第2話 ブッキングはやめれ

 一代で莫大な財を築くと、いろいろとやっかみを買うものなのよ。成り上がり、下品、成金、強欲。まあ、色々と言われたわ。

 そりゃあ、新しい技術は異世界仕込みで、誰の追随も許さない、いわば独占状態。

 でもね、いくらなんでもそれはないんじゃないの?


「さあ、年貢の納め時だ、魔王!」

「誰が魔王よ、誰が!!」


 失礼にもほどがある。

 私の目の前に現れた男は、美しい黒髪と象牙色の肌を持っていた。羨まし……いやいや。

 それに生命力に溢れる瞳は、まるで夜露に濡れたラピスラズリのよう。長身で不足ない体に、伸びたしなやかな手足。装飾が映える立派な装具は、見た目だけではないと輝いていた。

 ちくしょう!

 私にないものばかり持って、男のくせに。

 私はなけなしのプライドを総動員して、平静を装いつつ、心のなかで悪態をつく。


「だいたい、あなた何? 勝手に人の屋敷に入り込んで、従業員たちをいじめくさって……不法侵入と迷惑条例違反で警察つき出すわよ!」

「……迷惑メイワク条例ジョウレイ……警察ケイサツ?」


 あ、しまった。ついこっちにないもの口走っちゃった。まあいいや、どうせ分からないんだから。

 ぽかんとした顔の男にまくしたてる。


「だいたいね、この工場を潰したらどれほどの損害だと思ってるのよ、ここで生産されるコスメをいったい何人の女性が待ち望んでいると? あんたは男だから分からないかもしれないけれど、放っておくと女性の柔肌はね、あっという間に干からびて老いてしまうのよ! 今、こうしている間にも!」


 そうなのだ、干からびてしまう!

 私は慌てて自慢の胸の谷間から、保湿スプレーを取り出し、自分の顔周辺へと振りかける。


「そ、それは何だ?! いにしえの邪力か?」

「は? 知らないのね……まあ無理もないかしら。あなた容姿はそこそこだけど、どこか田舎臭いものね。まあいいわ説明してあげる。これは保湿スプレーと言って、乾燥を防ぐために肌に直接かけて、ケアする商品よ。化粧水とは違って、さっぱり感が売りなのよ。うちの今、最も力を入れている商品でね……あ、そうそう。こっちのベースに使う乳液は保湿スプレーとセットで使うと効果抜群なのよ。なめらかな乳化には苦労したんだから。素材は最高級の品質でね、アランサス高原にしか生えない月の滴と呼ばれる花から抽出した植物油を……」

「ちょ、ちょっと待て!」

「なによ、もしかして理解できないのかしら?」

「そうじゃない、今はそんな話をしに来たんじゃない……お前を倒しに来たんだ!」


 ……なに言ってんのこいつ。頭おかしいんじゃない?


「俺は、正統な儀式によって選ばれた勇者だ。この魔王城に巣くう、極悪非道な魔王を成敗する」

「……人違いです、どうぞお引き取りを」


 やばいよこの人。ちょっと顔がいいから油断していたけど、頭が沸いた中二病だった。

 勇者……魔王を成敗って、大丈夫かしら。

 私は侍女に指示して、応接広間の扉を開けさせ、さっさとお帰りと念を押す。だけど自称勇者様とやらは、まったく聞こうとしない。


「ふざけるな、お前がいるせいで世界は混沌として、大勢の人間が貧しく虐げられているんだ!」

「ほほ……確かにこの世界にはまだまだ暴力と理不尽が、まかり通っているわね。だけど、それがまさか、この私のせいと?」

「当たり前だ、お前が魔王だからな!」


 私のこめかみがヒクリと動く。

 いけないいけない、ただでさえ干からびつつある肌に、ヒビが入ってしまうじゃないの!

 永遠の命と死した体。そんなアンバランスな自分を保つため、日々、血の出る努力をしているのだ。死んでるからもう血は出ないけど、それくらいの気持ちよ、気持ち。

 私は理性を総動員して、目の前の男を小馬鹿にしながら微笑みかける。

 ……って、なに頬を染めてるのこの男は!


「コスメ王と称賛されるなら分かるけれど、私が魔王だなんて……そんな根も葉もない噂だけで、私の大事な従業員をいじめたと……そう仰るのね?」

「噂であるわけがない、この魔王城を根城にできるのは、魔王ただ一人だ!」

「……だから頭大丈夫? ここの従業員は従順で、人に危害を加えることなんて……」


 そこへ、側にいた侍女がチョンチョンと私の袖を引き、小さく耳打ちする。


「ご主人様、ご主人様がここにいらした時に、殴って左遷させたのがその……先代城主です」


 ……確か、偉そうにふんぞり返ったおっさんがいたような。

 って、まさか、あれが魔王?!

 え、じゃあ……ここで奉公したいって名乗り出て、結局そのまま採用した従業員って……


「私どもは、元魔王軍幹部でございます」

「……ちょ、え、さっちゃんってば、まじ?!」


 今や発汗すらすることがなくなったはずの肌に、冷や汗が伝った気がする。

 そういえば、この侍女の名はさっちゃん。セクシーな豊満ボディが自慢だが、確か種族は何だっけ……さ、さ、サキュ……なんと言ったかしら、さっちゃん?

 私たちのひそひそ話を、行儀よく聞いている変態……いや自称勇者を、どう誤魔化そうかと思っていると。ちょうど割烹着を着て試験結果を持参した、執事が入ってきた。


「ご主人様、試供品のデータが揃いました。大変良い出来ですよ……おや? お客様でしたか」

「ああ、いいのよセバスチャン、それ急いでって言ったの私だもの。製造ラインはどうかしら?」

「ええ、これでご許可いただければ、後宮からの大量注文へは、少しの増設で対応できそうです」


 そうよ、私は忙しいのよ。お客は待ってくれないんだから。

 だが仕事の話を交わす私たちの間を割くように身を乗り出してきた勇者が、セバスチャンを見て叫んだ。


「お、お前は魔の四天王、吸血伯爵ではないか!」

「だ、だから違うって言ってるでしょ、ちょっと黙ってらっしゃい、このバカ!」

「バ……バカ?」

「セバスチャンは確かに吸血族だけど、最近はもっぱら採血主義者よ。実験に提供された血液で満足している、いわば草食系なんだから。見なさい、あの繊細な物腰。どこがそんな恐ろしい存在に見えるのよ!」


 私の言葉を受けて、セバスチャンも柔らかく勇者に会釈して見せる。

 この前のめり気味の勇者とやらに、先ほどさっちゃんから聞かされた事実を、知られてはいけないと悟る。ここは勢いで誤魔化す。

 第一、今ここで従順で大事な従業員を失ったら、私の高額なコスメ費用の維持がままならなくなるじゃない! 腐敗を防ぐためには、通常のコスメにはない成分が必要なんですからね。

 このままじゃまずい。私は立ち上がり、勇者に詰め寄った。

 胸元の広いドレス姿で、前屈み気味で迫れば、勇者は狼狽してほんの少しだけどたじろぐ。なんて単純な男なの。


「ねえ、勇者様。そんなにお疑いなら、工場を見てから決めたらどうかしら。従業員たちは少々個性的ではあるけれど、とても大人しくて働き者よ。それに作っているのは、すべて化粧品ばかり。危険なものなんてないわ」

「い、いやしかし、魔物と人間は……」

「ほら、さっちゃんからもお願いして」

「はい、ご主人様」


 顔を真っ赤に染めた勇者が、赤べこのごとく何度もうなずくまで、ほんの五分もかからなかった。

 ……勇者、ちょろいな。

 かくして勇者を案内することとなった私は、コスメ工場と化した城の全フロアをくまなく見せた。恥じるものなど何もない。ここで作られるものは、人間用がほとんどだ。

 ここで作った商品を人間の女性たちに売り付け、そこで稼いだお金で特別のコスメを生成する。もちろん、商品に偽りはないわよ。長期にわたって売り上げを積み重ねていかねばならないのですもの。

 ……永久的に。

 そう、女神に不死にされた私には、これは永遠のテーマなのよ!

 ああ、思いだしたら腹が立ってきちゃった。


「……どうして、女たちはこのようなものに執着するのだろうな」


 ポロリとこぼした勇者の言葉に、周囲が一気に凍りついた。

 ずしりと重くなる魔力の余波に、従業員たちが引き潮のように部屋のすみまで逃げていくわ……ってちょっと、仕事してよ仕事。


「だから女は嫌いなんだ! かわいいとか、きれいとか、そんなものより大事なものがある!」


 静かに佇む勇者の口から出るのは、なぜか女性への不満。

 というか、さっきから私の微笑みとさっちゃんの胸をガン見して頬を染めてた男が、なに言ってんの?


「それなのに、そんなものに命かけられて、巻き込まれて……俺バカみた……ぎゃあああ!」


 下を向いてどっぷり己の世界に浸りきっていた勇者の足元に、従業員の誰かのペットがすり寄っただけで、悲鳴をあげる勇者。

 ……なんだっていうの、面倒くさいなあ、もう。

 彼は黒い猫から逃げて、テーブルに乗り上げ、そこから柱にしがみついている。それも泣きそうな顔で。


「ね、猫が大嫌いなんだ、どっかやってくれ!」

「……セバスチャン」

「はい、ご主人様」


 セバスチャンに連れられて猫が視界からいなくなると、涼しい顔をした勇者が、柱から降りてきた。

 もう、ほんとに、帰ってもらえないだろうか……。


「これには、深い訳があるんだ……とても辛く、厳しく、そして切ないある男の人生」


 勇者の目に涙が光る。

 ってちょっと! 何を語る気なのこの男は。

 やめてよー、帰ってよー、みんなこいつを追い出すために手を貸しなさいよー、なんで遠巻きに逃げるのよ?


「俺は……今度の人生こそ、誰にも文句を言われない立派なものにしていきたいんだ……」

「へ、へえ……ま、がんばって。ここじゃ報われないから、帰ったほうが……」


 私も逃げようとしたが、容赦なく腕を掴まれてしまっては、もう諦めて聞くしかない。


「実は俺は、転生者なんだ……」

「……ん?」

「あんたには理解できないかもしれないけれど……この世界とはまったく異なる世界に生きていたんだ。俺は、前世で女子高生をひいてしまって会社をクビになり、絶望し路頭に迷って、自ら死を選んだ」

「じょ……女子高生?」


 ど、どこかで聞いたような話ね。

 だけどまさか、私の他にもこの世界に転生した人がいたなんて……あのくそ女神、何度も同じ失敗してんじゃないの。どういうこと?


「ああ、その女子高生が猫を追いかけて急に道路に飛び出してきて……俺はまだ新入社員で、仕事もそのときたまたま配送の手伝いをしてただけなんだ。なのに……トラックにぶつかって」

「へ、へえええ……そ、それはまた気の毒、な」


 勇者は私に襲いかかるかのような勢いで、迫ってきた。ひい、助けて。


「分かってくれるか? なあ、酷いだろう? 死にたいやつは他でやればいいんだ、どうして俺なんだよ!」

「……そ、そうね。でもその女性は……その後どうしたの?」

「即死だった」

「え?」

「俺が殺したんだ!」


 うわあああ、と叫び声を上げながら、泣き崩れる勇者。

 ちょっと憐れだ。

 でも、その女子高生って……もしかして。


「それで、首をくくった後、気づいたら真っ白い空間にいて……そこに綺麗な神様がいてさ、何でも手違いで女子高生を死なせたらしく、それに巻き込まれた俺にも、好きな人生を送らせてやるっていうから」


 あちゃあ……その女子高生って、やっぱり、私だ。

 あの女神、本当にどうしてこう手際が悪いのよ! こんな近くに被害者と加害者をブッキングするって、どういう了見だ!

 訴えてやる。


「それで、どうせならチートもらって人生を謳歌しようって」

「……まんま中二じゃん」

「え? 今なんて」

「あ、いや、あははは、なんにも! すごーい」

「そうしてこの国に生を受け、何も思い出せずに成長してたんだ。だけどどうしてか女と猫には鳥肌がたつ。その理由が分かったのは、勇者になったはずみで記憶を甦らせたから」


 やばいやばい。私は慌てて口を塞いだ。

 もし彼が、死なせた女子高生が、いや、自殺の原因となった女が私と知ったら……

 チラリと彼の腰の剣をうかがう。装飾は派手ではないが、魔力のこもりかたが半端ではない。それに、チート。相当の損害が出てしまうだろう。

 瞬時に打算を済ませた私は、己の過去をまるっと秘密にすることを選択した。


「そ、それは可愛そうに……同情するわ」

「あ、ありがとう! あんた魔王のくせに優しいな!」

「だから魔王じゃないってば」

「聖女エルネが言っていた通り、魔王討伐に出れば、俺の憂いは晴れる、そう予言された。事実ほら!」


 勇者は私の両腕を掴む手に力をこめた。

 い、嫌な予感がするんだけど……


「女嫌いだけは治った!」

「誤解だと思う、絶対!」


 なんてこと助言するのよ、エルネの馬鹿ああ!

 妹分だからってコスメ融通してあげた恩を仇で返すとは、聖女の名を騙る卑怯者め。

 ちょっと助けなさいよセバスチャン、え? 能力的に無理だって? そんな。じゃあ、さっちゃん! 美味しそうじゃないから遠慮する? 選り好みするな!

 そうこうしているうちに、勇者が膝を折り、私の手を取って言った。


「俺とおつきあいしてください!」

「誰がつきあうか!!」


 あ、ほうれい線が音をたてて割れた……。

 ……な、なんてことしてくれんのよこの馬鹿は。



 その日、魔王城に響いた爆発音は、山ひとつ隔てた先、聖女のおわす本神殿まで響いたという。

 それから再建のすすむ魔王城に足しげく通う、伝説の勇者の物語は……

 語られる予定はない。

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マギ・コスメティカ 宝泉 壱果 @iohara

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