題を振ることをあきらめはしなかったのは剛胆と言うべきか、無謀と言うべきか。


 その後も夢香はすでに宏美と比呂乃が消費し尽くしたネタ――すなわち、明らかに『さくりん』のテキストを引用したセリフを量産し続け、クラスメイトたちの顔を恐怖の色に染め上げた。


 青井は、泣きそうな顔をしていた。


 宏美と比呂乃は最萌えの青井蒼太に気やすく近づく女を前に、殺意のオーラを放っていた。


 宏美と比呂乃はどちらともなくアイコンタクトを取る。今、青井蒼太をめぐり争うふたりの女が心を通わせ、手を取り合うことを決めたのである。これ、呉越同舟と言う。



「ちょっと~なんなのよあんたたち!」


『さくりん』の知識を総動員して宏美と比呂乃は昨日争い合った空き教室で夢香を待ち伏せすることにした。そこへふたりの思惑通りに夢香がやって来た次第である。ご丁寧にも「ここに蒼太がいるはず~」などとご機嫌なひとりごとをつぶやきながら……。


 宏美と比呂乃はそんな迂闊な夢香の脇を息の合った動きで固め、空き教室の奥へと連れ込んだ。昨日の反省を踏まえて教室のスライドドアの鍵を下ろすのを忘れずに。


 夢香からすれば突然地味なモブ女に囲まれ、有無を言わさず空き教室の奥へ連れ込まれたことになる。だが、周囲に引かれている空気を感じながらも青井に話しかけ続けられる肝を持った女である。マスカラを盛りに盛った目を吊り上げてふたりを見据えた。――ちなみに桜坂高校では化粧も校則に反する。夢香は登校後すぐ教師に捕まり職員室で化粧を落とさせられたにも関わらず、隙を見て再び化粧をしているのであった。


「なんなのはこっちのセリフよ」


 おおよそ女の声とは思えぬ低音が、宏美の喉からさながら地獄から這い出ようとする亡者の喚声のごとく響く。


「――あなた、『さくりん』を知ってるわね?」


 そこに続く比呂乃の目は見開かれ、血走っていた。


 ふたりの異様な空気に飲まれた夢香は「ひいっ!」と引きつった悲鳴を上げる。


 だが彼女の矜持がそうさせるのか、夢香は冷や汗を流しながらもふたりに立ち向かう。


「そ、それがなによ?」

「――それが、問題なのよ!」

「ひぃっ?!」

「転校早々蒼太にベタベタしちゃって……いやらしい! ただでさえ厄介なライバルがいるってのに、これ以上ややこしいことにしないでくれる?!」


 宏美のセリフは完全に自分を棚に上げたものであった。だが、今この場でそれを指摘する者はいない。


 じりじりとゾンビのように迫って来る宏美と比呂乃を前に、夢香は徐々に壁際へと追い詰められてゆく。


「あなたは『さくりん』にどれだけ貢いだの? まさか、ゲームをプレイしただけじゃないでしょうね?! リアル蒼太に近づくなら最低でも[ご想像にお任せします]万円は貢いでなきゃ資格はないわよ!」

「ひぃっ!」

「蒼太のルートは何周したの? 蒼太のグッズはどれだけ買ったの? 待ち受けはもちろん、着ボは蒼太、着メロは蒼太のキャラソンにしていたわよね?! 蒼太のポスターを部屋に貼って毎日話しかけてたんでしょうね?! 一日三回はキャラソンを聴いてた?!」

「ひいいいいいぃぃぃ~!」


 社会人であったふたりと違い、夢香の前世はリアル工房(現役高校生)である。彼女は、まだこじらせた大人の怖さを知らなかった。


 オタク特有の謎の熱量で話を続ける宏美と比呂乃を前に、ついに夢香は白旗を上げる。


「違うっ! 違います! あたしの推しは蒼太じゃないんです!」

「ハアッ?! ならなんで蒼太にベッタベタしてたのよ?!」

「蒼太は推しじゃないのに近づいた?! どういうこと?!」


 怒髪天を衝きそうなふたりの勢いに、夢香は涙目である。だが、今この場で弁明しなければもっとまずいことになる。夢香は意を決して己の行動の理由をゲロった。


「い、いや……あたしの推しは紅太郎こうたろう様で……。ちょ、ちょっと逆ハーしたいなーなんて思って……アハハハ……魔が差したっていうか……ねえ?」


 夢香の乾いた笑いが薄暗い空き教室に虚しく響く。


 ふたりは笑っていなかった。目が完全に据わっていた。


「――すいませんっしたあ! 出来心なんです! ゆるしてください!」


 ――土下座。夢香の今世どころか前世でもしたことのない土下座である。しなければやばい。なにがやばいのかはわからないが、やばい。生命的なものがやばい。夢香の本能がそう告げていた。


 夢香の謝罪と命乞いに宏美と比呂乃のふたりはようやく抜き身の剣を収める。


「二度と蒼太には近づかないこと。いいわね?」

「ハイ。ワカリマシタ」

「近づいたらどうなるか……わかるわね?」

「ハイ。ワカッテイマス」

「わかったらいいのよ」

「ハイ。アリガトウゴザイマス」


 生命の危機という極度の緊張から夢香のセリフはほとんど片言になっていた。この日、夢香は男をめぐる女社会の厳しさと、おとなげない大人の怖さを身を持って知ったのである。その経験は夢香をひとつ大人にした。


 一方、夢香を全面降伏させることに成功したふたりはある疑念を抱くに至る。


 ――この学校内に他にも転生者がいるのではないか?


 宏美、比呂乃、そして新たに現れた夢香。『さくりん』を知る転生者が三人も集まってしまったのだ。ならば四人目以降が出て来たとてなんの不思議もない。その可能性に思い至った宏美はある提案をする。


「他にも転生者がいないか確認しておかない? この調子だと他にもいそう」

「……わたしもそれを考えていたわ。思えば蒼太しか見ていなかったけれども、他のキャラの周りにも転生者がいるかもしれない」

「いるかもしれないし……もしいたら、キャラに振られて蒼太に流れて来る可能性もある」

「そうね」

「え、ええ~……?」


 真剣な面持ちで顔を突きあわせているふたりに対し、夢香は「そういうのを杞憂って言うんじゃ……」と言ったが、宏美と比呂乃の耳には入らなかった。


「一斉捜査よ!」


 宏美の威勢の良い言葉に、比呂乃が力強く頷く。


「じゃああたしはこれで……」

「なに言ってんの? あんたも手伝うの!」

「ええええ~……?!」


 ――こうして宏美と比呂乃と、無理やり付き合わされた夢香により、桜坂高校に在籍する『さくりん』キャラクターの身辺調査が行われた。


 その結果わかったのはどのキャラクターも非常にモテているということである。彼らには多くの取り巻きの女子生徒が存在した。そのことは宏美と比呂乃にとってはどうでもいい。彼女らが狙うのは青井蒼太ただひとりである。


 無論、『さくりん』をしゃぶりつくすようにプレイしたふたりであるから、他のキャラクターにも魅力を感じないわけではなかった。しかし「二兎を追う者は一兎も得ず」ということわざが示すように、リソースを分散して結局どちらも手に入れられなかったのでは本末転倒だ。――単に喪女ふたりにはそんな高度な技が使えないだけという話なのだが、ここでは指摘するだけ野暮である。ふたりとも乙女ゲーム的文法で一途な選択肢を取っている、とも言える。


 閑話休題。


 とにかく三人はそんな中、ある異質なる光景を目撃することになる。


 黒田くろだしずか。『さくりん』に登場する攻略対象となるキャラクターのひとりで、いわゆる「武士キャラ」と呼ばれるような、寡黙で女にうつつを抜かさない硬派な男である。


 その黒田玄がひとりの女子生徒と親しくしている。『さくりん』プレイヤーとしては違和を感じずにはいられない光景に、宏美と比呂乃は疑心を持った。相手は規則通りに制服を着て、黒髪をボブカットにし眼鏡をかけた地味な生徒である。そんなごくごく平凡な女子生徒が堅物として有名な黒田玄と談笑している。


「――どう思う? いかにもモブって感じだけど」

「仮に転生者であってもあのモブ感なら敵にはならないんじゃない?」

「……『さくりん』からしたらあんたたちもモブじゃん……」


「春風! 夏川! 秋山!」


 柱の陰から黒田玄と女子生徒を観察――という名のストーカー行為を働いていた三人に、鋭い声が降りかかる。三人はそろって肩を跳ねさせ、うしろを振り返った。そこには腕を組んで仁王立ちをしている担任の姿があった。


 校内を練り歩き、舐めるような目で特定の男子生徒を見るふたり――とやる気なさげなひとり――は多くの生徒に目撃されていた。よって「不審な生徒がいる。怖い」「毎時間のように他クラスの教室を覗いている。怖い」といった通報が集まり、ついに担任が腰を上げたのである。


 三人はあえなく御用となり、生徒指導室に連行された。そして反省文十枚を書くことと、一ヶ月の奉仕活動に従事することを命じられたのである。

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