(2)
クラスメイトたちはただ遠巻きにしているだけでよかったが、青井蒼太はそうはいかない。そして教師も。あまりに奇異なふたりのことは職員室でも話題になっており、青井も担任に相談こそはしないものの迷惑がっているということで、三人の担任教師はついに職員室へ宏美と比呂乃を呼び出した。生徒指導室ではないのは、担任のふたりに対する配慮である。
呼び出しを食らったふたりは、根は小心者であるから内心でおびえていた。しかしふたりは一方で心当たりがない――本気でそう思っているのだ――のでだいじょうぶだと高を括っていた。
「学校生活はどうだ?」
ひょろりとした体躯の中年の担任はそんな当たり障りのない話題を振る。だが当のふたりの反応はにぶいものであった。「はあ」とか「まあ」とか、いかにもやる気のなさげな声で返事をするのみである。大人しくしておいて早くこの面倒な呼び出しを終わらせたいという気持ちがありありと伝わってくる、そんな態度であった。
だが寛容にも担任はそんなふたりを怒ったりはしなかった。
「春風と夏川は中学が違ったな?」
「ええ……」
「はい……」
ここまで、宏美と比呂乃は一度として相手を見たことはなかった。雰囲気からも、親しさを感じられない。そのことに担任は頭をひねる。だというのにふたりは同じ行動を取っている。担任はこれを彼女らなりの――理解はできないが――なにかしらの遊びと解釈した。
「仲が良いのはいいことだが――」
「えっ」
「えっ」
「なんだ、違うのか?」
「えっ……ええ……」
「ま、まあ……」
相変わらずはっきりしないふたりの物言いに、担任も困ってしまう。
「まあ、なんだ……ふたりとも青井と仲良くなりたいのかもしれないが、青井のことも考えてやれ、な?」
担任の言葉はふたりにとって少なからずショックを与えられた。視野狭窄の状態に陥っていたふたりは、よもや自分の行動が下心を持って行われていることを悟られていたとは夢に思っていなかったのである。ふたりは自身がコミュニケーション能力に欠けている自覚はあったが、それでもわりと自然に青井と話せていると思っていたのである。
「なにか困ったことがあったら先生にすぐに言いなさい」
心底心配そうな顔をした担任にそんな言葉をかけられ、ふたりはやっと解放された。そして職員室をほぼ同時に出たふたりは――やはり会話はおろか、目を合わせることもなく別れた。
だがふたりは反省などしなかった。家に帰ったあと、ベッドでひたすら恥ずかしさにのた打ち回れども、青井蒼太という果実を求める心は鎮められなかったのである。むしろ、これで相手はあきらめたのでは? と皮算用を始める始末であった。
だがふたりはあきらめたりなどしなかった。だから――ふたりは空き教室で入学式以来の対峙を果たすことになったのである。『さくりん』の中で青井蒼太がサボり場所に使う空き教室で、下心満載のふたりは再びバッティングしたのだ。
相手のことを認知しながらも決して視界に入れようとはしなかった宏美と比呂乃。だが、ふたりは気づきつつあった。相手「も」転生者で、なおかつ『さくりん』のことを知っている人間なのだと。
時はきたれり。
口火を切ったのは宏美であった。
「――『さくりん』」
ただの四文字。一般人――いや、この世界の人間であれば、この音を耳にしたとて決して理解のできない四文字を宏美はつぶやいた。その言葉に、比呂乃は明らかな反応を示す。そしてややあってから重々しく口を開いた。
「――やっぱり、あなたも……なのね」
「今さら聞くまでもなく、気づいていたでしょう? ――転生者だって」
「ええ――」
はたから見れば邪気眼をこじらせたようにしか見えない会話を繰り広げるふたりは、しかしその事実を確認しても、同類への気やすさは微塵も感じられない。
そう、今のふたりにとって同担は同胞ではない。――敵なのだ。
「いくら使った?」
「え?」
宏美は挑戦的な視線を比呂乃に投げかけた。
「あなたは蒼太にいくら使ったの?」
宏美が青井蒼太を下の名前で呼んでいるのは前世の名残であった。当然ながら現実という名の今世では「青井くん」呼びである。
比呂乃は宏美の言葉に戸惑った。比呂乃はたしかに前世で乙女ゲーマーであったが、『さくりん』が初めての乙女ゲーという、乙女ゲー初心者にしてオタク歴も浅い人間だったのである。『さくりん』に出会う前の比呂乃はたまに少女漫画を買う程度の、ほとんど無趣味と言っていい人間であった。
たしかに、比呂乃はこれまでの人生において最大級の熱量を持って『さくりん』にハマった。けれども食指の動かないグッズは買わなかったし、同人という世界に対しても無知に等しかった。同人誌の存在は知っていても買ったことはないし、当然オタクの友人など存在しないから、布教など考えたこともなかった。キャラクターへの愛はあるが声優には興味がないので、声優をゲストに呼んだゲームのトークイベントなどにも行ったことはない。
早い話が比呂乃のそれは、宏美ほど並外れたハマり方ではなかった――ということである。
困惑する比呂乃に宏美は口を開き、今までに『さくりん』へつぎ込んだ金額を、口に乗せた。
その金額に、比呂乃は目を開く。
「そ、そんなに……?」
「『さくりん』ファンならこれくらい普通よ」
「え? ええ……? そんなにどこでお金使うの……?」
「ソフトは友人への布教用にも買って、ドラマCDとキャラソン(キャラクターソング)CDとコミカライズとノベライズと設定資料集と各種グッズは(メーカーへの)お布施のために全部買って、舞台の公演は最低五回観て、(同人)イベントに出て、薄い本(同人誌)と(同人)グッズを買って――あとは(イベントに出るときの往復)交通費とホテル代とイベチケ(イベントのチケット)代を含めたらこんなものよ」
宏美は自嘲的な笑みを浮かべながらそう言いきった。
宏美の姿は、ソーシャルゲームにハマった人間がこれまでに課金した額をひけらかして自慢している姿と同じであった。つまり本人は自虐しながらも自慢しているつもりなのだが、趣味の理解できない人間にはまったく自慢にはなっていないのである。
比呂乃は引いた。際限のなさすぎる宏美の金の使い方に、引いた。
比呂乃もディープなオタクとは言えずとも、オタクの端くれである。そうであるから好きなものに金をつぎ込むという心理は理解できる。――けれども、宏美のそれは比呂乃の想像の範疇を超えていた。
だが得意満面の宏美は比呂乃が引いていることに気づいていない。悠然と腕を組んで仁王立ちし、勝ち誇った顔を比呂乃に向ける。
「あなたはどれだけ『さくりん』に――蒼太に貢いだの?」
「わ、わたしは」
太刀打ちできない。比呂乃は心がくじけそうになった。
けれども、負けたくはなかった。
比呂乃はたしかにオタクとしてはまだまだなのかもしれない。けれども、『さくりん』への愛は――青井蒼太への愛は本物だ。
「ふっ……」
不敵な笑みを浮かべる比呂乃に、宏美は怪訝そうな目を向ける。比呂乃はやおら顔を上げると、まっすぐに宏美を見据えた。
「――あなたの愛は、お金でしか量れないのかしら?」
「なっ?!」
別段趣味もなく、友人も多くなく、会社でも空気も同然だった比呂乃。無論彼氏など一度もいたことはなかった。そんな乾いた比呂乃の心を潤したのが『さくりん』と――青井蒼太であった。
乙女ゲーム。ネットでその存在は知っていたが別段進んで触れようとは思わなかったもの。それを手にしたきっかけは青井蒼太だった。
ネットの広告バナーをなんとなくクリックしてたどりついた『さくりん』の公式サイトで、比呂乃はキャラクター紹介ページにいた青井蒼太に「萌え」を感じた。「乙女ゲームは少女漫画を読むように楽しめる」――どこかで見たそんな言葉を思い出して、比呂乃は『さくりん』を買った。
それは革命だった。なにごとも深くハマる前に飽きてしまっていた比呂乃をたやすく深みに落とすほどの――革命だった。
気がつけばフルコンプするまで毎晩徹夜で『さくりん』をプレイし、特に青井蒼太には心を奪われた。青井蒼太のルートを暇さえあれば何十周も周回しているうちに、比呂乃はヒロインに自己投影してプレイしていた。ネットの書き込みで見つけた「ヒロインのセリフを読み上げる」というプレイもした。比呂乃はますます『さくりん』にハマって行った。
薔薇色の人生というのはこういうことを言うのであろう――。無味乾燥だった比呂乃の日常は急速に『さくりん』と青井蒼太に浸食されて行った。
青井蒼太のグッズを片端から集めて部屋に飾り、寝室には青井蒼太の大判ポスターを貼りつけた。心が満たされる、という感覚を比呂乃は初めて知った。
オタクとしては未熟なのかもしれない。けれども比呂乃の、青井蒼太への愛に偽りはない。そして宏美に対して負けを認めるほどの、そんな甘っちょろい愛でもない。青井蒼太への愛ではだれにも負けない。そう、自負できるほどの熱量を、比呂乃は秘めていた。
「お金で愛は量れない。どれだけ公式に貢いでいようと、『さくりん』をプレイし――そして愛した人間の愛に、貴賎はない。愛に上下をつけようという行為が卑しいものと気づくべきよ――」
「くっ」
「あなたがそれだけ『さくりん』に貢いだこと、素直にすごいと思うわ。その点については負けを認める。――けれど蒼太への愛で、あなたに負けるとは思えない」
宏美は思わぬ比呂乃の反撃にひるんだ。だが、それで引き下がるようならば宏美は青井にしつこく話しかけたりなどしない。
「わたしだって蒼太を愛する心に偽りはないわ。お金はもののたとえよ」
気を取り直し宏美は反撃に出る。
「わたしは蒼太の不器用だけど優しいところが好き。上手く愛情表現できないところもツボだわ。素直になれないところも男子高校生って感じでいいわよね。ヒロインの前では虚勢を張りがちだけど告白イベント後はヒロインにかっこいいところを見せようとしつつも、ちゃんと相談したり頼ったりできるようになったのには感動したわ。ありがちだけれどやっぱり塩対応からだんだんデレて来るのっていいわよね。特にドラマCD第三弾でヒロインの手料理を貰って頑張ってお礼を言う時の声!」
宏美の中で、「なにか」のスイッチが入る音がした。
「蒼太の声は素敵なのよ! 低くありながら聞きとりやすくよく響くあの声! さすが葉久レツさん(※青井の声を担当している声優)よね! あの低音がたまんないのよ~! 壁ドンイベントのときのダミヘ(ダミーヘッドボイス)は破壊力高すぎ! 初見はびっくりして奇声上げちゃったわよ! 耳が幸せすぎて孕むかと思ったわ! いや、あれは孕んだ! 子宮にビンビン来る声だった!」
比呂乃はドン引きした。宏美のあまりにあけすけな表現に、ドン引きした。
一方、宏美は恍惚とした表情で鼻息荒く声優トークをマシンガンのごとくぶっ放している。その目には顔を引きつらせている比呂乃の姿は映っていない。ただ、虚空が宏美の深い所まで広がっている。熱中すると周囲などおかまいなしに突き進む。オタクの悪い癖である。
マシンガントークを続ける宏美に、我に返った比呂乃がどうにか応戦しようとした瞬間、空き教室のスライドドアが勢い良く音を立てて開いた。
「コラッ! こんなところでなにしとるんだ!」
闖入者は担任であった。彼はたまたま空き教室の前を通りがかった教え子の通報により駆けつけたのである。「春風さんと夏川さんがよくわからない言い合いをしている。怖い」――と。
宏美と比呂乃は担任によって職員室へ連行された。
青井蒼太をめぐるふたりの戦いは、決着を見ることなく次へと持ち越されたのである。
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