第5話(蕩揺)

 それから最後のデザートにたどり着くまでに一時間は費やした。

 日頃、三分で弁当を掻き込んでいる身からすると、食事にそれだけの時間を費やすなど愚の骨頂とも思えた。

 ちなみに、世界で最も食事に時間をかける国は言わずもがなの仏蘭西フランスである。の国は美食の国と言われるだけあって食事にかける意気込みが違うのであろう。

 しかし、である。

 これは余人のあずかり知らぬことではあるが、なかなかにどうして我が国も食事の時間に於いては負けず劣らず長いのである。やれ、社畜だ、働き方改革だのと、世間では言われているが、食事を楽しむという点では世界でも有数の民族であるらしい。

 昨今のグルメドラマブームも、もありなんだ。

 とは云え個人的には、もっと生産性のある時間の使い方を提案したいところではある。

 実際この六十分、僕にとっては、ほぼ自分の無作法ぶさほうがバレないように悪戦苦闘していただけの時間であった。

 スープの飲み方?

 クノールカップスープをカップでしか飲んだことの無い拙者せっしゃにそんな洒落た作法が解かろう筈もない。全て空夢を真似して急場をしのいだまでだ。

 一方で、この一時間が退屈だったかといえば、そんなことも無かった。

 実を言えば、この一時間、僕はほとんど空夢に見惚みとれていた。もちろん明け透けに顔を覗き込むような真似はしなかった……、と云えばいささか語弊があるか。正直な所、彼女の顔を直視することが出来なかったのだ。

 当たり前だ。

 生まれてこの方今まで同世代の女性の顔を、まざまざ眺める機会なんぞ無かったのだから仕方ない。

 しかし、それを差し引いても彼女は可憐かれんで、僕が正視できないのは免れ得ないことだったと断言しよう。

 白く透明な肌に漆黒の艶髪つやがみ。立ち振る舞いは楚々そそとしており、全ての動作には無駄がなく洗練されていた。そのさまで有りながら、大きな瞳と花唇かしんはコロコロとその表情を変えた。

 何? 表現がややこしい?

 目茶苦茶、可愛かった、ということだ。

 もっとも、普段の空夢はもっと控え目であるらしい。

 これはのちに知ったことである。

 困ったことには、彼女の可憐さを思い知るに連れ、自分の「しがなさ」が身に染みることであった。

 全ての食事を終えると、キャッシャーに立つことも無く彼女は店を出た。

「支払いはどうされたのです?」

 疑問に思ったので訊いてみた。

「後でまとめて請求が来ます」

「はあ」

「このホテル内のサービスでしたら、それが出来るようになっているのです。つまり……ええと、そう顔パスです」

 つまりツケが効くということであろう。ホテルにツケが効くとは「どんなセレブだ」とツッコミの一つも入れたくなるが、空夢は正真正銘のセレブリティなので、これがツッコミにはならないと気付いて僕は脱力した。

 しかし、ホテルでツケと言っても食事か宿泊くらいしか無いだろうに。

「いいえ、ホテルの中にはプールもありますし、フィットネスジムもありますわ」

 ホテルにプール……。

 南国のリゾートホテルじゃあるまいし。

「利用されるのですか?」

「ええ、月に二、三回ほど……。行ってみますか?」

 物見遊山ものみゆさんに覗いてみると、リゾートホテルも顔負けのプールが屋内にしつらえてあった。

「水着は借りることが出来ますから、今、泳ぐことも出来ますよ?」

 妖艶な笑みを見せて空夢が言う。

 彼女の水着姿には大いに惹かれたが、僕は丁重に断った。

 理由は簡単だ。

 生憎あいにく人様ひとさまに誇示できるほどの体躯たいくは持ち合わせていない。つまり彼女に自分の水着姿を見せたくなかったのである。

「見たい」が「見せたくはない」というのは、筋肉がお寒い僕のような文系人間の真情しんじょうだろう。

 同じ悩みを持つ同志諸氏も多い筈だ。

 それはともかく、都会のど真ん中にリゾートプールとは恐れ入る。いや、冗談ではなく、本当に僕は恐れ入った。自分が住む街にこんな場所があるなどとは、想像だにしなかった。

 最後は何だか要領を得ないままに彼女と別れた。

「今日はありがとうございました」

 快活に笑って空夢が言った。

「いえ、こちらこそ」

 この日の出来事は、僕に幾許いくばくかの心の蕩揺とうようをもたらした。

 つまり、である。

 空夢と僕では、俗に言う「身分違いの恋」という奴なのではないか?

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初めての彼女がハイスペック過ぎてついていけない TAZ(ぱんぴ学園) @pampee

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