side 黒葛 睦美
―― わわわわ……私ったら一体何を!?
家へと駆ける私の頭の中は絶賛パニック中……でもそれも仕方ない事、まさか初対面の男性にあんな姿を見せてしまうだなんて……。
――――
久瀬 慎哉君、名前と顔は知っていたけれど話したのは今日が初めてだ。
彼自身は知らないだろうけれど、学校の女子の間では結構有名だったりもする……それは決していい意味だけではなかったけれども。
―― 大人しくて目立たない……けど
―― 1人でいることが多い……けど
―― 何を考えているかわからない……けど
等々……そして必ずその後に続くのが『けど、他の男よりも女性を嫌っているわけじゃなさそう』というもの。
社会に出れば女性に対する偏見も上手く隠されていく……けれど、学校ではそうじゃない。
建前上、同じクラスになってはいるが教室内は完全に男女別だから。
先生も一応は平等に接しているように見せかけてくる……けれど、隠し切れない嫌悪感はちゃんと私たちに伝わっているのだ。
そんな中で女性に対して優しさの欠片でも見せようものならそれは稀有の存在なのだ。
お礼を言われたとか、微笑んでくれたとか……たったそれだけのことであったとしても。
そしてある日、偶然にも私は見てしまったのだ……誰も来ることが無い放課後の校舎裏で、子猫に餌をあげている彼の姿を。
とても優しい目をした彼の顔を。
その日から私は彼を自然と目で追っているようになった。クラスが違うから普段は見ることは出来ないけれど、偶然廊下でとか、体育の時間らしく窓から見えたグラウンドでとか……。
その彼とまさか夢で見たことが気になって足が向いた川沿いの広場で、それこそまさか夢と同じことを再現されるだなんて……。
必死に動揺を隠した私に気が付く素振りを見せずに話しかけてくる久瀬君。
――「そう、俺の思い違いで良かった。いきなり腕を掴んですみませんでした」
私の事を心配してくれたの? 女性に頭を下げるの?
単なる噂か女の子の僅かな希望や夢物語でしかないと思っていたけれど、まさか本当に……いえ、それ以上だっただなんて。
その後も私の事を気にすることもなく――時折しっぽや耳を見ていたようだけれど
その視線に嫌な感情は感じられず――普通に会話を続ける久瀬君。
私が気になったと言えばそれを確認しに行ってくれるし、もしもの為だろう、私には待っていていいとまで言ってくれる優しさ……。
――「それじゃあ、邪魔をして悪かったね。俺は行くけれど、君もこんな所に長く居て風邪をひかないように気を付けて」
そう言われた時、もうこの時間が終ってしまうのかと今まで感じたこともない寂しさが私の胸を締め付ける……そして降り出した雨は、私にとって恵みの雨だった。
――「あっち」
そう言い高架下を見やると、彼も私が言いたいことに気が付いてくれたよう……少しづつ強まり始める雨に駆け出したけれど、もしかしたら彼はどこかに行ってしまうかも知れない……そんな私の不安を打ち消すように、数拍遅れで駆け出しはじめ付いてくる足音に思わず胸が熱くなる。
――「ふぅ、ここなら大丈夫そうだね、助かったよ」
そう笑顔を見せてくれながら言う彼に私の胸は早鐘のようになり続ける……少し落ち着こうとこっそり気付かれないように息を深く吸うと、どこか甘いような……不思議な匂いがした。
なんだろう、と匂いがした方を見てみると……久瀬君が着ていたブルゾンを脱いで雨の雫を振り払っているところだった。
私も濡れてしまったなと、コートを脱ぎポケットからハンカチを出して水滴を拭う……でも頭の中はさっきの匂いでいっぱいだった。
(なんだろう、とても安心できる良い香り……久瀬君のシャンプーとか? でも少し離れているし……もっと近づいたらわかるかな?)
そう思って顔を上げてみると……久瀬君がじっと私の事を見つめていた。
不意に昨日読んだ本の内容が思い起こされた……それは男性が女性に欲情するお話……その中で胸を乱暴に扱われる描写があったのだけれど……まさか、久瀬君が?
ふふ、まさかそこまでは無いわよね、自分のそんな考えを一笑に付し……それでもどこか期待をするようにギュッと胸を覆い隠してみる。
――「ごめん、そこを見ていたわけじゃないんだが……
あぁ、やっぱりね。そんな物語のようなことが都合よくあるわけないじゃない。
視線を逸らしてしまった彼の横顔に……残念と感じてしまった私が居た。
そして、自分のしでかしたことの恥ずかしさと少し気まずい雰囲気をどうにかしたくてちょっとした
肩を竦ませ応えてくれた彼にほっとし、まだこの時間を過ごせることに全身が歓喜の声を上げた。
今思えば、この時から――もしかしたら彼が私に触れた瞬間からかも知れないけれど――私は私ではなかったのかもしれない……ちょっと違うかな? 私の中のもう1人の私が目を覚ました……そう言っても良いかも。
――――
それから久瀬君と話をしていて、私が昨日見た夢の話になった。
内容を話している内に、ちょっとした出来心が芽生える……少し驚かせてみようかな、と。
私の話を真剣に聞いてくれていることに気を良くしたのかもしれない……だって、男の人とこんなにお話をしたのは初めてだし、その相手が日頃気になっていた久瀬君なんだから。
――「とにかくその場から逃げようと足を踏み出したところで……ガシッと!」
言葉と共に、彼の腕を両手で掴む……私や他の女の子とは全く違うがっしりとした腕……線が細そうにも見えた久瀬君だったけれど、その腕は私なんか簡単に押し倒してそのまま身動きが取れなくしてしまいそうだった。
ゾクゾクっと背筋を這うような感覚が襲う……なにこれ、こんなの知らない……!
しっぽの付け根から痺れが走り、お腹の奥がぎゅぅぅっと熱くなる……これってもしかして……。
―― 私は今、久瀬君に欲情している。
頭が理解する前に身体が勝手に動く……久瀬君を引き寄せその顔に頬をすり寄せる……そう、たしか夢では……。
――「キスをするの……ふふふ、久瀬君もしてくれるのかな?」
バッと顔を離してしまう久瀬君……すぐそこにあった温もりが離れ途端に寂しさが心を埋め尽くしていく……私は一体どうしてしまったんだろう……。
次の瞬間、私は久瀬君の腕に抱き締められていた。
(え? 何……どうしたの!? もしかしてこのまま……)
期待していなかった事がいきなり叶えられパニックになるが、すぐに気が付いた。
どうやら突然の突風で吹き込んだ雨から私を庇ってくれたようだ……それがわかった途端、一気に心が彼で満たされていく。
(あぁ……もう彼になら何をされても良い……)
そんな私の気持ちに応えてはくれず、わたわたとしとにかく離れて欲しいという久瀬君に、これ以上したら嫌われてしまうのではと不安が私の欲情に勝った……火照る身体を持て余しながらもゆっくり、少しでも長く触れていたい思いを噛み殺して身体を離す。
抱き締められて満たされた心が、離れたことによって少し落ち着いたのかもしれない……徐々に冷静になっていくと、今までの自分がとても恥ずかしいことを口走っていた事に気が付いた。
ふと視線を久瀬君から外すと、先ほどの突風で雲が流れたのか雨が止んでいるようだった……高架下から見えた空に虹がちらりと見える。
ここでようやく久瀬君以外のものへと意識が動いたおかげか、一気に冷静になった私は高架下から駆け出した……このまま傍に居たら今度こそ私は止まらないだろうと確信して。
一緒に虹を見上げた後、私は後ろ髪を引かれる思いで家に帰ることを選んだ。
どうしても我慢が出来なくて少し離れたとところで足を止める……もし振り返ってもう彼が居なかったら……居たとしてももう背を向けて歩き出していたとしたら……でも、もしもまだ私の事をみていてくれたとしたら? その時……私はどうなるんだろう。
躊躇いながら……振り返った私の目に、その場を動かず私を見ていてくれる彼の姿が飛び込む……。
とっさに小さく手を振ると、振り返してくれる久瀬君……。
私は改めて自分の家へと走った、そうしなければ私はきっと彼の下へと駆けだしていたから。
走っている最中も、彼から感じた温もりやその匂いが離れない……。
――――
家へたどり着き、自分の部屋へと駆けこんだ私はカギをかけ……そっと自分のスカートを捲り、そこに手を触れてみる……。
触らなくてもわかっていたけれど、そこには確かに……彼を求めた自分の欲情が、ありありと残っていた……。
けも耳な彼女の愛し方。 八剱 櫛名 @qshina
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。けも耳な彼女の愛し方。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます