悲劇と創世のエデン

オオカミ

悲劇と創世のエデン

 「……ついに、ここまで来たのね……」

 暗闇の中、鋭く尖ったいくつもの塔を屹立きつりつさせ、死を連想させるほどの、恐ろしい魔力を纏わせる漆黒の城を目前にして、私はそう呟いていた。

 

 この城に辿り着くまでに、一体どれほどの命が犠牲になっただろうか? 歩んできた道を振り返れば、仲間たちの亡き骸が、どこまでも続いているに違いない。


「ダレン、私はあなたを……」

 階段を登り、禍々しく佇む、両開きの扉の前に立つ。この扉を開いた時、私達白魔導士と、彼が率いる、黒魔導士との最後の戦いの幕が、切って落とされるのだ……。

 決心と魔力を込め、右側の扉に手をかける。さあ、始めよう――。勢いよく扉を開き、光の無い空間の中に足を踏み入れる。すると、私が進むべき道を指し示すかのように、宙に浮いた蝋燭ろうそくに明かりが灯り、赤い絨毯が敷かれた通路と、上階へと続く段の始まりが露わになる。

「よく来たな、カミリア」

 低くて威圧感のある声が聞こえ、まるでスポットライトのように、階段の先の踊り場にいくつもの光が当てられてゆく。

「ダレン……」

 光が当てられたその先には、赤と金で彩られた、玉座のごとく豪華な椅子に座る男――ダレン・アトウッド――の姿があった。 

 白魔導士だった頃と変わらず、彼の容姿は、通常の人間とは大きく異なったままだ。彼の四肢の大部分は、黒くて醜い毛と皮で覆われ、両足はひづめのある足に変形してしまっている。その上、額からは山羊のような角が後部へと捻じ曲がって伸び、背中の左側からは黒色の爛れた翼が生えてきており、悪魔の化身を連想してしまうほどに、彼の姿をおぞましく仕立て上げていた。

「お前に再び出会える瞬間を、俺はずっと心待ちにしていた。俺のものになれ、カミリア。そうすれば、この世界のすべてを、俺達のものにすることができるだろう」

 右手を私に差し出し、彼は優しく諭すように言った。その指先の爪は、黒く長く、そして鋭く尖っている。

「ダレン、確かに私達は、お互いを愛し合い、どんな困難にも立ち向かって行こうと、そう誓ったわ……。だけどあなたは、白魔導士を裏切り、数多あまたの同胞の命を奪ってきた。そして今は、この世界の秩序を、平和を脅かそうとまでしている。そんなあなたを、私は裁かなければならない。……だからあなたを、今ここで討つ!」

 左手に持っていた杖を右手に持ち替え、水晶が取り付けられたその先端を彼の顔に向ける。

「……そうか。どうやらお前には、少し躾をしてやらないといけないようだな」

 彼の体から禍々しい魔力が溢れ出す。その魔力の強大さに、私は思わず後ずさりをしてしまいそうになる。

「あなた、一体どうやってそれほどの力を!?」

 彼は歪んだ微笑みを浮かべ、答えた。

「驚くのも無理はない。白魔導士だった頃の俺は、弱くはなかったにせよ、お前ほどは、飛びぬけた力を持てていなかったからな……。だが、今は違う。黒魔導士となった今の俺は、世界を支配できる力を手に入れたのだ。……さあ、どこからでもかかってくるが良い」

 彼は右手の指先を向こう側に引き寄せるように振り、私を手招きした。

「私は、決してあなたの力には屈しない!

あなたを断罪し、この世界の秩序を守ってみせる!」

 杖の先端の水晶に魔力を込め、術式展開を始める。

「白魔法・白蓮砲弾!」

 呪文を唱え、魔力を凝縮させた十数個の弾丸を、水晶を中心とした円状の魔術空間に出現させる。

「ほう、白蓮砲弾か。面白い。俺もそれなりの魔術で対応させてもらおう。――黒蓮砲弾」

 彼がそう唱えると、いくつもの魔弾が彼の周りに展開されてゆく。彼の作り出した魔弾の数は、私の『白蓮砲弾』の二倍はあるように見える。

「く、数が多い……!」

「どうした、攻めてこないのか?」

 攻めようにも、この戦力差では、こちらから仕掛けるのは危険すぎる。

「……ならば、俺の方から攻めさせてもらうとしよう!」

 彼の『黒蓮砲弾』の半分ほどが私に向けて発射される。

「この程度!」

 ――白魔法・白神眼!

 魔法を発動し、動体視力と反応速度を極限まで高め、飛んでくる弾丸をこちらの魔弾で打ち落とす。

「なるほどな。通常なら魔術防壁で防ぐしかない魔弾を、その卓越した魔術裁きで相殺しているわけか。防御に徹したところで、この俺の『黒蓮砲弾』に敵うわけもないからな。……だがしかし、それでいつまで耐えられるのだろうなあ?」

 何度も『白蓮砲弾』を発動し直し、魔弾を装填して対抗するが、一度に展開できる弾数の差のために、どうしても防戦一方になってしまう。

「ふはははははは! どうした! もうそろそろ終わりが見えてきたぞ!」

「ぐ、うう……!」

 時間が経過すると共に、防御にもどんどんと余裕が無くなっていく。

「これで終わりだ!」

 魔弾が無くなり、『白蓮砲弾』を発動し直そうとした時、彼の魔弾が杖の先端に命中し、魔術展開を支援していた水晶が砕け散った。

「く、しまった!」

 杖を捨て、次の攻撃に対応すべく身構える。

「ふん、たま遊びはもうおしまいか。あっけないものだったな」

 彼は残っていた魔弾を自ら消滅させた。

「さあ、次の技を出してみろ。どんな抵抗も、この俺の前では無力なのだということを、思い知らせてやる」

 彼は余裕のこもった笑みを浮かべ、再び私に手招きをした。

「……いいわ、ならあなたを葬ってあげる! 私の最高の魔術で!」

 両手の指を合わせ、三角形、あるいは山のような形をした空間が、その間にできるように構える。

「白魔法奥義・白狼爆花!」

 両手から膨大な魔力を放出し、白く猛々たけだけしい、狼の形に練り上げてゆく。

「なるほど、それがお前の隠し玉か」

 彼は満足そうに笑い、強大な魔力を体から放出させ始めた。

「そうよ! これが私の白魔法奥義! この技からは、誰も逃れられない!!」 

 そうだ。この『白狼爆花』は、狙った相手をどこまでも追跡し、ベストな距離で自身を爆発させることができる。たとえ魔術防壁を張ろうとも、その爆風から逃れることは絶対にできないのだ。

「さあ、これで終わりよ! ダレン!!」

 『白狼爆花』を、彼のいる玉座に向かって飛び掛からせる。

「いいだろう。今見せてやる、この俺が黒魔導士になって得た真の力を。――支配魔法・黒死縛鎖!」

 白狼が彼に触れるまで、あと一メートルという所まで近づいたとき、地面から、

黒紫色こくししょくの魔力を纏った鎖が数本現れ、私の狼を空中で縛りつけた。

「鎖!? でも無駄よ! この距離なら、充分に効果を発揮させることができる! 『白狼爆花』!」

 呪文を唱え、『白狼爆花』を起爆させようとするが、まったく変化が見られない。それどころか、白狼は苦しそうに鳴き声を上げながら、黒い魔力に覆われ霧散していった。

「そんな!?」

「驚いたか。これが俺の得た力、『黒死縛鎖』だ。この力の前では、白魔導士も黒魔導士も、この世界の全ての存在は、この俺の魔力に屈服せざるを得ないのだよ」

「そんな、そんな馬鹿な!? この世界のすべてを支配できる魔法なんて、そんなものあるはずがないわ!」

「今見ただろう? これが現実だ。……くく、俺はこの力を使い、まず黒魔導士どもを恐怖で支配した。連中がこうべを垂れ、跪く様子を眺めるのは、実に心地がよかったぞ。……それから、やつらを下僕としてまとめ、白魔導士どもを殺しまくった時は……あははははははは! 今でも笑いが止まらないぞ!!」

 彼は歯を剥き出しにして、狂ったように笑い声を上げた。

「魂までも腐り果てたのか!! ダレン!!」

「腐り果てただと? はは、笑わせるなあ。……俺を迫害したのは、白魔導士どもだったではないか。こんな醜い姿に生まれた俺のことを、奴らは、『悪魔の子』、だのなんだのと言って、まともに、人として扱わなかっただろう?」

「それでも、こんなことをして、許されるわけがない!」

「カミリア、なぜわからない? この世界に生きる人間に、所詮価値などない。価値があるのは、お前ひとりだけだ。……なあカミリア、俺のことを理解し、支えてくれたのは、お前だけだった……。お前は俺とは違い、白魔導士どもから『神童』ともてはやされていたが、俺もお前も、根っこの部分では大して変わらなかったのだ。俺たちは二人とも『孤独』だった。連中が見ていたのはお前の力であり、お前自身ではなかった。俺も同じだった。利用価値があるから、白魔法をそこそこ使いこなすことができていたから、なんとか生き延びることができただけだった……。だから、俺はお前と出会えた時、本当に嬉しかったのだ。お前は俺のことを認めてくれた。他者から蔑まれ、虐げられていた俺のことを、お前はいつも全力で守ってくれたな。……だが、だがあのくそ野郎どもは俺のことを……!」

 彼は歯をぎりぎりと軋ませ、目を大きく見開き、全身から黒く巨大な魔力を噴出させた。

「連中は、白魔導士どもは! 俺たちのことを無情にも引き裂いた!! 俺の最後の望みだったお前を、奴らは俺から奪っていったのだ!!」

 そう、私たちが親しくしているのを、よく思わなかった白魔導士協会の者たちは、私たちを遠く離れた地域の部隊に転属させた。『神聖なる神の御子みこのそばに、あのような醜い姿の者がいてはならない』、それが彼らの言い分だった。

「そして、飛ばされた見知らぬ地で戦い、黒魔導士どもの命を刈り取っていくうちに、俺は、自らの中に隠された力に気づいた! それからの日々は実に楽しかったぞ! 黒魔導士としてクズどもを屠りながら力を蓄え、ついにはその頂点にまで俺は立った! この世界も、あともう少しで俺のものとなる!」

 彼は激情のままに言葉を振り撒き続けた。そして落ち着きを取り戻すと、今度は優しい微笑みを浮かべ、私に手を差し向けた。

「だからな、カミリア。俺たちの邪魔をする者など、もうどこにもいないんだよ。今度こそ、俺たちはずっとそばにいられるんだ。さあ、俺のもとに来い。俺の力をお前に、君に分け与えよう」

 ダレンが私を手招く。彼の右目は……薄い黄色を纏いながらも、見ている情景次第で何色にも染まる、その純粋な瞳の右目は……かつて共に戦場を駆け巡り、蜜約を交し合ったあの頃のように、私への優しさと愛情に、包まれているようにも思われた。

 ――胸が軋む。心臓の鼓動が痛くて痛くてしょうがない。だけど、私は……。

 口にしたい言葉を、唾と共に強く喉奥に飲み込み、私は、白魔導士として、世界の秩序を守るものとして、言うべき言葉を口にする。

「ダレン、たとえどんな理由があろうとも、私はあなたを許さない。私はここで、あなたを殺す!」

 自分に言い聞かせるように、神に宣誓するように、ここに来たとき告げたその言葉を、私は再び言い放つ。

「そうか」

 ダレンの顔から一切の表情が消えた。

 

 そして、黒色の白目と山羊の瞳孔の左目で、私に冷たい視線を向け、彼は言う。

「ならば死ね」

 彼の周囲にいくつもの黒き魔弾が現れる。

「白魔法・白刃防壁!」

 私の前方に半球状の透明な魔術防壁を構築し、攻撃に備える。

「無駄だ! 黒蓮砲弾!」

 二十数個の魔弾が、私に向けて撃ち放たれる。それらの魔弾が私の『白刃防壁』に触れた瞬間、本来進むべき方向とは真逆の方角――彼の座っている玉座――に向けて魔弾が再発射される。

「何!?」

 軌道が少しずれた魔弾が城内を破壊し、集中砲火を浴びた彼の周辺に、砂煙(すなけむり)が立ち上がる。

「今度こそ終わりよ!」

 煙が晴れると、無数の鎖に覆われたダレンが、無傷のまま姿を現した。

「だから無駄なんだよ。この『黒死縛鎖』は、使用者が危機に陥った時には、自動的に発動するように調整してあるのだ。変な期待をさせて悪かったな」

 ダレンが指を鳴らし、『黒死縛鎖』が、先端を向けて私に襲い掛かってくる。

「白刃防壁!」

 もう一度魔法を発動させるが、『白刃防壁』の力は無効化され、鎖が私を後方へと突き飛ばした。ぶつかった衝撃で、私の付けていたネックレスのチェーンがちぎれ、飾りの十字架が赤い絨毯の上に落ちる。

「ふははははははは! 十字架が堕ちたか! どうやらついに、お前は神からも見放されてしまったみたいだなあ!」

 なんとか転ばずに態勢を保ち、次の魔術展開を開始する。

「白狼――」

「遅いぞ!」

 私の立っている場所の左右両側面から、黒紫こくし色の鎖が出現し、私の両手に巻き付いてきた。

「魔法が発動しない!?」

 彼がくくっと可笑しそうに笑う。

「だから言っただろう? 俺のこの『黒死縛鎖』は、この世の全てを『支配』することができるのだと。魔導士本人を『支配』すれば、当然魔法の発動も無効化できるのだよ」         

鎖が私の両足をも縛り、いよいよ身動きが取れなくなってしまう。

「まったく、本当に愚かなことだ。この絶対的な力を前にして、ここまで無意味な抵抗を続けるなんてな……」

 ダレンはその高御座たかみくらから立ち上がり、ゆっくりと階段を下りてくる。

「俺がその『黒死縛鎖』に魔力を込めれば、お前は魂のない人形と成り果てる。愚かな女、カミリア・ロペスシーよ。最後に何か言い残したいことはあるか?」

 漆黒のマントをひるがえしながら、彼はこちらへと歩を進めてゆき、あと三メートル程の位置で立ち止まった。

「……ありがとう」

「ん? なんだって? よく聞こえなかったぞ?」

「ありがとう。ここまで近づいてきてくれて」

「お前は何を――」

 ダレンが言葉を紡いだその刹那、彼と私の間に落ちていた十字架が、強烈な光を放った。

「ぐあああああああ!」

 彼は眼を抑えて後ろに下がる。それと同時に、私を縛っていた鎖も消滅した。

 チャンスは今しかない。腰の左側に備えていた短剣を引き抜き、彼に刃を向け、全力で走り出す。

 

 ――今度こそ!

 

 私がダレンに差し向けた短剣が、あと数センチで、彼の腹部を捉えられるという距離まで達したとき、頑強で透明な障害物が私の刃を止めた。

「魔術防壁!?」

「惜しかったな。だがやはり、お前がいくら努力しようとも俺には届かぬ」

「……いいえ、あなたもこれで終わりよ」

 青緑せいりょくの宝石で飾り付けられた短剣に、自らの体に残された魔力を全て注ぎ込む。私の魔力を吸った短剣は、眩いほどの輝きを放ち、その刀身を凄まじい速度で伸長させ、魔術防壁ごと彼の体を貫いた。

「がはっ!?」

 魔剣・ダーインスレイヴに腹部を吹き飛ばされた彼は、血を吐きながら私の体に倒れ掛かった。

「ぐ……。この俺が負けた、だと? なぜだ……。俺の力は、お前の術を圧倒していたというのに……」

「簡単なことよ。あなたは、驕り高ぶり、私を倒せるチャンスを見逃していた。それに対して私は、あなたを殺すために最善の準備をし、自らの命をも捨てる覚悟で、ここまで来た。……この覚悟の差が、今の結末をもたらしたのよ……」

「まだ、まだだ……! 俺はこの世界の全てを……!」

 そう言った後、私にしがみついていた彼の腕は力を無くし、彼の口からは何の言葉も発されなくなった。

「これで、終わったのね……」

 動かなくなった彼を抱き締め、一切の光が無くなった空間に座り込む。

「ダレン、今までつらいことがたくさんあったわね。私たちはいつも孤独だった。あなたは他人から認めてもらえないでいて、私はみんなからいつも称賛されていて……。けれど、私をちゃんと見て、私の心を理解してくれたのは、あなただけだったわね……」

 体から少しずつ力が抜けていく、全ての魔力を使い果たした人間は、その命を失う。それが、この世界の摂理だ。

「ごめんね、私が守り切れていれば……。ダレン、みんな……ごめん、ごめんね……」

 もうほとんど体を動かすことはできず、いよいよ、呼吸をするのも難しくなってくる。

 

 ――さようなら、私の愛しき世界よ。もし叶うなら、今度は二人で幸せに――。


 心臓の鼓動が止まり、私の心は暗闇の中に溶けていった――――。



 

 その世界のどこかで、こんな御伽噺おとぎばなしが、民の間に広まっていったという。

 

 〝恩恵承りし魔導士たちが、与えられた運命に飲み込まれ、自らの信念を鮮血により果たさんと争いを起こしたとき、神の園より一対の天人あまひとが舞い降りる。天人は、時に悪魔の、時に神使の姿をして現れ、世界に訪れた混沌を正すために、人々を率いて戦いを治める。そして、役割を果たした二人は、元いた場所、神の園へと帰ってゆく〟


 人々は二人の住まう園のことを、彼らが困難の先に辿り着く祝福の地、という意味を込めて、『エデン』と呼んだ。


         ✞


「ぐ……。この俺が負けた、だと? なぜだ……俺の力は、お前の術を圧倒していたというのに……」

「簡単なことよ。あなたは、驕り高ぶり、私を倒せるチャンスを見逃していた。それに対し……あなたを…………でここまで来た。この覚悟の差が、今の結末をもたらしたのよ……」

「まだ、まだだ……! 俺はこの世界の全てを……!」

 その言葉を吐き出した後、俺の眼は一度光を失い、再び明かりが戻った時には、カミリアと彼女にしがみつく〝オレ〟の姿を、なぜか俺の視界は映し出していた。

 どういうことだ!? 俺はまだ生きている! 体だってここに……!

 カミリアに手を伸ばそうとするが、あるはずの俺の手が、体がそこにはなく、俺が見ているこの風景も、彼女を真上から見下ろすような位置から、ほとんど変わることはなかった。

 ……俺は、俺は死んだというのか!? あんな女に、あんなごみみたいな白魔導士どもに負けて……!

 

 俺は、生まれた時から、ずっと負け犬だった。常に蔑まれ、親からも必要とされず、ただただ、どんな感情かも解らない、醜くどす黒い〝なにか〟を心の底に積み上げながら、みじめに生き永らえてきた。

 そんな俺の人生に、唯一光を与えてくれたのが、カミリアだった。あいつは、俺のことをちゃんと人として扱ってくれた。俺の異形の姿を気にしないどころか、あいつは、「羊さんみたいでかわいい」とさえ言ってくれた。だから俺は、人生に希望を持とうと思った。だが、

 だが白魔導士どもは、俺と彼女を引き離した! そしてまた、俺を罵り傷つける奴らを守るための、地獄のような戦いが始まった!

 

 俺は、再び全てを失った。流れる時間は鎖のごとく、俺の心と体をきつく縛りつけ、灯っていた唯一の光を、けがれた紫色に染め上げた。

 そんな日々を繰り返す中で、俺は決心したのだ! 俺を傷つけた連中を、弱者を傷つけ虐げる魔導士どもを、一人残さず抹殺するのだとな!

 

 しかし、それも今日で終わりだな……。カミリアは俺を裏切り、くだらない白魔導士どものために命を懸けた……。もう俺は終わりだ。この人生には、何の価値もありはしなかった。憎しみの焔を胸に抱いたまま、この悪夢が終わるときを待ち望むばかりだ……。

 

 俺の体を抱き締め、カミリアは俺の城の赤い絨毯に座り込む。

「ダレン、今までつらいことがたくさんあったわね。私たちはいつも孤独だった。あなたは他人から認めてもらえないでいて、私はみんなからいつも称賛されていて……。けれど、私をちゃんと見て、私の心を理解してくれたのは、あなただけだったわね……」

 彼女は慈しむように、優しい声でそこにある俺の体に囁きかけた。

 その言葉を聞いた瞬間、俺の心を縛っていた鎖が打ち破られ、カミリアと過ごした日々の幸せな記憶が、清らかに流れる小川の情景のごとく、俺の脳裏に蘇り始める。



 ――カミリア、俺たちは幸せになれるのかな?


 ――なれるわ。私が、この世界を変えてみせる。



 ――カミリア、俺たちはもう、これで終わりなのかな?


 ――そんなこと、絶対にないわ。たとえ離れていても、私の心はあなたと共にある。だからお願い、私が戻ってくる時を、どうか待っていて。私が絶対、この世界を変えてみせる。



 ああ、そうか。

 カミリアは、ずっと俺のために戦ってくれていたんだ。それなのに俺は、ずっと自分のことばかりで、ちゃんと君のことを見ていなかった……。君は、俺だけでなく、この世界の全てを、救おうとしていたんだね……。


 それからしばらくして、カミリアは、最後の力を振り絞るように、小さな声で言葉を紡いだ。

「ごめんね、私が守り切れていれば……。ダレン、みんな……ごめん、ごめんね……」

 

 お願いだ、どうかそんなことを言わないでくれ……。俺が悪かったんだ。俺が、君を信じ切れなかったのがいけなかったんだ。すまなかった。俺が、俺のせいで…………。

 

 何を言おうとも、もう彼女に届くことはない。悔やんでも、嘆いても、全ては後の祭りなのだ。これが、過ちを犯した俺に対する、罰なのだろう。

 


 カミリア、これが俺の罪の果てだというのなら、全てを受け入れるよ。たとえ、この苦しみが永遠に続くのだとしても、俺は耐えてみせる。君が抱えていた苦しみは、きっと、もっとずっと深かったはずだから…………。

 

 

 視界は閉ざされ、暗闇だけが俺を包む。俺はこれから、何もないこの闇という牢獄の中で、永遠に、罪を償い続けなければならないのだろう。大勢の人を殺め、他者を道具のように操り続け、果てには、愛する人をも裏切ってしまった。そんな俺には、この程度の責め苦、当然の報いだ。


 沈んでゆく。どこまでも、どこまでも。時間の感覚も、俺自身の存在も、何もかもが無に近づいていく。生まれた時から何も持っていなかった俺には、ふさわしい末路と言えるだろう。

 

 

 ――さらばだ、カミリア。


 

 心を、完全に闇へ投げ打とうとしたとき、優しい声が、俺の中に伝わってきた。

「戻ってきたよ、ダレン」

 カミリア、なのか……!?

「そうだよ」

 カミリア、どうして君がこんなところに……!?

「だって、約束したでしょ? どんな時でも、一緒にいるって」


 確かに、俺たちは何度も約束をした。だけど俺は、カミリアのことを何度も傷つけてしまった……。そんな俺に、彼女のそばにいる資格なんてあるはずがない…………。

 そうだ、俺はカミリアに対して、決して許されないことをしてしまったのだ。彼女を信じず、多くの命を奪ってしまった俺が、一体どんな顔で、彼女に向き合えるというのだろうか……?


「ダレン、よく聞いて。あなたは何も悪くないわ。全ては運命の道しるべだったのよ。むしろあなたは、この世界を救うために、やるべきことをよくやったわ」

 俺が、よくやった……? カミリア、なぜそんなことを言えるのだ?

「私たちはね、運命に導かれてこの世界に辿り着いた、神の子だったのよ。私たちは、光と闇、秩序と混沌をつかさどり、世界をあるべき姿に導くために、神によって遣わされた存在だったの」

 そ、そう、なのか……?

「ごめんなさい。こんなことを突然言われても、信じられるわけ、ないわよね……」

 彼女の声は、申し訳ないと伝えるように落ち込んでいて、最後の方になるほどに、小さくなっていた。

「いや、俺は信じるよ。カミリアが言うことなら、俺は信じる」

 ただ心の中で呟くのではなく、彼女に対してはっきりと伝えるために、言葉を紡ぐ。

「ダレン!」

 彼女の声が明るく華やいだ。

「だけど……たとえ全てが運命だったのだとしても、俺は自分自身を許せない。お前を裏切ってしまったという事実は、決して変わらないんだ…………」

 自分の中で何度も反芻はんすうしていた言葉を、彼女に伝える。この事実がある限り、俺の罪は許されない。許すことができない。

「ダレン、それは私も同じことよ。私もあなたを、最後まで信じ切ることができなかったわ……。たとえあなたが、人々を殺めてしまっていても、私は、あなたの味方でいるべきだった……」

 彼女の声は、罪を告白しているかのように、苦しげだった。

「だから、お願い。あなたの罪を許して……。私も、私の罪を許すから……」

「カミリア…………」

 彼女の気持ちを聞いて、俺はようやく気が付いた。重要なのは、罪を悔いることではなかったのだ。

「わかったよ、カミリア。俺は、俺の罪を許す。だからカミリアも、自分自身のことを許してあげてくれ」

「ダレン……」

「そして、また取り戻そう。二人で笑いあった、あの幸せな日常を……」

「ダレン……ありがとう、ありがとう……」

 涙を流している時のように、掠(かす)れた声が聞こえてくる。

「そんなに泣くなよ、カミリア。もう、つらいことは終わったんだ。これからは、笑顔でいよう」

「うん……! うん……!」

 彼女の声は、子供のように無邪気になっていた。

「ねえダレン。私いま、とってもしあわせ…………」

「ああ、俺もだ…………」

 声からだけでなく、彼女の心からも、幸せな気持ちが、俺の心にまで伝わってくる。

「共に行こう、カミリア」

「うん。これからはずっといっしょだよ、ダレン」

 

 幸せに満たされた俺たちの魂は、柔らかな光に包まれ、どこか、新しい世界へと導かれていった。



 

 

 

   


  

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悲劇と創世のエデン オオカミ @towanotsuki

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