第3話 東大泉の父
田代さんに早退を申し出て、父のいる病院に向かった。
電話の相手(それがはつみさんだ)は、病状はたいしたことはなく、見舞いに来るほどではないと言った。
「ただ、週明けまで入院することになりそうだから、一応連絡してくれってお父さんからの伝言で。日曜にお父さんと会う約束してましたよね」
確かに私は今度の日曜日、父と会う約束をしていた。月に一度の“面会日”みたいなもので、父はそこでお小遣いという名の生活補助費を渡してくれる。いい歳して親に小遣いをもらうのは、いい加減に抵抗があるのだけれど、それが親の甲斐性なのかな、と思う気持ちと、確かに「もらえればありがたい」という気持ちで、受け取るようにしていた。
就職したものの、年頃の女性にはそれなりにお金がかかる。私の稼ぎだけではとうてい間に合わず、結果、父に頼ることが多くなった(そして私の付き合う男はことごとく稼ぎがイマイチだった)。
両親が離婚した直後から、父とは頻繁に会っていたし、よく小遣いをくれた。私が家を出てからは母に気兼ねなく会えるようになったのも確かだ。小遣い目当てで行くようでみっともないというか、申し訳ない気持ちもあったが、父は私と会うのをいつも楽しみにしてくれた。
はつみさんを介してわざわざ連絡をくれたのは、会えない寂しさということよりも、お金を渡せないことを申し訳なく思っているようにも感じた。父からお小遣いをもらうことは、そうやって父の人生をちょっとずつ消費している気もしていた。
だから結婚したかったのに。
父が救急搬送された病院は、埼玉県の総合病院だった。仕事でそちらに行っていた時に倒れたという。電車を2度ほど乗り継いで、最寄り駅からバスに乗った。大事ないと聞いていたのに、病人のいる場所に向かう1時間半の道のりは、思った以上に長く感じられた。
私の父は、「東大泉の父」と呼ばれる占い師だ。テレビにも何度か出たことがある。飄々とした口ぶりと持ち前の愛嬌で、娘の私が言うのもなんだが、地元では絶大な支持を集める。一度、区議会議員に推す声もあったそうだが、いかんせん女性問題が多く(それが離婚の原因でもある)、また本人が全く乗り気でなかったので断念されたそうだ。
高級レストランでロブスターを食べながら
「いいかいさっちゃん。ザリガニの交尾は正常位なんだよ」
真面目な顔でそんなことを言う人だ。小さい頃からそうだった。思春期の頃は、この人が私の父親だと思うと心底ガッカリした。新しいお父さんはもっと品行方正な人だから、友達に紹介するにはよかったのだとおもう。でもこの人は私の父親で大切な人だ。母の旦那さんとは違う。もう大人になった私には、そういう空気の読めない冗談も男の可愛げだと理解できる。
母が再婚したのは私が高2の時。新しいお父さんは、母のパート先のファミリーレストランで店長をしている人だった。話した感じも良いし、人となりもしっかりしている(私の実父よりも)。私に対する物腰や言動からすると、多分とても良い人なのだと思う。彼に対して反抗したこともないし、彼なりの父親としての愛情を感じないではなかったけれど、短大を卒業した私はさっさと就職を決め家をでた。
彼は良い人だけれど私にとっては父親というより、母の旦那さんだ。いつまでもこの人に養ってほしくない、と思ったのだ。
病院について、患者の名前(結城慎太郎)を伝えて、病室に向かう。ノックをして入った父の病室は個室で、ベッドで横たわる父と、傍の椅子で文庫本を読む痩身の男性が目に入る。
てっきり眠っていて、力なく弱っていると想像していたのに、父は私の顔を見るとニヤッと笑って言った。
「ネッチューシヨー」
あまり間延びした言い方だったので、その言葉が「熱中症」を意味するまで、少し時間がかかった。
「わざわざ来ることなんかなかったのに」
「救急車で運ばれたなんて聞いたら、心配になるでしょう。必要なものもあるだろうし、」
「それははつみ君がやってくれるから大丈夫だよ」
はつみさんは、私が来ると簡単な自己紹介をして、父に頼まれたものを買い出しに行った。父娘二人にするために席をはずしてくれたんだとも思う。
はつみさんは占い師の父の弟子で、年齢は40代前半らしい。年齢よりもやや若く見えて、柔らかい物腰の人だった。どことなく信頼がおけそうな風貌と、眼鏡越しのクールな眼差しは、占い師と言われれば説得力があるのかもしれない。
「そうそう、これを渡しておこう」
父はそう言って、ベッドサイドの物入れから封筒を取り出した。有名なウサギのキャラクターが描かれたレターセットだ。私が小さい頃から好きなキャラクターで、いつもお小遣いを入れて渡してくれる。来ないでいいと言っていたわりには、用意がいいなと思った。
「さちがくるのはわかってたんだよねー。占い師だからさー」
嘘か本当かわからないことを言う。
お金に困って来たわけじゃないんだからね、と言いたかったけれど、それは胸の奥にしまっておいた。表情のよくわからないウサギが描かれたこの封筒が、私と父の間の何か大切なコミュニケーションのような気がして、水を差したくなかったのだ。「ありがとう」とだけ小さく言ってバッグにしまう。
それから、はつみさんが戻ってくるまで、私たちはいつもと変わらない他愛ない話をした。
父は自分のファンのこと、特に女性ファンについてのエピソードをよく話してくれる。今日も「運気が上がるから」と女子大生にツーショット写真をせがまれたことを得意げに語った。
「こんなおじさん相手にキャーキャー言ってくれるんだからなー。まいっちゃうよなー」
反面どこか、私にはそうなってほしくない、という思いがあるようにも感じる。
母は占いをあまり信じない人だ。けれど、占いについて語る父は好きだ、と話していたことを思いだす。父の話を聞いているとその気持ちはよくわかる。「占い」という不安定なもので人と向き合うこと、そしてそれを信じている人に対する態度の中に「人への敬意」みたいなものを感じるのだ。それは、父の魅力であり、父のことが好きな理由の一つなのだろう(私だってそんな父が好きだ)。
私は病院の人たちのことやら、最近お気に入りのドラマの話などをした。崇の話題も出たけれど(だって誕生日があったのだし)、別れた話はしないでおいた。誕生日に別れを切り出したとはとても言えない。それで容態が悪化するような繊細な人だとは思わないけれど、これ以上、病人に気を使わせたくはなかった。
そのうち、はつみさんが日用品や雑誌、お菓子類などを抱えて戻ってきた。
「具合が悪くなけりゃ、病院もホテルも同じようなもんだ。医者がいるだけ病院のほうが安心だしな」
父の言葉は強がりではなく本心のようにも思う。実際、今、父は占い会や講演でホテルを転々とする日々なのだ。
面会時間が終わる頃になって、父が、はつみさんの車で家まで送ってもらえと提案した。聞けば、はつみさんの自宅は私の住む隣町だった。意識するわけではないけれど、初対面の男性の車で2時間近い距離を送ってもらうのは憚られたし、そもそも私は人付き合いが得意なほうではない。用事があると言って、病院の最寄り駅まで送ってもらうことにした。
「じゃあ、玄関に車まわしときますね」
はつみさんはそう言って、先に病室を出た。
「退院が日曜だったら、私も来るから連絡してね」
そう伝えて、私が病室を出ようとした時、
「祥恵」
父の唐突な呼びかけに、不思議な思いで振り返る。
「はつみ君は、なかなかのもんだよ」
なかなかのもんが何を意味するのか、その時、私はさっぱりわからなかったし、その実、私がはつみさんに距離を置く思いやら、私が今独り身になっていることやらが、父には全てお見通しなのではないかと、少し気味が悪かった。
そうだった。
この人は私の実の父でもあり、そして同時に「東大泉の父」でもあるのだ。
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