二 ぬくもり

「へえ……ほんとに近くに住んでるんだねえ……」


 暗闇にそびえる古い鉄筋コンクリートのビルディングを見上げ、おじさまは感心したように呟いた。


 しかし、マンションと言えば聞こえがいいが、古くてボロな上にわたしの借りてる部屋は事故物件という、少し人様を招き入れるには恥ずかしいところだ。


 まあ、そのおかげで立地に反して家賃が安いため、こうして庶民のわたしなんかでも借りていられるわけであるが……。


「さ、行きましょう?」


「あ、ああ……」


 薄闇の中、わたし達カップルは昭和な香りのするタイル張りの玄関を入り、薄汚れたコンクリートの階段をゆっくりと登ってゆく……四階建てのマンションで部屋は三階だがエレベーターはない。


 他に住民達の気配もなく、歓楽街の近くとは思えないくらい建物の中は静まり返っている……見ず知らずの女に連れられて入るには少し怖さを感じるシチュエーションだと思われるが、おじさまはほんの少しだけ躊躇したものの、わたしを信じてすんなりついて来てくれた。


 わたしのような女には、その気持ちがとてもうれしい……。


「さ、お入りになって」


「じゃ、じゃあ、お邪魔します……なんか、女の子の部屋に入るなんて久々なんで緊張するなあ……」


 所々、赤黒い錆の出た鉄製のドアを開け、わたしと男達の愛の巣・・・へとおじさまを招き入れると、言葉通り緊張した面持ちで彼は部屋の中を見回す。


 建物がボロい分、部屋の中だけでもなんとか女子っぽく見せようと、汚れ・・染み・・などがないよう、しっかりお掃除することを常に心掛けてはいる。


 なので、少しでも女子の部屋だと思ってくれたのならば、それもそれですごくうれしい。


「もう待ちきれない……一緒にシャワーあびましょう?」


 これから始まることに胸の高鳴りを抑えられないわたしは、両手で彼の左手を掴むと引っ張るようにしてシャワールームへと誘う。


「ええ!? ……あ、ああ、じゃ、じゃあ、一緒に入ろうか」


 すると、大胆なわたしに彼は一瞬驚くも、目に見えて鼻息を荒くしながら嫌がることなく首を縦に振る。


「わたしが脱がせてさしあげますわ、おじさま」


 家賃が安いだけあり、シャワールームと言ってもユニットバスなので脱衣場はない。磨りガラスの嵌められたドアの前でわたしは彼のブレザーの襟に手をかけ、なるべく殿方の興奮するような艶めかしい手つきで脱ぐのを手伝ってあげる。


「い、いやあ、悪いねえ。女房にもこんなことされたことないのに……」


そんなわたしの行動に彼はニヤニヤ照れながら、一枚一枚、人肌のぬくもりを覆い隠す邪魔な衣を脱ぎ捨ててゆく。


 どうやら妻帯者だったらしいが、年格好からしてその方が自然なので、別に驚くようなことでもない……というか、相手が独身だろうが妻帯者だろうが浮気者だろうが、そんなことはどうでもいい。


 わたしが相手に求めるのはそのぬくもり・・・・だけ……素性も顔も性格も、それ以外の要素はわたしにとって些末なことである。


「ウフフ…すごく熱くなっていらっしゃるのね」


「いやあ、そんな風に見られるとなんだか恥ずかしいなあ」


 最後の一枚まで脱がし終わると、わたしは一歩離れて彼の裸体を観察する……体中に回ったアルコールにその肌は綺麗な桜色に色づき、牡を象徴するあの部分はもうすでに猛り狂っている。


 やはり酔った男の方が血のめぐりが良い……想像していた通り、これならば満足のゆくぬくもり・・・・をわたしに与えてくれそうである。


「じゃあ、今度は俺が脱がしてあげようか…」


「キャ…それは恥ずかしすぎますわ。準備が整うまで、おじさまは先に入って待っていてくださいませんこと?」


「ええ~焦らすじゃないかあ…おっと……ヘヘヘ、そういうところはやっぱり乙女なんだねえ」


 生まれたままの姿になった彼は交替するようにわたしを脱がしにかかるが、わたしは胸元を抑えて身を退けると、磨りガラスのドアを開けて浴室へと押し込む。


「見られてると恥ずかしいから、後向いててくださいね」


「ああ、わかったよ。おじさんはおとなしく待ってますよ~」


 そして、肉づきのよい彼の体をぐるっと回して後向きにさせると、自らも邪魔な衣服を脱ぎ捨ててゆく……。


 肩紐をずらしてワンレッドのワンピースをそのまますとんと床に落とし、その下に着けているブラのホックに手をかける。


「ああっ! もう! ちゃんと後向いてないとダメですよお!」


「ヘヘヘ…ごめん、ごめん。オヤジってのは根がスケベなもんでついつい……」


 途中、気づかれないと思ってこっそり振り向こうとするおじさまを嗜め、ちゃんと見ていないことを確認してから再び脱衣を続ける。


「フゥ……はい。もうこっちを向いてもいいですよ……」


 すべてを脱ぎ捨て、一糸まとわぬ自然のままの姿となったわたしは、高まる気持ちを落ち着かせるために一息吐いてから、ようやくおじさまにOKのサインを出した。


「ヘヘヘ、さあお待ちかねの…んぐぁっ…!」


 その言葉におじさまが振り向いた瞬間、わたしは持っていたサバイバルナイフを真横に薙ぎ払い、彼がわたしの裸体に目を這わせるよりも早く、その喉笛を一文字にかき斬る。


「あああぁん! 熱いぃぃーっ! そう、これよ! このぬくもり・・・・をわたしは求めていたのおぉぉ~っ!」


 同時に彼の切断された大動脈から真っ赤な鮮血が大量に吹き上がり、その高熱のシャワーに晒されたわたしは歓喜の叫び声を室内に響かせた。


「…ひゅぅ……はんへ……」


「やっぱり思った通り……とっても熱くてステキですわ、おじさま……もっとそのぬくもりでさびしいわたしの体を温めてください……」


 ピクピクとかわいらしく体を痙攣させ、ひゅう、ひゅう…と、空気の漏れる音とともに声にならない声を発するおじさまを抱きしめ、なおも溢れ出す熱い血潮に体を濡らしながら、わたしはそのぬくもりにしばしの間、微睡まどろむ。


 だが、その安らぎもほんの一時だけのもの……やがて、彼の体からドクンドクンと脈を刻む鼓動の音も、ひゅうひゅう空気の漏れる音さえも聞こえなくなるのとともに、その熱いくらいだった体温は徐々に冷えて生ぬるくなり、あんなにもわたしを癒してくれていたぬくもりはいつしかすっかり消え失せてしまう。


 残念だけど、この人も今までの男達と同じ……口ではなんと言おうとも、やっぱりすぐに熱は冷めてしまうのだ。


「おじさまの嘘つき……」


 まったく動かなくなった彼を冷たく突き放し、浴室の床に崩れ落ちるもう用のない・・・・それを恨めしく見下ろしながら、わたしは本当に残念な思いを込めて溜息混じりに呟く。


「ま、男なんてみんなそんなものね……」


 それでも、こうしてさびしい思いをするのにはもう慣れっこだ。永遠にぬくもりを与えてくれる男など、この世界のどこを捜したっていないのである。


 終わった・・・・男に未練を感じるだけ無駄である。諦めの境地にも似た思いでわたしはおじさまの残骸を横に退け、彼の生命の源泉に赤く塗れた体をシャワーで洗い流すと、脱ぎ散らかした下着とワンピースを再び身に纏う。


「あ、また血が飛んじゃった。こういう時、やっぱりワインレッドは目立たなくて・・・・・・いいのよねえ……」


 袖を通す際、ふと見たら吹き上げたおじさまの血がワンピースにも飛び散ってしまっていたが、血液は酸化すると赤黒くなるので、この生地の色ならば他人に気づかれる可能性は低い。


「なんかお腹すいちゃったな……冷蔵庫に何かあったかな?」


 お楽しみにもけっこう体力を使うらしく、小腹のすいたわたしは冷蔵庫を開けてみるが、あいにく中は空っぽである。


 そうなると、ますます何か食べたくなってくる。だいたいお楽しみの後はそんな感じだが、今の気分からするとハンバーグかから揚げだろうか? とにかく肉が食べたい。


「仕方ない。コンビニ行ってくるかな……あ、そういえば明日、ゴミの日か」


 やむなく、もう一度買い物に出ることにして冷蔵庫の扉を閉めるわたしだったが、その時、すぐ脇の壁に貼られた町内会の行事表が目に入り、明日が可燃ゴミの収集日であることを思い出す。


「だいぶ溜ってるからなあ……朝忘れず出していかなくっちゃ」


 台所の片隅には、この一週間に楽しいひと時をともに過ごした男達が細切れになってポリ袋に入れられている。


 正確には生ゴミの区分であるが、まあ、他のものに隠して出せば、可燃ゴミでもバレずに持って行ってくれる。


「明日はもっと長続きする・・・・・男に会えるといいなあ……」


 そんな過去の男達との思い出の残りカスを一瞥すると、明日の新たな出会いに期待をしつつ、わたしは再び夜の街に向けて足を踏み出した。


                      (ぬくもりを求めて… 了)


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ぬくもりを求めて… 平中なごん @HiranakaNagon

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