2:青い鳥の災難

 えー?これは気合が入りすぎ?

 うーん…。寒いかな…。


 鏡の前でお気に入りの服をあれでもないこれでもないと悩んで数時間。待ち合わせの時間は間近に迫っている。


「ピヨスケカーワイイネ!ピヨチャン!ギャッギャッギャッ!」


「もうー。ごめんねピヨスケ、今日は帰ってからちゃんとお外出すからね」


 さっきからけたたましく鳴いたりしゃべったりしていたピヨスケはプッと鼻を鳴らすと私に背を向けた。


「怒ってるー!もうー!ほら、バジルはっぱあげるからご機嫌なおそ?ピヨスケかわいいねー」


 窓辺で育てているバジルを一枚ちぎってケージの中のピヨスケに差し出すと、ご機嫌がやっと直ったみたいで首を傾けながら私の指に頭を押し付けてきた。

 しばらく頭と首元をカキカキしてあげていると、スエットのポケットに入れていたスマホが振動する。


「しまった…。もう…これでいいか。デートじゃないし」


 さっきまで手にしていたおしゃれ着は、油断していたせいですっかりシードの殻にまみれている。今からこれらをきれいに取ってたら間に合わない。

 もう少し外出用の服…買おうかな…と流石に悩みながら、ほぼ部屋着のでかでかと青いセキセイインコが書かれたTシャツにユニクロで買ったロングのダウンジャケットをまとって家を出る。

 ジッパーのところが少しガタ付いてるけど多分大丈夫。それなりに見えるはず。


「あ!これはダメだ」


 シードの殻が大量についたスエットを脱いで放り投げ、急いできれいなチノパンに着替えた。

 玄関にある姿見で全身をチェック。

 羽根はどこにもついてないし…まぁ…デートじゃなくて友達と買い出しにいくならこれでも変じゃない…かな。

 上着さえ脱がなければ大丈夫。


「ピヨスケ、行ってくるね」


 ピヨピヨとさみしそうに呼び鳴きをしてケージの中でバサバサとはばたくピヨスケに声をかけて戸締りをすると、私は早足でマンションのロビーへ向かう。

 自転車にまたがって思い切りペダルを漕ぐと、冷たい空気が頬を撫でる。


 ブルブルと何度か震えるスマホを無視して10分ほど自転車を走らせた私は、やっとスマホに来ているメッセージに目を通す。

 大通りを曲がってペットショップが見える方の駐輪場に自転車を止めて、私は時谷さんを探そうと店の方を見る。


 見回すまでもなく、彼はそこにいた。

 スラっと背が高く姿勢もいい時谷さんは、黒いチェスターコートに身を包んで、なんかお洒落な赤いチェックのマフラーを巻いている。

 奇抜な格好をしているわけじゃないけど、かっこいい人がかっこいい格好でこんな場所にいるのはすごい目立つよ…。

 さっき横を通ったJKの集団が時谷さんをちらちらみて騒ぎながらスーパーの中へ入っていったし。


 こんな格好で来たのは失敗だったのでは?

 せめてダウンジャケットの下に着ているセキセイインコのイラストが見えないようにをしっかりジッパーを上げて私は時谷さんが立っている場所まで小走りで向かう。


「あ!佳織さん」

 

 美の暴力ー。

 私が声をかける前にこっちに気が付いた時谷さんは、きらきらと擬音が聞こえてきそうなくらいまぶしい笑顔を向けて大きく手を振る。

 少しだけ周りの視線が痛い。


「待たせちゃってごめんなさい。出がけにピヨスケが不機嫌になっちゃって…かまってあげてたらこんな時間に…」


「すごく待った!佳織さん返事もくれないし」


 両手を顔の前で合わせて頭を下げると、時谷さんは唇を尖らせて視線を逸らした。

 いや、確かに連絡を全部無視したのはわるいけど、それだけ急いでたってことでなんとか許してほしいなぁ…なんて思ったけど、遅れたのは事実。


「本当にごめんなさい」


「買い物のあと、お茶に付き合ってくれたらチャラにする」


 ここは素直に謝るしかない!と思って腰を直角に曲げて頭を下げる。

 クスクスといたずらっぽい笑い声が聞こえて顔をあげると、口元を手で隠しながら時谷さんが笑いをこらえている。笑い声が聞こえてるから全然堪えられてないけど。


「からかわないでよ!焦ったじゃないですか」


「ごめん。つい…。じゃあ、お店に行きましょう」


 さっと手を前に出されたけど、気が付かないふりをして私は時谷さんの前を歩いてスーパーに入る。

 暖房の乾いた風が少し乱れた髪を揺らす。


 特になにもなかったみたいに後をついてきた時谷さんと私は並んでペットショップに入った。

 年末だからか、人がたくさんいてうまく前に進めない。


「あ…佳織さん」


 ちょっと人に流されそうになったところで、肩を大きな手がガシッとつかむ。

 驚いたまま時谷さんに抱き寄せられた私は、彼の胸に顔を押し付けられる形になってしまう。

 気まずい。あと、いい匂いがする。

 ついつい深呼吸をしてしまってから我に返る。いけないいけない。私はただ福袋を買いに来ただけ…私はただ福袋を買いに来ただけ。

 心の中で呟いて、なんとか人の波に乗って福袋の前に辿り着く。

 残り少なくなっている福袋をダッシュで確保して背後にいる時谷さんに手渡した。


 そういえば、まだ鳥さんもいないし、時谷さんの分はいらない?ま、いっか。


「はい!時谷さんの分」


 そういって福袋を手渡そうとして、なにかがどこかに引っ掛かった手ごたえがした。

 びーって音がしてダウンジャケットのジッパーが下りていく。

 ちょうど私と時谷さんの間にいた人が抱っこしていた子供が私のチャックに触ってしまったみたい。


 バーンと飛び出る私のセキセイインコクソダサTシャツ。

 目を丸くする時谷さん。


 恥ずかしくなって謝ってきた子供のお母さんに「イイデスーダイジョウブデスー」と機械的に答えて私はそのまま回れ右をして走り出した。

 恥ずかしい。

 手抜きの格好で来たのは自分の責任だけど…ちょっとおしゃれなイケメンの前でこのクソダサTシャツを見られたのはキツい。


 どうしよう。


 福袋の会計を済ませないまま店の外に出てしまった。

 ダウンジャケットはジッパーの部分が壊れてしまったみたいで、壁の方を向きながら何度もジッパーを締めても下がデローっと開いてしまってかわいいセキセイインコちゃんが丸見えになる。


「大丈夫?寒いでしょ」


 さっとコートを脱いで手渡してきた時谷さんが完璧すぎてすごくみじめな気持ちになる。

 完全に八つ当たりなのはわかってるけど、なんだか無性に悲しくて、涙が出てきてしまった。


「ごめんなさい…こんな適当な格好でその…」


「いや、別に俺はどんな格好の佳織さんも好きだし…素を見せてくれたんだってうれしいけど」


「は…?か、からかうのはやめましょうよ」


「別にからかってないよ。小林さんの送別会で話した時からずっと好きだよ」


 言葉が耳に入ってきているはずなのに意味がわからない。

 こんな変なTシャツで着て、なんであの時谷さんから告白みたいなことされてるの?

 必死でジッパーを上げ下げしながら考えた結果、私の頭に浮かんだのは「デート商法」という概念だった。

 それしか考えられない。会社ではちゃんとそれなりに身だしなみを整えているけど…こんな格好を見られた後で告白するなんてちょっといつでもスマートで他人とそつなく最適距離を保てる時谷さんならあり得ない。

 きっと何か裏があるはずだ。


「だって!わ、わけわからないです。時谷さんみたいな人が…私に興味持つわけないじゃないですか!で、デート商法とか、宗教とか疑いますよ!それに…私こんな格好ですっごく失礼な人じゃないですか…無理…」


佳織かおりさん…ちょっと待ってって」


 わけもわからずに私はその場を駆け出した。

 でもすぐに時谷さんのコートを持っていることに気が付いて足を止める。

 それに、未会計の福袋も手にしたままだ。


「やっと捕まえた」


 すぐに私の肩をがっしりとした手が掴んだ。

 振り向いたら、そこには少し息があがっている時谷さんがいて、彼は眉間にしわをよせながら私の目をのぞき込むようにして少しかがんで見せる。


「俺だって…気になってる子の前ではヘマするよ。…佳織さんの格好見て気合いれすぎたかなって気まずかったし…」


「だって…私のどこがいいのか全然わからなくて…」


「俺、食べ物をもりもり食べる女の子が好きで…あと、鳥のことになると早口になる佳織さんが可愛くてさ…。もちろん…気に入られたくて鳥を飼いたいっていったわけじゃなくて…そこはまた別で」


 話しながら慣れた手つきで私が着ていたダウンジャケットを脱がせて、自分のコートを着せてくれる時谷さんの顔を改めて見つめる。

 少し照れ臭そうに目を逸らした時谷さんは、コートのボタンを留め終わると姿勢を正した。


「なんか…ごめんなさい…。気合を入れすぎたら引かれちゃうかなって…こんな格好に…。時谷さん誰にでも優しいから勘違いしないようにって…」


「まぁそのTシャツ…びっくりはしたけど、佳織さんらしくていいと思うよ」


 私らしいってなんだ。褒め方へたくそだな…って笑ってしまうと、時谷さんはちょっとほっとしたような顔をしてへらっと力の抜けた笑い方をした。美。


「手、つないでいい?」


 時谷さんが差し出してきた手を、今度はしっかり握って私は彼の顔を見た。

 勝手になんでも完璧にできると思ってたけど、時谷さんは私が思っていたよりもダメな部分や残念なところがあるみたい。


「うん。こんなところで言うのもおかしいんだけど、私も時谷さんのこと好きだよ。だから、これから改めてよろしくね」


 職場恋愛はもうなしって言ってたけど撤回。

 こんな子犬みたいな顔で告白?されたら断れないでしょ…。


 私たちはバカップルみたいに手をつないで二人でレジに並んだ。

 春になったら、きっと彼も鳥さんをお迎えしてもっといろいろ彼のことを知れると思う。

  

「じゃあさ、今度ピヨスケにもあいさつさせてよ。佳織さんの大事な家族でしょ?」


「これから来てもいいよ…って言いたいけど、今は部屋が荒れてるんだった…」


「ウケる。年明けに遊びに行かせて」


 別れ際にそっと頬にキスをされて、わあって気持ちが舞い上がる。

 まだまだ私たちはお互いに知っていることも少ないし、私はきっとまた彼に対する先入観で変なことになるかもしれないけど、それでも時谷さんなら大丈夫な気がする。

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