第53話 元通りになった世界で
西暦二〇二五年七月二十六日、朝十時。江戸川区、自宅マンション。
『今日の東京は、最高気温三十三度。絶好の洗濯日和ですが、夕方には雨が降る可能性があります。洗濯物は早めに取り込んだ方がいいでしょう』
何事も無かったかのように、テレビからは天気予報が流れている。
「お兄ちゃん、パン食べる?」
「いや、コーヒーだけでいいや」
「ん、りょーかい」
カナミは台所でコーヒーをカップに注ぎ、俺の元に運んでくる。
「はい」
「ああ、ありがとう。……熱っ!」
一口すすり、舌を火傷しそうになる。
真夏に熱々のコーヒーを出すとは、妹は何を考えているのだ。
「うん、安定のトースト」
カナミは俺が熱々コーヒーと格闘しているとも知らず、台所で呑気にトーストを頬張っている。
というかその場で立ち食いしてないでこっちで座って食べろよ。
その時、テレビの画面に赤いテロップが表示され、アナウンサーが大写しにされた。
【速報 歌舞伎町で発砲騒ぎ】
『たった今、速報が入ってきました。新宿区歌舞伎町で発砲騒ぎがあった模様です。警察からの情報によりますと、先ほど十時頃、暴力団員と見られる男がマシンガンのようなものを発砲したということです。けが人は現在確認されていません』
そのニュースを見て、俺はふとあの出来事を思い浮かべる。
マシンガンに折りたたみ傘一本で立ち向かおうなんて。あの時の俺、どうかしてたな。
「イキリ傘太郎の血が疼いちゃった?」
妹がニヤニヤしながら話しかけてくる。
「その呼び方、絶対外でするなよ?」
「分かってるって。言ったところで説明のしようもないし」
世界が元通りになった後、ミサキとヨシアキはすぐにログアウトした。
そしてこの世界の時間をハッキングされる前までロールバックさせた。
でも、俺とカナミ、レナ、ホノカ、アカリの記憶だけは残しておいてくれた。
それは俺たちへの気遣いもあると思うが、きっとミサキは自分のことを忘れて欲しくなかったのだろう。
あの二年間を覚えているのは、この世界で俺たち五人だけ。
周りは誰もあのゲームのことを知らない。
『続いては特集コーナー。陸上自衛隊の女性新人隊員に密着しました』
テレビに迷彩服姿の女性が映し出される。
俺はその人を見て思わず声をあげた。
「あっ、里見さん……」
ダンジョンの中で命を落とした里見さん。
でもそれは俺だけが覚えている記憶。
本人にそんな記憶は無いし、今後経験することもない。
「タイムスリップしたみたいで、変な感じだよね……」
妹は呟いて、冷たい牛乳を飲む。
「ああ、そうだな……」
何とも言えない気持ちになった俺は、黙って密着映像を眺めていた。
千葉県印西市、サバイバルゲームフィールド。
レナはあの日の続きを楽しんでいた。
『バン!』
「ヒット」
「いやぁ、二戦目も容赦ないねぇ。レナちゃんは」
レナは《HK417アーリーバリアント》のマガジンに弾を装填し、再び狙いを定める。
あのハッキングのせいで二年越しの再開となったバトルロワイヤル。
この二年間の激戦を考えれば、サバゲーなんてぬるすぎる。
『バン!』
最後の一人を倒し、レナは汗を拭う。
「レナちゃん、今日はいつも以上に調子いいね? 全滅するまでの時間、史上最速だよ」
男性プレイヤーに言われ、レナは素っ気ない顔で返す。
「そう? 私はいつも通りプレーしてるだけよ?」
「やっぱりレナちゃんには敵わないなぁ」
男性プレイヤーたちはただ苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
東都情報大学、仮想技術研究室。
ホノカとアカリは椅子に座り、ぼーっと過ごしていた。
「アカリさんっ、実験やります?」
「いや、そんな気分じゃない」
「ですよねっ……」
無言の時間が流れる。
夏休みの大学は静かで、どこか落ち着く。
この暑い日に大学に来るなんて真面目な人だ、なんて思われているかもしれないが、二人はただ誰にも邪魔されず一緒に居たいだけだった。
「ハッキングの犯人、捕まりましたかねっ……」
「さあ、どうだろうな」
ホノカとアカリは頬杖をついて、窓の外を眺める。
見えもしない現実世界を見ようとして。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
新暦二〇四八年、東亜国理化学研究機構。
「今さっき、ホワイトハッカーから連絡があってね。もうすぐここに来るらしい」
「もしかして、犯人が分かったんですか?」
「おそらくね」
それを聞いたヨシアキ/入谷義昭はもう一人のエンジニア、
「良かったな、春也」
「あ、ああ……」
しかし、春也はどこか浮かない顔をしている。
するとそこへ一人の女性が入ってきた。
身長は低く、髪は短め。
「どうも、ホワイトハッカーの
この声、笑い方。美咲は思わず「あっ」と声をあげてしまった。
「美咲、気付いたか?」
「うん。ルイルイちゃん、と言うか瑠花ちゃんだよね? まさかハッカーになってたなんて」
美咲は驚きつつも嬉しそうな表情をしている。
そのやり取りに義昭は戸惑いを隠せない。
「えーと、美咲の知り合い?」
義昭が聞くと、美咲は頷いて答える。
「瑠花ちゃんとは高校まで一緒だったんだけど、その先何やってるのか知らなくて。いろんな意味でびっくりしちゃった」
「まあそうだろうな。まさかもう一人あの世界に閉じ込められてる奴がいるなんて思わなかっただろ? しかもそれが知り合いとか、驚くのも無理はないさ」
へへっと笑う瑠花。
桜守主任はコホンと咳払いして、話を戻す。
「それで、犯人は誰だったんだね?」
「あー、それな。とりあえず犯人は、ウエスター合衆国のエンジニア《スプリングストーム》だ」
その名前が出た途端、春也の表情が引きつる。
「ウエスター合衆国かぁ……。それじゃあ、捕まえるのは難しそうだね……」
落ち込むミサキに、瑠花は首を振る。
「いや、案外簡単だぜ。だってそこにいるんだから。スプリングストームさん?」
そう言って瑠花が視線を向けたのは、春也の方だった。
「まさか、春也が……? 嘘だよな?」
信じられないといった様子の義昭に、春也が口を開く。
「ああ、そうだよ。俺はウエスター合衆国側の人間だ」
「まさか、君が……」
桜守主任も動揺している。
「ってことで、警察は呼んどいた。この先は美咲に任せたぜ」
「う、うん……」
瑠花は面倒事に巻き込まれたくないのか、そそくさと部屋を後にした。
困惑する桜守主任と義昭、項垂れる春也。
美咲は部屋を見回して、ぽつりと呟いた。
「ユウト君なら、こういう時どうするのかな……? 私、やっぱり弱いよ……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………」
「お兄ちゃん? ねえ、お兄ちゃん!」
「うわぁっ!」
「全く、何ぼけっとしてんの?」
「ああ、悪い悪い……」
カナミに怒られ、俺は頭を掻きながら謝る。
「どうかした?」
「いや、なんかミサキの声が聞こえた気がして」
「ミサキさん? どうせ空耳でしょ」
「だとは思うんだけど、泣きそうな声してたから……」
「じゃあミサキさんは、何て言ってたの?」
首を傾げるカナミ。
「私はやっぱり弱いとか何とか……」
俺が答えると、カナミはため息を吐いて言う。
「だったら声掛けてあげればいいじゃん。独り言にしかならないだろうけど」
カナミは冗談のつもりだろうが、俺は独り言になってもいいから声を掛けたいと思った。
ミサキに囁きかけるように、ゆっくりと口を開く。
「……ミサキ、お前は強いよ。大丈夫、何とかなるから」
するとすぐに返事が聞こえてきた。
「ありがとう、ユウト君。大好きだよ……」
その声は、まるで俺の目の前にミサキがいるかのようだった。
World of Simulation 〜折りたたみ傘一本で世界を取り戻す〜 横浜あおば @YokohamaAoba_
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