サンタ

マツダシバコ

第1話

 それは蝋でできたサンタクロースの人形だった。

 ケーキに刺さるよう、足はピンのように尖っていた。

 それは道端に落ちていた。

 サンタは仰向けになって星空を見上げていた。

 通りかかった犬がサンタの顔をぺろりと舐めた。

 ケーキのホイップクリームが付いていたのだ。

 

 ケーキは食べられた。

 4人の家族たちによって。

 ホールの大きなケーキは8等分ではなく、6等分でもなく、豪快に4等分に切り分けられた。

 白いケーキの中心に十字が切られた。

 それは父親の役割だった。

 見守っていた2人の息子は固唾を飲んだ。

 自分に充てがわれた皿と隣の兄弟の皿を見比べて、満足げに頷いた。

 残るはチョコレートプレートとメレンゲでできた飾りの数々。

 それにサンタクロースの蝋の人形をどちらがもらうかの問題だった。

 

 サンタは降り積もった雪の上でその様子を黙って見守っていた。

 彼の肩にも粉砂糖の雪は積もっていていた。

 頭に灯された火は、家族の願いとともに吹き消された。

 彼の役割はほぼ終わったと言っていい。


 兄のフィルが、チョコレートプレートから家やきのこの形をした砂糖菓子のいっさいがっさいを弟のミルに差し出した。

 そしてサンタクロースの蝋人形を手に握った。

 弟は自分の前に置かれた宝の山とサンタクロースの人形を見比べた。

 そしてサンタクロースの人形をフィルの手から奪い返した。

 フィルが菓子の山をもらってほくそ笑むと、弟のミルは再び菓子と蝋人形を交換するように要求した。

 こうしてサンタクロースの蝋人形はフィルのものになった。

 

 クリスマスが終わるとサンタクロースは無用の老人だ。

 サンタクロースの蝋人形も、フィルのお気に入りが入った缶の中に放り込まれた。

 夏の間、本物のサンタクロースが別の仕事を持っているように、サンタにも夏にやるべきことがあった。

 溶けるのだ。

 彼は人知れず密封された蒸し暑い缶の中で少しずつ緩んでいった。

 そして正体不明な姿となって缶の底に張り付いた。

 次のクリスマスの頃にはまた新しいサンタが放り込まれた。

 フィルは毎年、サンタの人形が無性に欲しくなる。

 そしてすぐに忘れるのだ。

 

 ある日フィルは、家の前の雪の上にしゃがみこんでいるニーナを見かけた。

 「何をしてるの?」

 フィルはニーナに話しかけた。

 「ほら見て」

 ニーナが指差す先を覗き込むと、雪の上に数匹の蟻んこが凍えそうな足取りで歩いていた。

 「夏の間に巣ごと捕まえて水槽で育てていたのよ」ニーナは言った。「雪の中にも巣を作るのか実験してるの」

 ニーナはじっと雪の上の蟻んこを見ていた。

 蟻んこは手足を縮めて団子のようになって動かなくなった。

 「死んだんだ」

 フィルは思った。

 でも口には出さなかった。

 ニーナが泣きわめいてうるさいと思ったからだ。

 「ほら、がんばって働きなさい」

 ニーナは蟻んこを指で弾き飛ばした。

 そして、蟻たちは一匹残らず消えてしまった。

 「さて」ニーナは立ち上がるとスカートについた雪を払った。

 そして鼻をすすった。

 「寒いわ」ニーナが言った。

 ニーナの鼻の上や目の下や指先は寒さで真っ赤だった。

 「うちに来てココアを飲むといいよ」

 フィルが言うと、ニーナは家についてきた。


 家には弟のミルがいた。

 母親がココアを練っている間、ニーナとミルは向かいの席に座って睨み合っていた。

 二人は同じ年で仲が悪いのだ。

 母親がカップに入ったココアとクッキーを持ってやってきた。

 まずはクッキーを一口。

 それから信じられないほど熱いココアをすすった。

 「熱いから気をつけてお飲みなさい」

 母親はいつも舌を火傷した後でそう言う。

 ニーナとミルは睨み合いながらココアを飲んだ。

 「あんたにサンタクロースは来たの?」

 「来たさ」ミルが言った。

 「まさか?あんたみたいな子に?でも、どうせ大したプレゼントじゃないんでしょ?」

 ミルは居間の壁に立てかけられた最新のキックボクシングゲームを顎で指し示した。

 それはミルが死ぬほど欲しかったおもちゃなのだ。

 「フン」

 ニーナはつまらなかった。

 サンタクロースがツリーの下に置いていったプレゼントは大きなウサギのぬいぐるみだった。

 ニーナはただ残酷が好きなだけなのに、どういうわけかクリスマスには動物のぬいぐるみばかり集まってくるのだ。

 「フィル、あんたはどうなの?」

 ニーナの質問にフィルはとぼけた。

 「プレゼントどころか僕はサンタクロースを持っているんだよ」

 そう言うと、フィルは寝室に走って行き、缶の中からサンタの蝋人形を持ってきた。

 「何だ、それか」

 ミルは全く興味を失っているようだった。

 「このサンタの人形に火を点けて、願いを込めながら火を消すと、願い事が叶うんだ」

 そう言いながらフィルは母親に目をやった。

 母親はやれやれといった様子で冷蔵庫から出したカップケーキを1つ、皿の上に乗せてテーブルの上に置いた。

 「フィルの言う通りよ」母親は言った。

 フィルはケーキにサンタを突き刺すと、部屋中の明かりを消して回った。

 「わあ」

 部屋が暗くなって、ニーナとミルが声を上げた。

 一息置いて、母親がろうそくに火を灯した。

 「さあ、願いを込めて火を吹き消して」

 フィル、ニーナ、ミルの3人は目をつぶって、それぞれの願いを心の中でつぶやいた。

 そして、火は消えた。

 後には白い煙が残った。

 誰もが不思議な気持ちになっていた。

 いつもと違う厳かな空気が漂っていた。

 それで3人は少し神聖な気持ちになった。

 サンタはカップケーキから抜き取られ、ケーキは3等分にして食べられた。

 サンタは再び缶の中にしまわれた。

 

 ニーナの願いは叶った。

 彼女が吹きかけた息でろうそくは消えたのだ。

 ニーナは、あんなに欲しがっていた魔女のメイクセットではなくて、人の不幸を願ったのだ。

 ミルは不幸になった。

 お気に入りだったキックボクシングゲームが車に轢かれた。

 友だちの家に持って行く途中でミルは転んだ。

 ゲームは車道に放り出され、ゲームは轢かれた。

 かわいそうに。

 その話を聞いてニーナは大笑いした。

 しかし、ニーナの元にも不幸はやってきた。

 翌年のクリスマス、サンタクロースはまたしてもニーナに動物のぬいぐるみを与えた。

 ニーナは癇癪を起こして、大きなリスのぬいぐるみを床に叩きつけた。

 両親は悲しんだ。

 不幸は続いた。

 ニーナはこの街を離れて、遠い街で暮らすことになった。

 両親は離婚し、ニーナは母親と祖母の家で暮らすのだ。

 「あばよ」

 ミルはニーナに言った。

 「バカじゃない」

 ニーナはミルを睨みつけた。

 でもその目からは大粒の涙が流れていた。

 ニーナは車の窓ガラスに張り付いて、フィルとミルの二人の姿が見えなくなるまで手を振った。

 彼女はもともと孤独な少女だったが、新しい街に移り住んで、とうとう彼女を理解するものはいなくなってしまった。

 

 月日は流れた。

 フィルは留学はしたものの、結局街に残って、街の娘と結婚をして家族を持った。

 そのことにフィルは特に疑問も不満も抱かなかった。

 弟のミルは死んだ。

 どこかの国の戦地で、車に轢かれて死んだらしい。

 死体は戻らなかった。

 ただそういう報告を得ただけなのだ。

 だからミルの家族たちは、彼がまだ長い旅の途上にいると思うことにした。

 ミルの死はニーナに知らされなかった。

 彼らの関係はそれだけ疎遠になっていたということだ。


 でも、ふとしたきっかけでニーナはミルの死を知ることになる。

 それはクリスマスのことだ。

 彼女の住む街には大きなもみの木があって、毎年クリスマスの時期になると、その根元にたくさんのプレゼントが集められた。

 世界の恵まれない子供たちに配られるためのプレゼントだ。

 ニーナは心の優しい娘に育っていた。

 そうだろうか。

 本当のところはわからない。

 ニーナはボランティアとして、プレゼントを持ってきてくれた人たちにクリスマスカードを渡していた。

 「神のご加護がありますように」

 彼女は一人一人にそう声をかけ微笑んだ。

 もみの木の広場には大きな焚き火が用意され、皆そこで暖をとった。

 ニーナの隣に男がやってきた。

 彼は雑誌や新聞が大量に入った紙袋を脇に置いて、それらを焚き火の中に投げ込んだ。

 「部屋の掃除をしていたら不要なものがたくさん出たので、燃料にでもなればと思ってね」

 「それはご苦労様。私にも手伝わせて」

 男はニーナと自分の間に紙袋を置き直した。

 ニーナはそれを千切っては固くねじり上げ、火の中に放った。

 炎が彼女の顔を赤く照らしていた。

 ニーナはふと手を止めた。

 古い新聞の片隅に知った顔があった。

 ミルだった。

 ニーナの知っているミルの顔はもっと幼い頃のものだったが、面影はちっとも変わっていなかった。

 「ミル」

 ニーナはつぶやいた。

 「知り合いかい?」

 男が新聞を覗き込んだ。

 ニーナはそれには答えなかった。

 ミルの写真に見入り、昔に思いを馳せていたのだ。

 ニーナは幼い頃から漠然と、ミルと結婚するのだと思っていた。

 離ればなれになった後も、その確信に近い思いは彼女の心の中にあった。

 でも、それは思い違いだったのだ、と彼女は気づいた。

 新聞の小さな記事には「戦地を巡る迷惑な旅人 祖国の恥」とタイトルがあり、車に轢かれて死んだミルのことが書かれていた。

 ニーナはおかしくなって笑った。

 ミルはもう4年も前に死んでいたのだ。

 それにいかにもミルらしい死に方だった。

 この街に移り住んで以来、すっかり大人しくなってしまったニーナだったが、彼女は久しぶりに自分を取り戻した気分だった。

 ニーナは雑誌の束の残りをいっぺんに焚き火の中に放り込んだ。

 ポケットに残っていた赤いクリスマスカードも捨てた。

 大きな火柱が上がった。

 ニーナは男を振り返り言った。

 「ねえ、これからお酒でも飲みに行かない?せっかくのクリスマスですもの。楽しみましょう」

 男は悲しい出来事があったばかりだったが、ニーナに従うことにした。

 二人は街に出た。

 それから結婚をして、しばらくするとニーナは赤ん坊を産んだ。

 そしてクリスマスには、食卓にクリスマスケーキが用意された。

 「いい?願いを込めてろうそくを吹き消すのよ」

 ニーナはサンタクロースの形をしたろうそくに火を灯す。

 娘は目をつぶって心の中で願い事をつぶやいた。

 ろうそくの火が消えて、白い煙が漂った。

 ほんの短い時間、厳かな空気が流れる。

 

 翌朝、ツリーの下に置かれたサンタからのプレゼントを娘が開ける。

 それは彼女がちっとも欲しくない大きなリスのぬいぐるみ。

 不機嫌になった娘の顔を見て、ニーナは思わず笑ってしまう。

 「両親は私を愛していたのかしら?」ニーナはふと思う。

 きっと愛していたのね。

 私が娘のふくれっ面を愛おしいと思うように。

 

 ニーナの娘は腹を立てて、サンタのろうそくを窓から投げ捨ててしまった。

 サンタは一人、通りに寝転がって星空を見上げる。

 サンタクロースはクリスマスが終われば役目を終える。

 来年には、また来年のサンタが現れる。 

 

 

 

 

 

 

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サンタ マツダシバコ @shibaco_3

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