幸せの青い鳥

小紫-こむらさきー

1:幸せの青い鳥?

「だって!わ、わけわからないです。時谷ときやさんみたいな人が…私に興味持つわけないじゃないですか!で、デート商法とか、宗教とか疑いますよ!それに…私こんな格好ですっごく失礼な人じゃないですか…無理…」


佳織かおりさん…ちょっと待ってって」


 わけもわからずに私はその場を駆け出した。

 頭の中がぐちゃぐちゃで顔がカッカと熱い。

 これがロマンティックな観光地とか遊園地ならドラマの素敵なワンシーンになるだろうけど、ここは地元の大型スーパーだし、今の私は完全にすっぴんでほぼ部屋着と言って差し支えのない気の抜けた格好だ。

 ちんちくりんな格好をした女が、大型スーパーで大声を出して走り出しただけでなんの物語性もない。


 きっとドラマみたいに怒鳴った相手が走ってくることもない。

 ペットショップの福袋を買いにきただけなのになんでこんなことになっちゃったんだろう。

 きっかけになったのは、たぶんはじめてまともに彼と話した日。あれから全部おかしくなったんだ。

 私は、つい数か月前にあった職場の忘年会を思い出す。



「あ、髪の毛になんか付いてる」


 そんなに悪くない職場でも飲み会は別だ。理由が送別会でも、新入社員の歓迎会でも大勢で来る飲み屋というのはどうも居心地が悪い。

 お世話になった上司の送別会で無理して参加したのはいいけど、人酔いで頭もぼーっとするし、お酒はあまり飲めないのでウーロン茶を両手で持ちながらちびちび飲む。

 上司へのあいさつも早々に終わらせて、それ以外に仲良しの人もいないのでテーブルの隅に陣取って食べるモードに自分を切り替える。

 早く一次会終わらないかなーなんて思いながら、だれも手を付けてないサラダの器を開けるためにもっしゃもっしゃと乾いたサラダ菜を口に運ぶ。


「ほら、これ。付いてたよ」


 なんだよめんどくさいなー。私はサラダを食べるので忙しいんだから話しかけるならもっと別の人にすればいいのに…。

 そう思って話しかけてきた相手をじろりと睨も…うとしたけど無理だった。


「あ…あっ…あり…とう」


 美。

 美の暴力。

 圧倒的な美を前にして、うっとおしいと思ったことすら吹き飛んでしまった。

 彼は名物社員の時谷ときや 広文ひろふみ。私と同じアラサー。

 私はしがない営業事務のアルバイトだけど、時谷さんは技術リーダーをしている。

 

 めったに話すことがないので、観賞用としてたまーにオフィスで見て、ひとりで尊さを感じていただけの存在が急に目の前に来て私の頭についたゴミを取ったなんてどういうこと?

 事態が受け止めきれずにあわあわしながら、彼が差し出してきた頭についたゴミをよくわからないけど受け取ってしまった。


「あ…ああー。これ…ああー」


 羽根じゃん。この青の正羽せいうは…うちのピヨスケ(2歳 ♀)のもの…。

 ってことは、これ朝から頭についてたってこと?恥ずかしい…。

 手にしたふわ毛付きの羽根を手にして挙動不審な動きをしていると、目の前の美の権化は形の良い整えられた眉を八の字にして微笑んだ。

 睫毛長!?いい匂いがする。こんなに近くで顔を見ても毛穴がない…。


「それ、アクセとか?」


「いい…いえ、その…家に…セキセイインコがですね…あの」


 大丈夫かな。私、口とか臭くない?

 さっきまでちびちび飲んでいたウーロン茶を一気飲みして、なぜか推し社員が自分に話しかけてきたという異常事態に慣れようとする。

 無理。なんか香水?洗剤?のいい匂いがずっとしてる。

 大丈夫?鳥の羽を朝からこんな時間まで頭につけて気が付かないだらしない生き物って思われて引かれたりしてないかな。


「へえ、インコ…。写真とかある?見せてよ」


「ひぇ…あ…えーっと…鳥の写真はえーっと」



 まさかの食いつき。スマホを開いて鳥の画像を探す。ソシャゲのスクショにまみれたカメラロールとさかのぼってピヨスケの写真をやっと見つけた私は、時谷さんにスマホの画面を見せた。


「幸せの青い鳥じゃん!かわいいね」


 青いセキセイインコなんてあんまり珍しくないよーと思ったけど、馬鹿にした感じじゃなくて本当にかわいくて褒めてるんだなと感じてあいまいに笑って受け流すと、時谷さんはスワイプして出てきた部屋を飛んでいるピヨスケの写真を指差した。


「カゴの外に出したりするんだ。放し飼い?」


「いえ…その…大体帰った後に一時間くらいケージから出して遊んであげるんです」


 え…どうすれば…。

 まさか時谷さんがこんなに鳥の話題に食いついてくるなんて。

 周りはどうなってる…いやでもせっかく話してくれてるのに顔を逸らすとかめっちゃ嫌なやつかな。


「すげー。この子、なんていうの?」


「ピヨスケです。あ…でもその…お迎えした時はオスだと思ってたんですけどメスだって後からわかって…名前もやっと言えるようになったから名前を変えるわけにもいかず…」


「しゃべるんだ!すげー」


 この人、すごい無邪気に笑うな。

 きれいな形をした唇の両端が持ち上がって、真っ白な歯が見える。

 スワイプして鳥がしゃべっている動画を見せると、時谷さんは近くの人を呼んで「見て見て。山下さんのインコだって」って一緒に見せる。

 これが…コミュ力…。

 あっという間に私の周りには人が集まってきて、わいわい会話が広がる。

 ずっと美の暴力に晒された私は、とにかく場を萎えさせないように必死にニコニコして当たり障りのない返しをすることに徹した。記憶はない。


 ぐええ…陽キャとちがって私は人と会話するとMPが減っていくんじゃ…。


「じゃあ二次会に行く人ー」


 やっと解放される…。

 結局店を出るまでずっと美の暴力に晒されてへとへとになった私は、新鮮な冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで深呼吸する。

 二次会へ移動するのか、幹事の方へ行った時谷さんの背中をほっとしながら見ていると、不意に彼がこっちを振りむいた。


「あ、そうだ。スマホ貸して」


 固まってる私のもとにずんずん近付いてきた時谷さんはニコニコしながら手を出した。


「はい。これで登録完了」


 手に持ってるスマホをさっと取った時谷さんは、いたずらっぽく笑うとすぐにスマホを返してくれた。


「じゃあ、また会社で」


 それだけ行って、時谷さんは二次会会場へ移動し始めた幹事さんの方へ走っていった。 

 美の暴風雨かよ…。


 圧倒的なコミュ力を前にして呆然と立ち尽くすしかない私は、やっと我に返ってスマホの画面に目を落とす。

 

―ピロン


 軽快な音が鳴って、メッセージが来たお知らせがポップアップしたのでタップする。


『今日はありがとう😊またピヨスケ見せてよ✌』


 TOKIYAと書かれたアカウントからのメッセージだった。コミュ力の権化こわい…。こんなん私が若い娘なら勘違いしてしまう…そう思いながら私はインコのスタンプを適当にタップしてメッセージを切り上げた。


 時谷さんはマメな人で、不快になるほどしつこくない頻度でメッセージを送ってきてくれた。

 会社でも、急になれなれしく話しかけてくるわけじゃなくて、今まではすれ違うとか自販機の前とかで出くわすときは会釈をする程度だったのが「ピヨスケ元気?」から始まるちょっとした雑談に置き換わった。


 正直、私は陽キャやコミュ力がありあふれた生き物を誤解していた。こういう人種は不快になるほど踏み込んでこないで心地よい位置を探って適切な距離を保ってくれるから人と仲良くなりやすいらしい。


 時谷さんのお陰で私がインコを飼っていることが会社に知れ渡り、会社でも何人か鳥友みたいな人もできた。

 ボタンインコのキューちゃんを飼ってる磐田さんと、コザクラインコを飼ってる片岡さんとは鳥専用SNSで相互フォローをしたり、個人的にやりとりをするくらいに仲良くなれたし…。


「時谷さんとはどうなの?」


「どうもなにも…鳥が好きってだけでしょ…」


「だって佳織さん美人じゃん?最初すっごく話しかけにくかったもん。時谷さんとお似合いだなーって思うよ」


「そうだよー。時谷さん、あれからやけに山下さんに話しかけるし絶対脈ありだって」


 休憩時間におやつをつまみながら三人で話すと、最近決まって時谷さんの話題になる。

 あれだけかっこいい人に彼女がいないわけはないし、だれにでも優しい人なので勘違いしないように自分に言い聞かせる。


「いやー…あれだけかっこいいなら彼女とかいるでしょ。デートとかよりも私は家でピヨスケと遊びたいし…あ、そういえばペットリーアイランドで今年も鳥の福袋でるらしいですよ」


「ほんと?うちも新しくオキナインコちゃんお迎えしたいから節約しないと…でも福袋欲しいなー」


 今日もうまく話を逸らすことができた。

 時谷さんは、嫌いではないけど…多分ああいう人にはもう彼女がいたり、わざわざ言わないだけで婚約者とかいそうだし、しばらく恋愛したりは無理かな。

 誰にも言ってないけど、前の職場でもめてから職場恋愛は避けたいし。それに、私のずぼらっぷりは大抵の男性に引かれる。好かれていたとして、たぶん部屋着とか家の中を見られたらアウトだと思う。

 ああ…それよりもオキナインコちゃんか…。もう一羽くらいならお迎え出来るかな。


「あ、佳織さん。いいところにいた」


 噂をすれば影が差す。

 時谷さんがこっちに来たのをみて、二人は含んだような笑いをするとそそくさを席を外した。

 そういうわざとらしい気の利かせ方をするのが一番よくないからね!と心の中で思いながら、二人と入れ違いで休憩室の小さな机に座った時谷さんを見る。


「年末って予定ある?」


「年末の予定…行きつけのペットショップで小鳥用の福袋を売り出すのでそれを買うくらいですね」


「あ、佳織さんは帰省とかしないんだ」


「実家がこっちなので、大晦日くらいは実家に行くと思いますが…ピヨスケのこともあるのでがっつり帰省とかはないですね」


「じゃあ、ペットショップに行く日、一緒に出掛けようよ」


「え…なんでわざわざその日に?」


「いや、佳織さん出不精だし…出かける予定があるならその日に合わせようかなって…」


 生態を見抜かれている…。確かに外出はそんな好きじゃないけどさ…。

 気を使ってもらったものの、そんな自分を残念に思いながら私は時谷さんからの提案を了承した。 


「でも、時谷さんペットショップなんて行って楽しいんですか?」


「ん。最近佳織さんみてたらさ、インコかわいいなーって思ったから、仕事終わりにペットショップに通ってるんだよね」


「ええー!そうなんですか?じゃあ行きましょう!お迎え考えてるのはどの鳥さんですか?」


 思いの外、話が盛り上がってしまった。

 マメルリハちゃんをお迎えしたいなんて情報まで知ってしまってニヤニヤが止まらない。

 鳥さんを初めてお迎えするなら、春がいいですよーって言ったら「じゃあ、春になったらもう一度一緒にペットショップに行こうよ」なんて言われてしまって、さすがの私も口元がにやけてしまう。

 ルンルン気分で休憩室から出た私に、片岡さんと岩田さんは意味深な視線を送ってきたので咳払いをしてから席に戻った。

 これはデートじゃない。デートじゃない。

 そう自分に言い聞かせて、仕事納めを卒なくこなした私はまっすぐに家に帰った。

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