隘炉の来訪
気味の悪い男だと思った。
笑顔も物腰にも文句のつけようがないが、言葉や仕草の端々に得体の知れない不気味さがある。
仲間が見つけたというその店へ辿り着くまでに、俺は散々路地裏を彷徨った。渡された地図と道とを交互に見比べては、先ほど見かけたビルの前をうろつき、同じ角を何度も曲がる。
やがて途方に暮れて振り返ると、既に通ったはずの場所に掲げられた赤く丸い看板がこちらを嘲るように見下ろしている。
苦い気持ちは、細い扉を開けた途端にますます強まった。
いらっしゃいませ、と微笑んでみせる、眼鏡の奥の目がすうっとこちらを走査するのが手に取るようにわかった。
ただのお人好しではない。絶対に。
視線の通った跡に沿って鳥肌が立つ。嫌悪感は募る一方だが、ここが当たりかどうか確かめなくてはならない。
一刻も早くあの場所へ辿り着くこと。それは俺たちの、積年の願いだった。
すべては、尊い忘却のために。
前置きも無しに名前を出すと、相手はほんの少し眉を上げてみせた。
それが演技か、衒いのない表情であるか判別するのは実に困難だ。このようなときは無闇に言葉を重ねてはいけない。ただ黙って、見据える。
男の表情は万華鏡のように変わる。こちらが冗談を言っているわけではない、と悟ったらしい。目の端に浮かべていたおどけた色が薄まる。
「ええ、存じています。よろしければご案内しましょうか?」
俺は心のなかで拳を握った。幾千、幾万回の探索を掻い潜り、都市伝説よりももっと淡い与太話としてのみ存在し続けたあの場所の、遂に尻尾を掴んだ。
叫び出したい気持ちを堪えて、男の問いかけに頷く。
「かしこまりました。ただ、ひとつだけお伝えしますと」
男が右手を掲げる。
すらりと伸びた人差し指。大振りの腕時計がかすかに音を立てて、その指先に視線が吸い寄せられる。
「■■は、すべて知っていますよ」
男の言葉が一瞬、耳を滑った。
ただ聞き逃したのではない。無理やり喩えるなら、男の声や言葉が俺の認識の外側、理解の届かない領域を通っていった。そんな表現になる。
首元にナイフを押しつけられるよりももっと悍ましい感覚に背筋が凍り、荒唐無稽な想像が勝手に脳裏に走る。
取り返しのつかないことになるかもしれない。
たとえば。
この男は本当は人間ではなくて、俺はそれを相手に取り引きを持ちかけようとしている。
男は望んだものをなんでも与える。ただし、魂と引き換えに。
まるでそれは――
握った手に爪が食い込み、その痛みで我に返る。
何を馬鹿なことを。ただの妄想だ。現実であるわけがない。
何より、ここに至って引くわけにはいかない。
御託は要らない。覚悟ならとっくに決めた。
だから、きっぱりそう答える。
男は何も言わなかった。
目の焦点は指先に縛り付けられたままで、男の顔はぼんやりとしかわからない。
だからほんの一瞬、そこに浮かんだ何かをはっきりとは捉えられなかった。
ただそれは――憐れみのように見えた。
「失礼しました。……それでは」
指が閃く。
ぱちん、と乾いた音が聴こえた瞬間、視界が黒く塗り潰された。
足元の砂が小さく声を立てる。
打ち寄せる漣の絶え間ないざわめき。
清新な潮の匂い。
しんと肌に沁み通る夜気。
ゆっくりと目を開けば、天頂にぶら下がる満月。
水平線の彼方まで、人工の灯りは見えない。
降り注ぐ月光が凪いだ水面に揺れる道を描くばかりだ。
この海はどこへも繋がらず、しかしあらゆる場所から波は打ち寄せる。
誰かの物語を乗せて。
白い漆喰と赤い煉瓦の、この小さな建造物へ向けて。
物語の磔刑者。傍観する記録者。忘却を拒絶する城砦。
月浜定点観測所。
俺たちの、怨敵。
今度こそ、炎は炉から溢れ書庫へ辿り着く。そしてあらゆる記録を焼き尽くし、すべてを慈愛の忘却へ連れていくのだ。
真鍮のドアノブをひねると、扉は拍子抜けするほどあっさりと開いた。きしりとも音を立てず俺を招き入れ、また何事もなかったように閉じる。
目前には長い廊下、それに面して等間隔に扉が並んでいる。よく見れば、そのうえにはそれぞれ番号を刻んだプレートが掲げられていた。
この向こうがおそらく書庫なのだろう。しかし異様なのはその数だった。壁に据えられた照明は充分だったが、廊下の終端はどんなに目をこらしても見極めることができない。まったく同じ形状の、同じ間隔で並んだ扉と相まって平面構成めいた景色が延々と続いている。
こんな気味の悪い空間にいったいどれだけの記録を溜め込み独占してきたのかわからない。考えるだけで胃がむかついてくる。断じて許せない、許しはしない。床を踏み抜く勢いで廊下を突き進む。
どこから燃やしてやろうか、もはや俺の頭にはそれしか浮かばなかった。
もっとも効率良く、そして惨たらしくこの記録泥棒を焼き尽くしてやるには、どこに火を放てば良いか。この「図書館」のどこに、最初の炎の一滴を落としてやるべきか。
「ちょっと、もう少し静かに歩いてもらえませんか」
息まく俺の思考と歩行は、呑気な声によって中断される。
数えて五枚先の扉が開いて、その向こうからこちらを見ている人影があった。部屋から漏れる灯りが逆光になってその顔立ちまではわからない。
「あ、もしかして探し物ですか? お手伝いしますので、こちらへどうぞ」
ひらりと手招きして、人影は再び部屋のなかへ消えた。開いたままの扉が何も言わず俺を誘っている。
ごくり、と唾が喉を通って落ちていった。
あの人物はまさか。
俺たちの、もうひとつの探し物。
急く思いで踏み入った部屋は、本の森だった。
整然と並ぶ書架には暗い赤に染めた革の背表紙が隙間なく詰め込まれ、それとそっくり同じものが所狭しと続いている。人ひとりがやっと通れるほどの隙間をすり抜けるようにして、部屋の奥へ辿り着いた。
作り付けの小さな机には本が積み上がり、開いたままのノートは万年筆によるものらしき青い文字が並んでいる。
「ごめんなさいね、散らかってて。ちょっと作業していたもので」
両手を払い、その人物はこちらへ向き直った。
淡い青のシャツの袖をまくり、踝丈のパンツと黒い靴のあいだから足首が覗く。人なつこそうな笑みを浮かべた、ごくありふれた人物。
しかしその傍らには、世界じゅうでここ以外に存在しないランプが灯っている。
ガラスの火屋のなかで悠然と光る、三日月。
「あんたが、当代の司書か」
「あれ。先代をご存知で?」
まあいいや、と姿勢を正し、司書はぺこりと頭を下げた。
「ようこそ、月浜定点観測所へ。お察しの通り私が当代の司書です」
その脳天を今すぐ割ってやりたかった。
手足をへし折り首を掻き切り、身体をばらばらに切り刻んで、無数の本たちと共に焼き捨ててやりたかった。忘れ去られることの叶わなかった名もなき人々の弔いを果たしたかった。
俺たちは待った、待ち過ぎた。ずっとずっと待っていた。このときが来るのを。
「この時期に人が訪ねてくるのは結構珍しいんですよ。だから、今のうちに色々片付けておこうと思って。……ところで、何をお探しで?」
軽く首を傾げ、お茶はどうですか、とでも尋ねるような気軽さで、司書は口を開いた。
「『ここ』だ」
武者震いする手を素早くポケットに入れ、なかのものを取り出した。
銀色の胴体は、製造者も持ち主の名も拒絶する。無銘の小さな道具はきん、と甲高い音で開く。現れた燧石は小指の先にも届かず、しかしそれで充分だった。
銀色のオイルライター。
紙の塊たる本に満ちたこの場において、最高の武器だ。
「……ははあ。なるほど」
司書はしばらく黙ったのち、ひとつ瞬きをして、ため息とも相槌ともつかない声を漏らす。
その顔には怒りも、恐怖すら浮かんでいない。
「先代が昔、話してくれたんですけどね。人っていうのは大抵誰かに覚えていてもらいたいと望むものらしいんですよ。自分の存在そのものじゃなくてもいい、たとえば作品とか研究とか……なんなら血の繋がった子供でも構わない」
でも子供って他人ですよね、と呟きながら机に置いたグラスを手に取る。
「何が言いたい」
「まあまあ。これはほら、推理小説で言うところの謎解きタイムってやつです。形式美ってのも馬鹿にしたものじゃないですよ」
氷がからりと鳴る。深い琥珀色の液体が、ストローのなかをのぼっていく。
「とにかく。何かほんの少しでいいから、自分が存在していた、生きていた証を世界に残したいと願う。それが人間の習性のひとつだそうで。だけどもちろん、それがすべてではない」
グラスの側面から水滴がひとつ、ゆっくりと滑り始める。
「何事も例外はある。真逆の望みを持つ者、現世からの消滅と自己存在の忘却を同義とする者、忘却願望を宿命とする者――すなわち、《
ぽたり、と床に咲いた小さな水たまり。
「彼らの名を――」
「俺たちの名は、
その名を、司書に言わせるわけにはいかない。
人の生をただの記録としか見なさず、この世から立ち去ってなお黴臭い書庫に幽閉し続ける、こいつに。
「今日こそ俺たちは宿願を果たす。あらゆる記録と、それを抑留し続けるお前を焼き尽くし、すべてを忘却の彼方へ帰す。肺も残さず、忘れさせる」
素早く指を擦る。
ドラムが回り、火が灯る。血よりも赤い火が。
「人間は誰もが記憶されたいだと? お前はどこまでも傲慢だ。死者に口はない。ゆえに墓場まで秘した事柄すらも無神経な生者に掘り返される。だからこそ人の記憶に残ることを恥辱とし、己の亡骸とともにすべてを焼き尽くして去りたいと願う。それがどうしてわからない?」
熱源に空気が揺れ、陽炎越しに見える司書の顔は水面のように揺れた。
「わからないとは言ってませんよ。誤解しているようですけど、あなたの、いや違うな、あなたがたの願いを否定するつもりもありません。なので」
垂らしていた片手を広げ、なんでもないように言う。
「燃やしたいのなら、どうぞご自由に」
耳を疑った。
次に、正気を疑った。
他でもない司書が記録をやすやすと手離すはずがない。
のみならず、ここに火を放てば自身の命さえ危うくなるというのにさっきからこの冷静さはなんなのだ。
「心中でもする気か」
「心中? 心中ですか……心中、うーん、嫌いじゃないですけどその言い回し」
司書は口の端で笑う。
「率直に申し上げて、今すぐ忘れたほうがいいくらい、センスがないですね」
「そうか」
開いた手からライターが落ちる。
緩く回転しながら上下逆さまになりやがて床へ到達する、一連の光景がスローモーションで見え、赤い残像が長く伸びて弧を描き、その端が床板へ届いた点を中心にして、巨大な薔薇が咲いた。
ごう、と空気が轟く。
炎はまるで生き物だった。花びらは大きく撓み、反り返り、捲れ、分裂しては癒着する。やがて飢え渇いた指となり舌となり書庫じゅうへ伸びていく。書架へ這い上がり、背表紙を舐める。掴み破いた頁がみるみるうちに黒く焼け焦げる。炙られた空気に細かな灰がいくつも煽られ、それもすぐさま赤い舌に絡め取られ消える。薪と化した書架が耳障りな軋みを上げて崩れ、倒れていく。
ものの数分で書庫は真っ赤な海に浸された。あらかじめ油でも撒いてあったかのように、炎は貪欲に勢いを増していく。すさまじい熱気が顔にぶつかり思わず後ずさった。
「逃げないんですか?」
あくまで冷静に、呑気に、司書はそう問いかけてくる。
「早くしないと、間違いなく火傷じゃ済みませんよ」
「何を今更。俺は最初から、死ぬ覚悟で来た。俺の物語とやらはここで終わる。そして、どこにも残らない」
「そうですか。それは殊勝な心がけで」
炎はいまや俺の身長に届くほどに膨らんだ。司書の姿は辛うじてその隙間から見えるばかりだ。
「ところで、どうです」
黒い前髪が熱気に煽られ、ふわりと浮き上がった。
「満足しましたか?」
紅蓮の向こうへ消えていく涼しい眼差し。
瞳に宿っていた光は、あの男が一瞬だけ浮かべた表情によく似ていた。
「まあ、満足されちゃ困るんですけど」
ばしゃん。
派手な音が耳を叩いた。
音? まさか。
俺はあれから炎に飲まれ、全身を焼き尽くされて死んだはずだ。
音が聴こえるなど、ありえない。
おまけに、何やら冷たい感覚さえある。
ちょうど頬の辺りが、凍るように冷たく、そして濡れている。
焼け焦げた皮膚がそんなものを、感じ取るわけがない。
何より。
「マジで燃やすとは思いませんでしたよ。侮ってましたね、それについては謝罪します。申し訳ない」
死んだはずの俺が、人の声を聴き取るはずがない。
「謝罪するんで、そろそろ死んだふりしてるのはやめてもらえませんかね」
はっと、目を開いた。
見えたのは、透明な塊。表面に細かい水滴をまとい、それがあとからあとから、伝って落ちていく。それが三つ四つと転がっていた。
深い琥珀色の液体に浸ったまま。
水たまりのすぐそばには、透明のものよりずっと大きな黒い塊。眺めていると急に動いて、水面をすっと滑った。
こつん。
「いてっ」
痛み。それから、まぎれもない自分の声。
瞬きを二度三度繰り返し、ようやく俺は書庫の床に倒れていることを悟る。
透明な塊は氷で、深い琥珀色の液体は香ばしい匂いがする。黒い塊からは白い皮膚が伸び、途中から踝丈のパンツの裾で隠れている。
つまり。
司書は、横たわった俺の顔めがけてグラスの中身――アイス珈琲をぶちまけ、ついでに落ちた氷を蹴飛ばして額にぶつけた。ということらしい。
「何しやが……!」
る、と言葉は続かなかった。
整然と並ぶ書架、暗い赤に染めた革の背表紙、作り付けの机に、開いたままのノート。
ガラスの火屋のなかで悠然と光る、三日月。
がばりと身体を起こす。
灰の一片もない。焦げた匂いすらしない。何もかもが、なかったことになっていた。
「何が……」
「今回は謎解きタイムはなしです。その代わり、質問に答えてもらえますか」
司書の顔が目の前に降りてくる。折り曲げた膝に頬杖をつき、面倒くさそうに顔をしかめる姿はまったくの無傷で、煤のひとつもついていない。
「今日、どこから来ました?」
「話すと思うか?」
こちらが混乱しているのに乗じて話を聞き出そうとしているらしい。もちろんその手には乗らない。あの奇妙な男のいる店、とは口が裂けても――
「黙秘するなら当ててみましょうか。路地裏の赤い看板の店。イーハトーヴの」
濡れたままの頬が引き攣った。ほんの一瞬で、決意が無駄になる。
しまった、と後悔した次の瞬間、司書の言葉に俺は驚愕する。
「最悪だ」
「……は?」
「瓢箪から駒……いや口は禍の元か、あの人ならバグ突いてくるぐらいのことはしそうだけどさ……だからってほんとにやるなよ……」
当たって欲しくなかったとでも言いたげな渋い表情で、司書はぶつぶつと呟き続けている。覇気がすっかり抜け、げんなりという言葉がぴったりな疲れ切ったその様子につい問いかけてしまう。
「知ってるのか。あの男を」
「知ってるも何もないですよ、あれはとんでもない危険人物です。事実、あなただって嵌められたんですからね。自覚してます?」
「していないわけではないが……」
俺としては、嵌められたより迂闊だったと表現したほうが正しいように感じる。
あの店は当たりではあった。それは事実だ。しかし結局はこの有様だ。無様と言うほかない。司書があんな大掛かりな幻を扱えると知っていたらもっと慎重に立ち回っていた。ここへ立ち入った時点で、今回は勝ち目がなかったのだ。
あの男にしたってそうだ。俺が踊らされることなど端から織り込み済みだったのだろう。
そこまで思い至って、ふと疑問が湧いた。
耳を滑った男の言葉。
すべて知っていますよ、の、その手前。
「とにかくあの人の話にはあまり耳を貸さないほうがいいです。単なる悪人ならまだしも、そうと言い切れないところが一番厄介ですから」
そう言いながら立ち上がった司書に、今度はこちらが問いかける。
「ひとつ教えろ」
「なんです?」
「お前の名前は」
「聞いたら忘れられなくなりますよ。いいんですか?」
「心配するな。忘れることに関しては、
「ほんと勝手ですよね、
「
深々と息を吐き、司書は答えを口にする。
■■、と告げられた名前は、やはり意味を為す言葉として捉えられなかった。
「私の名前なんて忘れてもらって構わないですけど」
ふわりと宙に散る、光の粉。
あの三日月のランプが、煌々と灯り揺れていた。奇妙なことにそれが明るさを増すほど、辺りが暗くなっていくように感じられた。それはあたかも、ランプが部屋の光を吸い込んでいるかのように。
俺の視線も、そこへ引き寄せられていく。
「
涼しい声が、遠くなる――
珈琲は、幸い染みになる前に掃除できた。
手を拭い無人の書庫を出る。いかにも散歩らしい風の気のない歩調で、司書は廊下を歩いていく。どこかに宛てがある様子もない。厄介な客が帰ったので気分転換をしているのだと主張されれば、疑う余地はなかった。
ポケットに両手を突っ込み、やや行儀の悪いなりでしばしそうして歩いていた司書だったが、出し抜けに立ち止まった。
辺りには何もない。正確に言えば、ここまでと同様の変わり映えのない景色があるだけだ。延々と続く、廊下に面した扉。そのひとつの前に司書は立ち、扉の
うえに掲げられた書庫番号すら確かめずにドアノブをひねった。
どさり。
鈍い音が床を揺らし、室内に踏み入ろうとした足が一瞬だけ止まる。
床のうえ。目の前に、一冊の本。
延々と並ぶ書架の、最も手前に差してあった一冊が、司書が入室してくるのを待ち構えていたかのように落ちてきた。
「……仕事の速いことで。時差がないからって、まったく」
ひとりごちる手が本を拾い、暗い赤に染めた革の背表紙を撫でた。
めくるのは、一番新しい記述のページ。
九百五十八号書架 の 六十二区 百二十五番
二十一巻 六百三十四頁 六百八十一章
百五十三節
「隘炉の来訪」
深い溜め息が天井に吸い込まれるのを待って、司書は努めて明るい声を上げた。
「うん。行ってこよう」
本を書架に戻し、部屋の奥へ向かう。ほとんど照明も届かず薄暗い、埃っぽい一角には、また扉があった。
どこへも続かず、それゆえにあらゆる場所へ繋がる扉を、軽く叩く。
「悪魔のいる店へ」
開いた扉の向こうは一面の暗闇。
しかし、司書の耳と鼻はそこから漏れ出す気配を敏感に感じ取る。
湿った空気。
埃に似た匂い。
弾丸のような水滴が路地裏を打つ音。
響き渡る轟音。
ざわめく夕立。
「……ああ、ちょうどいいや」
ぱたりと扉が閉じ、書庫は無人になった。
遠くで、空が鳴っている。
『月浜定点観測所記録集 第二巻』(2020.06.21 発表)購入特典
作者 此瀬朔真
無断転載、譲渡、再配布を禁止します。
ありがとうございました。
月浜定点観測所記録集 第二巻 此瀬 朔真 @konosesakuma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます